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写真タイトル説明登録日
1電話交換手室電話交換手室郵便局は大正5年から昭和25年まで大社通りにあった。その2階に電話交換手室が併設されていた。電報電話局は昭和24年6月に中汐町新局舎へ移転し、その年の12月より電話自動化となった。郵便局は昭和25年8月に広瀬町へ、昭和57年11月に現在の栄町に移転した。2024-03-20
2まつや呉服店まつや呉服店まつや呉服店は現在はまつや洋品店は下諏訪町矢木東に移転している。まつや呉服店があった場所は平成12(2000)年まで荒井書店が営業していた。 旗や看板等が見え、恵比寿講で多くの人々で賑わっている。2023-01-24
3電報電話局電報電話局昭和24(1949)年6月電気通信省の分離にともないそれぞれ現在地(昭和29年現在)へ新築移転した。2022-01-20
4役場分室役場分室下諏訪郵便局は、最初旧本陣岩波方に置かれたが、その後幾度か移転する。 1,明治5(1872)年 本陣岩波方 2,明治25(1892)年 増沢市郎兵ヱ方(旧警察右手前) 3,明治39(1906)年 立町3242(旧警察左手前) 4.大正5(1916)年 大社通5524(小口多郎方隠居所地) 5,昭和25(1950)年 広瀬町(下諏訪駅前通り) 6,昭和57(1982)年に現在の栄町に移転 昭和25年に郵便局は広瀬町へ移転。昭和27(1952)年教育委員会が設置されここで執務を開始、それ以後役場の分室として使用された。写真は役場分室・教育委員会当時のものと思われる。2022-03-19
5下諏訪町上空下諏訪町上空写真中央の白く輝く屋根は荻原製作所(昭和42(1967)年に下諏訪町に移転してきた本社工場、平成29(2017)年に伊那市へ移転。その右にはひかり味噌、左上にジャスコ(イオン)、右上には諏訪湖、右下すみに野球場・陸上競技場が見える。2020-03-06
6郵便局郵便局下諏訪郵便局は、明治5(1872)年岩波家(本陣)に郵便取扱所が置かれ、明治25(1892)年には友之町上(旧下諏訪警察分署の右手前)の増沢市郎兵衛氏宅へ、明治39(1906)年には立町(旧派出所左前)へ移り、その後大正5(1916)年に大社通りに移転、昭和25(1950)年には広瀬町の下諏訪駅前に、そして現在は栄町に移転した。 友之町今昔の地図を見ると、奈良屋小路(鎌倉街道)奈良屋の隣に郵便局があったことがわかる。2020-03-06
7旧社東町公民館旧社東町公民館旧下諏訪製糸共同病院の本館を昭和2(1927)年12月に買収移転した地区公民館(神明館)。現在の社東町付近は、砥川と十四瀬川に挟まれ、特に砥川と福沢川の合流地はたびたび洪水に見舞われてきたので、古くは「流れ」がそこの通り名であったという。明治以後徐々に人が住みはじめ、旧中山道の北に新道が通ったり、河川改修工事などが進み、人家が増加した。昭和33(1988)年に岡谷市から下諏訪町に合併して第八区となった。2020-03-06
8郵便局の窓口郵便局の窓口郵便局の窓口。郵便局が広瀬町(現日本電産サンキョー付近)から現在地の栄町へ昭和57(1982)年に移転。この10年後民営化し、平成24(2012)年には日本郵便株式会社になった。2020-03-06
9旧西友旧西友旧西友店頭風景。現在は大門通り(諏訪倉庫跡地)へ移転したがこの時は、中央通りの建物の中にあった「西友」の店舗。2020-03-06
10水月園より諏訪湖を望む水月園より諏訪湖を望む萩倉合名会社を中心に水月園より下諏訪町を望む。萩倉合名会社(現小口克郎氏宅上)萩倉の製糸創業は明治11(1888)年篠藤・小河原氏等が機械製糸を繰業し中山道による物流(鉄道未施工),豊富な森林資源、用水の便などにより発展した。しかし明治30年代の石炭の利用、明治35(1902)年の篠ノ井線の開通、明治38(1906)年中央東線が岡谷駅まで開通、森林資源の枯渇等により立地条件が逆転し明治38(1905)年春宮下へ移転し萩倉での製糸は終止符を打った。2020-03-06
11旧下諏訪町役場(立町青塚時代)旧下諏訪町役場(立町青塚時代)立町裏に下諏訪役場新築。明治22(1989)年4月1日に新しい下諏訪村が発足。同年5月31日字青塚(立町裏)に新庁舎開庁、以降大正14(1925)年に大社通りに庁舎が移転するまで36年間この庁舎で町政が取り行われた。第二回下諏訪区会議員当選記念に撮影したもの、尚明治7(1974)年下諏訪村が誕生して以降役場の変遷は以下の通りである。 【明治(1874))10月13日七ヶ村が合併して下諏訪村となる(事務取扱所は本陣方)・明治10(1877)年事務扱所を本陣から下諏訪学校下諏訪学校へ移す。・明治19(1886)年3月役場を学校から来迎寺へ移す。・明治22(1889)年5月31日立町に役場新築。・大正14(1925)年7月17日下諏訪町役場(八幡町)が竣工。】2021-04-04
12公民館公民館昭和23(1948)年4月29日、建物がない下諏訪公民館(館長宮坂実之助氏)として発足したが、昭和26(1951)年3月25日西鷹野町の中央車両株式会社の事務所を買収できて、下諏訪公民館として開館する(昭和27(1952)年7月21日開館)。後下諏訪町庁舎が建築され、公民館は大社通り旧庁舎へ移った。現在公民館は下諏訪町文化センター内に併設されている。2022-01-20
13旧下諏訪町役場旧下諏訪町役場大正14(1925)年7月18日大社通りに移転した旧下諏訪町役場。現在は日本電産サンキョーオルゴール館として利用されている。役場庁舎は昭和45(1970)年にさらに西鷹野町の現庁舎へ新築再移転している。2020-03-06
14旧下諏訪町役場棟上旧下諏訪町役場棟上明治7(1974)年に下諏訪村成立した。旧本陣、下諏訪学校、来迎寺と仮役場を移転し青塚東方に新役場ができた。さらに大正14(1925)年7月18日大社通りに移転した旧下諏訪町役場。博物館の写真では、大正13(1924)年11月25日検査執行となっている。落成は翌大正14(1925)年7月18日である。2020-03-06
15旧下諏訪町役場旧下諏訪町役場大正14(1925)年7月に新築された旧下諏訪町役場。昭和46(1971)年1月現在の町役場庁舎移転により、町公民館となる。現在は日本電産サンキョーオルゴール記念館「すわのね」となっている。2020-03-06
16旧下諏訪町役場旧下諏訪町役場大正14(1925)年7月に新築された旧下諏訪町役場。昭和46(1971)年1月現在の町役場庁舎移転により、町公民館となる。現在は日本電産サンキョーオルゴール記念館「すわのね」となっている。2020-03-06
17旧下諏訪町役場旧下諏訪町役場大正14(1925)年7月に新築された旧下諏訪町役場。昭和46(1971)年1月現在の町役場庁舎移転により、町公民館となる。現在は日本電産サンキョーオルゴール記念館「すわのね」となっている。2020-03-06
18出征兵士と家族写真出征兵士と家族写真出征兵士(「まつや」番頭)と「まつや」家族の記念写真。 御田町にあった「丸七まつや」(立町に移転マツヤ洋品店に)後に荒井書店に現在は他の店になっている。2020-03-06
19下諏訪商業組合ビル完成記念下諏訪商業組合ビル完成記念下諏訪商業協同組合は前身が下諏訪商業組合で大正13(1924)年に設立し、物品の共同購入・保管・金融業務などを行い、昭和15(1940)年に事務所・倉庫を設置していた。(日本電産サンキョウ入り口の場所で現在の社名は「ニディックインスツルメンツ(株)」) さらに昭和22(1947)年に商業協同組合に改組している。写真は昭和15(1940)年の下諏訪商業組合ビル完成記念の時のものである。 その後、現在の商工会議所は昭和62(1987)年に鷹野町に新築移転している。2024-03-14
20ダイヤ豆腐周辺の航空写真ダイヤ豆腐周辺の航空写真当時景気が良かったダイヤ豆腐による航空写真。ダイヤ豆腐は線路横の煙突の立っている建物、現下諏訪南小学校前を通る田中線は砥川で止まっている。田中線の右端に小学校の校舎が見え、砥川の手前には昭和24(1979)年から整備されてきた総合運動所が見える。現在のジャスコ通りにあたる道沿いには昭和28(1953)年栄町から移転ひかり味噌が見える。線路下には、桑畑とりんご畑が広がっていた。2020-03-06
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