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12021蓼科学⑦12/07たてしな町クイズ大会2021蓼科学⑦12/07たてしな町クイズ大会蓼科高校「蓼科学」2021/12/07(火) 「立科町ってどんなまち?」の第7回(最終回) 講師:前川道博(長野大学) 7回シリーズの単元「立科町ってどんなまち?」の第7回「たてしな町クイズ大会」。 ・13:55 たてしな町イントロクイズ 鈴木梓(長野大学学生) ・14:00 たてしな町クイズ大会 蓼科学の高校生が小学生にクイズを出題し地元を学ぶ  –クイズ1 A~D班 進行:前川道博(長野大学)  –クイズ2 E~H班 進行:芳賀宏(立科町地域おこし協力隊)  –クイズ3 ゴムサイ先生の石の標本 進行:前川道博 ・14:35 みなの感想を聞いてまとめ ・14:40 終了2021-12-10
2鳴石鳴石大和朝廷が東国支配を果たしたとされるのが、5世紀頃。その東国との主要道として設けられたのが、東山道である。この道の途中に雨境(あまざかい)峠がある。この周辺は現在でも多くの祭祀遺跡が存在しており、その最も象徴的なものが、鳴石である。 この巨石は鏡餅が重なっているかのような奇麗な形をしている。しかし調査によると、これは一つの石が割れたのではなく、本当に人工的に重ねられたものであるという。しかも2つの石とも別の場所から意図的に運ばれてきたものであると判明している。それ故にこの岩の上で何らかの祭祀が執り行われたものであると考えてもよいと言われている。 鳴石の名の由来であるが、風が強く吹く時にこの石が音を立て、必ず天気が悪くなるという言い伝えによるという。さらに、天変地異にまつわ2021-11-30
3立科パワースポット立科パワースポット鳴石に行くと、とても寒く木々が生い茂っています。 近くには「もうもう」があり運が良ければ牛さんに会えるかも!!2021-11-30
4鳴石鳴石鳴石は長門牧場を少しすぎたところにあるモウモウの少し奥にある石で、石自体は2個ある大きい石が重なったものです。 昔、風がふくと鳴ったから鳴石というようによばれるようになりました。この石が鳴る時は、必ず天気が悪くなると言うわれています。2021-11-30
52個の巨石??2個の巨石??蓼科山の溶岩が泥流(でいりゅう)によって移動してきた時、摩耗(まもう)して丸味のある滑らかな石になったもの。 思ったより大きくてちゃんと2つに割れていました。2021-11-30
6C班:計画:Tateshina's OCCULTC班:計画:Tateshina's OCCULT● 今日のまとめ   謎の神社には行けなかったから鳴石について調べた ●探検先2021-11-09
7令和2年度年間まとめ(ta2021)令和2年度年間まとめ(ta2021)ta2021 年間まとめ まず、岩石標本について学びました。岩石標本1つ1つを調べて蓼科学アーカイブにアップロードし、班ごと文化祭で発表するために模造紙にまとめたり、保科百助さんについてお話を聞きました。長野大学の前川教授の授業もありました。 次に中山道について学びました。中山道には創業の歴史がえる店や建物が沢山あります。芦田宿本陣には昔、江戸に行く殿様やお姫様が泊まっていったそうです。中には切腹する部屋などもありました。 次にぶどうについて学びました。立科町でぶどうを作っている中村さんからお話を聞きました。ぶどうは台風の被害を受けやすかったり、間引きをしたりと育てるのが大変ということを教えてもらいました。 次にりんごについて学びました。立科町でリンゴを作っている芝間さんからお話を聞きま2021-03-18
8令和2年度年間まとめ(ta2009)令和2年度年間まとめ(ta2009)ta2009  ❶一年間学んだこと まずDVDを見ました。六川長三郎勝家さんと保科百助先生についてのDVDを見ました。 自分は立科に住んでいるのである程度知っているつもりだったけど知らないことも出てきてまだ知らないことがあったので2人について詳しく学ぶことができました。 次に長野大学前川教授の授業を受けました。立科町や五無斎先生の岩石標本について学ぶことができました。百助先生が集めたたくさんの岩石にについて調べて蓼科学アーカイブや紙に書いて発表をしました。 次に中山道について調べて見学に行きました。自分が今まで行った事が無い所やいつも行っているような所についての歴史などを知ることができました。 次に芝間教男さんの立科でリンゴを作っている人の話を聞きました。 次に中村さんという立科でブドウ2021-03-18
9令和2年度年間まとめ(ta2019)令和2年度年間まとめ(ta2019)ta2019 ①一年間学んできた内容について 6月1日 授業が開始した。最初はオリエンテーションを行った。  6月2日 授業でタブレットを使い始めた。タブレットを使用して校内を撮影し、ネットにアップロードをした。この授業でネットへのアップロードの方法を学んだ。  6月16日 前川先生の授業が始まった。五無斎先生について話を聞いた。  6月22日 五無斎先生の残した岩石標本を調べ、写真と共にネットにアップロードした。  8月24日 調べた岩石標本を模造紙にまとめた。  9月7日 アップロードした岩石標本の修正をした。  10月12日 中山道について調べ始めた。 10月21日 中山道を見学するために計画を立てた。  10月28日 中山道を見学した。  11月2日 中山道見学のまとめをネットにアップロードした。  11月4日2021-03-18
10令和2年度年間まとめ(ta2017)令和2年度年間まとめ(ta2017)ta2017 「一年間学んできた内容について」 今、自分が住んでいる地域と、立科町の人口、気温、面積などの違いをresasというアプリを使って調べてプリントに書く。長野大学から前川先生が来て、大学のお話し、蓼科学アーカイブの作成をした。その蓼科学アーカイブには、蓼科高校で古いものや、風景などを、学校のパソコンを使ってアップロードした。蓼科学アーカイブには他にも、蓼科高校の初代校長であった保科百助(五無斎)さんが昔、集めたとされる岩石を、一つ一つ、細かく蓼科学アーカイブにアップロードをした。リンゴを栽培している芝間さんが蓼科高校に来て、リンゴの木についてや、なぜ長野県は、リンゴの木を育てるようになったのかなどのお話しを聞いた。ブドウを育てている中村さんが蓼科高校に来て、ブドウの一年についてや2021-03-18
11今泉今泉今泉は芦田七井戸の一つであり宝暦八年(1759年)の「芦田八ヶ略誌」によれば「今泉は明暦三年(1658年)浅野宮君御東下の供御用水となる。平素は鍵をとざして人の汲むを許さず神主今井式部大輔の水なり」とあり古くから由所ある湧水であることが証明される。 また今泉を含む芦田七井戸は当時は「七曜井(しちようい)」又「七星井(しちせいい)」とも言われ、鳥居井戸(正明寺裏にあり蓼科神社一の鳥居があった)、桜井戸(芦田の北裏)、今泉、和子井戸、赤沢井戸(赤沢前:現存しない)、中井戸(上五反田)、下井戸(下五反田)があたかも北斗七星の形に配置されていることから「七星井」ともいわれたとされ、その内の中井戸と下井戸の二ヶ所は古くから田用水に使われていたという記録がある。 今泉は昭和47年まで鉄平石で囲まれ2020-12-07
12馬頭観音馬頭観音馬頭観音とりあえず見つけづらい石 情報が無さすぎてわからない 民家に囲まれていた2020-11-30
13馬頭観音馬頭観音馬頭観音 【馬頭観音】と描かれた石碑 情報が無さすぎる為、辺りが民家だらけという事以外は分からない。2020-11-09
14茂田井 諏訪神社茂田井 諏訪神社もっと暗い感じかと思ったけど社内は明るいし、広くて、近くに小さい子用の遊具があった 一箇所に祀ってある感じの石があった 落ち着いた感じが心地よかった2020-11-02
15牧水の詩牧水の詩詩人が書いた詩が3つほど彫られていました 石の形も独特でなかなか大きいです 個人的には1番好き2020-11-02
16牧水の詩牧水の詩茂田井間の宿の門の隣にあります。 3つの詩が大きな石に刻まれています。 場所はとてもわかりやすいと思います。2020-11-02
17石割坂石割坂中山道の大きな岩を割って倒れるようにした所 坂がとても急な斜面でとてもびっくりした! 家の周りに坂があることがわかった!2020-11-02
18馬頭観音の石碑馬頭観音の石碑旧中山道にある3つある馬頭観音のうちの本陣に近い場所にある石碑。 古いものなのか文字の彫りが浅く、よく見ないと文字を読むことが出来ない。そのため見つける際に何度も通り過ぎる事になった。馬頭観音という名前のため、観音像が彫られていたりするのかと想像していたが実際は文字だけで、ある場所も一般の田舎道にポツンとある感じのものだった。2020-11-02
19石打場石打場石打場という場所は石打場公園という名前でした。 石打場公園は公園というよりかわ休憩所みたいな感じ でした。2020-11-02
20道祖神道祖神松が沢山植えられていた 道が1本道になっている ごみがなくって綺麗だった  石が古くいけど文字は綺麗だった2020-11-02
21石割坂石割坂立科町の中山道沿いにある過酷な坂2020-11-02
22石打場石打場看板があって周りに小石が沢山あった2020-11-02
23No.80(C-3-3) 輝石安山石(火成岩)No.80(C-3-3) 輝石安山石(火成岩)第八十號 輝石安山石(火成岩) 藤澤村 松倉ノ東端 明治四十一年六月採集2020-09-07
24No.35(A-1-3)硅岩No.35(A-1-3)硅岩半封石灰鉱求所2020-09-07
25No.85(D-3-1)鐘乳石No.85(D-3-1)鐘乳石鐘乳石 小野村(現在 辰野村) 明治四十一年六月採集2020-09-07
26No.26(A-3-2)絹雲母石墨片岩No.26(A-3-2)絹雲母石墨片岩産地:藤沢村 名称:絹雲母石墨片岩 松倉 明治四十一年六月採集2020-09-07
27No.47   (B-1-3)粘石岩No.47 (B-1-3)粘石岩第四十七号 石灰岩 明治四十七年六月採集 長野県 辰野町大字上島 横川2020-09-07
28No.38 (B-3-2) 石灰岩No.38 (B-3-2) 石灰岩第三十七号 石灰岩 明治四十一年六月採集 長野県 伊那市長谷各町 北半2020-09-07
29No.65(H-2-1)黒雲母花崗岩No.65(H-2-1)黒雲母花崗岩黒雲母花崗岩(火成岩) 富縣村 北福地東方石切場 明治四十一年六月採集2020-08-02
30No.73(C-3-1)輝緑石(火成岩)No.73(C-3-1)輝緑石(火成岩)輝緑石 (火成岩) 長藤村 明治四十一年六月採集2020-07-08
31No.29(A-1-2)石黒片岩No.29(A-1-2)石黒片岩産地:美和村 名称:石黒片岩 泉原南方五町黒川谷南岸 明治四十一年六月採集2020-07-08
32No.95(D-1-3)石織No.95(D-1-3)石織産地 三義村 坂山峠頂上 明治四十一年六月採集2020-07-08
33No.91(D-2-3)紅桂石(鉱物)No.91(D-2-3)紅桂石(鉱物)産地 藤沢村 (埼玉の西北部、大里郡に属していた村。) 御堂垣外 明治四十一年6月採取2020-07-08
34No.92 (D-2-4)紅住石No.92 (D-2-4)紅住石藤沢村 (現在 高遠村) 御堂垣外 明治四十一年六月採集2020-07-08
35No.74(C-3-2)輝緑石No.74(C-3-2)輝緑石輝緑石 (火成岩) 髙遠町 髙遠城址 明治四十一年6月採集2020-07-08
36No.84(C-3-4)方解石(鑛物)No.84(C-3-4)方解石(鑛物)方解石(鑛物) 東箕輪村 明治四十一年六月 東箕輪は現在の箕輪町大字東箕輪2020-07-08
37No.94 (D-1-2) 菫青石No.94 (D-1-2) 菫青石菫青石(紅柱石ヲモ含ム) 東箕輪村 長岡新田東方二十町辺 明治四十一年六月採集しろよ!2020-07-08
38No.86(D-3-2)霞石No.86(D-3-2)霞石産地 美和村 オガチ谷口付近 明治四十一年六月採集2020-07-08
39No.93 (D-1-1) 紅柱石No.93 (D-1-1) 紅柱石紅柱石(鉱物) 西春近村 西春近村は現在の伊那市 西春近 藤沢川一ノ沢 明治四十一年六月採集してな?2020-07-08
40No.96 (D-1-4)石墨No.96 (D-1-4)石墨鬼那村 栗林 41.62020-07-08
41No.39(B-3-3)石灰岩No.39(B-3-3)石灰岩第三十九号 (古生大統) 東箕輪村(長野県上伊那郡箕輪町) 長岡新田熊倉 明治四十一年六月採集2020-07-08
42No.28(A-3-4)石墨片岩No.28(A-3-4)石墨片岩(太古大統) 長藤村 中在 明治四十一年六月採集 長藤村は現在の伊那高速町長藤2020-07-08
43No.27(A-3-3)石墨片岩No.27(A-3-3)石墨片岩第二十七号 石墨片岩(太古大流) 高遠町 大明神東北十二町 山室川沿岸 明治四十一六月採集2020-07-08
44No.10 (F-3-2)糖晶質石灰岩(太古大統)No.10 (F-3-2)糖晶質石灰岩(太古大統)・河南村 ・明治四十一年六月 採集 ・河南村(かなみむら)は長野県上伊那郡にあった村。現在の伊那市高遠町中心部の南方一帯、三峰川左岸にあたる。 ・廃止日1964年4月1日 ・廃止理由 編入合併 高遠町、河南村 → 高遠町2020-07-08
45No.11(F-3-3)糖晶質石灰色岩(太古大統)No.11(F-3-3)糖晶質石灰色岩(太古大統)第十一號 《名称》 糖晶質石灰岩(太古大統) 〜記述内容〜 藤澤村(長野県上伊那郡にあった村。現在の伊那市高遠町藤澤にあたる。) 水上藤沢川西側  山腹  明治四十一年(西暦1908年)六月 採集2020-07-06
46No.09(F-3-1) 石灰岩(太古大統)No.09(F-3-1) 石灰岩(太古大統)・第9號 《名称》 ・石灰岩(太古大統) 〜記述内容〜 ・富縣村(長野県上伊那郡にあった村。現在の伊那市富県にあたる。) 明治四十一年(西暦1908年)六月採集2020-07-06
47No.12(F-3-4)糖晶質石灰岩No.12(F-3-4)糖晶質石灰岩糖晶質石灰岩 (太古大統) 中澤村 落合 明治四十一年六月採集 中沢村(なかざわむら)は長野県上伊那郡にあった村。現在の駒ヶ根市大字中沢にあたる。2020-07-06
48No.81(C-1-1)紫蘇輝石富士岩(火成岩)No.81(C-1-1)紫蘇輝石富士岩(火成岩)紫蘇輝石富士岩 (火成岩) 美篤村 天神山 明治四十一年六月採集2020-07-06
49No.90(D-2-2)石榴石No.90(D-2-2)石榴石産地河南村 (現在石川県江沼郡に存在した村) 記述内容 勝間ョケ   明治41年6月採取2020-07-06
50No.89 (D-2-1) 柘榴石No.89 (D-2-1) 柘榴石柘榴石(鉱物) 赤穂村 赤穂村は現在の駒ケ根市の天竜川以西 上穂澤川上流 明治四十一年六月採集siroya2020-07-06
51No.31(Aー2ー3)石英片岩No.31(Aー2ー3)石英片岩半封石灰鉱求所2020-07-06
52No.82(C-1-2)三角介(中生大統白壺原ノ標準化石)No.82(C-1-2)三角介(中生大統白壺原ノ標準化石)三角介 美和村 小黒川上流 デイ沢口ヨリ南四町 明治四十一年六月 美和村は現在の伊那市長谷町2020-07-06
53No.05(F-2-1) 砂質片麻岩(太古大統)No.05(F-2-1) 砂質片麻岩(太古大統)・第5號 《名称》 ・砂質片麻岩(太古大統) 〜記述内容〜 ・西箕輪村(長野県上伊那郡にあった村。現在の伊那市西箕輪にあたる) ・興地ノ南方小沢 ・川ノ沿岸 ・明治四十一年(西暦1908年)六月採集2020-07-06
54No.85(D-3-1)瞳乳石No.85(D-3-1)瞳乳石名称 瞳乳石 産地 小野村(現在の長野県辰野町) 記述内容 明治四十一年6月採集2020-06-24
55No.03(F-1-3)黒雲母片岩(太古大統)No.03(F-1-3)黒雲母片岩(太古大統)第三號 ≪名称≫ 黒雲母片岩(太古大統) ~記述内容~ 中澤村(長野県上伊那郡にあった村。現在の駒ヶ根市大字中沢にあたる。) 落合  明治四十一年(西暦1908年)六月 採集2020-06-23
56No.87(D-3-3)卓石No.87(D-3-3)卓石卓石美和村 明治41年六月採集 東駒ケ岳2020-06-23
57No.79(C-1-3)輝石安山岩(火成岩)No.79(C-1-3)輝石安山岩(火成岩)輝石安山岩 朝日村 上野川谷 明治四十一年六月2020-06-23
58No.88 (D-3-4) 卓石No.88 (D-3-4) 卓石卓石(鉱物) 藤沢村 藤沢村は現在の伊那市 水上藤沢川西側 山腹 明治四十一年六月採集したよ?2020-06-23
59No.01(F-1-1) 黒雲母片岩(太古大統)No.01(F-1-1) 黒雲母片岩(太古大統)・第一號 《名称》 ・黒雲母片岩(太古大統) ~記述内容~ ・高遠町 ・天女橋南畔 ・明治四十一年六月採集2020-06-23
60学校の石垣学校の石垣 見ての通り学校の石垣、ここだけ見るとお城の石垣に見えなくもない。雨が降るとそこそこ雅...かもしれない。2020-06-22
61蓼科高校100周年蓼科高校100周年蓼科高校の100周年の石です。2020-06-16
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