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登録リスト(該当:33件)
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1
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タイトル
説明
登録日
1
記録集「若者たちへの伝言」作成
「若者たちへの伝言」記録集の作成に取り組んでいます。 昨年に引き続き今年も、太平洋戦争時代の人々の暮らしについて調査します。 戦争体験者からの聴き取り調査、戦争遺跡のフィールド調査、戦争疎開についてなどについて、まとめた記録集を作成しました。
2023-11-20
2
現役の蚕種製造企業:上田蚕種株式会社
上田蚕種は1918年(大正7年)に創業後、世界恐慌、太平洋戦争などの激動の時代を経て日本の蚕種製造を支えてきました。現在も蚕種製造業を営んでいる数少ない企業の一つです。 2023/06/15記録。 現役の蚕種製造企業は上田蚕種(上田市)、高原社(松本市)、冨田蚕種(福島県伊達市)の3社のみです。
2023-06-17
3
花岡みよし
花岡は、明治25年鍛冶町に生まれた。太平洋戦争の終戦を期に、女性の積年の願いであった婦人参政権が認められ、昭和21年の総選挙は女性の初参加で行われ、国会の女性議員は39名という驚異的な結果となった。女性の政治への進出は地方にも波及し、「女性議員を出そう」の機運は上田でも高まっていった。市議会議員候補者に何人か上がったが、最後はともに婦人団体活動でリーダーを長く経験した花岡と金子ふじが候補者として選ばれた。 女性の権利が認められていないことが多い時代に女性が活躍していけるように努力を続けた人だった。 参考…上田人物伝 https://museum.umic.jp/jinbutu/data/023.html
2023-02-08
4
大東亜戦争完遂映画会(『西塩田村公報』第5号4項)
農村でも映画会を開き、戦果を伝え、国民の団結力と忠誠心を強めていたと考えると、いかにマスメディアが戦争に利用されていたかが分かる。 上映されていたものはおそらく大本営の戦果発表だと思われる。そのアーカイブはNHKの戦争証言アーカイブス、戦時録音資料で参照できる。 この記事が書かれた当時(1942年5月22日)は、日本軍が優勢であったとされる。アジア・太平洋戦争の転換期であるミッドウェー海戦はこの新聞が発行されて約2週間後に起こる。 NHK「戦争証言アーカイブ 戦時記録資料 勝利の記録」
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/sp/list.cgi?cat=kiroku
2023年1月25日閲覧 ▼この記事は以下から参照できます。
#930 『西塩田村公
2023-01-25
5
無言館
日中戦争、太平洋戦争で亡くなった役130名の画学生の作品が展示してあります。画学生の魂が込められた作品は作者を思うと大変心が痛みましたが、同時に目が離せませんでした。第2展示館入口にある絵筆のベンチ(3枚目の写真)は最初見たとき、なんなのか分かりませんでしたが、彼らの筆なのだろうかと思うとなんとも言えない気持ちに襲われました。
2022-12-05
6
青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】
太平洋戦争が終結した際の日本国内の様子が書かれている。自分にとっては教科書的な内容であった国民主権や思想良心の自由への移行への国内の動向を知ることが出来た。今では当たり前にあるような考え方も当時は反発もあったようだ。現代とギャップが非常に興味深いものだった。
2022-12-25
7
青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】
これは当時の太平洋戦争が終わりポツダム宣言を受諾した日本の意見が良く分かる記事です。おそらくこの記事のようにポツダム宣言に賛成した派と否定派で激しく争ったように感じ取れます。そのような昔の雰囲気を感じ取れる記事として面白く思えました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #985 『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg
2022-12-21
8
無言館
太平洋戦争などで戦死した画学生の遺作や遺品を展示する、戦没画学生慰霊美術館 無言館。 今年の24時間テレビのスペシャルドラマの題材にも取り上げられていたため以前から興味があり、今回初めて訪れることができた。 「自問坂」という大変急な坂道を上った先の、コンクリート造りで静けさに包まれた館内には、画学生が出兵前や戦地にいる間に描いた作品や家族に送った手紙、画材などが展示されている。遺族が語る画学生の人物像や彼らとの思い出とともに作品を眺めることで、彼らが必死に作品に込めた家族や故郷への愛、絵画・彫刻への情熱を受け取れた気がした。
2022-11-30
9
「若者たちへの伝言」記録集の作成プロジェクト
信州上田学 地域パートナー連携事業 太平洋戦争時における日常生活の体験・エピソードを学生たちが聞き取りをして記録集にまとめました。 第1部: 学生たちによる戦争体験者への聞き取り調査 (戦時下の日常生活や戦争体験など、当時のリアルな状況を聞き取り) 第2部: 上田市内に残る戦跡調査 (学生たちが、忘れらつつある戦争遺跡を調査しました) 第3部 調査研究の振り返り 上田市内の小学校・中学校・図書館に配布しました。
2022-09-12
10
長野飛行場跡地
長野県長野市大豆島には長野飛行場の跡地があります。長野飛行場は昭和14年に開場され、東京や大阪などに定期便が運行し、その2年後の昭和16年に軍用飛行場として利用されるようになりました。しかし昭和20年、太平洋戦争によって長野市は空襲に遭い、飛行場とその周辺の民家にまで被害が及びました。 戦後は民間飛行場としてセスナ機や鉄道機関、長野県警のヘリポートとして利用されていましたが、平成2年に閉鎖されました。現在は中学校や住宅が立ち並んでおり、一目見ただけでは跡地だとは分からないのですが、当時の滑走路は現在も道路として残っています。 現在の日本は戦争とは無縁のような社会ですが、この飛行場の歴史を知って、戦争というものを少し身近に感じました。
2022-08-09
11
キュレーションのまとめ
電線の無電柱化は、景観の向上・災害時の被害の軽減・防災時に自治体が緊急輸送路に指定している道路のためなど、自然災害が多く観光や地域文化や歴史を大切にしている日本にとって、これからの日本の未来を担う大切な取り組みだと感じた。 電線と電柱は太平洋戦争終戦後、戦後の日本の経済復興として、急増する電力や通信需要を支えるためにたくさん建てられてきたものです。そのため、経済のために活躍してきてくれた電線と電柱に感謝しながら、次世代の無電柱化の日本をこの上田市も積極的に目指していければと思う。
2022-02-02
12
6 松根油の生産について
画像は「長崎ディープブログ「長崎街道11~松並木と松根油と」」から転載 http://blog.nadeg.jp/?eid=43&imageviewer&image=20171028_726412.jpg 年表・数字からひもといた中で、特に「航空燃料用の松根油」の生産に関して注目したいと感じた。 興味を感じた理由は下記の二つである。 ①自分の生まれ育った地域、しかも長野県の山の中で航空機の燃料を作っていたことを全く知らなかった。日本の山奥で航空燃料を生産するに至るまでに、どのような経緯があったのか調べたい。 ②のちに記すが、坂井村誌内の記述によると、私の実家の近く、小学校の通学路の橋の袂で生産を行っていたらしい。そのためより身近に感じた。
村誌内の記述
下記は坂井村誌内に記述されている、松根油に関する記述である。 -------------------- 松根油 昭和20年に入ると、松根
2022-01-29
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4 年表からひもとく
坂井村誌内の年表を一部引用し、特に重要な部分をまとめた。
昭和12年(1937年)
・
盧溝橋事件が勃発。村内の予備兵に召集下令があり、村内に一気に緊張感が流れた。
・銃後後援会(後に奉公会)結成、村防護団結成・応召家庭の農作業奉仕。 ・軍の指示により、初めて防空演習が行われる。 ・国防婦人会結成(全村)、国民精神総動員長野県実行委員会(会長・県知事)坂井村支部(支部長・村長)結成。 ⇒日中全面戦争の開始に伴って始められた、国民の戦争協力を促す官製国民運動。「精動」と略されることもある。1937年(昭和12)8月第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣は「国民精神総動員実施要綱」を閣議決定し、同年10月「挙国一致、尽忠(じんちゅう)報国、堅忍(けんにん)持久」のスローガンのもとに国民精神総動員
2022-01-29
14
2 探求にあたり
・今回の探求では日中戦争から太平洋戦争にかけて(昭和12年ころ~昭和20年)を対象として調査する ・主な資料として「坂井村誌」を参考文献とする ・はじめに年表から紐解いていき、特に気になった点について深堀していきたい
2022-01-29
15
真田神社
城門を通るとすぐにある真田神社は、松平氏を祀ってあった松平神社だったが、太平洋戦争後に歴代城主である真田氏と仙石氏も合祀されて上田神社となり、昭和38年に真田神社と改称されました。真田の知謀にちなんで、学業成就にご利益がある神社と言われています。その影響もあってか、神社を入って左側にある絵馬には学業成就に関した内容のものが吊り下げられていて、またその場所を写真スポットとしてもお客さんに提供している。記念写真をとる場所としても人気であります。
2021-07-23
16
無言館
太平洋戦争などで戦死した画学生の遺作、遺品が展示されている美術館である。 作品を見ているとなんとも言えない悲しい気持ちになってくるが、ぜひ一回は見る価値はあると感じた。
2021-05-05
17
第二次農地改革に就て(『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁)
農地改革に関する記事。 戦後日本で行われた政策のひとつである農地改革の実際の内容を見て取れる。 これにより土地を得た人と取り上げられた人がいることが良くわかる。 農地委員か地方長官の許可がないと取得・取り上げが行えず行政の管理下に置かれている。 ▼この記事は以下から参照できます。 #963
『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁
2021-02-10
18
本秋の麥作に就て(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁)
麥作に関する記事。 各農家へのお願いが書かれている。 食糧危機ながらも乗り越え、稲作も順調に進んだとあり、食糧不足に光明をもった様子。 肥料不足は続いている模様。 ▼この記事は以下から参照できます。 #955
『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁
2021-02-10
19
事業部の構想(『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁)
戦後、西塩田青年団報となった。 「事業部の構想」の記事。 終戦後の復興に向けた心構えや意気込みが見て取れる。 食糧不足も続いており、遊休土地の利用や未利用資源の活用などぎりぎりの状況である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #952
『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁
2021-02-10
20
農會欄(『西塩田村公報』第11号(1943年11月10日1頁)
農會欄の記事。 戦況の激化に伴い、輸送船や国内外の食糧が不足していること。増産のための肥料・資材がなくそれでも増産をしなければならないという苦しさが見て取れる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #949
『西塩田村公報』第11号(1943年11月10日)1頁
2021-02-10
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私の地域探求テーマ一覧(情報通信文化論2020)
長野大学の講義科目「情報通信文化論2020」(講義担当:前川道博)では、情報通信文化の根幹をなす文化伝承・知識伝承を概念的に学ぶだけではなく、受講生たちに自ら文化伝承・知識伝承による「キュレーション型」の学びを実践してもらいました。地域循環型社会にシフトしつつ現代においては、自ら問いを立て、一次資料に当たったり、地域に赴いて自ら得たデータを新たな一次資料とし、主体的に探求していくことが求められます。その学習プロセスが文化伝承・知識伝承に他なりません。 それらの課題探求テーマと成果を以下のマイサイトからカテゴリ「私の地域探求」を選んで御参照ください。 <私の地域探求テーマ一覧> 1
舌喰池の名前の由来(LGTMのサイト)
2
2021-01-28
22
翼賛壮年圑・青少年圑(『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)3頁)
翼賛壮年圑:緊急食糧增産確保並労力対策協議会の記事。食糧増産のために中学校から動員するなどの内容。 青少年圑:食糧增産運動の記事。 緊急と名付けられるほどのひっ迫している状態であると考えられ、荒廃地を改善し生産しているがそれでも不足しているのが伝わる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #947
『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)3頁
2021-01-27
23
九月の增産暦(『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)2頁)
農會欄の記事。 以前の記事にも記載されていた気象状況の悪さが影響している。作物の病気が発生しており食糧不足の中でとても厳しい状況になっていると考えられる。 また肥料の不足も起きておりやるべき事が多くなっていると思われる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #946
『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)2頁
2021-01-27
24
增産の暦(『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)2頁)
生産に関する水利や代作などについての記事。 植付不能地があれば代作の作付や潅水せず抑制はなしにするなどひたすら食糧を作ることをしなければないような状況になっていることが見て取れる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #942
『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)2頁
2021-01-27
25
六月の常會(『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)1頁)
食糧增産國民皆働ノ件の記事。 中学校や市街地、工場などからも食糧増産のために人が集められていることが分かる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #941
『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)1頁
2021-01-27
26
農會欄(『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)2頁)
食糧増産のための優良種苗の育成などについての記事。 “本年の不順な氣候は全く未曾有のこと…”とあり気候が悪く食糧生産に懸念があることが示唆されている。 ▼この記事は以下から参照できます。 #938
『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)2頁
2021-01-27
27
五月の常會(『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)1頁)
農繁期の食糧生産についての記事。 麥(むぎ)や甘藷(かんしょ=さつまいも)の生産量を増やし、農家だけでなく皆で協力して食糧戦に勝とうという内容。 ▼この記事は以下から参照できます。 #937
『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)1頁
2021-01-27
28
本村供米-九割-(『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)4頁)
公報左下にあった呼びかけ。 3月であるため米の生産はあまりなく切り詰めて供米していると考えられる。 また呼びかけの内容から国のためと戦争協力していたことが窺える。 ▼この記事は以下から参照できます。 #934
『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)4頁
2021-01-27
29
農會欄(『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)2頁)
農會欄の記事。 太平洋戦争の開戦から二年三か月ほど経過し、日中戦争からのワード“増産”は変わらないが“決戦”というワードが出始めてきた。 「全村民國民學校を總動員して…」とい内容もあり人手不足も見られる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #932
『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)2頁
2021-01-27
30
農會欄(『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁)
農會欄での“昭和十七年度農業增産に就て”という太平洋戦争の始まりによる食糧確保についての記事。 アメリカとの戦争がはじまり農民には食糧自給から国家食糧の確保という立場に変わり今後の生活が厳しくなっていくことを思わせる記事となっている。 ▼この記事は以下から参照できます。 #924
『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁
2021-01-27
31
太平洋戦争における上田地域の状況
上田地域は上田合戦や太平洋戦争など数々の戦いに関わっているが、とりわけ日本の総力を挙げて戦った太平洋戦争では様々なモノ・事・人に影響が出ている。そのような状況を上田地域ではどのようであったのか調査したいと思う。どんな生活だったのか、行政は何をしていたのかなど見ていき当時の戦争を考えていきたい。ネット情報や「西塩田時報」のような資料、国会図書館デジタルコレクション、上田市立公文書館などで戦争に関する資料(農業や徴兵、訓示など)を調べる予定。 「西塩田時報」を中心に調べた結果。
農會欄(『西塩田村公報』第1号(1941年3月30日)2頁)
農會欄(『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁)
2020-12-21
32
広告(『西塩田時報』第193号(1939年12月1日)2頁)
1941年に太平洋戦争が開戦することを考えると、まだ随分豊かな広告が流れていたと思い、気になった。誰に向けた広告なのだろうか。 地主が居たことを考えると、その富裕層に向けたものであるかもしれない。戦地の兵隊のためにこれを購入し送るものもいたかもしれない。
2020-12-14
33
麥の増産に就て(『西塩田時報』第11号(1943年11月10日)1頁)
農會欄での記事。 戦争の影響による食糧不足となっているため、増産させようという内容。 戦争の影響の他に“大東亜戦を勝ち抜く爲にとどんな苦痛も御互に忍んで行きませう。”といった戦争に対する国民の精神をも見て取れる記事であり、大東亜戦争の歴史の一端を知ることができる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #949
『西塩田村公報』第11号(1943年11月10日)1頁
2020-12-14
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