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写真タイトル説明登録日
1下諏訪倉庫跡・西友下諏訪店下諏訪倉庫跡・西友下諏訪店大門通の「西友下諏訪店」。かつてはここに明治33(1890)年創業の「下諏訪倉庫(株)」が明治44(1911)年に建てた土蔵の繭蔵倉庫があり、製糸業を支えてきた。その後、繭のにおいの残る館内は、下諏訪倉庫創立関係資料・風乾(自然乾燥)当時の繭保管棚や選繭台・養蚕用具・昭和6(1931)年の見本繭や生糸・機織り機・三井組製糸場その他関連の古い写真などを展示している「下諏訪倉庫蚕糸博物館」となっていた。しかし今は写真のように大型スーパーに変貌し、時代の流れが大きく風景を変えてしまっている。2022-03-24
2中央通りの風景中央通りの風景中央通り、手前には旧西友があった。通りには多くの看板(スナック「灯」・「丸美生肉店」・「洋服のクロサワ」など)が見える。2020-03-06
3梅雨明けの街梅雨明けの街梅雨明けの街、高地の光がまぶしい。平年比では一日遅いが前年より12日早い梅雨明け。2020-03-06
4下諏訪倉庫下諏訪倉庫大きな蚕庫から時代の流れで倉庫業に転進、倉庫の一部は蚕庫の遺品として博物館となっていたが取り壊されて、現在はスパーマーケット(西友)となった下諏訪倉庫。2020-03-06
5消費税前日の風景消費税前日の風景消費税前日の生活用品のまとめ買いで賑わうディスカウントショップ(スズキヤ薬品下諏訪店)の店内。2020-03-06
6小僧寿し店頭風景小僧寿し店頭風景(旧)西友近くの小僧寿し店頭風景。下諏訪町にも出店、店舗が広がったが現在下諏訪店は閉店した。2020-03-06
7大鳥居のある街角大鳥居のある街角春宮大門大鳥居と参道。正面は諏訪大社春宮の870mに及ぶ参道。鎌倉時代には流鏑馬が行われていたらしい。かつては見事なさわら並木で、昼なお暗い道だったという。鳥居の後方左の大きな建物は製糸時代の繭倉で平成元年は倉庫会社の倉庫になっていた。 現在は西友下諏訪店になっている。2020-03-06
8旧西友旧西友旧西友店頭風景。現在は大門通り(諏訪倉庫跡地)へ移転したがこの時は、中央通りの建物の中にあった「西友」の店舗。2020-03-06
9重複地問題重複地問題角間沢西重複地問題解決. 明治13(1880)年来の懸案が大正13(1923)年円満に決する。 写真はこの時の尽力者で、左から宮坂嘉十・小口亀衛・高木清四郎・吉沢三代吉・吉沢今朝蔵の諸氏。外に河西友三郎。2020-03-06
10製糸工場風景製糸工場風景絵葉書「信陽諏訪下諏訪入一※組製糸会社全景」の文字。入一※組製糸は明治34(1901)年に創業した入丸※製糸が明治43(1910)年に分離し、入一として創業(小口松五郎・川村蓑吉・山田由蔵・河西寅吉の合名会社)した。入一※製糸は入丸より分離したメンバーに河西友吉・河西勝太郎・今井栄人(入一社長)が加盟し、最盛期の大正10(1921)年頃(1150釜)は茨城・静岡に支店を出し、大正12(1923)年には南四王(現ジャスコ跡)に分工場を建設した。昭和4・5(1929/1930)年の不況により今井栄人が入一通信工業に転換した。下の原方面からの写真、中央辺りに平沢小路~下の原への道路が見える。2021-04-01
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