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写真タイトル説明登録日
1わんぱく相撲下社場所わんぱく相撲下社場所第36回わんぱく相撲諏訪圏大会(諏訪圏青年会議所主催、長野日報社など後援)の下社場所が諏訪大社下社秋宮八幡山土俵で行われた。4年ぶりに新型コロナ対策の制約がない通常開催に戻り、小学生約60人が白熱の取り組みを繰り広げた。子供たちは元気いっぱいで、中には3分を超える熱戦で「水入り」となる取り組みもあり、土俵際の攻防に大きな拍手が送られていた。大会は学年男女別に実施され、勝ち進めば、さらに県大会、全国大会の出場権も与えられる。2023-07-20
2弓道の練習風景弓道の練習風景学生の服装などから当時の様子がうかがえる。 手前の男児生徒は下駄をはいている。2021-12-21
3野球大会出場前日野球大会出場前日諏訪中学校野球部主催の郡下の野球大会が毎年春秋二季行われ、小学生ばかりではなく父兄も町村の人々もその勝敗に熱中した。諏訪中の校庭に集まるのは全郡下のほとんどの小学校で学校の規模の大小を問わず各1チームを編成して参加した。長い伝統に輝く大会だった。岡谷や川岸の小学校もみな歩いて行った。下諏訪からも往復三里も遠しとせずに応援に出かけたという。2020-03-06
4諏訪湖のスケート風景諏訪湖のスケート風景諏訪湖のスケート 諏訪中(旧制)の生徒か? 古田明氏寄贈2020-03-06
5下駄スケートをする子どもたち下駄スケートをする子どもたち下駄スケートで滑る小学生、先頭は改良されたスピードの三本刃、後方は最初の日本刃のスケート。この写真の説明は昭和初期としてあるが、「写真いまとむかし(下諏訪町)」には、「大正後期のスケート遊び(矢島式下駄スケート)」と説明されている。また、「下諏訪町町制施工125周年(下諏訪今昔絵巻)」には大正14(1925)年頃と注釈がされている。2020-03-06
6スケート大会で優勝した少年スケート大会で優勝した少年諏訪郡下スケート大会に於いて小学生20周に優勝した清水順吉君。下駄スケートを履いている。2020-03-06
7スケートスケート諏訪湖の結氷期が1月上旬から2月下旬までであるために、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮して、明治40(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。 №4と同じ。2020-03-06
8町民レガッタ町民レガッタ第8回町民レガッタ、これまで最多の84クルーが参加。競技はナックルフォアのみ、距離500m。中学生から76歳の男性まで出場し、水辺はお祭り気分だった。2020-03-06
9町民体操栽町民体操栽第29回町民体操祭、校歌のダンスを披露する小学生。新聞社後援の体操祭、この辺りではこの町だけが根気よく続けている。2020-03-06
10秋宮スケートリンク秋宮スケートリンクさみしい秋宮リンク「スケート離れ」現象。「秋宮スケートリンク」で検索し古い時代の写真も参考にしていただきたい。2020-03-06
11合宿風景合宿風景大学・高校の夏季合宿学生が温泉町の宿舎を出て運動場へ向かうところ。夏季合宿練習のため東京の高校・大学生の来町するものは戦前からあって、小学校の施設を利用していた。町が本格的に請け入れるようになったのは、戦後昭和27(1952)年ころからのこと。昭和39(1964)年には一万人を越え、14軒の旅館に合宿していた。2020-03-06
12秋宮スケートリンク秋宮スケートリンク諏訪湖の結氷期が1月上旬~2月下旬のため、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮し、明治40年(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。2020-03-06
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