キーワードで探す
並び替え:

登録リスト(該当:8件)

写真タイトル説明登録日
1番屋跡番屋跡下諏訪宿の曲の手と番屋跡。 甲州道中は秋宮の石垣の線が自然に曲の手をなしている。ここを宿の入り口として番屋がありました。2023-07-05
2甲州口番屋跡甲州口番屋跡甲州道中は、秋宮の西の石垣が自然に曲の手をなしているので、そこを宿場の入り口として番屋が置かれていた。2022-03-19
3承知川の石橋承知川の石橋道沿いの石垣に埋め込まれているこの大きな石は、かつて近くを流れる承知川の石橋に使われていたと伝えられている。重量およそ13tで輝石安山岩の一枚岩である。言い伝えでは武田信玄が川中島の合戦に際し、諏訪大社の千手観音に戦勝を祈願して社殿の建て替えと千手堂に三重塔の建立を約束した。合戦の帰途、信玄がこの橋を渡ろうとすると馬が動こうとしない。信玄は約束を思い出し、下馬して「神のお告げ承知つかまつり候」と申し上げたという。この伝承から承知川と呼ばれるようになったという。また石に刻まれた線刻が信玄の隠し財産の場所を示す地図になっているという話も伝わっていて、歴史ロマンを醸し出す場所になっている。2021-06-03
4山岡氏山岡氏山岡操氏。製糸を始めた富部(十区)の士族。 山岡家には立派な屋敷図と城壁のような石垣が残っている。また山岡氏は明治6(1873)年3月に大小区政が敷かれた時、第十三大区小五区の戸長も務めた。2020-03-06
5東餅屋東餅屋和田峠を越える古峠道(江戸時和田峠は餅屋峠とも呼ばれていた)慶応五年の記録では中山道で樋橋上のほうろくから山かげを通ると東餅屋があった。東餅屋は五軒の茶屋があった。現在、茶屋跡には一軒のドライブイン意外建物はなく石垣によって区分された屋敷跡にはカラマツが植えられている。2020-03-06
6西餅屋竹屋西餅屋竹屋西餅屋(立場茶屋跡)に一軒残った竹屋・武居清左エ門の家を写す。左前の石垣は本陣小口金右エ門の屋敷跡、右の石垣は犬飼太金冶、その前が小松屋竹次郎があった。この竹屋も大正13~14(1924~1925)年に菅野町へ下る。2020-03-06
7山岡操家の石垣山岡操家の石垣富部の士族山岡操家の豪壮な石垣。2020-03-06
8宝生橋宝生橋甲州道中から武居に入る辻。車の向こうに秋宮と山王台を結ぶ宝生橋が見える。武居の集落に入る道は昭和14(1939)年に現在の新道(しんみち)が開通するまでは鳥居から神社の横を通っていた。当時は宮田小路(みやだこうじ)と呼んでいた。お宮の社務所が石垣の上から下に新築されたことによる新道開通であった。2020-03-06
地図で見る


ログイン トップページへ