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令和
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管理番号順
タイトル順
登録日順
登録リスト(該当:64件)
≪
1
≫
管理番号
写真
タイトル
説明
登録日
2513
流鏑馬
諏訪大社下社春宮通り(大門通り)にて流鏑馬。 後ろに見えるのは春宮大門の大鳥居。
2024-01-13
2231
祝神稲荷社
富部村本郷に祀られた、村内・宮坂巻の「祝神(いわいがみ)稲荷社」。 昭和61(1986)年の御柱祭の後不慮の禍で無残に倒壊折損した。 鳥居には長い由緒があり、富部村中のの信仰に深いつながあった。
2021-12-23
2221
若宮社標
富部地区(第十区)の高台にある若宮神社の鳥居の横にある若宮様の社標。現在この社標碑は甲州街道沿いに立っている。
2021-12-23
2044
長持ち
「昭和十三戊虎歳御柱記念」。 諏訪大社下社、春宮鳥居前で長持ち勢ぞろいの記念写真。
2021-04-13
1992
御柱祭の踊り
御柱の踊り。 手水舎が秋宮境内に向かい左側にある。(現在手水舎は境内に向かい左側にある。) 詳細不明。
2020-09-08
1939
記念写真
長持ち・花笠など祭支度で記念撮影。場所も年月日も詳細不明。半纏の文字も「諏訪□□□」が読めるとよいのですが…判読できません。背景の鳥居はどこでしょう?
2020-08-02
1937
御大典記念
秋宮鳥居前で「下諏訪消防組第三部」、第三区青年団の記念撮影。青年団は踊りの支度。手水舎が向かって右手に見える。後方には鳳凰の飾り物。年月不詳。
2020-08-02
1935
御射山神社大鳥居上棟式
「官幣大社諏訪神社 摂社御射山神社大鳥居上棟式」の垂れ幕がある。詳細不明。
2020-08-02
1752
お舟祭り
夏の遷座祭(お舟祭り)、下諏訪駅前の広場で騎馬行列が勢ぞろいしての記念撮影。第一区・第三区の騎馬が一緒に写っているのは珍しい。後ろに見える駅前の大鳥居は明神型の鳥居で、昭和25年に御柱の古材を使って建て替えられたもの。この鳥居は昭和31年ネオン塔に取り替えられた。「広瀬町誌」には昭和33年の写真と記載されているが、民聲新聞等を調査した結果、33年にはすでにネオン塔になっていることが判明した。
2021-05-03
1699
長持ち・花笠記念写真
「31,5,11 御柱祭記念」、長持ち・花笠勢揃い。
2022-06-08
1685
立町長持
立町長持ち衆の秋宮鳥居前での記念写真。詳細不明。
2022-05-21
1679
御柱祭
詳細不明。
2020-06-27
1652
御騎馬
春宮大門前(現国道20号)にて、騎馬勢揃い。後ろに仁丹の看板が見えるこれは現中山薬局。
2022-05-12
1650
長持ち
「昭和十三年戌寅歳御柱記念」 東山田区長持ち勢揃い。
2022-05-12
1584
集合写真
集合写真。後ろに鳥居が見える。女性が多く映っている。写真の中央には高木十吉氏が背広姿で写っている。
2023-03-02
1571
お舟祭り
夏の遷座祭、春宮の鳥居前、柴舟が春宮を出発し秋宮に向かうところ。 柴舟の周りの氏子衆は揃いのはっぴ姿。 また、警察官の制服からも時代がうかがえる。
2022-05-21
1569
お舟祭り
遷座祭の柴舟が春宮の鳥居を出て秋宮に向かう様子。柴舟に下原・大社の神紋がついたちょうちんが飾られている。氏子の服装が現在の揃った姿とはだいぶ違う。
2021-11-03
1506
お稲荷さん
龍の口から中央通りに下る道沿い、桜町にあるお稲荷さん。
2020-03-06
1503
消防団
諏訪大社下社秋宮の鳥居前。車に「特設防護」文字があり消防車の前で撮影したと思われる。消防団員の法被の襟に一から六の分団長の文字が読める。
2020-03-06
1475
遷座祭
遷座の列を先導する白丁奉仕の氏子の皆さん。その後ろに赤く塗られた鳥居が飾られた御正台(みしょうだい)がつづく。御正台は大御正台と小御正台があります。さらにその後ろに錦をかけられた御霊代(みたましろ)を遷した神輿が続きます。
2020-03-06
1258
御柱祭
御柱祭、秋宮鳥居前で御騎馬勢ぞろい。
2020-03-06
1220
お舟祭り
お舟祭。「来八月一日午後一時より執行遷座祭並例祭・官弊大社諏訪神社社務所」の立て看板が見る。
2020-03-06
1109
秋宮の七五三柱(しめばしら)
秋宮駐車場から参道を横から入るところにある七五三柱(しめばしら)、社務所横の秋宮駐車場から境内に入る場所に建立されている。大鳥居をくぐることを省略して参拝することになるので、平成元(1989)年に七五三柱を建て大鳥居をくぐったと同じになった。柱に「平成元己巳(つちのとみ)年十月二十五日全国諏訪神社連合会」と彫られている。この七五三鳥居を入るとすぐ右手に温泉を引いた手水が置かれている。
2020-03-06
1029
秋宮に着いた柴舟
この年の御頭郷は岡谷、秋宮境内へ引き入れられた柴舟。この後柴舟は神楽殿を3周した後神事相撲などの奉納をし翁媼の人形のおたき上げを内御玉戸社(うちみたまどしゃ)で行い祭りは終了する。柴舟に飾られた柴を悪疫退散のお守りや縁起物として多くの人が持ち帰る風習も残る。
2020-03-06
1010
製糸工場
曙町の佐藤金物近くにあった製糸工場。
2020-03-06
994
世界最大のオルゴールメーカー三協精機
三協精機旧社屋。現在下諏訪町内にはオルゴールの展示館(すわのね)やオルゴールの組み立て体験ができる「おいでや」などがある。また諏訪大社秋宮の鳥居前では20分ごとにオルゴールの音色で観光客を迎えている。
2020-03-06
852
大鳥居のある街角
春宮大門大鳥居と参道。正面は諏訪大社春宮の870mに及ぶ参道。鎌倉時代には流鏑馬が行われていたらしい。かつては見事なさわら並木で、昼なお暗い道だったという。鳥居の後方左の大きな建物は製糸時代の繭倉で平成元年は倉庫会社の倉庫になっていた。 現在は西友下諏訪店になっている。
2020-03-06
787
消防団訓練
消防団員不時呼集訓練。
2020-03-06
709
旧御射山(もとみさやま)遺跡調査
諏訪史第一巻編纂あたり旧御射山遺跡の調)査をする(写真に「本郡先史時代最高遺跡地(舊御射山)一行」と記載。写真中央に腕組みしているのが鳥居龍蔵と思われる。調査員一行は大正9(1920)年、霧ヶ峰山塊北西部に位置する星ヶ塔周辺が黒曜石原産地遺跡と明らかにしている。 鳥居龍蔵一行、左から萩倉の人、浜孝吉、鵜飼貞直、鳥居龍蔵、牛山伝蔵、八幡一郎、鳥居の後ろに立つのは今井真樹、その隣は萩倉の人。
2020-03-06
652
記念写真秋宮
下社秋宮鳥居前。手水舎が八幡坂側にある。何の記念写真かは記録がない。
2020-03-06
648
下の原消防団 一分団
法被に「下諏訪消防組第一部」とある。昭和13(1938)年撮影。下社春宮鳥居前。
2020-03-06
580
秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)
松葉屋全景。写真下に「割烹松葉屋 電話 二十六番」とある。
2020-03-06
579
秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)
写真下には「松葉屋料理店 官幣中社諏訪大社下社鳥居前」と書かれている。諏訪大社は大正5(1916)年12月12日、官幣大社に昇格している。秋宮鳥居右奥には合名会社三井組製糸の第四工場。(明治9(1876)年から大正10(1921)年頃)(現社務所)手前は松葉屋料理店(後の千尋館)。その手前は旧柳沢家(現若松氏経営の土産品店)三井家は嘉永2(1849)年座繰機器を入れて土蔵前に庇を出して「座繰製糸」を始めた。後に明治9(1876)年「山王台」下にて本格操業、明治13(1880)年には三井仁平衛・増沢市郎兵衛・岩本甚蔵・岩波甚吉・小口森蔵等共同座繰場「白鶴社」を平沢町(現青雲館北)に立ち上げた。
2020-03-06
577
春宮大門先大鳥居建立
この写真には「明治25(1892)年春宮大門先に建てる銅(からかね)鳥居を塩尻峠経由で到着させるとこ」と裏書あり。春宮大門先へ銅鳥居が建つ(明治25(189)2年)。大鳥居建設落札者河西準之助、河西寅吉と鋳造者小島大二郎(上田市)の三氏が礼服乗馬で指揮して、その部品を荷馬車で和田峠越えが困難なために保福寺峠を迂回して松本・塩尻峠経由で運んだという。
2020-03-06
576
春宮大門先石燈篭と 丸三倉庫
旧中山道添の春宮大門先石灯篭(常夜灯)〔文政12年(1829)建立〕から春宮大門の銅鳥居を望む。鳥居の奥に見える屋根は第五倉庫、常夜灯横の建物は事務所。丸三倉庫現下諏訪倉庫(三井)の六号倉庫で昭和44(1969)年諏訪信用金庫下諏訪支店(信金は昭和38(1963)年四ツ角に新築、昭和44(1969)年12月現在の場所に移転した。)丸三倉庫は「倉荷証券」を発行し金融事業も手掛けた。支配人は小口文次郎他に共同倉庫、湖国倉庫(現イングスシナノ、大和電気)をも担当したが両倉庫とも「空券事件」により廃業となった。 改修後の写真№575と比較して見ていただきたい。
2020-03-06
575
春宮大門先石燈篭と丸三倉庫(現諏訪信金下諏訪店)
旧中山道添の春宮大門先石灯篭(常夜灯)〔文政12年(1829)建立〕から丸三倉庫(現諏訪信用金庫下諏訪店)を左に見て、春宮大門の銅鳥居を望む。丸三倉庫№576(昭和37年)との違いが見える。
2020-03-06
565
明治9年下諏訪集落図絵
明治9(1876)年の下諏訪集落図絵。明治9年7月15日に筑摩県に提出した「下諏訪村誌」挿入の下諏訪村の全景。この当時は三角八町といって、下諏訪村の主な往環は、湯の町通り・友之町・春宮大門通りと甲州道中で、その他は耕地。右下の橋は、旧中山道の大橋で、現在の富士見橋はこの数十メートル上流の明治23(1890)年施工した新道20号線にかかっている。左手前の森は春宮で鳥居前の立木が大門通りのさわら並木。
2020-03-06
561
陸軍航空隊航空写真
航空写真。写真の中心近くに下諏訪学校の三階の望楼が分かる。旧甲州道中、旧中山道、八幡坂などの様子や秋宮鳥居周辺の戦前の建物が密集している様子がよくわかる。
2020-03-06
558
万治の石仏 下の原念仏講
浮島横の万治(まんじ)の石仏。この写真は大正15(1926)年に河西政常氏により撮影されたもの。地元の人々は「あみだ様」「みたらしの石仏」と呼んで信心を続けてきた。下の原念仏講では長く万治石仏前で念仏の行事を行ってきた。 伝説では高島藩三代藩主忠晴候が春宮に石の鳥居を寄進しようとしたとき、石工がノミを入れると石から血が出たと伝えられ、のち石に阿弥陀如来と刻んで供養したという話も伝えられる。 石仏の側面に「万治三年」の年号や、「願主明誉浄光・心誉廣春」と刻まれていること、万治3(1660)年から70年後の諏訪藩主手元絵図には石仏ではなく「えぼし岩」と書かれていることなどから、木喰行者弾誓(たんせい)一派の信者が残したものではないかとする見方もある。 石仏としては首と胴がちぐはぐであったり、胸に袈裟と
2020-03-06
546
秋宮鳥居前
「(官弊大社)諏訪神社下社秋宮社頭」と書かれた写真。「日本第一大軍神 昭和七年二月」(1932年2月)ののぼり旗が見える。手水舎が現在の位置と違う場所にある。
2020-03-06
544
八幡社から千尋池を写す
八幡社境内から千尋池を写す。
2020-03-06
543
秋宮鳥居前
「官幣大社諏訪神社下社 長野県諏訪郡下諏訪町鎮座」と書かれている写真。諏訪神社は大正5(1916)年12月官幣大社に昇格した。当時は手水舎(御手洗所)が銅鳥居の右袂にあった。左奥には大空洞のある大欅があり、子どもが数人が入って遊べたという。(この欅は写真左手の官幣大社標柱の陰の大木で大正初期に枯れたという。)境内参道は自然石の石畳だった。
2020-03-06
542
秋宮鳥居前
秋宮鳥居前、辻屋の看板に「参拝土産、大社飴 電話四十五番」とある。当時はみな町湯へ出かけていった、綿の湯へは秋宮社や辻屋の前を通った。
2020-03-06
526
献米運動
敗戦色濃い中、どこでも食糧不足が日増しに深刻化したが、下諏訪町では軍需産業に働く人のために「献米運動」を起こした。「奉公供米運動」と呼び、町民から一握りずつ米をもらった。100俵が集まり、秋宮社頭で先勝を祈った。 手水舎が現在と逆の位置にある。手水舎は昭和28(1953)年に鳥居の左側に移されている。
2020-03-06
514
春宮大門の並木
諏訪大社下社春宮石の鳥居の中から下馬橋方面を写したもの。
2020-03-06
513
春宮鳥居前の並木
機上から撮影した諏訪大社下社春宮の下馬橋(太鼓橋)奥のさわら並木。写真は諏訪市勝山為如氏撮影。下馬橋奥にさわら並木が見える。昭和9(1934)年の室戸台風でほとんどが倒れた。
2020-03-06
509
八幡通り改修工事落成式。
八幡坂改修渡り初め。諏訪大社下社秋宮の銅鳥居前通り八幡町の道路拡張改修工事が完成、落成式を挙げる。新庁舎前(現在のすわのね)からその渡り始めの行列を写す。改修前は雨水に洗われて大石小石の急坂であり冬の日は氷の急坂となるので大社参道として改修案が出ていた。 このときから八幡町を大社通りと改称。
2020-03-06
497
宝生橋
甲州道中から武居に入る辻。車の向こうに秋宮と山王台を結ぶ宝生橋が見える。武居の集落に入る道は昭和14(1939)年に現在の新道(しんみち)が開通するまでは鳥居から神社の横を通っていた。当時は宮田小路(みやだこうじ)と呼んでいた。お宮の社務所が石垣の上から下に新築されたことによる新道開通であった。
2020-03-06
488
官弊中社諏訪神社下社春社
絵葉書「(諏訪名勝)官弊中社諏訪神社下社春社」。鳥居の前に燈籠、鳥居の奥にはさわら並木が続いている。鳥居の両側には諏訪の石置き屋根が見える。 諏訪神社が官幣中社になったのは明治29(1896)年で、官幣大社に昇格したのは大正5(1916)年12月12日なので、写真はこの間に撮影されたものである。
2020-03-06
483
舟遊び
絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖辺衣ヶ崎にて舟遊び」。石垣や鳥居が見える。
2020-03-06
428
下馬橋
下馬橋と春宮。№427の写真を見て景色の変化を比較してほしい。
2020-03-06
427
下馬橋
下馬橋から春宮鳥居までの風景は現在とはあまり変わりはないが道路はまだ舗装されていない。 また春宮に向かい下馬橋の右側に御手洗川の分流が水量豊かに流れている。 下馬橋は春秋のお宮うつりの時に御神輿が通る橋です。
2021-10-28
402
秋宮前手水舎
諏訪大社下社秋宮の手水舎、左奥に千尋池がある。
2021-04-07
393
駅前通り
下諏訪駅頭に観光協会が宮大工の手により、昭和13(1938)年に諏訪神社の古い御柱で鳥居を建てる。鳥居は昭和25(1950)年に建て替えられ、その後は観光看板に変わった。左手前から菅野旅館・山十組・山八製糸の倉庫、右側は米本旅館。
2020-03-06
382
春宮正面
下社春宮前。立ち喰いそばの看板が見える。
2020-03-06
375
下社春宮
諏訪大社下社春宮の境内で夏の遷座祭「柴舟造り」の準備風景。
2020-03-06
274
千尋館
秋宮鳥居前にあった料亭・千尋館。その前はうなぎの蒲焼の松葉屋であった。
2020-03-06
230
戦時献金
戦時献金 昭和17(1942)年春宮の鳥居前でお舟祭の参拝者に献金をお願いしている女子青年団。「献金樽」と書かれた樽が置かれている。
2020-03-06
229
大詔奉戴日の行進
大詔奉戴日の行進(大東亜戦争のはじまった12月8日を記念し以降毎月8日を記念日として、戦意の高揚をはかった。)写真は翼賛壮年団。生徒は小学校に集合し秋宮から春宮へと行進した。この行進に参加しない者は問題視された。
2020-03-06
199
芸者踊り
三井屋の前、芸者の踊り。御柱祭に芸者集も大勢参加した。 向かって左の建物から「本陣事務所」「つじや」「オオクマヤ」と並んでいた。 芸者の多さにも驚くが群衆の中の子どもの多さにも驚かされる。
2020-03-06
186
室戸台風の被害
昭和9(1934)年9月21日に下諏訪を襲った室戸台風により大門通りのさわら並木が倒れた。 2枚目の写真は春宮鳥居に向かい右手前に続く民家付近(現共立病院の前あたり)。 3枚目は石の鳥居前や手水舎一帯の大被害の様子。 4枚目は台風に襲われ大門通りのさわら並木の大半が倒れた下馬橋上の様子。 5枚目は春宮鳥居前の被害状況。 河西政常氏撮影。
2020-03-06
23
駅前通り舗装工事
舗装工事中の駅前通り。 右側の洋風の建物はシロトリ写真館。突き当たりが下諏訪駅でその前には宮大工の手による前回の御柱用材を利用した鳥居が建てられていた。 作業中の人は、町の失業対策事業の人たちである。広瀬町の名前のとおり、地中には大きな川原石がゴロゴロしていた。 同写真館は、大正12(1923)年箕輪で創業、その後岡谷の丸山橋、下諏訪では昭和2(1927)年御田町で開業、その後現在の広瀬町に移った。
2021-05-03
20
秋宮周辺航空写真
勝山写真館(上諏訪)が赤砂飛行場を離陸撮影した航空写真。秋宮周辺の宿場町の町並みが残っている。左下に旧町役場庁舎、左端の中あたりに中部電力前身の信州電気、その前の立町通突き当りには二階建ての綿の湯、その周りには改築前の旅館、鳥居前は当時の街道の風情が色濃く残り千尋館なども見られる。 勝山写真館では霧ケ峰強清水のスキー場の写真などを空から撮影していた。
2020-03-06
5
秋宮鳥居前集合写真
徴兵検査合格者の記念写真。 旅館の名前の入った旗があることから下諏訪温泉に宿泊した県内の人たちが多数含まれていると思われる。また、学生服を着た大学生の姿も見られる。この写真では手水舎が現在と反対側にある。手水舎は昭和28(1953)年に八幡側から千尋池側に移った。向かって右に見える道は、昭和15(1940)年以前は武居に行く唯一の道であった。また、鳥居の左側の現在千尋池となっている場所に商家などの建物が見えている。鳥居前千尋館の二階から撮影された写真である。
2020-03-06
≪
1
≫
鳥居(19)
秋宮(14)
春宮(11)
秋宮鳥居(7)
記念写真(6)
お舟祭り(5)
下社秋宮(5)
手水舎(5)
春宮大門(5)
遷座祭(5)
さわら並木(4)
鳥居前(4)
下馬橋(4)
大鳥居(4)
春宮鳥居前(3)
千尋館(3)
柴舟(3)
消防団(3)
騎馬(3)
御柱(3)
長持ち(3)
航空写真(2)
戦争(2)
駅前(2)
八幡坂(2)
下社春宮(2)
太鼓橋(2)
街並み(2)
石燈籠(2)
大門先(2)
常夜燈(2)
丸三※倉庫(2)
松葉屋(2)
消防組(2)
氏子(2)
集合写真(2)
勢揃い(2)
徴兵検査(1)
旅館(1)
大社通り上空(1)
宿場町(1)
勝山写真館(1)
道路工事(1)
駅前通り(1)
失業対策(1)
シロトリ写真館(1)
舗装工事(1)
災害(1)
台風(1)
大門通り(1)
芸者踊り(1)
大詔奉戴日(1)
行進(1)
翼賛壮年団(1)
献金(1)
女子青年団(1)
お舟祭(1)
飲食業(1)
料理屋(1)
旧松葉屋(1)
料亭(1)
そば(1)
宮乃前(1)
古御柱(1)
観光協会(1)
宮大工(1)
秋宮前(1)
御手洗川(1)
春宮の森(1)
神楽殿(1)
諏訪湖(1)
石垣(1)
絵葉書(1)
衣ヶ﨑(1)
石置き屋根(1)
灯篭(1)
武居(1)
山王台(1)
宮田小路(1)
宝生橋(1)
改修(1)
拡張工事(1)
渡り始め(1)
行列(1)
湖東村(1)
必勝米(1)
食料(1)
辻屋(1)
大社飴(1)
電話(1)
胴鳥居(1)
官幣大社(1)
石畳(1)
大欅(1)
千尋池(1)
八幡社(1)
のぼり旗(1)
軍神(1)
万治の石仏(1)
念仏講(1)
みたらしの石仏(1)
逆まんじ(1)
下の原念仏講(1)
下諏訪町(1)
学校(1)
中央東線(1)
下諏訪村(1)
全景(1)
絵図(1)
筑摩県(1)
明治(1)
荷車(1)
運搬(1)
新道開さく(1)
下の原(1)
分団(1)
遺跡調査(1)
旧御射山(1)
先史時代(1)
調査員(1)
最高遺跡地(1)
鳥居龍蔵(1)
訓練(1)
放水(1)
倉庫(1)
国道20号(1)
春宮大門交差点(1)
オルゴール(1)
輸出(1)
回路設計(1)
三協精機(1)
日本電産サンキョー(1)
佐藤金物(1)
製糸(1)
工場(1)
赤い屋根(1)
青芝(1)
秋宮駐車場(1)
社務所(1)
七五三柱(1)
秋宮境内(1)
燈籠(1)
浴衣姿(1)
大社(1)
里曳き(1)
諏訪大社(1)
御正台(1)
白丁奉仕(1)
特設防護(1)
消防車(1)
分団長(1)
お稲荷さん(1)
稲荷神社(1)
龍の口(1)
中央通り(1)
桜町(1)
女性(1)
階段(1)
高木氏(1)
東山田(1)
騎馬行列(1)
御柱祭(1)
長持(1)
花笠(1)
御頭郷(1)
一区(1)
三区(1)
勢ぞろい(1)
古材(1)
御射山神社(1)
第三区(1)
青年団(1)
記念撮影(1)
若宮神社(1)
社標(1)
流鏑馬(1)
大門(1)
奉納(1)
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