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2022信州上田学テキスト
2023信州上田学テキスト
その他
最初の投稿
登録リスト(該当:26件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
十福の湯
上田市の真田町ににある温泉。標高975mの高さにあり、大きな露天風呂は開放感がありとても快適に温泉を楽しめる。また館内のご飯も美味しいので是非食べてみて欲しい。
2024-05-10
2
公園前駅
公園前駅は上田城跡公園に架かる二の丸橋の下にあった真田傍陽線の駅です。真田傍陽線とは、1972年まで上田駅と旧真田町にあった真田駅、傍陽駅を結んでいた鉄道路線です。この駅は上田城の堀の跡に駅が設置され、現在でもホームや架線の跡、駐車場に転用された線路跡を見ることができます。ちなみに城跡公園の北西の堀の跡は野球場、陸上競技場に転用されています。
2024-02-10
3
2011年3月「新生上田市5周年」
2011/03/22の記録。 平成の大合併により、新生上田市がスタートしたのが2006年3月6日。それまでの上田市は丸子町、真田町、武石村と対等合併し、新たな上田市となりました。 2011年3月、上田市役所には「祝・新生上田市5周年」の垂れ幕が掛けられていました。この旧市庁舎は現在は新庁舎になっています。変わる前の市役所の姿の記録ともなっています。
2024-01-21
4
上田市真田町にある温泉、十福の湯
少し山にありますが、大きくて家族でも楽しめる温泉です。また、山の中にあるので木が紅葉でいい感じに色づいていていい景色だと思うのでぜひ行ってみてください。 地蔵温泉十福の湯は長野市と上田市を結ぶ、地蔵峠山頂標高975mの日帰り温泉で、とても開放的な露天風呂となっていて長時間楽しめる居心地の良い温泉となっています。 また、信州産の食材をつかった。
2023-11-29
5
はじめに
上田市によると、『平成18年3月6日に、旧上田市、旧丸子町、旧真田町、旧武石村の1市2町1村が合併し、新しい「上田市」が発足しました。』とある。そのため上田の過去の資料を調査するにあたって上の4地域に分割して比較していく。 参考 ”合併(平成18年3月6日)に関すること”,上田市,2019-12-12https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/gyokan/6028.html(2023年1月27日閲覧)
2023-01-27
6
12月22日分 調査まとめ
上田城の築城・歴史 「日本一の兵」真田幸村を輩出した真田氏は、現在の上田市真田町の周辺を拠点として活動していた。上田城の築城が開始されたのは1583年のことで、真田幸村の父である真田昌幸によって築城が開始された。当時徳川家康に仕えていた昌幸は、その援助を受けながら築城をしていた。しかし、北条と手を組もうとする徳川から土地の受領を要請された際にこれを拒否。徳川と断絶した昌幸は、上杉家に助力を求め次男の幸村を人質に差し出す。これにより、上杉方から戦力と築城の支援を受けた。上田城が一旦の完成を迎えた1585年、家康は鳥居元忠らを真田領に進軍させ「第一次上田合戦」が始まった。およそ1万の軍勢で進軍してきた徳川軍を昌幸は謀略を用いて少数の軍勢で撃退した。時は流れて関ヶ原の戦い最中の1600年、家康の息
2022-12-22
7
山家神社
上田市真田町長にある山家神社です。「白山大権現(はくさんだいごんげん)」と称えられ、ご利益としては上田城鬼門除けの神として広く信仰されています。
2022-12-05
8
アリオ神社
2021年12月28日にアリオ上田に設置された通称アリオ神社。本当の名前は「四阿流尾神社(あずまやりゅうおじんじゃ)」といい、上田市真田町長にある「山家神社」の分祀だそうだ。 社の大きさは横68㎝、奥行き88㎝、高さ約100㎝で総ヒバ造り。真田町の建築業者が設計し、武石村の大工が建築した。 山家神社の始まりは、食物の実り、郷の安寧、人々の無事を大きなしぜんのなかの一部として生かされていることに感謝し、祈りを捧げ掌を合わせたことである。 主祭神は国造り、国護り神話の中心的な神である大国主神、対偶神の伊邪那伎神との国生み、神生みの伊邪那美神、伊邪那伎神が伊邪那美神を追って黄泉国に到り、そこから逃げ帰ろうとして、黄泉平坂で争った際、間に立って二神の調停をした菊理媛神である。 神社の隣には
2022-11-30
9
上田別所線の歴史
かつて、この上田盆地には、北は真田町(現上田市)、南は丸子町(現上田市)、西は青木村と縦横無尽に鉄路が張り巡らされ、その全長は57.2kmに及びました。そうした鉄路も今や別所線11.6kmを残すのみとなっています。 これは当時の北東線 公園前駅の写真。
2022-02-07
10
身代わり地蔵
昔真田町にやぶやの長者という金持ちがいた。その家では、こふじと呼ぶ下女がいた。こふじは、主人の長者に弁当を届けに行った。その途中に地蔵様が祭られていたので、こふじは弁当からすこしとっておそなえをした。 さて、弁当を開けた長者はおどろいた。こふじが弁当を食べたと思い込み、焼けた火ばしでこふじをたたいた。その時不思議なことにこふじの姿は消えてしまった。 そのあと、地蔵様を見るとたたかれた跡が残っていた。 地蔵様が信心深いこふじの身代わりになったのだった。
2023-05-06
11
標高605m
上田駅発の菅平線バスに乗り、揺られること20数分… スポットライトに照らされた「幸村の里」の大きな看板を目印に、降車を決意しました。 降りたのは「殿城口」というバス停でした。 この写真は、歩道を歩いていて目に入ってきた看板を撮影したものです。上田市は上り坂も下り坂も多く、山の上にいる事を体感しますが、こうして看板を見ると、より山の上にいることを実感します。
2021-12-15
12
山道の役割
色々な山道を通ってきてわかってきたことは、町から町へ通り抜けるための山道と、ドライブスポットとしての山道に分けられることだ。 通った道の例を挙げると、前者は鳥居峠や新地藏峠が当たる。しかし、新地藏峠に関しては真田町やそれより北の地域から長野市に行くときは近道になるが、上田市街地からなら街中を通った方が近道になる。 後者は、美ヶ原公園西内線・長野県道178号・ビーナスライン、記事には上げていないが室賀峠等が挙げられる。 平地の道路網が発達するにつれ、走りにくく時間のかかる峠道の使用率は減り、廃道化の進む道が出てくるのだろう。
2021-12-17
13
そば処 倉乃
上田市真田町渋沢標高1000mの霧下で、自家栽培、自家製粉したそば粉を、四阿山からの湧き水で打つ拘りの手打田舎そばのお店です。別所温泉の途中にあるのですが、別所温泉は上田市街地とは離れているため、目にする機会が少ないと思うので、投稿を通じて色んな人に知っていただけたらと思います。
2021-07-23
14
[14/09/11]山家の「真田氏館跡」
枡形道路とたつ道を進むと民家の石垣にぶつかりT字路となります。余談ですが、このような傾斜地に広がる集落がどことなく和歌山県の九度山に似ていることを想起しました。 この民家のある土地が平らに整地されていることから、ここに館があったという推定が興味を引きます。さらに、ここが真田氏の館跡であるという仮説もワクワクするようなものです。 真田氏の館跡はすでに真田町の各所で見てきました。角間の館跡、ここ山家の館跡、お屋敷公園の館跡、伊勢山にも館跡があったらしい。真田氏は角間から次第に低い方へと移り、やがて上田城へ。やがて真田信幸の代になり、上田藩主居館跡に、更にその後は松代へ移ることになります。この変遷をたどるだけでも実に興味深い。
2021-05-01
15
[14/09/11]長村役場等の跡、山家神社
向畑遺跡から山家神社へ移動しました。山家神社へは過去にも訪れたことがあり、この時は一時休止しただけです。山家神社の駐車場が長村役場跡です。真田自治会による説明板のおかげで歴史がよくわかります。 2009年(平成21年)までここに旧役場庁舎があったことも驚きです。
長村役場・農協・駐在等の跡
「長村」は明治9年5月大日向・横沢・真田・横尾4か村が合併して誕生した。 当初の役場庁舎は、明治元年の神仏分離令により廃寺となった白山寺の一部があてられていたが、ここに庁舎が新築されたのは明治36年。昭和33年に真田町に合併されるまで、改築を経て村政が執行された。 当時から長村の中心地として役場の他、農協や警察官駐在所などがあった。 旧役場庁舎は平成21年に取り壊された。 平成
2021-05-01
16
[14/09/11]安智羅明神
日向畑遺跡に行くつもりで安智羅明神に先に立ち寄りました。史跡「安智羅様」の看板に誘導されました。祠と鳥居が建っています。その手前には門石のような石柱が2つ建っています。「辛亥九月建立」と読めます。辛亥(しんがい)と聞くと先に「辛亥革命」を連想してしまうせいか、「辛亥九月」には違和感がありました。これは干支のイノシシという意味のようです。イノシシ年9月…何年をさすのでしょうか。 角間自治会による説明板の存在が実にありがたい。この説明を見て安智羅明神を理解しました。
安智羅明神(あんちらみょうじん)
鎮座地 上田市真田町長角間 この地は真田家の古いお屋敷跡で松尾古城のふもとに位置する。 神社のご神体は真田幸隆の幼少の姿を写した像と伝えられている。 ※創立は一五三〇年(
2021-05-01
17
[14/09/11]角間渓谷・山神宮と角間配水池
角間渓谷の角間集落と角間温泉のほぼ中間地点に「山神宮」があります。これについては何の基礎情報も持ち合わせていません。そのほぼ向かいに「真田町水道 新角間配水池」という施設があります。上水道の水源となっているようです。 山神宮の前には「熊出没注意」の注意書きが出されています。
2021-05-01
18
[14/09/11]真田町の真田→横沢を進む
まさに里山の秋、収穫の秋です。稲が黄金色の実をつけて稲穂の先が垂れ下がってきました。収穫も間近いことでしょう。 真田氏発祥の地とされるのがこの周辺、旧真田町真田です。標高730mですから、上田城よりさらに300mほど高い位置になります。 上田から菅平へと続く国道144号線から一歩集落の中に入ると傾斜地に展開する独特の景観に変わります。何度訪れてもどこがどこなのかがよく記憶できません。道が曲がり、似たような傾斜地の特性を持っていることに一因があります。
2021-05-01
19
[14/09/11]真田町を進む、途中駅前食堂
旧真田町に入って間もなく「駅前食堂」が右手に見えてきます。この店名が面白い。かつて鉄道・真田傍陽線が通っていたときにここに駅があったことに由来しています。隠れスポットとして知っておくと訪れたときに楽しいです。ただしこの時は通過しました。 最初に向かった先は真田氏歴史館です。
2021-05-01
20
[14/09/11]ようこそ真田の郷へ、途中伊勢山バス停
真田氏発祥の地「真田」は上田の市街地からはやや遠く、菅平高原に行く途中にあります。上田市街から行くとずっと登り坂になります。そうした坂の途中に伊勢山バス停があります。 このバス停は映画『サマーウォーズ』で描かれたことから同映画の聖地巡礼の地として知る人ぞ知る隠れスポットとなって久しくなります。 伊勢山バス停を過ぎると「ようこそ真田の郷へ」の看板が見えてきます。ここからがいよいよ「信州真田」です。上田市に真田町が合併する前の町域となります。
2021-05-01
21
うちいれ
うちいれは(画像右)上田盆地の懐かしいふるさとの味として愛されていたようですが、地粉が手に入りにくくなったことや手間がかかることから現在は忘れられて来てしまっている料理だそうです。 材料は、小麦粉、かぼちゃ、はくさい、にんじん、だいこん、じゃがいも、煮干し、みそを使用し作られ多くの野菜が入った麺料理です。 お米の少なかった昔に夜食としてうちいれがよく食べられていたそうです。 ※うちいれの写真は本に掲載されていなかったため上田市真田町にある「真田庵」で提供されているうちいれをネットから 参照URL:
さなだんごの旅 真田ファンの旅づくり応援サイト
参考図書:「つけものの味ふるさとの味」長野県農業改良協会(p.342)
2021-01-27
22
海野町通り(1913年)
1913年(大正2年)に撮影された海野町通りの写真である。 海野町商店街がある場所は海野町通りとも呼ばれている。1913年の海野町通りは海野宿を思わせる町並みをしている。 この写真は、西側から東側に向けて撮られており、荷車や着物姿の子供が多く見られる。 また、左側に「喜光堂茶舗」という名前が見える。これは、現在もあるお茶屋喜光堂の店舗である。 画像は海野町通り,「写真集上田いまむかし:上田市・丸子町・真田町/郷土出版社編」,郷土出版(1980年2月18日),P50より引用 現在の喜光堂 URL「
http://www.d-commons.net/uedagaku/detail.php?id=3954
」 現在の海野町商店街(2021年) りらっくすさんのサイト みんなで作る信州上田デジタルマップ
2021-01-26
23
海野宿と海野町商店街の関係性
・なぜその探求テーマを選んだのか 私の住んでいる長野県東御市には、江戸時代に北国街道の宿場だった海野宿がある。また、長野県上田市には、海野町商店街という商店街がある。海野宿も海野町商店街も隣り合っている市にあるため近く、海野という名前が共通しているため、何か関係があるのか気になった。そのため、この探求テーマを選んだ。 ・何を探求しアウトプット化するのか 海野という名前の由来や関係する人物、事柄に関して調べ、海野という名前から東御市の海野宿と上田市の海野町商店街の関係性を探求し、アウトプット化したい。 ・具体的にどのような資料を調べるか 長野大学附属図書館の資料と東御市や上田市の市のWebサイトを調べる。 長野大学附属図書館にあり、調べる予定の資料 ・上田市誌 / 上田市編さ
2020-12-21
24
真田山種月院長谷寺
曹洞宗の寺院 長野県上田市真田町長4646番地 真田幸隆と真田昌幸の墓があります。 2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の頃に道路や駐車場など整備され、行きやすくなりました。 春にはしだれ桜が見事です。 今(7月)は、紫陽花の季節です。 本堂の扉が閉まっているので、自分で開けて参拝します。本堂に上がってお参りできます。 終わったら必ず閉めます。山のお寺なので、野鳥や動物が入ってしまうそうです。 写経を奉納し、御朱印をいただきました。
2020-07-24
25
『上田市誌』(全31巻 2004年)目次
『上田市誌』全31巻 発行:2002~2004年 編集者:上田市誌編さん委員会 発行者:上田市、上田市誌刊行会 以下から各巻の目次と奥付が参照できます。なお、対象の「上田市」は2006年の合併以前の旧上田市が対象です。
第01巻 自然編(1)上田の地質と土壌
第02巻 自然編(2)上田の気象と川や湖
第03巻 自然編(3)上田の動物と植物
第04巻 歴史編(1)上田盆地のあけぼの
第05巻 歴史編(2)上田の弥生・古墳時代
2020-06-27
26
流域潤す水源 四阿山
新入生の清水国寿です。専門は建築設計ですが、それにこだわらず、上田地域の様々、色々、あるあるを求めて学んでいきたいと思います。よろしくお願いします。 さて、今年6月1日に真田地域群馬県境にある四阿山(2354m)に登ってきました。四阿山は上田地域千曲川右岸を潤す神川の源で、山頂より東側に降った雨は太平洋に注ぎ、西側は日本海に注ぐまさに日本の分水嶺です。真田町長(おさ)の山家神社の奥宮が山頂にあり毎年この日が例祭(開山祭)です。今年はコロナ禍により規模縮小、参加者は少人数でしたが、写真は昨年(2019)の例祭の様子。巫女さんが舞を奉納し、命のもととなる水に感謝し五穀豊穣を願います。 来年は、このように多くの人たちが登頂できるように祈ります。 上田地域の水源、水事情を探検していきたいと思ってい
2020-06-14
≪
1
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歴史(5)
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上田(2)
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