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写真タイトル説明登録日
1令和5年の秋宮リンク令和5年の秋宮リンク秋宮リンクに子供たちの声が響く。写真は下諏訪北小学校の一年生のスケート教室の様子。近年は暖冬で毎年利用できないことも多いが、この年は年初の冷え込みがあって、三学期に入りスケート教室ができるようになった。下諏訪南小学校と北小学校の子供たちがスケートを楽しんでいる。昔と違いフィギュアスケート用の靴を履く子供の方が多いが、中にはスピード用の靴で見事に滑走する子供もいるの体制で。わずか一時間弱だが、子供たちの成長は早い。常時4人の体制で管理している。また、親の見守る風景も昔とあまり変わらない。ただ残念なことに氷の状況は長続きせず、この年も「氷上祭」は中止となった。2023-01-21
2下諏訪町絵図下諏訪町絵図下諏訪町絵図。 地図の中に秋宮リンク、千尋池、四つ角に八十二銀行、高浜に水産試験場、高浜プール、町営グラウンド、小学校などがあることから、およそ昭和20~30年頃。戦後の可能性が大きい。2023-06-29
3商店商店秋宮リンク近くにあった(旧)林商店。2020-03-06
4製糸工場の面影製糸工場の面影「小湯の上」の明治初期の製糸工場の面影伝える廃屋。下諏訪本陣の家が明治10(1876)年創業した岩波製糸場の事務所(現存・2019年現在)だった建物。寄せ棟、洋風板壁で文明開化を表現したデザインだったに違いない。この工場、製糸業の激し変換の中で早々に閉鎖となったらしく、明治26(1893)年の下諏訪機械製糸工場一覧にはその名は見えない。板塀の中に座繰糸工場があった。 背景の樹木は下社秋宮の森、道の左手は秋宮スケートリンク。2021-04-21
5オフシーズンの秋宮リンクオフシーズンの秋宮リンクふれあい広場、シーズンオフの秋宮スケートリンク。2020-03-06
6スケートを楽しむ人々スケートを楽しむ人々アイスホッケー、フィギュアスケート、氷上そり…など、それぞれ秋宮スケートリンクで冬のスポーツを楽しむ人々。2020-03-06
7フィギュアスケート風景フィギュアスケート風景下諏訪町秋宮リンクで日本で初のフィギュアスケートの公式大会が開かれた。同リンクは「日本フィギュアスケートの発祥の地」となった。2020-03-06
8スケートスケート秋宮リンクで、フィギュアスケートを滑る男性。2020-03-06
9スケートスケート颯爽とスケートを楽しむ人と椅子を使って遊ぶ人たち。秋宮リンクの一コマ。2020-03-06
10秋宮リンク秋宮リンク秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。古い時代の写真を合わせてみると時代の変化がよくわかる。2020-03-06
11秋宮スケートリンク秋宮スケートリンクさみしい秋宮リンク「スケート離れ」現象。「秋宮スケートリンク」で検索し古い時代の写真も参考にしていただきたい。2020-03-06
12秋宮リンク秋宮リンク秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。2020-03-06
13秋宮リンクでフィギュアスケートを楽しむ秋宮リンクでフィギュアスケートを楽しむ平岡露子(大正2~平成23・1813~2012)選手。昭和8(1933)年全日本フィギュアスケートジュニア選手権で女子の初代チャンピオンとなった選手。2020-03-06
14スケートスケート大勢の子ども達がスケートを楽しんでいる。秋宮リンク。2020-03-06
15スケートスケート秋宮リンク、桑畑や万国旗が見える。2020-03-06
16スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ男性。後ろは岩波製糸場。2020-03-06
17スケートスケート秋宮リンク。後ろに桑畑が見える。2020-03-06
18スケートスケートスケートを楽しむ男性。2020-03-06
19スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ。後方の建物は岩波製糸場。2020-03-06
20スケートスケート秋宮の裏手には一面桑畑が広がっている。氷上には椅子のようなものにつかまって滑る人の姿が見える。2020-03-06
21スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ子ども。靴スケートがいかにもほこらしげ。2020-03-06
22スケートスケート№4400の男性たち、秋宮の森をバックに記念撮影、パイプをくわえている男性もいる。2020-03-06
23スケートスケート着物姿でスケートを滑る男性、革のスケート靴を履いている。2020-03-06
24スケートスケート洋装の男性たちが革のスケート靴で滑っている。中にはたばこをくわえている男性もいる。秋宮リンク。2020-03-06
25スケートスケート革のスケート靴を履いて秋宮リンクでスケートをする男性、万国旗も見える。2020-03-06
26スケートスケート革のスケート靴にマントを羽織った日本髷を結った女性。秋宮リンク。後の建物は岩波製糸場の事務所。2020-03-06
27スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ氷上の女性たち、一人は革のスケート靴ともう一人は下駄スケートを履いている。日本髪や着物姿が時代を感じさせるが、当時としては先端を走る女性か?2020-03-06
28スケートスケート下駄スケート・着物姿の人見える。下駄スケートは明治39年(1906)年頃初めて考案された。2020-03-06
29スケートスケート秋宮リンク。スケートを楽しむ男性と女性。立派な靴スケートや服装から衆目を集めたに違いない。2020-03-06
30スケートスケート秋宮リンク、後の山は小湯の上の桑畑。2020-03-06
31スケートスケート秋宮リンク、万国旗の飾り見える。2020-03-06
32スケートスケート秋宮スケートリンク。男性が革のスケート靴を履いて滑っている。2020-03-06
33スケートスケート秋宮スケートリンク。万国旗と桑畑の広がる様子が見える。2020-03-06
34女子フィギュアスケート選手女子フィギュアスケート選手秋宮リンクに勢ぞろいしたフィギュアスケート選手団。 向かって右から2番目が当時トップ選手の稲田悦子選手。秋宮の脇にスケートリンクが設けられたのは明治40(1907)年(明治42年の資料もある)神社の森かげという地の利もあって結氷期間が長いため人気を集めた。 ここで日本初のフィギュア大会が行われたのが大正」11(1922)年である。2020-03-06
35秋宮スケートリンク秋宮スケートリンク秋宮リンクでアイスホッケーの試合が日本で初めて行われた。出場したのは早稲田大・慶応大・東京帝大(現東大)と地元の松本高等学校の4チームだった。 この写真が撮影されたころは石置き屋根の家屋が見られたり、北側の斜面には畑・桑畑・雪をかぶった稲わらを積み上げた稲積(にお・にょう)が見える。2020-03-06
36秋宮スケートリンク秋宮スケートリンク諏訪湖の結氷期が1月上旬~2月下旬のため、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮し、明治40年(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。2020-03-06
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