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6代松平忠優(忠固)はどんな人物か
下の画像:ミッチーの画像を引用 上田市中央にある願行寺の松平氏の墓所を訪れた。写真に見えるのは、四角い石碑を外して、右手側から、上田藩6代藩主の松平忠優(ただます)またの名を忠固(ただかた)、4代藩主の松平忠済、そして忠済の嫡男で20歳くらいで若くして亡くなった忠英(ただつね)の墓である。この記事では、松平忠固の功績を取り上げたい。 忠固を一言で表すとすれば、幕府の体制を、開国つまり外国と貿易を始めるよう向かわせた人物である(オランダ、中国、朝鮮は入らない)。なぜか。忠固は二度、幕府の中枢つまり幕閣で老中という役職を務めている。そして、忠固の一度目の就任期間時には、幕府は日米和親条約を締結し、二度目の就任期間時には、幕府は日米修好通商条約を締結している。忠固は開国派の立場を
2024-02-08
2
安楽寺八角三重塔
信州最古の禅寺。境内の奥にある塔は日本で唯一の木造八角塔(正式名称、裳階付き木造八角三重塔)である。 ・なぜここに珍しい塔ができたかはよくわかっておらず、何らかの形で日本に運ばれたといわれる。 →参照サイト https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot1.html かぼさ ・重要文化財の像がありました。 ・国宝の三重塔を間近でみれました。 ・三重塔の近くでは、お墓があったのでこんな近くにあるのはあんま見たことがなかったので驚きました。。 ・安楽寺に入ると気温が低くなったきがした。とても涼しかった。夏場に行くのがあり? ・二度目に訪れたときはちょうど三周年だったらしく御朱印が特別仕様になってました。 ・拝観料が必要です。
2024-02-01
3
松平氏とゆかりのある上田のスポット
上田を治めた松平氏にゆかりのあるスポットを載せたマップを作製した。今まで紹介してきた記事に加え、4つのスポットをマップに加えた。 信濃国分寺の三重塔修復で紹介した松平忠周であるが、彼は正徳2年(1712)5月に山家神社の社殿を、正徳4年(1714)8月には紺屋町八幡神社の社殿も修復している(ただ、どちらの修復も三重塔修復より前の時代になる)。上田に引っ越してきて間もない忠周は、古くから上田住民の心の拠り所となってきた上記の神社仏閣を修復することで、上田領民の信用・信頼を得ようとしたのではないか、と私は考える。加えて、これから先、領内で天災や大きな事件が起こらないように、と土着の神仏に願かけをする気持ちもあったと思う。 山家神社であるが、額縁の『山家神社』という字は、上田最後の藩主で、知
2024-01-30
4
雨宮刑部
上田原の合戦において、村上方の将として奮戦した雨宮刑部正利(あめのみやぎょうぶまさとし)、そのお墓である。 上田原の合戦において、多くの将兵が討ち死にした。上田原には、雨宮刑部の他に、屋代源吾や小島権兵衛など、村上軍の将、武田軍では板垣信方など、いくつかのお墓がある。それぞれ比較的近くに立地しているため、気になっている人は、ぜひ行ってみてほしい。
2024-01-25
5
季節行事の由来(『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁)
毎年やってくる様々な季節行事。皆さんは、その行事やお祭りの由来を知っていますか?ここでは「お盆」について、なぜ「お盆」という行事が生まれたのかについて書かれています。 おそらく諸説があると思いますが、普段特に考えもせずに、毎年親に言われるままお墓参りをしたり、実家や祖父母の家のお仏壇にお線香をあげたりしていると、“その意味”を忘れてしまいがちです。ですが、この記事を読むと行事一つひとつにもちゃんと由来があり、意味があるということを思い出すことができて面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1177 『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁
2023-12-07
6
舌喰池の伝承
舌喰池は、大池とも呼ばれる塩田平のため池の中の一つである。他の池と比べても名前が一段と奇妙な理由には理由がある。昔、池の水がなかなかたまらないという時があった。その際に、人柱として村の娘が一人選ばれてしまった。その娘は、人柱に選ばれたということを聞いて、悲しみ、舌を食い切って池に身を投げてしまった。この悲しい伝承から、舌喰池と呼ばれるようになったといわれている。 しかし、昭和50年には、池の北側の田から、墓石が4基出土するなど、あながち伝承と言い切ることが出来ないことも、この人柱伝説の怖さなどを伝えているように感じる。
2023-11-30
7
将軍塚
別所温泉郵便局近くにありました。 古墳時代に、有力な豪族の墓として作られたようです。 素朴ながらも芸術的な小さな石塔が盛り土の上に建てられています。 夕日に照らされ、荘厳な雰囲気を醸し出しています。
2023-10-31
8
中条若処の墓
中条若処は摂津に生まれ、のちに深程に移り住んで塾を開いた。 写真の看板は中条若処の墓のそばに立てられており、この地の自由民権運動の源となった彼の生涯と功績が記されている。 以前は看板がボロボロで読めない状態だったが、久々に訪れると新しく立てなおされており、少し嬉しくなった。
2023-05-10
9
土偶型容器について
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_item_images/tnm/J-7532?locale=ja) 土偶型容器(どぐうがたようき) 頭部が開いていて足の表現がない人型(ひとがた)の容器で、容器型土偶とも喚ばれる。中から焼けた小児骨が出土した例もあることから、再葬墓という当時の東日本で流行した墓制に関わるものと考えられている。 画像の土偶型容器の出土地は長野県上田市腰越。弥生時代(前期)・前4~前3世紀頃のものとされる。現在は東京国立博物館が所蔵している。 国宝の縄文のビーナス、仮面の女神と比べると険しい顔をしている。首や胴が長く頭が大きい、腕が体全体に対し短いというようにバランスはあまり良くないように見えるが、小児を表しているのではないかと考える。
2023-01-29
10
月窓寺
月窓寺は海野一族の真田幸隆公の弟、隆永公の開基です。 山門は竜宮門(鐘楼門)で天井には龍の鏝絵が描かれています。 境内には上田市出身の様式兵学者で知られる「赤松小三郎」の遺髪の墓があります。 写真にもあるように、千羽鶴がたくさんあってびっくりしました。
2022-11-30
11
本陽寺
本陽寺は小諸城主であった仙石秀久が文禄5年(1596)に亡くなった夫人のため建てたお寺です。 夫人の墓を中心に上田城主二代 政俊の子供、忠俊の墓のほか五輪塔・舟型・角柱型などの石塔婆が大小11基あります。また、幼児の墓が6基もあります。 近くに幼稚園があって幼稚園児が遊んでいました!
2022-11-30
12
眞田神社
眞田神社は上田城本丸跡に鎮座しており、真田氏、仙谷氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。しかし、本来は松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していた。 松平家は、真田氏、仙谷氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで7代160余年の長きにわたる上田藩主であった。 上田藩主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号した。寛文9年(1669)に亡くなった。忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にあり、京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられてもいた。これが眞田神社の起源となっている。 明治維新の変革の中、国に接収された上田城もまもなく民間に払い下げられ、城跡は急速に桑園・麦畑などに変化していった。そのような情勢の中で、旧上田藩士や
2022-11-30
13
芳泉寺の軒丸瓦
上田城の西に位置する芳泉寺。境内には真田信之正室の小松姫の墓所や上田城主仙石氏の廟がある。その一画に永楽通宝の紋が彫られた軒丸が見られる。なぜ永楽通宝であるのか調査が必要だ。
2022-10-13
14
糸のまち・こもろツアー(清水寛美さん)
こちらの写真は、2022年7月3日に行われた糸のまち・こもろツアーの様子です。 スタート地点の酢久商店から宗心寺の高橋平四郎のお墓へ向かう途中に撮影しました。 小諸駅方面を眺めることができ、とても素晴らしい景色でした。 この素晴らしい眺めと一緒に撮影させていただいたのは、地元会員の清水寛美さんです。とてもきれいな着物姿に魅了されました。
2022-07-10
15
糸のまち・こもろツアー
こちらの写真は、2022年7月3日に行われた糸のまち・こもろツアーの様子です。 まず、酢久商店(純水館資料館前)へ集合し、そこから地元会員ガイドの清水季志子さん、清水寛美さんを中心にこもろの町を散策しました。 散策した場所は以下の通りです。 ・嶋田屋(明治16年まで萬屋太物呉服店) ・海慶院 ・宗心寺の高橋平四郎のお墓 ・小山家一族のお墓 ・寿町の蚕種蔵 ・工女さんのお墓 ・丸萬製糸場 ・光岳寺 ・宗心寺山門より荒町通り豪商 ・純水館(小山家前)(渋沢栄一宿泊の家) ・玄関前の小山久左衛門銅像
2022-07-10
16
秋山郷 【見倉集落】
2022/07/03 続いては、秋山郷【見倉集落】。 見倉集落は秋山郷でもっとの小さい集落の1つ。 集落内におうちが4軒のみ、と凄く小さな集落だった。 まさに秘境の集落という感じがした。 見倉集落は集落内にお墓がある。 それに加え、田んぼ・畑・ニワトリもいる。 集落内、いや家の周りに生活の全てがそろっている。 生まれてから死ぬまでの全てが集落内にそろっている。 (ここからは自分が思ったこと、感じたことなのだが) 見倉集落を見ていると、私を含む現代の人は 明らかに“生”と“死”を遠ざけ過ぎているのではないかと感じた。 生まれる瞬間は病院で生まれ、死ぬときも病院で死ぬ人が多い。私たちの身近な生活で“生”や“死”を実感する事は極端に少ない。 見倉集落を見ると、良い意味で“生”や“死”を身近に実
2022-07-05
17
立科町散策③ 【大庭遺跡】
2022/06/21(火) 立科町役場から少し歩いたところにある【大庭遺跡】へ。 長野県にきて驚いたことの1つは”縄文時代の遺跡が至るところにある”ということ。 小学校に縄文土器があったりして非常に面白い。 立科町にもその1つ大庭遺跡があると知り、訪れた。 行ってびっくり、 大庭遺跡は”古墳時代、奈良時代、平安時代わたる複合遺跡””とのこと。 縄文時代である約6500年前の竪穴式住居が17棟、墓が85基。 古墳時代~奈良平安時代である約1400年前の住居址18棟、高床式倉庫が1棟が検出されている。 この遺跡を見ていて考えたことは2点。 1点目は このような貴重な複合遺跡がなぜ全国的に、いや長野県内にすら知られていないのか。 もしかしたら、私が知らないだけかも知らない。 が、少なくとも周りにいた上田市民の知
2022-06-21
18
刀屋
年1回ペースのお墓参りのため、上田に通い始めてかれこれ30年近くなります。だいたい1泊で、何を食べるかが楽しみです。こちらは池波正太郎さんが通ったという老舗の御蕎麦屋さんで、割と早い時期から利用していました。店名の刀屋は、もとは刀鍛冶をされていたことから由来しているようです。最初伺った時、まだその作業をされていたと母が言ってました。 店内の雰囲気も当時のままを思わせる感じで、量が多いのが特徴です。若いころは、普通盛りを注文して、多いけど大丈夫?と訊かれたことも。時間帯を選ばないとかなりの行列です。小さめのテーブルに、相席で詰めて座った記憶もあります。今日はこちらに行くぞ!という時は、ホテルの朝ごはんはなしにして、開店前から並んで入るということもありました。お蕎
2022-03-02
19
上田とのつながり
お墓は、上田駅から歩いて20分ばかりにある呈蓮寺さんにあります。曾祖父の代から上田を離れているので、全く縁はありませんでした。ただ本籍地が長野県にあるということぐらい。母が父と結婚する時に、京都から身上調査的なつもりで、祖母と上田に来たことがあったそうです。もう60年ほど前のこと、関西から長野って今でも距離感ありますが、そんな時代によくもまあ!と思います。どなたかに、会ってそこのおうちの方なら大丈夫みたいな(なんの太鼓判やねん?と突っ込みたくなりますが・・・)ことを聞いて帰ってきたようです。 私が学生の頃、父が車で大事故を起こしたり、(車が丈夫だったため無傷でした)経営している印刷会社の業績が厳しくなった時期がありました。アルバイト先の方に紹介していただいた占い師の方に観て
2022-02-21
20
自力で、ファミリーヒストリー
人物伝に、曾祖父志津衛は、上田の士族、鈴木幸蔵の次男とあります。兄は平吉さん。こちらが本家筋になります。外地で殉職して、引き揚げてきたため、志津衛の墓石は、本家の隣に置かせていただいています。そこには古いご先祖様方の墓石があり、三太夫重明、彦三郎重義、重直、六郎衛門頼母などの名前が読み取れます。これら検索して行くと、静岡あたりにつながるようなのですが、どうなのでしょう?上田にはたくさん古地図が残っていてアーカイブ化されていますね。街中にも掲示されているものがあります。どれどれと探していると、鈴木姓がいくつか見つかりました。助之進という方は娘が殿様に嫁入りされたような・・・ 昨日、上田にお邪魔した際に、再度その地図を確認したところ市役所に隣接している場所に、鈴木平太左衛門とい
2022-02-21
21
はじめまして
関西在住ですが、父方の先祖が上田出身で、本籍地とお墓が上田にあります。年1回ぐらいのペースでお墓参りのためお邪魔しています。曾祖父が人物伝56に掲載されている、鈴木志津衛です。 個人的にいろいろ調べているところ、このサイトをみつけて登録させていただきました。 曾祖父のことで、調べて判明したこと、残しておきたいことなど、投稿していきたいと思います。もしご縁がある方がいらっしゃっれば、共有できると嬉しいです。 このサイトを開設いただきありがとうございます。 早速、曾祖父の写真を掲げてみます。 中央髭の人物です。軍人のようですが・・・
2022-02-21
22
那須与一ゆかりの地
那須与一のゆかりの地は各地にあります。今回は3つ紹介します。 1つ目は栃木県大田原市にある『玄性寺』です。境内には与一をはじめとする那須一族の供養塔が残っています。また、矢剪石という巨石があり、与一が扇の的を射抜いた時、この石に亀裂が走ったと言われています。 2つ目は京都府京都市にある『即成院』です。突然病に倒れた与一は即成院で療養しました。熱心な祈願により病が治り、功績(扇の的)をあげることができた与一は、その後も即成院で生涯を終えたと言われています。与一のお墓があります。 3つ目は香川県高松市牟礼町にある『祈り岩(駒立岩)』です。扇の的を射る前に、与一がこの岩に向かい、「南無八幡大菩薩、別してはわが国の神明日光権現、宇都宮那須湯泉大明神、願わくはあの扇の真中射させ給えか
2022-02-15
23
蚕都上田探訪/松田玄冲の墓と顕彰碑
横浜開港(1859年)と共に列強の貿易商を相手に生糸貿易を始めた中居屋(中居屋重兵衛)の番頭の筆頭が松田玄冲(まつだげんちゅう)です。上田市生田の飯沼の出身。松田玄冲の墓の前に中居屋重兵衛顕彰会、上田郷友会、群馬県嬬恋村の連名による顕彰碑が立っています。 どこにあるのかがわからず、中居屋重兵衛顕彰会の方に教えてもらってやっと目的地にたどり着くことができました。確かにこの場所、普通では全くわかりません。GoogleMapの位置情報でご確認ください。
2021-09-18
24
上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から)
『
上田市史・下巻(1940)
』の「社寺古墳及人物誌/
人物篇
」をハイパーメディア化。(長野大学「マルチメディア論」2020/2021実習で分担作成)
人物01 真田昌幸
真田一徳斎幸隆の第三子、天文十六年生る。
人物02 真田信之
真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。
人物04 真田幸村
幸村は正幸の代二子、永禄十一年生ると云う。
人物05 仙石政俊
先の小諸城主後上田城主たりし仙石忠政の
2021-07-21
25
人物10 河瀬運甕
名は義胤。通稱は丈右衛門、字は貞郷、運甕又蓬州と號す。上田藩士。(略) 河瀬丈右衛門義胤之墓と刻す。 『上田市史・下巻(1940)』1198・1199頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌 人物篇
2021-07-14
26
小諸の製糸場/工女たちのものがたり
「糸のまち・こもろの歴史歩き」(糸のまち・こもろプロジェクト主催、2015/09/19実施)では、小諸にあった丸萬製糸場を見下ろす場所に純水館の工女の墓4基があります。故・野澤敬氏が工女の墓の前でその解説をされました。 添付の資料「工女たちのものがたり」(PDF)は、当日参考資料として配られたものです。
2021-07-05
27
阿梅の墓、真田大八(片倉守信)の墓
白石市の当信寺に阿梅の墓、片倉守信の墓が並んで建っています。阿梅は幸村の三女、片倉守信は次男、真田大八です。真田幸村は大坂夏の陣の際に、敵将であった片倉重長に子どもの養育を託したと言われています。重長は阿梅、姉妹の阿菖蒲、おかね)、大八を養育しました。 阿梅は重長の正室の死後、重長の後妻となります。大八は片倉守信と改名して仙台藩士となります。大八の家系が後に復活を徳川幕府から許された仙台真田家になります。現在に至るもなお、姉と弟の墓が白石に残っています。昔を今に伝える数奇な物語です。
2021-05-11
28
片倉家菩提寺・傑山寺
★常英山傑山寺 http://kessanji.jp/ 白石市の傑山寺は、白石城主片倉小十郎景綱が片倉家の菩提寺として創建した寺です。本殿の前には片倉小十郎景綱公像が建っています。歴代藩主の墓所があります。 ☆仙台真田家と傑山寺 http://kessanji.jp/history/sanada.html
2021-05-11
29
谷信菓子店
アイスは昔懐かしの白アイスからミルクティーなど今時なものまで全て手作り。濃厚でクリーミーな舌触りは手作りならではのもの。食べ歩きにもおすすめ。 コロナ渦で夏祭りの中止やお盆でのお墓参りの人出の減少があったものの、現在は、並んでいる人同士の間隔を開けるなどして感染対策をしている。 このお店のアイスを思い出の味としている人も多いため、今年の夏は県外にいる家族と一緒に食べたいと願う人も多い。
2021-05-05
30
雨宮刑部の墓
武田氏と村上氏の合戦である上田原合戦でなくなった村上側の武将、雨宮刑部(あめみやぎょうぶ)のお墓。道外れにひっそりと立っている。現在は公園や野球場がある場所で、合戦があり多くの人が亡くなったという事を知ることができた。また今自分がいる所は、昔何が行われた場所なのかに興味を持たせてくれた。
2021-05-05
31
高仙寺参道並木
市の指定記念物になっている杉並木。ハイキングコースに利用している人も多い。下から見る並木道はものすごくきれいである。 保育園の時には、遠足でここに座りお弁当を食べていた。とても懐かしい。
2021-05-05
32
小泉大日堂
山奥にどっしりと構えるこのお堂。古びた建物には威厳を感じ、周りはお墓なので少しの怖さを覚えます。 ここは、上田市小泉にある小泉大日堂。806年創建された寺院で、所有者は高仙寺。 ご本尊は大日如来、宇宙そのものであるといわれる如来様です。現世安穏、諸願成就のご利益があるといわれています。 元々は、大日堂だけでなくたくさんの建物が建っていたようですが、坂城の武将・村上義清と甲斐の虎・武田信玄が戦った「上田原の合戦」で、戦火に遭い大日堂だけが残りました。
2021-05-05
33
月窓寺
このお寺は私のバイトしているスーパーの裏側にあり、スーパーの駐車場から頭だけ見える位置にあるので、ずっと気になっていた場所です。入り口は別の所にありますが、横側からでも入ることが出来ました。ですが、せっかくなので正面の入り口まで戻り、参拝しました。月窓寺は今回の調査の中で一番大きなお寺です。 月窓寺は、海野一族の真田幸隆公の弟、隆永公が開基です。境内には赤松小三郎の髪の毛を埋めた墓があります。 そして、月窓寺を調べたときに「山門は竜宮門(鐘楼門)で天井には龍の鏝絵が描かれています。」と書かれていたので実際に見てみると、見事に美しい龍が描かれていました。
2021-05-05
34
[14/09/11]日向畑遺跡と松尾城跡登り口
『真田氏資料集』(上田市立博物館)によると日向畑遺跡が発掘されたのは1971年。それほど昔でないのが意外です。「古くは真田氏の菩提所であったと伝えられる常福寺の跡M」にあたり、「幸隆以前の真田一族の墓地ではないかと考えられている」。 真田氏の古い居館跡とされていることから、日向畑遺跡がその墓所であるとするのは最も順当な推定です。歴史の未知の領域に一歩踏み出したかのようなワクワク感を感じる遺跡でした。 なお、日向畑遺跡は松尾古城の登り口にもなっています。背後の山が古城であるということもさらにそのもっともらしさを後押ししているようです。
2021-05-01
35
六供無縁堂(六供区無縁仏墓地公園)
小諸市六供区、18号下の中沢川近くに、寛保2年(1742年)8月の戌の満水と呼ばれる大水害で亡くなった無縁仏の墓地。 小諸市のホームページ https://www.city.komoro.lg.jp/official/kanko_sangyo/kanko/rekishi_bunka/2/6696.html によると、この水害では 「小諸では旧暦8月1日に、六供、本町、田町、袋町、さらには小諸城三之門なども流失する大災害となりました。小諸城下では、507名の死者を出しました。 六供無縁堂は、死者の御霊を供養するとともに、災害復興を記念して1754年8月1日にこの地に建立されました。」 とのことです。 二十三夜塔も2基あります。
2021-02-28
36
埴輪 盾持人
【作品】 埴輪 盾持人 【所在地】 群馬県太田市:若水塚古墳 【若水塚古墳】 他8基の古墳が確認済み。中央部には埋葬施設が残存し、方形の板石を組み合わせた箱式の石棺と判明。棺内からは、互い違いに置かれた男女2体の遺体と、ヒスイの勾玉(まがたま)1個、ガラス製の小玉7個が発見された。棺や玉類からみて、5世紀代に造られたものと思われている。 【作品説明】 3世紀から6世紀、権力者の墓の上やまわりに立て並べられた土製品である埴輪(はにわ)。この埴輪の役割は、古墳を守ること。盾持人は全国で見つかっているが、ほとんどが古墳の中心から離れた縁(ふち)に置かれていたことから、古墳を背に盾を持って立ち、邪悪なものの侵入を防いでいたと考えられる。 【参考資料】 ・文化遺産オンライン:http://bunka.nii.ac.jp/herit
2021-02-09
37
小松姫の墓
説明 沼田にある小松姫の墓 上田にもあるらしい
2021-02-09
38
銅水瓶
【作品】 銅水瓶 【所在地】 群馬県高崎市:綿貫観音山古墳 【綿貫観音山古墳】 全長98mの前方後円墳である。6世紀頃の古墳で高崎を支配した豪族の古墳と考えられているが、正確な情報は不明である。ここからは他にも多くの金銅製品等が出土しており、それらは6世紀後半の東国を代表する出土品として国宝に指定されている。 【作品説明】 中国・南北朝時代の庫狄廻洛墓から同類の水瓶が発見さたことから中国伝来と考えられている。ちなみに綿貫観音山古墳から出土したものは国内最古の水瓶で、古墳出土でほぼ完形品であるのは世界でこれだけである。 【参考資料】 ・群馬県 文化財ライブラリィ:https://www.pref.gunma.jp/03/x0100616.html ・綿貫観音山古墳の世界「オンライン展示品解説 第1回 銅水瓶」:
2021-01-27
39
宗吽寺
日輪寺と墓地を挟んで建っているお寺 正面の門がかなり立派かつ参道もきれいに手入れされているだけに併設している立体駐車場のガードレールがはみ出してしまっているのがとても残念 また日輪寺と本堂の形がとても似ていた。
2020-11-18
40
宗吽寺・日輪寺
上田駅北の住宅街の中に墓地を挟んで隣接しあっている2つの寺です。 宗吽寺は家と隣り合わせで、派手さはないものの昔懐かしい古風庭園という感じでした。 一方の日輪寺は、狭いながら本堂のような建物は非常に豪華な内装をしていて、かなり煌びやかで仏教に近い雰囲気がありました。
2020-11-17
41
将軍塚
この塚は古墳時代後期に築造された有力な豪族の墓である。また、平安時代中期の将軍平維茂の墓ともされている。冷泉天皇の御世の安和2年(969年)信州戸隠山に「紅葉」と名乗る鬼女が住み、妖術を近隣を荒らし住民を苦しめていたのでこれを平定したが、鬼女紅葉との戦闘で傷ついて別所温泉で湯治をしたが、治らずに果てたといわれています。この鬼女紅葉伝説は能「紅葉狩り」の演目のモデルとなっています。
2020-10-17
42
大輪精舎之図(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「大輪精舎之図」はその一つである。 タイトルには「長野県信濃国 大輪精舎之図 小県郡上田町」と記されている。 大輪寺(大輪精舎)は、真田昌幸による上田築城に伴い、砥石城の麓の畑山から移されたと伝えられている。大輪寺には真田昌幸の妻寒松院の墓がある。 参考資料:『上田市誌』第9巻「真田氏と上田城」2002年
2020-09-25
43
真田山種月院長谷寺
曹洞宗の寺院 長野県上田市真田町長4646番地 真田幸隆と真田昌幸の墓があります。 2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の頃に道路や駐車場など整備され、行きやすくなりました。 春にはしだれ桜が見事です。 今(7月)は、紫陽花の季節です。 本堂の扉が閉まっているので、自分で開けて参拝します。本堂に上がってお参りできます。 終わったら必ず閉めます。山のお寺なので、野鳥や動物が入ってしまうそうです。 写経を奉納し、御朱印をいただきました。
2020-07-24
44
上田藩主/老中・松平忠固の墓
2018/05/10、願行寺にある松平忠固の墓を訪れました。上田藩主・松平忠固(1812~1859)は2度に渡り、老中をつとめた人物です。老中の職にあった時に、日米和親条約(1854年締結)、日米修好通商条約(1858年締結)を結んだことの功績は極めて大きい。日本が列強と互角に対し、列強並みの好条件で列強と貿易協定を結んだことは、その後の日本の近代化を決定づけたと言ってもいい。貿易を推進し、殖産興業を推進しました。 上田における松平氏に対する関心の低さは、この墓の状況が端的に物語っています。かつての願行寺は上田城と対峙するように大手町~海野町の旧城下町のメインストリートの対極に位置し、海野町の通りはその門前のように位置していました。しかし、その道筋が真っ直ぐに貫通し、願行寺の真ん中は道路によって分断されました。さら
2020-07-18
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おやき お盆との結びつき
おやきが生まれた地域だからこその文化を知ることができた。 8月1日「石の戸」と呼び、年に一度の墓掃除を行い お盆入り「地獄の門の開く日」、あの世との境になっている頑丈な石の門にご先祖様が達がおやきをぶつけて割り遠い道程をお盆に間に合うように旅に出ると云う。 8月の1日にはお供えおやき、13日にはお迎えおやき、16日にはお帰りおやきといい、おやきをお供えするという文化がある。 1日は、あんに茄子・味噌を入れる。 16日のお帰りおやきには、力尽きて門限に遅れないよう、山程にお供えする。
2020-06-20
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八丁鎧塚古墳群
須坂市には古代氏族の墳墓である古墳が多く分布しています。そのほとんどが、川原石を積み上げた積石塚と呼ばれる古墳です。中でも、八丁鎧塚古墳は県史跡に指定されています。 畑や果樹園に囲まれているので、頑張って探してください。
2020-05-24
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