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1身延線の開通身延線の開通明治38年あたり、以前の富士川鉄道を企画した資産家をはじめ、甲州の資産家らが賛同し、「富士身延鉄道株式会社」を設立した。この計画では以前の、富士市の岩淵から富士川の流域に沿って甲府までというコースから富士宮市大宮地区の経済発展を考え、富士から大宮を通り甲府に向かうルートで計画された。そのため、甲府までの鉄道の用地買収に加えて、先ほども説明した富士馬車鉄道の権利の買収を行なった。 日蓮宗の総本山である身延山参拝を鉄道計画の一つの目的としていたため、富士身延間の工事をまず行った。富士大宮間は問題なく開通された。しかし、大宮から芝川、そしてその北部の工事がはじまると、第一次世界大戦と重なり物価の異常な高騰により、建築資材の調達、用地買収が難しくなっていき、中断を余儀なくされてしま2022-02-05
2富士地区の経済発展の成り行き富士地区の経済発展の成り行き明治18年、富士地区で富士製紙株式会社の影響により、紙の資源となる富士山麓の木材を効率よく輸送するため、富士市から富士宮市大宮までの「富士馬車鉄道」が開業される。その後さらなる効率化を目指し、大宮から人穴まで富士軌道を開業し、この影響により、富士地区の経済は発展していった。 このころ、鉄道の開通の出願が増えており、この富士地区の鉄道計画に関して資産家らが「富士川鉄道」を設立し、国からの免許が下りたが、日清戦争により経済が悪化し、結局富士川鉄道に対して運行の免許が取り消されてしまった。2022-02-05
3馬車鉄道石碑馬車鉄道石碑何故かミニストップ(コンビニエンスストア)の裏にある石碑。明治時代に鉄道が栄える前に存在していた馬車による鉄道の停車場跡地。 歴史の存在を思わせる。2021-05-06
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