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登録リスト(該当:6件)

管理番号写真タイトル説明登録日
48高札場跡高札場跡最初高札場は問屋場跡(綿の湯跡)にあったが、友之町境のこの場所に移っている。明治以後は警察関係の分署だった。その後、御柱モニュメントパークだったこともあるが、現在は「八幡坂高札ひろば」となっている。2022-03-19
45綿の湯跡綿の湯跡綿の湯の跡。「綿の湯」で検索していただくと古い写真がたくさんあるのでぜひ比較していただきたい。かつての名湯も今は碑と観光用に流している湯、壁に掛けられた江戸時代の宿場風景を描いた複製画で偲ぶしかない。せめて次代の子供たちには「湯玉の伝説」くらいは話し継いでいきたいものである。2022-03-19
44中山道・甲州道中合流地中山道・甲州道中合流地かつてこの場所に問屋場があり、その奥には「綿の湯」があったところで、下諏訪宿の中心であった。江戸から和田峠を下ってきた中山道はここで直角に折れて塩尻、さらに京をめざす。また、江戸から甲州を通ってきた甲州道中はここで中山道と合流し終点となっている。この碑の前に立って両手を広げると右に行っても江戸、左に行っても江戸となり、全く反対なのにどちらに行っても江戸に行けるというおそらく日本中でここだけの珍しい場所である。 ちなみに、この合流の地は、江戸日本橋から下諏訪宿まで甲州道中で53里11丁(約209キロ)、中山道では55里7兆(約217キロ)の地点である。2022-03-19
43旦過の湯旦過の湯かつての下諏訪三湯(綿の湯・小湯・旦過湯)の一つで、三湯の中で最も湯温が熱い。№1541と比較すると建物が新しくなっている。今は中山道に面した壁に修行僧の「こて絵」が飾られており、この湯の歴史(禅寺・慈雲寺の旦過寮のあった場所)の片りんを感ずることができる。2022-03-19
40綿の湯跡綿の湯跡かつて綿の湯や問屋場があった中山道と甲州道中の合流地を立町の方から撮った写真である。すでに綿の湯もなくなり、駐車場や観光案内板が置かれているが、手前左の「丸や」、右の「ききょうや」はかつての風情を色濃く残している。古い写真と見比べてほしい。2022-03-19
4甲州道中一里塚(五十三里塚)甲州道中一里塚(五十三里塚)富部にある甲州道中一里塚。江戸日本橋から五十三里、甲州道中最後の一里塚である・ここから十余町(およそ1㎞余)で下諏訪宿に至り、綿の湯前で中山道に合流する。2021-06-03
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