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登録リスト(該当:40件)

管理番号写真タイトル説明登録日
2229博愛館博愛館自由民権運動・青年会の活動が活発になった明治の時代、活動の拠点となる場所を求めるこえが強くなり、他の地区でも新しい集会所が次々に建てられた。神風社(青年会)の建議を受け明治40(1907)年5月に落成した。総工費1343円、全額区民95戸の寄付金で賄われた。 現在建物はなく駐車場になっている。2021-12-23
1895くつろぐ仲間くつろぐ仲間総合運動場で撮影したものと思われるが、詳細不明。2020-08-02
1882保育園保育園昭和30(1955)年頃の保育園の風景。 町勢要覧の中で「児童の遊び場設置について昭和24年6月第一次児童福祉法改定項より母の会を中心にこどもに良い環境をという運動が活発になり、昭和25年7月15日復式スベリ台1基3蓮式ブランコ1基の遊園地が一か所誕生、その後各部落に設置がされ昭和26年には13か所となった。2020-08-02
1876総合運動場総合運動場総合運動場。年月等不明。 写真右に旧公民館、その向こうに清水町教員住宅が見える。2020-08-02
1850運動会運動会昭和29年、清水町大運動会。2022-03-13
1829旧和田峠トンネル工事旧和田峠トンネル工事(旧)和田峠トンネルの掘削工事写真。 昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。 写真(2枚目)中央仮橋上の小窓がトンネルの西口、その右肩の道路が明治29(1896)年の開削された新道(142号線)2020-08-02
1799旧和田峠トンネル工事旧和田峠トンネル工事昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。2024-03-17
1718片倉製糸の運動会片倉製糸の運動会昭和10年頃の写真で、片倉製糸の運動会と記録されている。写真右下のオルガンに合わせて若い女性(女工)が裸足で集団演技をしている。万国旗の中心に飛行機の模型がつるされ、垂れ幕には「皇国興廃此一戦在女□□子一層奮励努力せよ」(日露戦争の時の日本海海戦時のスローガンをもじっている)と書かれ、戦時色が色濃く出ている。2022-06-09
1692陸上大会優勝陸上大会優勝優勝旗に「陸上大運動會 主催 内務省社會局 長野健康保険署 昭和参年 諏訪方面」とある。大社陸上に参加した片倉製糸㊅工場の選手たち。選手の胸にはKS(片倉製糸のマークか?)があり、白く足袋型の競技用の履物に時代が感じられる。 ちなみに第一回大社陸上競技大会は昭和2(1927)年5月1日に開催、女子部新設を決定したのは昭和10(1935)年のことであった。2020-06-27
1691片倉製糸運動部 片倉製糸運動部 優勝旗に「片倉製糸紡績株式会社 運動部」と書かれている。女性がテニスに取り組んだのも下諏訪では早かった 。2020-06-27
1690片倉製糸運動部片倉製糸運動部優勝旗に「片倉製糸紡績株式会社 運動部」とある。 前列の女性はみなテニスラケットを持っている。2020-06-27
1530高浜付近高浜付近新田中線沿いにあった「サンアイ」・「諏訪湖市場」の看板付近と右手前は高浜運動公園のフェンス。2020-03-06
1477下諏訪町上空下諏訪町上空写真中央に町役場、右に総合文化センター・体育館。左はテニスコート・野球場・陸上競技場などが見える。2020-03-06
1450町営総合運動場町営総合運動場町の総合運動場。2020-03-06
1321鉄骨警鐘楼鉄骨警鐘楼太平洋戦争末期になると、兵器にするため民間の鉄材を供出する運動があり、第一分団の屯所の上に建てられていた火の見やぐらも倒されて供出された。昭和18(1943)年金属供出で取り壊す前の記念写真。2020-03-06
1101第10区運動会第10区運動会第10区運動会の様子。体育の日、区民運動会で楽しむ、晴天続きで、この日も汗ばむほどの好天、町内会対抗の二人三脚リレーに声援がわいた。会場は南小学校校庭。2020-03-06
1038諏訪湖清掃諏訪湖清掃第9回目「諏訪湖クリーン祭り」湖岸の清掃をする人たち。全町一丸式の運動の形をとって進められている。2020-03-06
1015砥川の清掃砥川の清掃全町一斉「川をきれいにする運動」24年目の作業風景。川へゴミを捨てる風習をなくすため、町の主導で始まった清掃運動。2020-03-06
982北小「はだしの生活」北小「はだしの生活」下諏訪北小学校「はだしの生活」。下諏訪北小学校では10年ほど前から「はだしの生活」に取り組み、運動会もはだしで行っていた。2020-03-06
946水月園花見風景水月園花見風景明治35(1902)年に下ノ原の俳人らにより、水月園の開園と水月会が発足した。会の運動の一環として月見堂の建設、句碑が建立された。また桜・楓などが植樹され諏訪地方随一の桜の名所となった。2020-03-06
681合宿風景合宿風景大学・高校の夏季合宿学生が温泉町の宿舎を出て運動場へ向かうところ。夏季合宿練習のため東京の高校・大学生の来町するものは戦前からあって、小学校の施設を利用していた。町が本格的に請け入れるようになったのは、戦後昭和27(1952)年ころからのこと。昭和39(1964)年には一万人を越え、14軒の旅館に合宿していた。2020-03-06
628下諏訪小学校奉安殿下諏訪小学校奉安殿運動場南はじに奉安殿を竣工する。竣工式は大正13(1924)年8月。昭和21(1946)年1月に御真影を地方事務所に奉還し奉安殿も姿を消した。2020-03-06
604バス開通式当日バス開通式当日昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足して運動の結果、昭和6(1931)年和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年3月上和田・丸子間と下諏訪・岡谷間が営業開始された。和田峠は難工事で昭和8(1933)10月8日試運転に成功して、昭和8(1933)年10月13日和田嶺省営バス全線開通祝賀式が慈雲寺において開催された。省営バス路線中日本最高の峠道を40人乗りバスで4往復した。2時間半の所要時間であった。所長は下諏訪駅長が兼務した。2020-03-06
531東山田下諏訪へ合併東山田下諏訪へ合併昭和32(1957)年3月25日長地村は岡谷市に合併後、昭和33(1958)年6月1日東山田・東町を下諏訪町に編入するという境界線変更に関し住民投票を行った。 その際の住民運動の模様。 昭和33(1958)年7月1日東山田と東町が岡谷市から分市して下諏訪町にに合併。 当時の東山田街道上の岡谷市側から分市賛成の張幕。2021-04-06
526献米運動献米運動敗戦色濃い中、どこでも食糧不足が日増しに深刻化したが、下諏訪町では軍需産業に働く人のために「献米運動」を起こした。「奉公供米運動」と呼び、町民から一握りずつ米をもらった。100俵が集まり、秋宮社頭で先勝を祈った。 手水舎が現在と逆の位置にある。手水舎は昭和28(1953)年に鳥居の左側に移されている。2020-03-06
426石投げ場石投げ場石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が変化し運動公園ができ湖岸道路もある。№425と比較するとその変化がよくわかる。2020-03-06
422下諏訪球場下諏訪球場町営球場。バックネット後方に諏訪ガスのガスタンク(現在は無い)が見える。2020-03-06
421下諏訪町営総合運動場下諏訪町営総合運動場町営球場。下諏訪町は昭和24(1949)年、旧鐘紡敷地(中央車両株式会社所有)を買収し、公園並びに総合運動場敷地として計画。野球場は同年8月竣工した。ちなみに陸上競技場は昭和35(1960)年に完成している。2020-03-06
416高浜運動公園高浜運動公園高浜運動公園マレット場(左側)付近。手前は現在「高浜健康温泉センターゆたん歩」となっている。2020-03-06
410石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が大きく変化した。運動公園ができ湖岸道路もできている。 №409の写真と比較すると変化がよくわかる。2020-03-06
399和田峠トンネル和田峠トンネル和田トンネルが完成した。昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足運動の結果、鉄道省の路線調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル開通、昭和8(1933)年1月に完成した。全線開通祝賀式は昭和8(1933)年10月3日。2020-03-06
280航空写真 下諏訪町市街地航空写真 下諏訪町市街地写真の中心付近に下諏訪町役場の庁舎や総合運動場が見える。この写真を撮った昭和52(1977)年には、昭和53(1978)年完成した湖岸通り(ジャスコ通り)の砥川以西や昭和54(1979)年完成した清水橋とそれ以西の道路、昭和55(1980)年完成した西大路通りなどはまだない。2020-03-06
213奉安殿奉安殿下諏訪小学校(現中学)運動場の南端に奉安殿施工する。生徒たちは登校の際、最敬礼をして通過した。昭和21(1946)年1月御真影を地方事務所に奉環し奉安殿も姿を消した。2020-03-06
175下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場(講堂)内での関係者の記念写真。平成29(2017)年11月26日市民新聞に掲載された。2020-03-06
174下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校(現南小)雨天体操場(講堂)の外観を背景に関係者の記念写真 平成29(2017)年11月26日市民新聞に掲載された。 「下諏訪小学校南校雨天体操場落成記念 昭和6年10月28日」。 南校は大正13(1924)年低学年収容の校舎として開設されていた。2020-03-06
138テニスコートテニスコート総合運動場内のテニスコート。2020-03-06
137陸上競技場陸上競技場昭和36(1961)年完成の陸上競技場開きの看板(11月5日に式)、背後に関係者の姿が見える。2020-03-06
134総合運動場総合運動場ガスタンクの上から撮影した総合運動場全景。 球場では大会が開催されていて、多くの観客が観戦している。 当時庭球コートは6面、バレーボールコートは3面がとれたという。 陸上競技場はまだできていない。 2枚組み写真。 町営総合運動場の完成は昭和24(1949)年8月。 陸上競技場完成は昭和36(1961)年11月5日である。 ちなみにこの敷地は中央車輌株式会社所有地(旧鐘紡敷地)の整理にあたって町が買収したものである。2020-03-06
111黒田町長就任記念写真黒田町長就任記念写真役場旧庁舎前。黒田新一郎町長と議員。第26代下諏訪町長、黒田新一郎氏は昭和33(1958)年から昭和45(1970)年まで3期12年間町長を務める。在任中、温泉開発、明るい町づくり運動推進、陸上競技場完成、社ヶ丘団地造成、星ヶ丘団地造成、八島高原の保全、町誌づくり、新庁舎建設等に尽力した。2020-03-06
13ダイヤ豆腐周辺の航空写真ダイヤ豆腐周辺の航空写真当時景気が良かったダイヤ豆腐による航空写真。ダイヤ豆腐は線路横の煙突の立っている建物、現下諏訪南小学校前を通る田中線は砥川で止まっている。田中線の右端に小学校の校舎が見え、砥川の手前には昭和24(1979)年から整備されてきた総合運動所が見える。現在のジャスコ通りにあたる道沿いには昭和28(1953)年栄町から移転ひかり味噌が見える。線路下には、桑畑とりんご畑が広がっていた。2020-03-06
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