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登録リスト(該当:8件)

管理番号写真タイトル説明登録日
1193星ヶ塔遠望星ヶ塔遠望この国の先史時代を支えた黒曜石原産地の大遺跡星ヶ塔(ホシガトウ)山の全容。黒曜石は火山岩の一種でガラス質で割れ口が鋭利なため石やり・矢じりなどに使われた。中央の窪地が先史時代の黒曜石採掘跡。先土器時代(旧石器時代を含む)から縄文晩期まで2万年以上にわたって掘り続けられた遺跡。旧陸軍の地図にはカタカナで表記されていた。2020-03-06
1164黒曜石採掘黒曜石採掘和田峠は我が国の代表的な黒曜石の産地で良質の原石を出すことで知られている。 先史時代から採掘されていた。 写真上は、星ケ塔黒曜石原産地遺跡の黒曜石採掘坑道(旧式)。 写真下は新式の黒曜石採掘坑道。2020-03-06
1163黒曜石の焼却炉黒曜石の焼却炉フヨウライト焼却炉(旧型)。 矢じりやナイフとして使った黒曜石。でもそれは1万年以上も前のことです。今では装飾品や置き物などが一般的に親しまれています。 この会社(芙蓉パーライト株式会社)では、世界的に良質な長野県和田峠産の黒曜岩を用いて、現代科学と独自の技術で開発に取り組み、石を高温で焼き発泡させたもの(パーライト)を、【建築資材】【緑化資材】【環境資材】【土壌改良材】など、広い分野に展開し製品化しています。2020-03-06
1160黒曜石採掘黒曜石採掘黒曜石採掘の切羽。マタギの里として知られる秋田県から働きに来ている作業員が、削岩機で手堀している。日採堀量は約60㎥という。坑道の総延長は15kmに及ぶ。掘り出された原石はフヨーライト(軽量断熱、防湿、防音建材)・ビーナスライト(造園用緑化用土壌改良剤)の商品名で出荷されている。日出荷量は約二百立方メートル。和田峠は、わが国の代表的な黒曜石の産地で、原石を出すことで知られる。先史時代から採掘され、近代に入ってからは、大正時代から工芸品の材料として利用されたが黒曜石パーライトの工場ができたのは昭和45(1970)年。その後、昭和48(1973)年からは大手資本が入ってフヨーライトの工場となった。2020-03-06
709旧御射山(もとみさやま)遺跡調査旧御射山(もとみさやま)遺跡調査諏訪史第一巻編纂あたり旧御射山遺跡の調)査をする(写真に「本郡先史時代最高遺跡地(舊御射山)一行」と記載。写真中央に腕組みしているのが鳥居龍蔵と思われる。調査員一行は大正9(1920)年、霧ヶ峰山塊北西部に位置する星ヶ塔周辺が黒曜石原産地遺跡と明らかにしている。 鳥居龍蔵一行、左から萩倉の人、浜孝吉、鵜飼貞直、鳥居龍蔵、牛山伝蔵、八幡一郎、鳥居の後ろに立つのは今井真樹、その隣は萩倉の人。2020-03-06
690和田峠黒曜石採掘の跡和田峠黒曜石採掘の跡和田峠トンネル西口200m手前国道沿いの黒曜石採掘場。昭和23(1948)年頃の吉沢太七郎の旧抗を清水明氏が写す。工業用材としては昭和31(1956)年小野田セメント㈱がホシガトウ及び東餅屋で断熱材として、また昭和45(1970)年からフヨーライト㈱が和田トンネル西方で採掘して本社に搬出している。2020-03-06
689和田峠黒曜石採掘の跡和田峠黒曜石採掘の跡明治42(1909)年和田峠星ヶ塔(ホシガトウ)の黒曜石を耐火性陶器製造用として名古屋方面に、大正7(1918)年には工芸品加工用として東京へ搬出した採掘場。その後、大正12(1923)年、大社通りの武居保路氏が甲府へ送り加工し販売。昭和(1934)年には菅野町で浜義雄、石埜正太郎が加工品を作って売り出してた。2020-03-06
326旧和田トンネル旧和田トンネル昭和8(1933)年1月開通の旧和田トンネル。当時日本一高い場所のトンネルとされていた。長さは260メートル。 これにより同年3月には省営バスが和田峠北線と南線で開通し、続いて同年10月には下諏訪・上和田間が開通した。2020-03-06
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