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写真タイトル説明登録日
1モノレールで新米の出荷モノレールで新米の出荷江戸時代下の原の名主を中心に藩の支援を受けながら、東俣蝶ヶ沢から東俣川の水を取り入れ城の沢で落とす長さ6650mの菰川汐(こもっかわせぎ)を作り水田化が図られた。昭和58(1983)年に、耕作者三人が県の補助金を受け、この山上の田(海抜900m)から農業用モノレール(全長202m)を設置した。写真は新米の搬出風景。モノレールは250㎏まで荷物を詰めるそうだ。この年、ミスズモチとフクヒカリを植え、平年作を上回る出来だったという。2020-03-06
2東俣の木材搬出 屏風岩東俣の木材搬出 屏風岩東俣沢奥の観音沢の屏風岩。№695・696.697参照。2020-03-06
3東俣の木材搬出東俣の木材搬出東俣の木材搬出。№695・696・698参照。2020-03-06
4東俣の木馬と木馬道東俣の木馬と木馬道観音沢の木材搬出の様子。林嘉平・河西直人氏等5名が東俣料林から払い下げをうけ、モミ・サワラ・雑木などを木馬道(キンマミチ)を木馬(キンマ)で引き出し、主に深川の材木屋に搬出した。町内でも30~40軒家が建ち、嘉平方の土蔵もこの時のモミ材で建築。諏訪電気会社もこの材で建てた。 №696.697・698参照。2020-03-06
5和田峠黒曜石採掘の跡和田峠黒曜石採掘の跡和田峠トンネル西口200m手前国道沿いの黒曜石採掘場。昭和23(1948)年頃の吉沢太七郎の旧抗を清水明氏が写す。工業用材としては昭和31(1956)年小野田セメント㈱がホシガトウ及び東餅屋で断熱材として、また昭和45(1970)年からフヨーライト㈱が和田トンネル西方で採掘して本社に搬出している。2020-03-06
6和田峠黒曜石採掘の跡和田峠黒曜石採掘の跡明治42(1909)年和田峠星ヶ塔(ホシガトウ)の黒曜石を耐火性陶器製造用として名古屋方面に、大正7(1918)年には工芸品加工用として東京へ搬出した採掘場。その後、大正12(1923)年、大社通りの武居保路氏が甲府へ送り加工し販売。昭和(1934)年には菅野町で浜義雄、石埜正太郎が加工品を作って売り出してた。2020-03-06
7省営バスによる薪炭の搬出省営バスによる薪炭の搬出省営バスで和田嶺方面の薪炭を搬出する状況。その頃は、バストラで客貨輸送をし、和田嶺方面の薪炭を搬出した(下諏訪国鉄自動車営業所前撮影)。荷台の上には薪が、その上に炭俵がつまれている。2020-03-06
8御柱搬出御柱搬出棚木場へ集結した御柱。 5月2日に伐採された8本の御柱搬出は、入札により水月会(1区)有志が請け負い、カグラサン(シャチともいう)を使い5月12日から70日かけて完了した。その時の記念写真。2020-03-06
9御柱搬出御柱搬出棚木場へ集結した8本の御柱は、請け負った水月会で棚木場に積み重ね、この日関係町長立会いのもと、引渡しが行われた。この頃はこの後屋根を架け翌年の山出しを待った。2020-03-06
10御柱搬出御柱搬出御柱伐採と思われる。すでに皮はむかれている。2020-03-06
11御柱搬出御柱搬出御柱祭り。法被の襟に「河西製米所」「吉沢製材所」の文字。大御幣を持っている人の姿も見える。2020-03-06
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