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写真タイトル説明登録日
1役場付近のケヤキ並木役場付近のケヤキ並木役場付近のケヤキ並木。 清水橋付近のケヤキは伐採されたもの、赤砂先に移植されたものもあるそうです。 現在は歩道等の工事中です。 見慣れた景色も日々変化しています。2024-02-29
2町道田中線歩道改良工事町道田中線歩道改良工事昭和5年10月に竣工した町道田中線は、何回かの改修を経て、役場前から西大路・砥川西信号までケヤキの並木があり町民から親しまれていたが、令和5年(2023)の田中線歩道改良工事でケヤキ57本を伐採する計画があった。しかし「もったいない」という反対意見等があり、31本は残し、工事は砥川西信号から下諏訪消防署前までの工事となり、比較的歩道が広い区間は伐採を保留した。また、二本は赤砂崎公園に移植することになった。2023-07-29
3武居桜武居桜昭和50年に町天然記念物に指定された推定樹齢300年のエドヒガンザクラ(武居桜)。平成7年に樹木医により活性化手術が行われた。近年幹の空洞化が進み、町道側の幹を伐採し、腐食防止の金属板で覆った。残った山側の枝に今年もきれいに花を咲かせた。2023-07-09
4シナノキ解体図シナノキ解体図シナノキ(シナノキ科)科の木 「信濃国」の名前の由来と言われるシナノキ「科の木」。長野県に多かった。 特徴は、5cmほどの長い葉柄で、鋸歯も目立つ。 シナとはアイヌ語で、縛る・結ぶ・くくるという意味。樹皮の繊維が強いので、布を織ったり,縄をなったりするのに使われた。約15年サイクルで伐採し、繊維などに使われた。 また、花にはよい香りがあり、蜂蜜源としても利用される。 シナノキ縄や糸づくり 1.伐採。・皮はぎ・煮沸   10~20年程度の木を伐採し、その場で皮を剥ぐ。             内皮のみ持ち帰り、大釜で一昼夜煮沸する。 2.仕上げ   翌日しごくと、師部の1年成長分(年輪に当たる部分)が1枚1枚剥がれそれを約1週間1枚1枚干す。 3.縄ない・糸づくり 乾燥した材料2021-11-02
5御柱伐採御柱伐採御柱祭、伐採の様子。 「秋宮1の御柱」の札が柱につけられている。 詳細不明。2021-05-03
6斧立(よきたて)社斧立(よきたて)社斧立(よきたて)社は萩倉の奥にあり、御柱祭りの際に御神木伐採の刃物の修跋式(しゅうばつしき)を行う社。東俣の浄水場の道向かいの山脇に置かれている。この日は斧立社例祭。斧立とは・・樹木を伐採する前に山の神(大山祇神)を祀る行事。 ちなみにこの日は奥霧ヶ峰・八島ヶ原湿原にある「旧御射山社」で関係者による例祭が行われる。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。2020-03-06
7春一伐採記念写真春一伐採記念写真大正14(1925)年。春一伐採記念写真。2020-03-06
8伐採伐採御柱伐採(春宮一の柱)。2020-03-06
9伐採伐採御柱伐採。2020-03-06
10御柱搬出御柱搬出棚木場へ集結した御柱。 5月2日に伐採された8本の御柱搬出は、入札により水月会(1区)有志が請け負い、カグラサン(シャチともいう)を使い5月12日から70日かけて完了した。その時の記念写真。2020-03-06
11御柱搬出御柱搬出棚木場へ集結した8本の御柱は、請け負った水月会で棚木場に積み重ね、この日関係町長立会いのもと、引渡しが行われた。この頃はこの後屋根を架け翌年の山出しを待った。2020-03-06
12御柱搬出御柱搬出御柱伐採と思われる。すでに皮はむかれている。2020-03-06
13御柱搬出御柱搬出御柱祭り。法被の襟に「河西製米所」「吉沢製材所」の文字。大御幣を持っている人の姿も見える。2020-03-06
14御柱伐採御柱伐採昭和6(1931)年。写真は春宮一の御柱。 諏訪大社下社御柱伐採は祭りの前年に東俣国有林にて行われる。 地響きを立て大木が倒れると、誰からともなく万歳が起きる。2020-03-06
15御柱伐採記念写真御柱伐採記念写真昭和6(1931)年5月2日春一の御柱伐採。 この木は目通り周囲3.82mの太さだったと記録に残され上下社を通して歴代3位の太い柱だった。 大正2(1913)年の申し合わせ以来春一の伐採は第一区(下の原)が担当している。2020-03-06
16尾掛松(杉の木神社)尾掛松(杉の木神社)絵葉書になった「尾掛松」。古代の「松之木湛(たたえ)」神事の地と伝えられている。「湛」とは「たたり」のことで、尾掛松に神霊が大空より降臨することを信じて祀ったものである。「杉の木様」とも呼ばれていた。 樹種はヒノキ科ビャクシンで、住民はもとより甲州道中を旅する人も参拝したという。 また諏訪湖上で漁をする人の目印の巨木でもあったが、枯れ死していたので、平成16(2004)年1月に安全上の配慮から伐採され幹だけが残る。 この尾掛松には諏訪明神様が出雲出へ掛けた時、竜神が頭だけ出したので、他の神様が尾はどこにあるのか聞いたところ、「尾は(大和)諏訪湖のそばの高い木(高木)に掛けてある」と答えたことから、それが大和・高木の地名の起源と伝えられている。なお地名の語源には諸説あります。現在は「杉の木神社」2020-03-06
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