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立科町ってどんな町? 2022
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地学標本第2集
立科町探検隊
中山道
蓼高スポット紹介
授業日誌
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登録日順
登録リスト(該当:15件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
大澤酒造
中山道の望月宿と芦田宿の間にある間の宿茂田井宿にある日本酒製造業者。 1689年(元禄2年)より酒造を始めた。 お酒の匂いがすごく、2階へ行くと色々なものが置いてあり 凄かったです。お友達と思い出としてスタンプを押してきました!
2020-12-07
2
茂田井 諏訪社
現在の社殿は、江戸時代末期の文化15年(1818)に茂田井の宮大工・田中圓蔵が建てたものです。立科町茂田井地区にある諏訪社は諏訪神社の分社であるそうです。 立派な鳥居があり、暗い感じだと思っていたら明るく隣の庭には遊具がありいい場所でした。
2020-12-07
3
茂田井の諏訪神社
案内板によると初代立川和四郎富棟の弟子の田中圓蔵(1774−1851)が建てたとなっています。文脈から考えれば棟梁は圓蔵ですが、彫り物が誰の作なのかは明確な記述はありません。 案内板に詳しく書かれています。
2020-11-30
4
高礼所
江戸時代、庶民に法令を徹底させるため、高札が掲げられた 。
2020-11-09
5
諏訪神社
立科町茂田井地区にある諏訪社は諏訪神社の分社である。 諏訪神社の祭神は、建御名方命(たてみなかたのみこと)である。この神は、出雲系諏訪族の祖先として諏訪の上下二社に奉斉され古く南宮ともいった。諏訪神社を中心とする諏訪信仰は全国的であり、その分社の数も非常に多い。 茂田井の諏訪社の創建年は不明である。この神社に関する最も古い記録は天正16年(1588)当時の小諸藩主松平康国(芦田城主依田信蕃の子)が、蓼科神社の神官今井曽五郎にあてた書状がある。この神社を「毛田井之宮(もたいのみや)」として「神領を遺わしておくからには一騎の軍役を勤め、宮の修理、祭、祈念を怠ってはならない」とある。 現在の社殿は、江戸時代末期の文化15年(1818)に茂田井の宮大工・田中圓蔵が建てたもので上尾の中の本殿は一間
2020-11-09
6
茂田井諏訪社
諏訪神社の分社の一つ。祭神は建御名方命(たてみなかたのみこと)。付近には遊具があり、同じ敷地内に小さな公園があった。周囲は整備されていて、全体的に綺麗だった。
2020-11-09
7
神明社
1709年に茂田井村初代名主である大澤茂右衛門が願主となって建立した高床式倉庫から発展した神社。 神社へと続く階段があったが、長いこと整備されていないのか草木が生い茂っていて、境内へと入る事ができなかった。
2020-11-09
8
一里塚
旅行者の目印として大きな道路の側に一里毎に設置していた塚。 茂田井の一里塚は周囲が広く看板も立っており、存在感を放っていました。
2020-11-09
9
武重本家酒造
中山道の間の宿茂田井宿にある。伝統的製法である生酛造りが特徴。
2020-11-02
10
茂田井 諏訪神社
もっと暗い感じかと思ったけど社内は明るいし、広くて、近くに小さい子用の遊具があった 一箇所に祀ってある感じの石があった 落ち着いた感じが心地よかった
2020-11-02
11
牧水の詩
茂田井間の宿の門の隣にあります。 3つの詩が大きな石に刻まれています。 場所はとてもわかりやすいと思います。
2020-11-02
12
トイレの神様
歩いている時に見つけたトイレの神様がいると言われてる トイレ
2020-11-02
13
茂田井間の宿マップ
歩いている時に見つけた茂田井マップ
2020-11-02
14
茂田井方面の道祖神
一般道の脇に建っている
2020-11-02
15
茂田井間の宿
茂田井間の宿は、中山道の道や昔の家。 最初は泊まるところだと思っていたけど、実際行ってみて本当の茂田井間の宿が分かってよかった。
2020-11-02
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茂田井 (1)
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茂田井宿(1)
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