12月15日分 調査まとめ
開国後の日本による生糸輸出と上田の関わりについて
上田藩主・松平忠固と生糸輸出
鎖国を解き、開国を果たした日本が世界に進出する際に大きな武器となった生糸の輸出。それに多大な貢献をした人物が松平忠固である。六代目上田藩主、幕府の老中も務めた松平忠固は、日本開国のきっかけとなった日米和親条約の締結に関わりがあった。この開国をきっかけとして、忠固は上田藩の特産品を諸外国に売ることで利益を上げようとしていた。
その中で注目されたのが上田の「生糸」である。雨が少なく乾燥した地域である上田は江戸時代ごろから蚕種業が始まっており、のちに蚕種業の発展に大きな貢献をした「藤本善右衛門」の家系が先駆けだと言われている。忠固は生糸の輸出を行うことを決め、生糸輸出による利益に多大な影響をもたらした。
参考サイト
藤本善右衛門https://museum.umic.jp/jinbutu/data/028.html
上田蚕種株式会社https://ueda-sanshu.com/history/
蚕都上田ものがたりhttps://www.mmdb.net/santo-ueda/mono/cn1/pg45.html
幕府老中・上田藩主 松平忠固史
https://www.matsudairatadakata.com/news/kiito/
自由大学運動と上田
自由大学運動とは、1920年~からの大正デモクラシー期に起こった、地域民衆による自主的な教育活動である。この運動の広がりは、上田市に興った「信濃自由大学」が発端とされている。この学校は農村に住む青年たちの「学びたい」という意欲に応えるもので、青年たちは農閑期を利用し講義を受けていた。(次週へ)
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投稿者 | こた |
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