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写真タイトル説明登録日
1役場付近のケヤキ並木役場付近のケヤキ並木役場付近のケヤキ並木。 清水橋付近のケヤキは伐採されたもの、赤砂先に移植されたものもあるそうです。 現在は歩道等の工事中です。 見慣れた景色も日々変化しています。2024-02-29
2町道田中線歩道改良工事町道田中線歩道改良工事昭和5年10月に竣工した町道田中線は、何回かの改修を経て、役場前から西大路・砥川西信号までケヤキの並木があり町民から親しまれていたが、令和5年(2023)の田中線歩道改良工事でケヤキ57本を伐採する計画があった。しかし「もったいない」という反対意見等があり、31本は残し、工事は砥川西信号から下諏訪消防署前までの工事となり、比較的歩道が広い区間は伐採を保留した。また、二本は赤砂崎公園に移植することになった。2023-07-29
3下諏訪町役場庁舎下諏訪町役場庁舎下諏訪町の前身の下諏訪村が明治7(1874)七カ村が合併してできた(本陣方)。その後役場は明治10(1877)年に下諏訪学校、明治19(1886)年に来迎寺、明治22(1893)年には庁舎を新築し立町に移っている。その後明治26(1893)年に町制施行され、大正14(1925)年に役場庁舎を大社通に新築した(旧役場)。さらに昭和45(1970)年に現在の鷹野町の新庁舎が完成し、現在に至っている。2021-08-05
4下諏訪図書館下諏訪図書館現在の下諏訪図書館。手前の公演はあすなろ公園。 図書館のはじめは、昭和13(1938)年ユニークな青年会図書館として創立し、旧役場あとの公民館に移管し、その後昭和54(1979)年現在地に下諏訪町立図書館として建設された。蔵書数は令和3年で本以外も含め約13万余となっている。利用率も高い図書館で、生涯学習の拠点となている。2021-08-03
5旧庁舎前にて旧庁舎前にて旧下諏訪町役場前での記念撮影。 写真前列中央に高木十吉氏が映っている。2021-12-26
6役場分室役場分室下諏訪郵便局は、最初旧本陣岩波方に置かれたが、その後幾度か移転する。 1,明治5(1872)年 本陣岩波方 2,明治25(1892)年 増沢市郎兵ヱ方(旧警察右手前) 3,明治39(1906)年 立町3242(旧警察左手前) 4.大正5(1916)年 大社通5524(小口多郎方隠居所地) 5,昭和25(1950)年 広瀬町(下諏訪駅前通り) 6,昭和57(1982)年に現在の栄町に移転 昭和25年に郵便局は広瀬町へ移転。昭和27(1952)年教育委員会が設置されここで執務を開始、それ以後役場の分室として使用された。写真は役場分室・教育委員会当時のものと思われる。2022-03-19
7長持ちと笠踊り長持ちと笠踊り四王若連の長持ちと花笠踊りの様子。 場所は西鷹野町にあった公民館前(元下諏訪町役場) この建物は昭和23年3月~昭和45年1月(新庁舎着工)頃、公民館として使われていた。2022-06-08
8大社通り大社通り大社通り「有賀商店」。手前の小路は「稲荷小路」。道向かいは諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館(旧下諏訪町役場の地旧公民館、現在はオルゴール博物館すわのね)2020-03-06
9大社通り大社通り大社通り有賀商店。右隣は第一交通タクシー。2020-03-06
10下諏訪町上空下諏訪町上空写真中央に町役場、右に総合文化センター・体育館。左はテニスコート・野球場・陸上競技場などが見える。2020-03-06
11下諏訪町役場住民課下諏訪町役場住民課町役場住民課窓口。住民記録(住民登録)と印鑑証明の業務は、前年4月から諏訪広域情報センターとオンライン化されている。この年は印鑑登録のI.Dカード化が行われた。2020-03-06
12大社煎餅大社煎餅師走を迎えた大社門前町。煎餅を売る店を訪れた観光客。旧町役場(すわのね)とお土産物屋(観光案内所)のとんがり屋根が、冬空に好対照を見せていた。2020-03-06
13役場屋上からの風景役場屋上からの風景役場屋上より四王方面を望む。2020-03-06
14参議院選挙開票風景参議院選挙開票風景41年ぶりに与野党逆転となった参議院選挙の開票。この町の投票率は73.58%。比例代表の得票率は社会党36,33%、自民党21.52%、共産党9.6%、民社党8.16%、公明党7.88%、二院クラブ2.10%、スポーツ平和党(新登場)2.33%、税金党1.31%、サラリーマン新党1.25%、年金等1.08%(以下略)。この選挙で破れた自民党宇野内閣は総辞職し、海部内閣が誕生することになった。一年の間に首相が三人も代わるという激動の年であった。2020-03-06
15消費税導入勉強会消費税導入勉強会戦後よりずっと続いてきた所得税中心の税制から間接税の比率を高める改革だが国論を二分しての論議となり議決が遅れた。町役場では税務署の係を呼び講習会を開くなど対応に追われた。2020-03-06
16確定申告相談風景確定申告相談風景「確定申告申請受付町屋敷公会所へ出前」。町役場が5キロ離れた山間地区の町屋敷公会所で確定申告相談所を開設。お百姓さんや家内工業者らが利用していた。2021-04-15
17議会総務委員会議会総務委員会3月定例町会開会直前の議場(議長席から撮影)。上程議案は平成元(1989)年度予算案など49件に上った。2020-03-06
18ガスタンクの見える風景ガスタンクの見える風景球形ガスタンクのある風景。 右側は役場の駐車場で、その向かいの写真左下は、現在は「ハルピンラーメン」や町役場職員駐車場になっている。2020-03-06
19国勢調査員記念写真国勢調査員記念写真町役場正面玄関前、国税調査は大正9(1920)年に第1回が実施され、以降5年ごとに行われた。写真は昭和14(1940)年に行われた、第5回の時の調査の記念写真。写真下に「昭和十四年臨時国勢調査員記念」と説明書きがある。2020-03-06
20記念写真(下諏訪町役場前)記念写真(下諏訪町役場前)昭和11~13(1936~1938)年。旧役場前(現すわのね)。2020-03-06
21旧町役場建設の看板旧町役場建設の看板八幡町に下諏町役場新庁舎が決まった。写真は「大正十三年十二月建之」「「町長大和仁平」「助役小林廣志」の文字などが読める棟札である。ちなみに落成式執行は大正(1925)14年7月18日。2020-03-06
22旧下諏訪町役場(立町青塚時代)旧下諏訪町役場(立町青塚時代)立町裏に下諏訪役場新築。明治22(1989)年4月1日に新しい下諏訪村が発足。同年5月31日字青塚(立町裏)に新庁舎開庁、以降大正14(1925)年に大社通りに庁舎が移転するまで36年間この庁舎で町政が取り行われた。第二回下諏訪区会議員当選記念に撮影したもの、尚明治7(1974)年下諏訪村が誕生して以降役場の変遷は以下の通りである。 【明治(1874))10月13日七ヶ村が合併して下諏訪村となる(事務取扱所は本陣方)・明治10(1877)年事務扱所を本陣から下諏訪学校下諏訪学校へ移す。・明治19(1886)年3月役場を学校から来迎寺へ移す。・明治22(1889)年5月31日立町に役場新築。・大正14(1925)年7月17日下諏訪町役場(八幡町)が竣工。】2021-04-04
23旧下諏訪町役場旧下諏訪町役場明治22(1989)年4月、町政公布とともに、同年5月青塚の南隣に下諏訪村役場へ、来迎寺から役場が移された。 写真は、大社通へ建築された新役場庁舎地鎮祭執行当日に、立町元役場西側で記念撮影したもの。2020-03-06
24棟札棟札新庁舎建設の看板「大正十三年十二月建之 町長大和仁平」他助役、工事監督請負人、町会議員並建築委員の名前がかかれている棟札。2020-03-06
25旧下諏訪町役場新築落成式旧下諏訪町役場新築落成式大正14(1925)年7月18日八幡町(現大社通り)に下諏訪町役場新庁舎ができる。落成式執行当日の記念撮影。旧下諏訪町役場は現日本電産サンキョーオルゴール記念館「すわのね」になっています。2020-03-06
26旧下諏訪町役場旧下諏訪町役場大正14(1925)年7月18日大社通りに移転した旧下諏訪町役場。現在は日本電産サンキョーオルゴール館として利用されている。役場庁舎は昭和45(1970)年にさらに西鷹野町の現庁舎へ新築再移転している。2020-03-06
27旧下諏訪町役場棟上旧下諏訪町役場棟上明治7(1974)年に下諏訪村成立した。旧本陣、下諏訪学校、来迎寺と仮役場を移転し青塚東方に新役場ができた。さらに大正14(1925)年7月18日大社通りに移転した旧下諏訪町役場。博物館の写真では、大正13(1924)年11月25日検査執行となっている。落成は翌大正14(1925)年7月18日である。2020-03-06
28旧下諏訪町役場旧下諏訪町役場大正14(1925)年7月に新築された旧下諏訪町役場。昭和46(1971)年1月現在の町役場庁舎移転により、町公民館となる。現在は日本電産サンキョーオルゴール記念館「すわのね」となっている。2020-03-06
29旧下諏訪町役場旧下諏訪町役場大正14(1925)年7月に新築された旧下諏訪町役場。昭和46(1971)年1月現在の町役場庁舎移転により、町公民館となる。現在は日本電産サンキョーオルゴール記念館「すわのね」となっている。2020-03-06
30旧下諏訪町役場旧下諏訪町役場大正14(1925)年7月に新築された旧下諏訪町役場。昭和46(1971)年1月現在の町役場庁舎移転により、町公民館となる。現在は日本電産サンキョーオルゴール記念館「すわのね」となっている。2020-03-06
31航空写真 町庁舎周辺航空写真 町庁舎周辺上空から見た町庁舎・町営球場。手前の川は砥川。建設途中の下諏訪体育館。旧田中線の道路は清水橋ができておらず砥川で止まっている。2020-03-06
32航空写真 下諏訪町市街地航空写真 下諏訪町市街地写真の中心付近に下諏訪町役場の庁舎や総合運動場が見える。この写真を撮った昭和52(1977)年には、昭和53(1978)年完成した湖岸通り(ジャスコ通り)の砥川以西や昭和54(1979)年完成した清水橋とそれ以西の道路、昭和55(1980)年完成した西大路通りなどはまだない。2020-03-06
33青木健一町長就任記念写真青木健一町長就任記念写真現庁舎前。青木健一町長以下議員、役場幹部。 第29代町長、青木健一氏は昭和45(1970)年~昭和57(1982)年まで3期12年町長を務める。在任中新庁舎完成、北小開校、社中開校、町屋敷団地完成、東俣浄水場建設、老人福祉センター開設、清掃センター完成、体育館完成などに尽力した。2020-03-06
34黒田町長就任記念写真黒田町長就任記念写真役場旧庁舎前。黒田新一郎町長と議員。第26代下諏訪町長、黒田新一郎氏は昭和33(1958)年から昭和45(1970)年まで3期12年間町長を務める。在任中、温泉開発、明るい町づくり運動推進、陸上競技場完成、社ヶ丘団地造成、星ヶ丘団地造成、八島高原の保全、町誌づくり、新庁舎建設等に尽力した。2020-03-06
35臨時国税調査員記念臨時国税調査員記念役場旧庁舎前 臨時国勢調査員記念写真。 小口守一町長以下議員と役場幹部。昭和15(1940)年に発表された、第5回国税調査による下諏訪町の人口は男7670人・女9949人計17619人(世帯数3651)となっていた。2020-03-06
36花見新道から見た下諏訪花見新道から見た下諏訪花見新道の桜の向こうに手前から ※丸六製糸(現ムトウ工業)、 入一組製糸所、その向うに旧役場、下諏訪尋常高等小学校(高等小学校、実科女学校、現下諏訪中学校)、南校(現下諏訪南小学校)が見える。 手前には諏訪地方特有の石置き屋根の民家も見える。2020-03-06
37秋宮周辺航空写真秋宮周辺航空写真勝山写真館(上諏訪)が赤砂飛行場を離陸撮影した航空写真。秋宮周辺の宿場町の町並みが残っている。左下に旧町役場庁舎、左端の中あたりに中部電力前身の信州電気、その前の立町通突き当りには二階建ての綿の湯、その周りには改築前の旅館、鳥居前は当時の街道の風情が色濃く残り千尋館なども見られる。 勝山写真館では霧ケ峰強清水のスキー場の写真などを空から撮影していた。2020-03-06
38出征家族写真撮影関係者出征家族写真撮影関係者戦時中、朝日新聞では軍神の諏訪大社下社秋宮境内で出征した兵士の家族写真を撮影、戦地に送付していた。町内の写真撮影業者のうち組合加入の秋山(高札場上)・北原・城取氏の3人、アマチュアカメラマンが撮影に当たっていた。新聞社、新聞販売店、後援の役場職員も同席しての記念写真。2020-03-06
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