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登録リスト(該当:9件)

写真タイトル説明登録日
1記念写真秋宮記念写真秋宮下社秋宮鳥居前。手水舎が八幡坂側にある。何の記念写真かは記録がない。2020-03-06
2秋宮鳥居前秋宮鳥居前「(官弊大社)諏訪神社下社秋宮社頭」と書かれた写真。「日本第一大軍神 昭和七年二月」(1932年2月)ののぼり旗が見える。手水舎が現在の位置と違う場所にある。2020-03-06
3八幡社から千尋池を写す八幡社から千尋池を写す八幡社境内から千尋池を写す。2020-03-06
4秋宮鳥居前秋宮鳥居前「官幣大社諏訪神社下社 長野県諏訪郡下諏訪町鎮座」と書かれている写真。諏訪神社は大正5(1916)年12月官幣大社に昇格した。当時は手水舎(御手洗所)が銅鳥居の右袂にあった。左奥には大空洞のある大欅があり、子どもが数人が入って遊べたという。(この欅は写真左手の官幣大社標柱の陰の大木で大正初期に枯れたという。)境内参道は自然石の石畳だった。2020-03-06
5献米運動献米運動敗戦色濃い中、どこでも食糧不足が日増しに深刻化したが、下諏訪町では軍需産業に働く人のために「献米運動」を起こした。「奉公供米運動」と呼び、町民から一握りずつ米をもらった。100俵が集まり、秋宮社頭で先勝を祈った。 手水舎が現在と逆の位置にある。手水舎は昭和28(1953)年に鳥居の左側に移されている。2020-03-06
6千尋館千尋館諏訪大社下社秋宮、右手前は千尋池、その奥には手水舎が見える。正面は千尋館で現在は土産物店「専女八幡」となっている。2020-03-06
7秋宮前手水舎秋宮前手水舎諏訪大社下社秋宮の手水舎、左奥に千尋池がある。2021-04-07
8室戸台風の被害室戸台風の被害昭和9(1934)年9月21日に下諏訪を襲った室戸台風により大門通りのさわら並木が倒れた。   2枚目の写真は春宮鳥居に向かい右手前に続く民家付近(現共立病院の前あたり)。 3枚目は石の鳥居前や手水舎一帯の大被害の様子。 4枚目は台風に襲われ大門通りのさわら並木の大半が倒れた下馬橋上の様子。 5枚目は春宮鳥居前の被害状況。 河西政常氏撮影。2020-03-06
9秋宮鳥居前集合写真秋宮鳥居前集合写真徴兵検査合格者の記念写真。 旅館の名前の入った旗があることから下諏訪温泉に宿泊した県内の人たちが多数含まれていると思われる。また、学生服を着た大学生の姿も見られる。この写真では手水舎が現在と反対側にある。手水舎は昭和28(1953)年に八幡側から千尋池側に移った。向かって右に見える道は、昭和15(1940)年以前は武居に行く唯一の道であった。また、鳥居の左側の現在千尋池となっている場所に商家などの建物が見えている。鳥居前千尋館の二階から撮影された写真である。2020-03-06
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