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写真タイトル説明登録日
1製糸時代のメインストリート、今は御田町通り製糸時代のメインストリート、今は御田町通り戦前はこの通りに片倉、入一など大手製糸工場が並び、月二回の定休日には通りにあふれるほどの工女たちで賑わったものという。工女たちを集めた御田町劇場はもうない。戦後も片倉跡が「ヤシカカメラ」の工場になって、従業員の往来で活気を見せていたが、同工場が岡谷へ去ってから、(現在は「武藤工業(株)諏訪工場」に代わって)静かな商店街にな様変わりしている。2020-03-06
2浮島発電所浮島発電所大正7(1918)年山十組で武居入に自家用発電所を設置し、次いで大正9(1920)年には入丸製糸で宮ノ上に、同10(1921)年には片倉組丸六製糸で、自家工場内に御手洗せぎを引き入れて自家用発電所を作っていた。 写真は入丸浮島発電所全景、発電所裏手に水圧管が見える。2020-03-06
3片倉二代銅像片倉二代銅像第2代片倉翁銅像の写真絵葉書。 昭和10(1935)年に下諏訪や川岸村などの尽力により建立が決定した。 この時は宝生橋も裏参道の堀割に架設されている。 しかし、昭和18(1943)年金属回収のため撤去されてしまった。2020-03-06
4下諏訪遠景下諏訪遠景諏訪湖遠景。写真手前の左側の建物は片倉製糸、右側が入一製糸、左端の樹木は秋宮の森、その隣が現下諏訪中学校。2020-03-06
5昭和初期小学生の記念写真昭和初期小学生の記念写真山王台の銅像の台の前。 片倉蚕糸の創業者が岡谷の方向を指差した銅像があったが、お尻が皇居の方向を向いているとの批判があり取り壊された。2020-03-06
6花見新道から見た下諏訪花見新道から見た下諏訪花見新道の桜の向こうに手前から ※丸六製糸(現ムトウ工業)、 入一組製糸所、その向うに旧役場、下諏訪尋常高等小学校(高等小学校、実科女学校、現下諏訪中学校)、南校(現下諏訪南小学校)が見える。 手前には諏訪地方特有の石置き屋根の民家も見える。2020-03-06
7図書館利用者の集合写真図書館利用者の集合写真戦前の下諏訪町青年会図書館。 昭和3(1928)年に下諏訪青年会が山王台に建てた、昭和11(1936)年4月、片倉公園造成のため山王台から下中のバックネットの裏に移設された。2020-03-06
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