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登録リスト(該当:46件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
博愛館
自由民権運動・青年会の活動が活発になった明治の時代、活動の拠点となる場所を求めるこえが強くなり、他の地区でも新しい集会所が次々に建てられた。神風社(青年会)の建議を受け明治40(1907)年5月に落成した。総工費1343円、全額区民95戸の寄付金で賄われた。 現在建物はなく駐車場になっている。
2021-12-23
2
本陣跡
下諏訪宿本陣遺構。本陣は最初小口氏が務めたが、のち岩波氏に代わった。文久元(1861)年の図面では、建屋280坪、建物並びに庭545坪、畳数232畳、総坪825坪と記されている。現在の本陣遺構とホテル聴泉閣かめやを合わせた敷地にあたる。 本陣の業務は大名・幕府役人の宿泊であるが、運営の費用は問屋業の収益でまかなわれた。
2022-03-19
3
天龍道人の墓
天龍道人は現在の佐賀県の鹿島藩の家老板部氏に生まれ、長じて京に出て勤王運動に身を投じた。まだ機の熟さないことを察して諏訪に逃れ、塩諏訪に居を構えて風雅な生活を送った。絵は葡萄・鷹が有名である。天龍道人は晩年に自署しこの墓碑を土田墓地に建てたと言われる。
2021-06-03
4
休石
中央東線の線路沿いに残る休石。かつて農作業等で田んぼなどに運ぶ刈敷、あるいは田圃から籾などを運ぶ時。この石の上に重い荷物を乗せ一休みするところから、この名がついたと思われる.こうした「休石」のような石は、下諏訪町以外にも諏訪各地に点在する。
2021-06-03
5
御田町商栄会富士講
1「皇紀二千六百年 霊峰富嶽に登拝し皇軍の武運長久を祈願す 御田町商業会富士講」関連写真。 1枚目は七合五尺、3枚目は須走登山口での記念写真。。
2022-01-16
6
武運長久祈願
「皇紀二千六百年 霊峰富嶽に登拝し皇軍の武運長久を祈願す 御田町商業会富士講」と書かれている。 1928~1932は御田町商業会富士講関連。
2022-01-16
7
保育園
昭和30(1955)年頃の保育園の風景。 町勢要覧の中で「児童の遊び場設置について昭和24年6月第一次児童福祉法改定項より母の会を中心にこどもに良い環境をという運動が活発になり、昭和25年7月15日復式スベリ台1基3蓮式ブランコ1基の遊園地が一か所誕生、その後各部落に設置がされ昭和26年には13か所となった。
2020-08-02
8
旧和田峠トンネル工事
(旧)和田峠トンネルの掘削工事写真。 昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。 写真(2枚目)中央仮橋上の小窓がトンネルの西口、その右肩の道路が明治29(1896)年の開削された新道(142号線)
2020-08-02
9
旧和田峠トンネル工事
昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。
2024-03-17
10
和田峠の切通し工事
明治28(1895)年8月(明治10年掘削の峠の)頂上を掘り下げて新道(現142号線)を作った。明治27(1894)年からの改修が始まりこの工事は丁場を分割し多くの作業員が入った。工事はレールを布設しトロッコによる土砂運搬が行われ工事効率も上がった。トロッコによる作業員は松本監獄から出張してきた人々だった。写真は上田から来た写真師の撮影によるものです。
2023-04-15
11
高浜付近
新田中線沿いにあった「サンアイ」・「諏訪湖市場」の看板付近と右手前は高浜運動公園のフェンス。
2020-03-06
12
荷馬車
この写真は和田峠を越えて戦後の買出し風景。荷馬車で荷を運搬、荷車の端に信号が写っている。また、はっぴの襟に高木石工場の文字が読める。
2020-03-06
13
下諏訪町上空
写真中央に町役場、右に総合文化センター・体育館。左はテニスコート・野球場・陸上競技場などが見える。
2020-03-06
14
鉄骨警鐘楼
太平洋戦争末期になると、兵器にするため民間の鉄材を供出する運動があり、第一分団の屯所の上に建てられていた火の見やぐらも倒されて供出された。昭和18(1943)年金属供出で取り壊す前の記念写真。
2020-03-06
15
健勝祈願ののぼり
太平洋戦争中に出征軍人の武運長久を祈って幟を屋敷内に建てた。幟は諏訪大社宮司に書いて貰うのが多かった。神朝臣(かみあそん)守矢真幸敬書と見える。
2020-03-06
16
ナンバ
諏訪湖周辺の湿田で昭和初めに、地下足袋、ゴム長靴の出るまで使用された。右が板ナンバ、左が桶ナンバ。泥沼のような水田での作業はいろいろ工夫された農具があった。素足で歩けないので板ナンバや桶ナンバと呼ばれるものも使用した。重い荷物は田舟にのせて運んだ。特に諏訪市の湖岸に多かった。
2020-03-06
17
運送馬車
荷馬車による配水管の運搬。 昭和2年注連掛付近にて写す。
2020-03-06
18
中央高速バス
朝の中央高速バス(下諏訪バス停)。下諏訪から新宿までの所要時間は約3時間。運賃は3060円、この日8時13分発の便には女性5人が乗車。「ちょっと買い物に」という人もいた。名古屋までは3300円(約3時間20分)。12月22日からは大阪行きの運転も始まった。「メガネイガワ」「犬飼家具店」の看板も見える。
2020-03-06
19
諏訪湖清掃
第9回目「諏訪湖クリーン祭り」湖岸の清掃をする人たち。全町一丸式の運動の形をとって進められている。
2020-03-06
20
砥川の清掃
全町一斉「川をきれいにする運動」24年目の作業風景。川へゴミを捨てる風習をなくすため、町の主導で始まった清掃運動。
2020-03-06
21
北小「はだしの生活」
下諏訪北小学校「はだしの生活」。下諏訪北小学校では10年ほど前から「はだしの生活」に取り組み、運動会もはだしで行っていた。
2020-03-06
22
耕運機による代掻き
薫風の中で耕運機による水田の代掻き作業。鳥たちがやってきて、盛んに土中の虫をついばみ、蛙の鳴き声も聞こえてきて、まことに心地よい田園風景である。
2020-03-06
23
耕運機による代掻き
薫風の中で耕運機による水田の代掻き作業。鳥たちがやってきて、盛んに土中の虫をついばみ、蛙の鳴き声も聞こえてきて、まことに心地よい田園風景である。
2020-03-06
24
水月園花見風景
明治35(1902)年に下ノ原の俳人らにより、水月園の開園と水月会が発足した。会の運動の一環として月見堂の建設、句碑が建立された。また桜・楓などが植樹され諏訪地方随一の桜の名所となった。
2020-03-06
25
大喪の礼の日の飲食店
大喪の礼のお店。
2020-03-06
26
山の手バス
「廃止される東山田線バス」。赤字続きで廃止の話が持ち出された旧農村回りバス路線のバスと乗客。JR関係及び諏訪自動車の「東山田線」、住民の要望でこの年は運航が続けられたが廃止されることになった。東山田が岡谷市から別れ下諏訪町に合併して2年後昭和35(1960)年から運行が始まった山の手コース。東山田には4か所の停留場があった。写真は農協東山田支所前バス停。
2020-03-06
27
東俣の木材搬出
東俣の木材搬出。№695・696・698参照。
2020-03-06
28
東俣の木馬と木馬道
観音沢の木材搬出の様子。林嘉平・河西直人氏等5名が東俣料林から払い下げをうけ、モミ・サワラ・雑木などを木馬道(キンマミチ)を木馬(キンマ)で引き出し、主に深川の材木屋に搬出した。町内でも30~40軒家が建ち、嘉平方の土蔵もこの時のモミ材で建築。諏訪電気会社もこの材で建てた。 №696.697・698参照。
2020-03-06
29
下諏訪小学校奉安殿
運動場南はじに奉安殿を竣工する。竣工式は大正13(1924)年8月。昭和21(1946)年1月に御真影を地方事務所に奉還し奉安殿も姿を消した。
2020-03-06
30
省営バスによる薪炭の搬出
省営バスで和田嶺方面の薪炭を搬出する状況。その頃は、バストラで客貨輸送をし、和田嶺方面の薪炭を搬出した(下諏訪国鉄自動車営業所前撮影)。荷台の上には薪が、その上に炭俵がつまれている。
2020-03-06
31
バス開通式当日
昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足して運動の結果、昭和6(1931)年和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年3月上和田・丸子間と下諏訪・岡谷間が営業開始された。和田峠は難工事で昭和8(1933)10月8日試運転に成功して、昭和8(1933)年10月13日和田嶺省営バス全線開通祝賀式が慈雲寺において開催された。省営バス路線中日本最高の峠道を40人乗りバスで4往復した。2時間半の所要時間であった。所長は下諏訪駅長が兼務した。
2020-03-06
32
東山田下諏訪へ合併
昭和32(1957)年3月25日長地村は岡谷市に合併後、昭和33(1958)年6月1日東山田・東町を下諏訪町に編入するという境界線変更に関し住民投票を行った。 その際の住民運動の模様。 昭和33(1958)年7月1日東山田と東町が岡谷市から分市して下諏訪町にに合併。 当時の東山田街道上の岡谷市側から分市賛成の張幕。
2021-04-06
33
献米運動
敗戦色濃い中、どこでも食糧不足が日増しに深刻化したが、下諏訪町では軍需産業に働く人のために「献米運動」を起こした。「奉公供米運動」と呼び、町民から一握りずつ米をもらった。100俵が集まり、秋宮社頭で先勝を祈った。 手水舎が現在と逆の位置にある。手水舎は昭和28(1953)年に鳥居の左側に移されている。
2020-03-06
34
石投げ場
石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が変化し運動公園ができ湖岸道路もある。№425と比較するとその変化がよくわかる。
2020-03-06
35
高浜運動公園
高浜運動公園マレット場(左側)付近。手前は現在「高浜健康温泉センターゆたん歩」となっている。
2020-03-06
36
石投げ場から諏訪湖を望む
石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が大きく変化した。運動公園ができ湖岸道路もできている。 №409の写真と比較すると変化がよくわかる。
2020-03-06
37
和田峠トンネル
和田トンネルが完成した。昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足運動の結果、鉄道省の路線調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル開通、昭和8(1933)年1月に完成した。全線開通祝賀式は昭和8(1933)年10月3日。
2020-03-06
38
航空写真 下諏訪町市街地
写真の中心付近に下諏訪町役場の庁舎や総合運動場が見える。この写真を撮った昭和52(1977)年には、昭和53(1978)年完成した湖岸通り(ジャスコ通り)の砥川以西や昭和54(1979)年完成した清水橋とそれ以西の道路、昭和55(1980)年完成した西大路通りなどはまだない。
2020-03-06
39
奉安殿
下諏訪小学校(現中学)運動場の南端に奉安殿施工する。生徒たちは登校の際、最敬礼をして通過した。昭和21(1946)年1月御真影を地方事務所に奉環し奉安殿も姿を消した。
2020-03-06
40
町主催戦死者葬儀(合同葬儀)
たれ幕には「陸軍輜重兵上等兵…」「陸軍砲兵上等兵…」「陸軍工兵伍長…」などの文字が読み取れる。「輜重兵(しちょうへい)」とは軍需品の補給や陸上運送に当たった兵のこと。町主催で行われた戦死者葬儀(4名の合同葬儀)、会場は現在の南小学校講堂。
2020-03-06
41
下諏訪小学校南校雨天体操場建設
下諏訪小学校南校雨天体操場(講堂)内での関係者の記念写真。平成29(2017)年11月26日市民新聞に掲載された。
2020-03-06
42
下諏訪小学校南校雨天体操場建設
下諏訪小学校南校(現南小)雨天体操場(講堂)の外観を背景に関係者の記念写真 平成29(2017)年11月26日市民新聞に掲載された。 「下諏訪小学校南校雨天体操場落成記念 昭和6年10月28日」。 南校は大正13(1924)年低学年収容の校舎として開設されていた。
2020-03-06
43
出征兵士と家族写真
出征兵士と家族の記念写真、菅野町の武川運送。
2020-03-06
44
黒田町長就任記念写真
役場旧庁舎前。黒田新一郎町長と議員。第26代下諏訪町長、黒田新一郎氏は昭和33(1958)年から昭和45(1970)年まで3期12年間町長を務める。在任中、温泉開発、明るい町づくり運動推進、陸上競技場完成、社ヶ丘団地造成、星ヶ丘団地造成、八島高原の保全、町誌づくり、新庁舎建設等に尽力した。
2020-03-06
45
ハイヤー
大正12(1923)年丸ヨ自動車店浜義雄氏が東京でフォードを一台購入。 浜氏は中央線全線開通後、荒廃した和田峠線の整備に力を入れ、大正13年(1924)に貸切自動車営業を開始し昭和2(1927)年には和田嶺自動車株式会社を創立しバスが三往復運行するようになった。 この他に大正13(1924)年、湯田仲町ハイヤーサクラ自動車商会、大正15(1926)年菅野町に丸S自動車株式会社などが設立された。
2020-03-06
46
ダイヤ豆腐周辺の航空写真
当時景気が良かったダイヤ豆腐による航空写真。ダイヤ豆腐は線路横の煙突の立っている建物、現下諏訪南小学校前を通る田中線は砥川で止まっている。田中線の右端に小学校の校舎が見え、砥川の手前には昭和24(1979)年から整備されてきた総合運動所が見える。現在のジャスコ通りにあたる道沿いには昭和28(1953)年栄町から移転ひかり味噌が見える。線路下には、桑畑とりんご畑が広がっていた。
2020-03-06
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1
≫
下諏訪小学校(4)
和田峠(4)
記念写真(3)
下諏訪南小学校(3)
国道(3)
作業風景(3)
新道(3)
航空写真(2)
秋宮(2)
役場(2)
教育(2)
雨天運動場(2)
講堂(2)
公園(2)
湖岸道路(2)
和田嶺(2)
省営バス(2)
東俣(2)
観音沢(2)
木馬(2)
木材運搬(2)
東俣料材(2)
乗用耕運機(2)
水田(2)
しろかき(2)
代搔き(2)
荷馬車(2)
旧道(2)
国道142号線(2)
和田峠トンネル(2)
旧和田峠トンネル(2)
戦時中(2)
皇紀二千六百年(2)
戦勝祈願(2)
富士講(2)
御田町商業会(2)
ダイヤ豆腐(1)
ひかり味噌(1)
昭栄製糸(1)
田中線(1)
交通(1)
自動車(1)
ハイヤー業(1)
スポンサー(1)
黒田新一郎(1)
議員(1)
就任記念(1)
出征(1)
武川運送(1)
家族写真(1)
出征兵士(1)
記念撮影(1)
戦死者(1)
葬儀(1)
戦争(1)
奉安殿(1)
下諏訪中学校(1)
敬礼(1)
下諏訪町役場(1)
町営球場(1)
砥川(1)
グラウンド(1)
和田嶺を越える(1)
開発協会(1)
旧和田トンネル(1)
石投げ場(1)
運動公園(1)
マレットゴルフ(1)
ゆたんぽ(1)
高浜運動公園(1)
湖東村(1)
必勝米(1)
手水舎(1)
食料(1)
合併(1)
東山田(1)
東町(1)
変入(1)
境界線(1)
全線開通式(1)
下諏訪駅(1)
和田嶺開発協会(1)
薪炭運搬(1)
搬出(1)
開通(1)
奉安伝(1)
運動場南端(1)
施工(1)
地方事務所(1)
東山田バス(1)
東山田線(1)
農協(1)
廃止(1)
停留所(1)
飲食店(1)
美樹(1)
運(1)
スナック(1)
下ノ原(1)
句碑(1)
植樹(1)
名所(1)
桜(1)
はだし(1)
運動会(1)
北小(1)
はだし生活(1)
下諏訪北小学校(1)
24年目(1)
清掃運動(1)
川をきれいにする運動(1)
砥川中流域(1)
諏訪湖クリーン祭り(1)
湖岸(1)
艇庫(1)
望月楼(1)
漕艇場(1)
バス停(1)
高速バス(1)
新宿(1)
国道20号(1)
駅前公差点(1)
運搬(1)
山道(1)
注連掛(1)
板ナンバ(1)
桶ナンバ(1)
泥沼(1)
田舟(1)
諏訪市湖岸(1)
武運長久(1)
幟(1)
太平洋戦争(1)
出征軍人(1)
諏訪大社宮司(1)
警鐘楼(1)
取り壊し(1)
第一分団(1)
消防団(1)
金属供出(1)
空撮(1)
文化センター(1)
ガスタンク(1)
総合運動場(1)
荷車(1)
戦後(1)
買出し(1)
法被(1)
高浜公園(1)
サンアイ(1)
生鮮市場(1)
新田中線(1)
看板(1)
諏訪湖市場(1)
トロッコ(1)
保育園(1)
園児(1)
保育所(1)
寄せ書き(1)
富士登山(1)
休石(1)
天龍道人(1)
土田墓地(1)
中山道(1)
下諏訪宿(1)
本陣(1)
富部(1)
集会所(1)
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