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タイトル順
登録日順
登録リスト(該当:14件)
≪
1
≫
管理番号
写真
タイトル
説明
登録日
1967
風景写真
民家。詳細不明。
2020-09-05
874
寒の雨
厳寒の雨は酷寒の地諏訪地方では珍しく、この日の最低気温は0.5度(平年比7.7度高)、最高気温は6.5度(同3.6度高)だった。御田町の風景写真左が居酒屋「甚八」右手には福田屋菓子店。
2020-03-06
315
八島ヶ原高層湿原
昭和41(1966)年9月7日、文部省から天然記念物保護地域として指定された八島ヶ原高層湿原。写真の中央部に写っているのがミズゴケ類が約1万1千年かけて堆積し泥炭層となった湿原である。湿原の中には鎌ヶ池や鬼が泉水、八島ヶ池と呼ばれる池がある。中央部は水ごけの泥炭化したものが凹レンズ状になっている。高層湿原の南限と言われ、約8.5mと堆積層が厚いことから学術的のも貴重である。また春から秋にかけて次々と咲く花を尋ねてくる観光客も多い。
2021-04-01
314
板葺石置屋根
板葺き石置き屋根。栗の木を薄く割った(へぐという)板を並べて押さえに長い丸太を置き、その上に丸石を重しにおいていたが後に鉄平石を交えるようになった。
2020-03-06
312
長屋
明新館から東方向に入った右手にあった長屋。今はもう見られない。
2020-03-06
311
長屋
明新館から東方向に入った右手にあった長屋。今はもう見られない。
2020-03-06
310
医王渡橋
大正13(1924)年7月医王渡橋鉄橋工事が行われ、初めて無橋脚の鉄橋ができた。 写真は浮島から医王渡橋を撮ったもの。
2020-03-06
309
高浜埋立
埋立工事に入る直前の高浜湾の風景。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。
2020-03-06
308
高浜埋立
高浜湾遠望。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。
2020-03-06
279
高浜湾
諏訪湖で網いけす養鯉業がはじまったのは昭和39(1964)年。その頃の諏訪湖岸(高浜湾)の風情が感じられる写真。
2021-03-24
277
高浜湾
昭和41年に撮影された富が丘から望む高浜湾。広い水田が広がっている。
2020-03-06
233
下諏訪全景
河西政常氏撮影。製糸工場の煙突の煙が見える。白い建物は ※丸六製糸(現在のムトー工業の位置)。
2020-03-06
216
下諏訪町遠望
富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。
2020-03-06
215
宅地化する前の湖浜地区
富部山の手から撮影。冬の高浜湾。
2020-03-06
≪
1
≫
風景写真(12)
高浜湾(5)
高浜(2)
浚渫(2)
埋立(2)
諏訪湖(2)
長屋(2)
明新館(2)
障子(2)
諏訪湖畔(1)
冬(1)
遠景(1)
富部山(1)
立体交差 (1)
国鉄(1)
製糸工場(1)
丸六製糸(1)
煙突(1)
花見新道(1)
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富が丘(1)
網いけす(1)
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医王渡橋(1)
無橋脚(1)
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家(1)
板葺き屋根(1)
鉄平石(1)
へぐ(1)
屋根(1)
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高層湿原(1)
南限(1)
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極寒(1)
雨(1)
福田屋菓子店(1)
甚八(1)
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