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写真タイトル説明登録日
1ナンバナンバ諏訪湖周辺の湿田で昭和初めに、地下足袋、ゴム長靴の出るまで使用された。右が板ナンバ、左が桶ナンバ。泥沼のような水田での作業はいろいろ工夫された農具があった。素足で歩けないので板ナンバや桶ナンバと呼ばれるものも使用した。重い荷物は田舟にのせて運んだ。特に諏訪市の湖岸に多かった。2020-03-06
2モノレールで新米の出荷モノレールで新米の出荷江戸時代下の原の名主を中心に藩の支援を受けながら、東俣蝶ヶ沢から東俣川の水を取り入れ城の沢で落とす長さ6650mの菰川汐(こもっかわせぎ)を作り水田化が図られた。昭和58(1983)年に、耕作者三人が県の補助金を受け、この山上の田(海抜900m)から農業用モノレール(全長202m)を設置した。写真は新米の搬出風景。モノレールは250㎏まで荷物を詰めるそうだ。この年、ミスズモチとフクヒカリを植え、平年作を上回る出来だったという。2020-03-06
3水田にネットを張る老夫婦水田にネットを張る老夫婦稲出穂、田んぼへ防雀(防鳥)ネットを張る。「梅雨までの天候不順で生育が遅れている」という、この田の品種は「トドロキワセ」。2020-03-06
4耕運機による代掻き耕運機による代掻き薫風の中で耕運機による水田の代掻き作業。鳥たちがやってきて、盛んに土中の虫をついばみ、蛙の鳴き声も聞こえてきて、まことに心地よい田園風景である。2020-03-06
5耕運機による代掻き耕運機による代掻き薫風の中で耕運機による水田の代掻き作業。鳥たちがやってきて、盛んに土中の虫をついばみ、蛙の鳴き声も聞こえてきて、まことに心地よい田園風景である。2020-03-06
6東俣の田ぬるめ東俣の田ぬるめ写真中心付近、道を隔てて一段高いところに一つのぬるめがあって、そこで温められた水が田圃の中のぬるめへみちびかれる。(本山氏水田)※同じ写真を撮った写真が別にありその説明に東俣とメモが残されている。2020-03-06
7湖浜地区の区画整理工事中湖浜地区の区画整理工事中7枚の写真の合成。昭和42(1967)年10月湖浜地区の区画整理工事中の様子。区画整理前は一面に水田が広がっていた。2020-03-06
8高浜湾高浜湾昭和41年に撮影された富が丘から望む高浜湾。広い水田が広がっている。2020-03-06
9下諏訪町遠望下諏訪町遠望富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。2020-03-06
10宅地化する前の湖浜地区宅地化する前の湖浜地区上空から見た下諏訪南小学校。旧木造校舎、旧講堂、旧小体育館、50Mプールも見える。校舎から諏訪湖畔までは水田が広がっている。2020-03-06
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