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写真タイトル説明登録日
1千尋社と千尋池千尋社と千尋池江戸時代に甲州道中が通じ下諏訪宿が拡大したため 池が狭められ一坪ほどの小池になった。大正15(1926)年以来秋宮の舎域7拡張により紀元二千六百年記念事業として池周辺整備が進められた。 写真は現在の様子です。2023-11-09
2長野県水産試験場長野県水産試験場昭和15(1940)年6月、下原小字蚊無川(春宮南西・浮島の南)に長野県水産試験場が建設された。この時本館と試験地が設置、同時に富部下の漁業組合の幼魚地を借用。翌16(1941)年高浜旅館の温泉プールを買収し、試験地とする。 写真は昭和17(1942)年侍従を迎えて撮影。2023-02-18
3ヨツバヒヨドリ解体図ヨツバヒヨドリ解体図ヨツバヒヨドリ(キク科)四葉鵯 ヨツバヒヨドリの仲間 ・ヒヨドリバナ 葉は対生し、短い枝がある。茎は多く枝分かれし、花白色。 ・サワヒヨドリ 葉に柄がなく、対生。葉は大小4~6枚ある。 ・フジバカマ  葉は対生し、下方のものは普通深く3裂する。植栽が多い。 ヨツバヒヨドリは通常3~4枚が輪生し、葉柄は短い。中部以北の高原に普通の多年草。小花は一般に淡紅紫色。花期8~10月。 ※写真は八方尾根鎌池付近で、同じゾーンに3、4、5、6枚と輪生した4タイプが見られた。 ※この仲間をアサギマダラが好み、呼び寄せるためにたくさん植栽している場所もある。 ※ヨツバヒヨドリには、三葉も、四葉、五葉、そして六葉もあるよ。2022-03-15
4ニリンソウ群落ニリンソウ群落ニリンソウ群落(キンポウゲ科)二輪草 新緑の中で、ひときわ白く輝くニリンソウの 群落。上高地で明神池から徳沢にかけて、山道の両脇に見事に咲き誇っている。地下茎が横に這い、その先から数枚の根生葉と、1~2本の花茎を立て、林の中に繁茂。 写真は徳沢園のハルニレの大樹の根元を覆い尽くしていた。足元にはヤマエンゴサクの青紫色や桃色のものが、またタカネザクラのさわやかな淡紅色の花が近くに咲き誇っていた。2021-11-09
5東山魁夷「夕明かり」八島ヶ原湿原東山魁夷「夕明かり」八島ヶ原湿原白馬シリーズ御射鹿池の「緑響く」同様に、八島の「夕明かり」を喧伝したい!2021-10-15
6八島ヶ原湿原シモツケソウ八島ヶ原湿原シモツケソウ鎌ヶ池から旧御射山社へ向かう右側湿原にシモツケソウの大群落が素晴らしい。2021-10-15
7大和仁平翁像大和仁平翁像下諏訪町に上水道を設置した町大和仁平翁の像が水月公園幟口の東側に建立されている。大正14(1925)年に計画、昭和3(1928)年竣工の大工事で総工費38万円を要した。この経費は当時の町の経常総歳出の3倍を超す額で、水道管敷設事業実施は大英断であった。なお、水源は東俣から送水し、水月園下に配水池を置き、町内には自然流加で配水した。2022-03-24
8ニッコウキスゲニッコウキスゲ一枚目は、八島高原のニッコウキスゲ。写真左は八島高原入り口の駐車場。 八島高原のニッコウキスゲ。 二枚目の写真左に「八島池」が見える。 初夏、シュレーゲルアオガエルの鳴き声は「日本の音百選」に選ばれ、高原を訪れる観光客を楽しませている。2022-01-18
9下諏訪町絵図下諏訪町絵図下諏訪町絵図。 地図の中に秋宮リンク、千尋池、四つ角に八十二銀行、高浜に水産試験場、高浜プール、町営グラウンド、小学校などがあることから、およそ昭和20~30年頃。戦後の可能性が大きい。2023-06-29
10下社秋宮前下社秋宮前諏訪大社下社秋宮前の三井屋と大社煎餅本舗。手前に以前石畳だった名残が残っている。2020-03-06
11長岡川魚店長岡川魚店湖魚の店。鯉のうま煮・まる揚げ・丸煮・鮒の甘露煮・唐揚げ・雀焼き・かぶと焼き・とんこの佃煮・ウナギのかば焼き・・・にぎやかな品揃えで町民に親しまれていた。昭和31(1956)年鯉池の経営者が小売店として開店した長岡鯉店。2020-03-06
12第一配水池第一配水池町上水道第一配水池。2020-03-06
13上水道配水池上水道配水池町上水道配水池の内部(写真上)・集水井(写真下)の点検作業の様子。2020-03-06
14旧御射山旧御射山山上の聖地、旧御射山(もとみさやま)社、諏訪大社下社の奥宮の例祭、旧暦7月26日から29日にかけてこの山上に人里ができるほどの賑わいを見せたと和歌に残されている。「尾花ふく 穂屋のめぐりの一村は しばし里あり 秋の御射山」 金刺盛久の歌。旧御射山社例祭の様子。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。また、旧暦7月27日の正午に、月・日・星の三光(さんこう)を同時に拝することができたといわれ、一説では御射山山中の湿原の池に三光を映したともいわれている。この不思議な現象は諏訪神社下社の七不思議に数えられている。御射山祭は、大勢の人々が参籠(さんろう)する仮屋が穂の出た薄(すすき)で作られたことから、穂屋祭ともいわれ「穂屋野の三光」ともいわれている。2020-03-06
15町上水道町上水道完成後60年、町水道配水池の集水井などを点検する水道施設係長。製糸の町の上水道は、製糸業の一層の発展も目的に昭和2~3年に建設(総工費38万円)された。2020-03-06
16御射山祭御射山祭御射山参り。 数えで2歳の子どもの無事成長を山の神に祈り、すすきの穂守りをもらって山をおりる。御射山祭は本来は風祭り。 八朔の祭りとつながる神事だったが、時代と共に姿を変えた。穂屋に籠って物忌みをしたことから「みさやまは夜まつり」といわれ、昔は子を負ってのお山参りも夜行われた。 このころでも夜参りを守っている人がいて、この年も夜九時ごろまで山中の御射山社を訪れる人が見られた。 写真は御射山社前の池にどじょうを放流する風景。 現在では諏訪大社下社秋宮でどじょうを放流してすます人も多くなってきた。2020-03-06
17八島ヶ原高層湿八島ヶ原高層湿秋風わたる八島ヶ原高層湿原(国の天然記念物)。わが国の代表的な楯状火山霧ケ峰の台地上に展開する三つの高層湿原のうち、最も規模が大きい。ミズゴケなどが堆積して凸レンズ状に盛り上がった湿原で、泥炭層の厚さは8.05メートルに達し、我が国の代表的高層湿原とされている。日本列島の高層湿原では南限にあたる存在でもある。標高1.600メートル、お盆を過ぎれば高原はもう秋である。写真の池は八島ヶ原湿原入り口にある「八島池」である。2020-03-06
18夜の木の下夜の木の下大社側から新鶴を見る、看板の向うは和田方面へ続く国道142号線。2020-03-06
19ワカサギの採卵場の池ワカサギの採卵場の池砥川採卵場の池。昭和31(1956)年に諏訪湖漁協の有志が砥川河口でワカサギの採卵を始めた。砥川河口で捕獲されたワカサギは採卵・受精され池の中で孵化を待つ。卵は約20日間で発眼し一週間後に孵化するので、その間に県内外に出荷する。写真は採卵・受精した卵を卵枠のシュロ毛につけて池に浸けている風景である。2021-04-01
20秋葉山秋葉山配水池から見た秋葉山。2020-03-06
21八島高原八島高原八島ヶ原高層湿原。 4枚目の、写真手前が八島ヶ池、それに続くのが高層湿原、さらに奥に薄く見えるのが大笹山。2020-03-06
22矢崎ガラス取り写真矢崎ガラス取り写真古田常年氏叔父菊池末治郎が横町矢崎ガラス取り写真屋で写す。2020-03-06
23八幡社から千尋池を写す八幡社から千尋池を写す八幡社境内から千尋池を写す。2020-03-06
24千尋館千尋館諏訪大社下社秋宮、右手前は千尋池、その奥には手水舎が見える。正面は千尋館で現在は土産物店「専女八幡」となっている。2020-03-06
25千尋池復旧前の家並千尋池復旧前の家並秋宮前の新しい道とバス停。昭和18(1943)年千尋池が復旧。2020-03-06
26秋宮前手水舎秋宮前手水舎諏訪大社下社秋宮の手水舎、左奥に千尋池がある。2021-04-07
27芸者踊り芸者踊り三井屋の前、芸者の踊り。御柱祭に芸者集も大勢参加した。向かって左の建物から「本陣事務所」「つじや」「オオクマヤ」と並んでいた。芸者の多さにも驚くが群衆の中の子どもの多さにも驚かされる。2020-03-06
28慈雲寺庭園慈雲寺庭園慈雲寺の庭園は「中村勝五郎日記」によると天保8(1837)年に築庭されたものという。その後、何度か改修、拡張がされ現在の姿となっている。水月公園山稜を借景とし、園池を中心とした多数の庭石が組まれ閑静な景観をみせている。町内に残る見事な庭園のひとつといってよい。庭園改修記念の写真。2020-03-06
29第一配水池第一配水池第一配水池。下諏訪町の上水道は大和仁平町長の先見のある英断により昭和2(1927)年着工、同3(1928)年完工した。当時の町の予算の3年分の大事業だった。最大貯水量は3030立方メートル。2020-03-06
30第一配水池第一配水池町営水道布設工事は総工事費38万円で昭和2(1927)年4月16日着工、昭和3(1928)年12月25日完工。水源地を東俣国有林の川路、大鹿の自然湧水に求め集水井を経て自然流下により水月園の配水池(下の原字天白)に送水されている。写真は第一配水池。2020-03-06
31第一配水池第一配水池第一配水池。下諏訪町の上水道は大和仁平町長の先見のある英断により昭和2(1927)年着工、同3(1928)年完工した。当時の町の予算の3年分の大事業だった。最大貯水量は3030立方メートル。2020-03-06
32第一配水池第一配水池第一配水池。下諏訪町の上水道は大和仁平町長の先見のある英断により昭和2(1927)年着工、同3(1928)年完工した。当時の町の予算の3年分の大事業だった。最大貯水量は3030立方メートル。2020-03-06
33八島ヶ原高層湿原八島ヶ原高層湿原昭和41(1966)年9月7日、文部省から天然記念物保護地域として指定された八島ヶ原高層湿原。写真の中央部に写っているのがミズゴケ類が約1万1千年かけて堆積し泥炭層となった湿原である。湿原の中には鎌ヶ池や鬼が泉水、八島ヶ池と呼ばれる池がある。中央部は水ごけの泥炭化したものが凹レンズ状になっている。高層湿原の南限と言われ、約8.5mと堆積層が厚いことから学術的のも貴重である。また春から秋にかけて次々と咲く花を尋ねてくる観光客も多い。2021-04-01
34売神祝印(メガミホオリノイン)売神祝印(メガミホオリノイン)「売神祝ノ印(めがみほうりのいん)」は諏訪大社下社の御神宝(宝印)で印筥(いんばこ)と共に昭和9(1934)年に国宝(現在は重要文化財)の指定を受けた。社伝によれば大同年間(806から810)平城天皇より下賜されたものといわれ、美しい鋳物肌を持つ銅印である。かつていったん失われ、秋宮境内の千尋池から発見されたと伝えられているが真偽は分からないという。2020-03-06
35池のくるみ池のくるみスキーのジャンプ台、オリンピックの開催を夢見ていた。スキー板を持った人が見える。2020-03-06
36医師、歯科医の懇新年会記念写真医師、歯科医の懇新年会記念写真医師、歯科医の芸者を上げての新年会記念写真。     向かって右より 岡野先生、一の瀬先生、二木先生(歯医者)、下条先生、塚越先生、武井先生、三輪先生。 2列目 金丸先生、林先生、女性、黒河内先生。  3列目 宮下先生、小松先生、平山先生、池田先生、中根先生。2020-03-06
37千尋池千尋池改修工事完成の記念写真。 千尋池西側道路(現在の国道142号線)の開通に伴い千尋池は改修され、石橋が設置された。 大社関係者、横町などの地元住民、工事請負業者が並んでいる。現在は秋宮の管轄になっているが、二区の有志の皆さんが「ちひろ講」を設立し年1回の清掃奉仕や御柱祭を行っている。なお「ちひろ講」は青塚の清掃も行っている。2020-03-06
38秋宮鳥居前集合写真秋宮鳥居前集合写真徴兵検査合格者の記念写真。 旅館の名前の入った旗があることから下諏訪温泉に宿泊した県内の人たちが多数含まれていると思われる。また、学生服を着た大学生の姿も見られる。この写真では手水舎が現在と反対側にある。手水舎は昭和28(1953)年に八幡側から千尋池側に移った。向かって右に見える道は、昭和15(1940)年以前は武居に行く唯一の道であった。また、鳥居の左側の現在千尋池となっている場所に商家などの建物が見えている。鳥居前千尋館の二階から撮影された写真である。2020-03-06
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