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写真タイトル説明登録日
1信玄の矢除石信玄の矢除石 竜の口から慈雲寺参道の石段を登ると黒門とも呼ばれる一の門の右奥に信玄の矢除石(やよけいし)と呼ばれる大きな石がある。この石は、慈雲寺第七世天桂玄長(てんけいげんちょう)住職と戦国時代の武将武田信玄が矢避けの問答をした石だと伝えられている。  武田信玄が川中島合戦に赴くときのこと、かねてから私淑(ししゅく)していた天桂玄長住職を慈雲寺に訪ねて戦勝の教えを請(こ)うた。住職は、信玄の部隊を境内の大石に案内し、大石の霊力を説いて自ら石の上に立ち、矢を射かけるように命じたといわれる。武田信玄勢の精鋭(せいえい)の矢は、一斉に天桂和尚に向けて放たれたが、その矢は一本も的中することなく、皆石に当たってはねかえってしまったという。一同は、この石の念力の確かさに敬服したといい、天桂和尚は2023-11-30
2宝光院の滝宝光院の滝慈雲寺石段改築に伴い宝光院前に大滝を作る。2023-09-23
3竜の口竜の口慈雲寺山門下にあるの龍の口。銘に「西山田邑山田清左エ門・金右衛門・近辺連中」とあり、手洗鉢には「願主西山田村山田平蔵和哉」とある。これら山田氏は横川村に住む石工であった。 「生涯学習ガイドブック1歴史編」には、慈雲寺入口の石段の右脇にあり、中山道を通る旅人の喉をうるおした。作者は現岡谷横川の山田清左エ門・金石衛門。文政8(1825)年作で、高遠石工の流れをくむものであると紹介されている。 「写真で見る下の原」には、慶応元(1865)年竣工、石工は現岡谷横川の石工山田平蔵和哉である、と紹介されている。 水石榴の側面に「花・清・水」と彫ってあるというが、現在は風化が進み読みにくくなってしまっている。 今でも清水講の皆さんが水石榴や周辺の清掃を続けているという。2020-03-06
4水月園水月園昭和41(1966)年撮影の水月園入口の階段付近。2020-03-06
5輦(れん)輦(れん)慈雲寺山門の参道入口から左手の裏に設置されていた輦(れん)。弔いの時、棺おけをこれに入れて担いで墓まで行った。春宮も前を通ることは許されなかったので、石段を登って慈雲寺へ入った。寺の前の庭を3回まわって、死者の方向感覚を失くしてから墓へ向かったと伝わる。2020-03-06
6第一区両社詣り第一区両社詣り出征軍人の健康祈願のため区の主催で区民がたびたび諏訪大社の上下両社に歩いてお詣りした。写真は上社石段での記念撮影。 前列中央の男性が「日本第一軍神」の旗を持っている。 両社参りとは豊作を祈り六月一日に行われていた。 戦争中はこの日に限らず諏訪上下社に参拝した。 上社へは上諏訪の駅から歩いて参拝した。2022-03-15
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