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写真タイトル説明登録日
1十四瀬川河口十四瀬川河口岡谷市との境界、十四瀬川(十寄川)河口。横河川谷口の出早雄小萩神社より分岐する水を源に岡谷市と下諏訪町境付近を流れる長さ7.9㎞の川。護岸がコンクリートで囲まれる前は魚がたくさん遡上していた。また、河口付近では西赤砂で漁をする人たちの舟たまりともなっていた。当時はマコモなどの水生植物が繁り、昔ながらの姿を残していたが、次第にコンクリートの護岸となっていった。2020-03-06
2十四瀬川河口十四瀬川河口岡谷市との境、十四瀬川の河口。マコモなどの水生植物が繁り、昔ながらの姿を残していた。橋の先に見える舟たまりの横には大正11(1922)年6月に平野村(現岡谷)の小学生が諏訪湖で遭難した霊を慰めるために建てられた延命地蔵が祀られている。2021-04-01
3犬射馬場、上馬場の標石。犬射馬場、上馬場の標石。鎌倉時代、武士は日頃の鍛錬に騎射の武技を重視し、それが遊戯化したり神事化したりしたものが多い。この場所は犬追物などをした所で、このことは「諏訪大明神絵詞」にも記されている。江戸時代に入りこの行事が廃れると、周囲から境界を侵され、神社では享保18(1733)年に検地をして一般人の侵入を防いだ。その後も土地の使用のことで何回か争いがあって明治維新後のころ民間に移ったという。なお、下馬場の町名もあったというが、現在は上馬場(かみばっぱ)のみが残っている。2020-03-06
4東山田下諏訪へ合併東山田下諏訪へ合併昭和32(1957)年3月25日長地村は岡谷市に合併後、昭和33(1958)年6月1日東山田・東町を下諏訪町に編入するという境界線変更に関し住民投票を行った。 その際の住民運動の模様。 昭和33(1958)年7月1日東山田と東町が岡谷市から分市して下諏訪町にに合併。 当時の東山田街道上の岡谷市側から分市賛成の張幕。2021-04-06
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