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写真タイトル説明登録日
1街かど博物館街かど博物館街かど博物館の看板。「街かど博物館」は平成3(1991)年4月1日から町づくりの推進、観光活性化の一環として1号館から3号館までオープンした新しいスタイルの博物館。令和2(2020)年1月現在も6箇所ある。①「駅と祭りの資料館」下諏訪駅、②「懐古もの物語」(二葉屋酒店)、③「花屋茂七」、④「古文書館・民芸館」(中村屋)、⑤「蔵」(原酒店)、⑥「風雅舎」(みなとや旅館)。2020-03-06
2鉄鉱泉本館鉄鉱泉本館夜の湯田坂かいわい。名湯旦過の湯を中心とした旧中山道筋一角。坂下に温泉旅館が並び、しっとりした湯の町情緒がただ用。このあたり製紙業の全盛期には、芸妓置屋が軒を連ね、脂粉の香ただよう街だったという。鉄鉱泉本館の夜景。2020-03-06
3ききょうやききょうや。旧宿場時代からの看板が人気の下諏訪温泉の旅館「ききょうや」。前身は旧下諏訪宿の中心、問屋場と「綿の湯」のある辻の旅籠屋で、文化2(1805)年刊の街道の案内書「木曽路名所図絵」にもその建物と看板が描かれている2020-03-06
4高木西の温泉ボーリング高木西の温泉ボーリング民間資本の温泉開発が成功、深度500m、69.1℃の湯脈に当たる。その後掘り進み深さ570m、温度74.4℃まで上昇。毎分600㎖(59℃)の揚湯が可能になった。町の源湯は町・区・財産区・共同組合が所有していたが昭和60(1985)年に旅館業者が発掘に成功し新しい流れが生まれた。この写真は民間第二号井。2020-03-06
5旧中川旅館旧中川旅館旅籠や中川家の欅の角柱。馬のたづなを繫ぐ金の輪。この角柱は現在町博物館にて保管。2020-03-06
6旧中川旅館旧中川旅館旅籠屋中川家、奥にかめやホテルの看板が見える。2020-03-06
7旧中川旅館旧中川旅館下諏訪宿の昔姿として残された最後の旅籠屋中川家。出粱造りやそれを支える欅の角柱が見える。この角柱には馬の手綱をつないだという金の輪がそのままになっていたといい、現在は下諏訪博物館に保管されている。 昭和51(1976)年建物は取り壊されいる。2020-03-06
8下諏訪温泉の光景下諏訪温泉の光景岡谷製糸勃興期の下諏訪温泉街の情景。明治末期街道(立町)の突き当たりは綿の湯。綿の湯はこれまで前面が外湯で一般に開放され、裏面には銭湯があったが、外湯を第二区消防屯所に改修する。綿の湯の屋根越しに見えるのは「かめやホテル」、その裏手の森は「旧本陣岩波家」の屋敷木である。綿の湯の左手前は「ききょうや」「みなとや」で、左手前には「丸屋」の各旅館があった。写真右下に「諏訪電機株式会社」と思われる看板が見える。諏訪電気株式会社は明治30(1897)年設立で現在の「おいでや」の前に記念碑が建っている。2020-03-06
9宿場風景(菊本旅館前)宿場風景(菊本旅館前)宿場のおもかげ。下諏訪宿菊本旅館。看板の右下に炭俵と思われる荷がおかれている。道は舗装されておらず、道幅も狭い。2020-03-06
10中川旅館中川旅館下諏訪宿最後の旅籠中川旅館、道に面して大きな柱(離れ柱)があり牛馬を繫ぐ鉄輪がうたれていた。(現在、柱は下諏訪博物館に保存) 「中川治朗」と書かれた看板、その左右に「まねき」とよばれる、30㎝×50cmの布旗かけられている。 御嶽講のまねきが目立つが、他の講社のものも見える。 下諏訪宿の昔の姿をとどめていた中川旅館も昭和51(1976)年3月取り壊されてしまった。「2020-03-06
11中川旅館中川旅館改築前の「中川旅館」看板には「奈可川旅館」と書かれている。御嶽講の提灯が掛けられていたり、当時の街道を歩き宿泊した講や、流行した旅など庶民文化も垣間見られる。昭和51(1976)年3月、下諏訪宿の昔姿として残された最後の旅籠屋「中川家」は取り壊された。2020-03-06
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