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登録リスト(該当:135件)
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1
2
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写真
タイトル
説明
登録日
1
阪神甲子園球場100周年記念ラッピングトレイン
この写真は阪神電気鉄道西宮駅で撮りました。この車両は阪神本線、阪神神戸高速線、山陽電鉄本線で走っています。阪神甲子園球場は今年8月で100周年!阪神甲子園球場100周年記念事業の一つとしてラッピング車両が走っています。
2024-05-10
2
別所線鉄橋2006/03/19
2006/03/19の記録。 別所線鉄橋のありし日の姿です。当時さりげなく撮った地域の風景でしたが、後からふり返ると今とは違っています。 赤い鉄橋であることが別所線鉄橋のシンボル。この当時は塗り替えられる前でペンキが薄紅色に色褪せていました。さらに2019/10/12、この鉄橋は台風19号の豪雨で一部が崩落しました。崩落以前の「当たり前」に存在していた時の橋の姿です。
2024-03-16
3
塩田平観光マップ(上田駅構内)今昔2005→2024
写真上:信州の鎌倉と周辺の図(2005/05/04の記録) 写真下:日本遺産・信州上田・塩田平(2024/02/03の記録) 上田駅構内のしなの鉄道改札出入り口に面したコンコースの壁に塩田平の大きな観光マップが掲げられています。塩田平が日本遺産「レイラインがつなぐ『太陽と大地の聖地』」に選ばれてしばらく経ってから「日本遺産」マップにリニューアルされました。 レトロ感たっぷりの「信州の鎌倉」マップが今となっては貴重な記録です。このマップ、デザインは古い時代様式のものです。退色もしています。あるいは退色したように装ったデザインかもしれません。一見したところ相当に年季が入ったもののように見えますが、新幹線や上田大橋が描かれてもいることから推察すると上田大橋開通後の2000年頃に観光PRのために掲げられたものではないかと
2024-02-19
4
信州上田学2023/地域キュレーションVol.2
長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「
信州上田学2023①~④地域キュレーション
」をご参照ください。 「
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)
」それぞれのマイテーマにリンクしています。[
Vol.1
|
Vol.2
]
No.
ニックネーム/探究テーマ
探究のねらい
よう/地域交通と産業のつながり
交通インフラと産業は密接に関連していると考えたから。産業の発展には
2024-02-16
5
別所線の車両デザイン2005/05/07
2005/05/07の記録。 私が上田に移り住んでから間もないころの2005年5月。赤坂上の別所線踏切で信号待ちになり、別所線の車両が通過していきました。それ自体は何の変哲もないものですが、現在の2024年からふり返ってみると、「あれ?このデザインの車両は今は走っていない」と気づき、逆に新鮮でした。このような知らず知らずの変容には古い写真を参照しないと気づけないものです。
2024-02-15
6
上田駅
北陸新幹線、しなの鉄道、別所線が乗り入れる上田市の中心駅です。北口はお城口、南口は温泉口と呼ばれています。真田家の家紋である六文銭が特徴的です。通勤・通学に利用する人、観光に来た人などでにぎわっています。駅前広場の真田幸村の騎馬像が観光客を出迎えてくれます。上田の歴史を感じます。
2024-02-13
7
信濃国分寺
太陽が登る場所、信濃国分寺 しなの鉄道の信濃国分寺駅から雰囲気のある道を歩いてたどり着きます。
2024-02-13
8
姨捨駅2008/05/06
2008/05/06の記録。 JR篠ノ井線の姨捨(おばすて)駅。Wikipediaによると姨捨駅が開業したのは1900年とのこと。「田毎の月」で知られれる姨捨の棚田が眼下に広がり、姨捨駅からは善光寺平が一望できます。日本三大車窓と呼ばれるほどの景勝スポットです。さらにスイッチバック方式の全国的にもめずらしい駅です。 何と言ってもホームから展望する善光寺平の景色は絶景です。ホームのベンチが鉄道側にでなく、善光寺平に向かって設置されている点にもご注目を。篠ノ井~名古屋間を電車で移動する際には姨捨付近を通過します。その夜景も素晴らしい。鈍行の電車は、スイッチバックして姨捨駅に停車します。このスイッチバックもぜひ体験してみたい。 参考資料:Wikipedia/姨捨駅 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%A8%E6%8D%A8%E9%A7%85
2024-02-13
9
別所温泉でのイベントと交通
別所温泉で、「上田氷灯ろう夢まつり」が開催された。開催期間中、特定の時間にticketQRで別所線に乗車して別所温泉駅まで乗車すると運賃が無料になる施策が行われた。しかし、当日は善光寺でも氷灯ろう祭りが行われていたこともあり、別所温泉では観光客の姿は見られたものの善光寺ほどではなかった。鉄道の運賃が無料になっても、不随するイベントの効果が薄いと効果も弱まってしまうことがわかった。これは公共交通だけの問題だけでなく、祭りの運営の匙加減になってくる。他のうえだわっしょい祭りや花火大会では、満員電車になっていたので、ポテンシャルはあると思う。 前述の通り、別所温泉では駅から温泉街(ここでは祭りの会場)まで延々上り坂で、シェアサイクルが電動アシスト自転車であることを加味しても漕ぐのは大変な坂
2024-02-13
10
旧飯山駅の様子2009/04/10
2009/04/10の記録。 JR飯山駅は北陸新幹線の延伸により、新幹線の駅となり、古い駅舎は取り壊され、新築の立派な駅舎に様変わりしました。雪深い地域のため、周囲には消雪剤が撒かれる影響でレール下の砂利や小屋などが茶色に変色しています。 2009年時点ではまだ新幹線の工事は全くなされていません。古いレトロな駅舎と構内の様子が私の写真に記録されていました。今となっては貴重な地域の記録です。
2024-02-11
11
マンホール:小川村
2008/03/16の記録。 長野県上水内郡小川村のマンホールです。絵柄は村営施設「星と緑のロマン館」です。汽車の絵柄は銀河鉄道のイメージでしょうか。 参考資料:上水内郡小川村のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/ogawa/ogawa.html 信州小川村・星と緑のロマン館 https://www.ogawaromankan.net/
2024-02-11
12
千曲川橋梁
千曲川橋梁は、上田電鉄別所線の鉄道橋である。かつて、上田盆地には、多くの地方鉄道が存在していた。多くあった鉄道路線の中で、「川西線」を現在の信濃鉄道に乗り入れるために、建設された。今も長く愛される上田電鉄別所線を支えている。
2024-02-11
13
鉄道輸送の選択肢
これまで上田で走っていた鉄道路線について調べたが、これらは住民の足としての役割だけでなく、野菜や生糸など地域の生産物を輸送する役割を果たしていたことを知った。現在では鉄道輸送のコストの問題から、トラック輸送が主流だ。しかしトラック輸送にもデメリットがあり温室効果ガス排出による環境問題である。鉄道輸送は速く遠くに輸送でき、温室効果ガスの排出も少なくSDGsの観点からも優れている。過去に上田でも貨物列車が走っていたことを知り、鉄道輸送の重要性についても考えることができた。
2024-02-10
14
丸子の蚕業を支えた鉄道
かつて上田小県では蚕業が盛んだったことは有名です。現在は廃線のため存在しませんが、当時それを支えた鉄道路線がありました。丸子では製糸業者によって丸子鉄道という会社が設立され、丸子線が建設されました。この路線は旅客だけでなく、丸子で生産された生糸などを東京に輸送する役割がありました。しかしモータリゼーションによって衰退し、廃線になりました。写真は丸子駅跡地とその名残です。
2024-02-10
15
傍陽駅
傍陽駅は傍陽線の終着駅でした。こちらも真田駅のように野菜を大都市に輸送するための拠点でした。現在駅跡には当時からある農協の倉庫のみが残されています。
2024-02-10
16
真田駅
真田駅は真田線の終着駅でした。この駅では菅平高原で栽培されたキャベツやレタスなどの高原野菜を貨車に積んで上田駅を経由して東京、大阪などに輸送されていました。 現在はバスの停留所、転回場に転用されています。
2024-02-10
17
北本原駅と駅前食堂
北本原駅は真田線の駅です。この駅では野菜など貨物の取り扱いが行われていたそうです。駅の跡地前には駅前食堂という食堂があり、廃線となってから50年以上たった現在でも地元住民に愛されている。20年近く真田に住んでいる私ですが、ここのもつ煮は食べないと損です。
2024-02-10
18
公園前駅
公園前駅は上田城跡公園に架かる二の丸橋の下にあった真田傍陽線の駅です。真田傍陽線とは、1972年まで上田駅と旧真田町にあった真田駅、傍陽駅を結んでいた鉄道路線です。この駅は上田城の堀の跡に駅が設置され、現在でもホームや架線の跡、駐車場に転用された線路跡を見ることができます。ちなみに城跡公園の北西の堀の跡は野球場、陸上競技場に転用されています。
2024-02-10
19
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生) 長野大学の地域科目「信州上田学A」2023を受講した学生が「信州上田」を接点として地域キュレーションした地域学習のアウトカムです。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します(2024/02/15更新)。 各キュレーションの「マイテーマ」は次のページからご参照ください。[
Vol.1
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Vol.2
]
▼社会福祉学部学生
いちご/上田の食
しおり/上田の食べ物
な/上田の日本遺産について
るるる/塩田平の文化財
2024-02-05
20
別所
別所鉄道に乗って別所温泉に入りに行きました。 日帰り温泉は500円で入れました。
2024-01-31
21
信濃国分寺本堂
信濃国分寺本堂は、天台宗の寺院で、本堂は薬師寺と呼ばれる。 県宝に指定されている。「国やすらかに人たのしみ、災いをのぞき福いたる」という聖武天皇の741年の勅願により建てられた。 しなの鉄道の信濃国分寺駅から徒歩5分で行くことができる。 秋の紅葉が綺麗な時期に行くのがおすすめである。
2024-01-28
22
温泉街の入り口
別所温泉駅は、駅舎がモダンな作りをしており、非常に美しい。玄関口として、来た人たちを出迎えている。この駅舎は、ぜひ写真に収めてほしい。また、別所線のシンボルである「丸窓電車」も展示されている。鉄道好きの方たちには、温泉だけでなく、駅舎と丸窓電車も楽しんでもらいたい。
2024-01-27
23
上田駅
長野県上田市天神一丁目にある、東日本旅客鉄道・しなの鉄道・上田電鉄の駅。JR東日本の北陸新幹線、しなの鉄道のしなの鉄道線、上田電鉄の別所線の3路線が乗り入れ、そのうち別所線は当駅が起点となっている。 駅の北口、市街地側は「お城口」。南口、別所温泉側は「温泉口」と呼ばれている。 写真はお城口。鞍をイメージしたデザインとなっており、夜には上田市ゆかりの真田家の家紋「六文銭」が間接照明で照らされる。 市街地側に上田市ゆかりの六文銭を持ってきたことは、上田に来た人に市の自慢のものを印象付ける効果があり、とても良いと感じた。夜にはライトアップがされていて、日中と一味違う六文銭の美しさを感じることができると思った。
2024-01-24
24
大屋駅・旧駅舎の記録
2009/02/06の記録。しなの鉄道・大屋駅の旧駅舎は建て替えにより2023年に取り壊されました。過去の駅舎がどのようなものであったのかを私の画像で再現しました。 大屋駅は信越本線開通後の1896年、諏訪地方からの生糸輸送のために、諏訪地方の業者等の請願により新設された駅です。蚕糸王国長野県の蚕糸業の歴史を刻んだ近代化産業遺産です。取り壊し前の駅とその周辺がどのような様子であったのかを画像クリップでもご参照ください。
2024-01-16
25
上田城のすぐ隣を走っていた真田傍陽線の跡
かつて上田市から真田地域、菅平高原方面に繋がっていた真田傍陽線(さなだそえひせん)は、上田城のすぐ横を走っていたとされる。今では、上田城のケヤキ並木遊歩道となっている。他にも、街中には路線の跡が残っており、昔の菅平高原開発の名残が見て取れる。
2023-11-30
26
上田市の玄関口 上田駅
上田鉄道別所線、しなの鉄道、JR北陸新幹線が乗り入れる上田駅は、まさに全国からの観光客を迎える玄関口と言えるだろう。昔は、丸子地域や真田地域へ向かう鉄道もあったようだが、今では3路線だけとなっている。時代とともに移動手段が変化しているが、これからも上田市の玄関口として、そして上田の住民を支える足として今後も活躍するだろう。
2023-11-30
27
上田の玄関口「上田駅」
上田駅はJR東日本、しなの鉄道、上田電鉄の駅だ。上田駅は日々多くの人々に利用されており、まさに上田の玄関口といえる。
2023-11-30
28
別所温泉駅
別所線の鉄道施設は、蚕都上田を支えた鉄道網のうち唯一現役で、日本遺産に登録されている。実際に行ってみると、レトロな雰囲気を味わえる造りになっていると感じた。 しかし、別所温泉を通る電車の本数が少なく交通の便が良くないので、本数を増やしてほしいと感じた。
2023-11-29
29
別所線の鉄道施設
別所線駅に足を運んでみました 駅では袴を着た女性が出向かてくれて驚きました 昔にタイムスリップしたかのような雰囲気のある駅でした
2023-11-20
30
上田駅
上田駅は、北陸新幹線やしなの鉄道、別所線があり、毎日多くの人が通勤・通学に利用しています。 中でも、別所線では日本三御湯の一つである別所温泉に行くことができ、観光客も多く訪れています。 上田駅からは北陸新幹線で東京などの遠い場所に行くことが出来たり、別所線で自然を感じることができます。
2023-11-20
31
学生の地域探究テーマ2023
【第3回課題10/19】信州上田学2023/マイサイトと探究テーマ ▼社会福祉学部学生 1 長野県の自然 2 蚕都上田はどのようにして生まれたか 3 上田の地域の特徴から、福祉に活用できる社会資源を考える。 4 上田にある文化財について 5 上田市の特産物にはなにがあるのか、特産物と気候や地形との関係、特産物を使った料理について 6 上田市の食とそこから見る地域の特性 7 上田城の季節による変化 8 食と福祉(飲食店と社会福祉施設、養護施設との連携) 9 真田幸村と上田の関わり 10 なぜ上田には晴れが多いのか 11 別所温泉の自然風景とその風景に関する歴史学的・地理学的な知識 12 上田と福祉について 13 上田市内の地区の名前の由来について 14 上田市は子育てや生活をする上で、便利な地なのかどうか 15 上田市の子ど
2023-10-29
32
解体された大屋駅
しなの鉄道の大屋駅が解体され建て直されます。5月1日に訪れた際にはまだ古い駅舎のまま残っていました。 ★
解体前の大屋駅 2023/05/01
この日7/21に訪れた時には完全に解体されていました。駅舎は完全に取り壊され、大屋駅建設を記録した石碑のみが残されています。駅舎部分の基礎工事が行われている段階でした。
2023-09-23
33
土浦駅近くの新築マンション
変わりゆく都市環境。中心市街地の中心商店街がマンション群に変わりつつあります。 土浦駅近くには、ここ1、2年の間に新築のマンションが2棟建ちました。1棟(A)は遠くからでもよく見える高い建物。背後に見えるソリッドタワーに次ぐ高さです。もう1棟(B)はその向かいに立つマンション。この画像にはごく一部だけ写っています。 Aはかつてのイトーヨーカドーの跡地です。その後建物は取り壊され、久しく駐車場となっていました。私もここに車を停めたことがあります。Bは線路に面しています。土浦市立図書館(アルカス土浦)のすぐ隣に並んで建っています。ここはもしかすると関東鉄道筑波線のホームのあった場所ではないかと推察をします。
2023-08-22
34
小諸駅
小諸駅は長野県小諸市相生町一丁目にある、しなの鉄道・JR東日本の駅である。しなの鉄道とJR東日本の共同使用駅で管轄はしなの鉄道が行っている。 3面5線を有する地上駅であり、JRとしなの鉄道相互間の乗換えは改札を通らずに可能。互いのホームは跨線橋で連絡している。 待合室には2013年に閉店した駅そば屋の「ひしや」の味を再現した駅そば屋の「清野商店」が営業しており、かつての駅そばが堪能できるようになっている。駅舎内では地元農産物の販売も行われている。 JR東日本 - 2021年度の1日平均乗車人員は1,398人である。 しなの鉄道 - 2020年の1日平均乗降人員は2,118人である。 駅周辺には小諸市役所、小諸図書館、懐古園がある。
2023-06-01
35
大屋駅を未来に伝えるには
しなの鉄道大屋駅の歴史的な駅舎が建て替えられるとのこと。建て替わる前の駅舎の様子を記録にとどめておこうと思い、車窓越しに写真を撮りました。丁寧に記録することは後日に。 諏訪と小県をつなぐ中山道は1859年の横浜開港後、横浜とつなぐ生糸の輸送路として重要な役割を果たしました。信越本線開業後は、中央本線が開通するまでの間、大屋駅は生糸の一大生産地であった諏訪地方、とりわけ岡谷とつなぐ要衝の駅としての役割を果たしてきました。建物は建て替わってもその歴史は留めて未来に伝えたいものです。
2023-05-01
36
電車が通る赤い鉄橋
別所線の千曲川橋梁を電車が通過していきました。信号待ちでこのような情景に出会えるとはラッキーです。 2019年、台風でこの鉄橋が崩落した時、長野大生らによる「別所線かけはしプロジェクト」に、歌手のユーミンこと松任谷由実さんが「あの赤い鉄橋に再び電車の走る姿が見たい」とのメッセージを残されたことが後日話題になりました。その時の情景を思い起こします。
2023-03-11
37
新たな転換方法
参考までに、鉄道路線を活用したバス転換方法を紹介します。「BRT(バス高速輸送システム)」と呼ばれるこの方法は、線路の部分をアスファルトにし、バス専用道路として再利用するという方式です。東日本大震災で広範囲に被災した路線が同じことを行っており、こうすることで早期の復旧開業が実現したと言われています。バスで考えられた定時運行や交通障害といったデメリットは解消されます。
2023-02-15
38
上田電鉄がなくなったら・・・?②
では、上田電鉄がなくなることのデメリットを見てみましょう。鉄道路線の廃止転換方法の代表的なものとして、バス転換があります。もし上田電鉄をバスに転換した場合、塩田方面に向かうバスを新設せねばなりません。別所温泉に行ったことのある方ならわかるかもしれませんが、別所温泉をはじめとした塩田地域は道が狭く、バスは交通の妨げとなる可能性があります。そのほかのバスによる弊害は数多くあり、運賃の高騰、車両当たりの乗客定員が減少するほか、バス特有の予測できない遅延壁があります。別所線の廃止を望む声は多くないですが、デメリットは数多くありそうです。
2023-02-15
39
学生による地域キュレーション2022(信州上田学A受講生)
長野大学の地域科目「信州上田学A」を受講した学生が「信州上田」を接点とした地域キュレーションの学習成果です。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します。 ▼カテゴリ1:蚕都上田
【1】
長野県の中でなぜ上田市が蚕都で有名なのか
【2】
上田の養蚕の歴史を掘り下げ、伝え続けるには。
【3】
蚕都上田の歴史と未来
【4】
製糸業の歴史
【5】
蚕都上田の歴史
【6】
蚕都上田
2023-02-10
40
「藤本蚕業アーカイブ構築」を振り返って
私はこの一年間地域資料のデジタルアーカイブ活動を行い、活用機会が無い地域資料の撮影とネット上の公開をしました。その中で藤本蚕業アーカイブについて紹介します。 藤本蚕業アーカイブは藤本蚕業歴史館史料をネット上に公開するアーカイブであり、かつて蚕の卵である蚕種の日本最大製造地であった上塩尻の中心であった佐藤家(藤本蚕業)所蔵の史料を扱っています。歴史館では蚕種にとどまらず歴史、文化、地理に関わる文書・書籍も多く有しており、アーカイブでも見ることが出来ます。私は当アーカイブにおいて主に史料の撮影、記事の投稿を担当しました。 実際の資料を紹介します。 1925年11月に発行された上田市図書館報第三号では、最も興味深い点として新刊の発表に法学系冊子を真っ先に乗せている点で、大正デモクラシ
2023-02-03
41
別所温泉駅周辺の聖地
最後に別所温泉駅周辺のロケ地! 「別所温泉駅」で撮影が行われたり、舞台となった作品は以下の通りです。 ・「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」(1976) ・「ROUND1」(2003) ・「君のままで」(2003) ・「いくつもの、ひとりの朝」(2006) ・「呪われたパワースポット」(2011) ・「シグナル~月曜日のルカ~」(2012) ・「時代屋の女房」(2006) ・「鉄道むすめ~Girls Be ambitious!~ 上田電鉄・別所温泉駅駅長 八木沢まい」(2008) ・「赤い糸の女」(2012) などがあります。 写真は「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」での実際のワンシーンです。上田電鉄 別所線 別所温泉駅とその周辺が映っています。現在は手前の木造の建物は確認できませんでしたが、駅舎はそっくりそのまま残っています。寅さんも上田を訪れていたんですね~。 https://
2023-02-01
42
別所線開通
私達が普段使う別所線 かつて上田盆地には全長57.2kmもの鉄道が張り巡らされており、別所線以外にも営業が行われていた。 現在上田盆地を走る鉄道は、1921年に開通した別所線11.6kmを残すのみである。 別所温泉駅は1921年に温泉客の交通手段として開通 当初は川西線としての開通であった。 その後1924年に川西線から別所線に改名されている。
2023-02-01
43
鉄道施設としての別所線
写真の通りに別所温泉駅では、日本遺産の別所線の鉄道施設としての説明看板が立てられています。 上田から別所温泉までの路線は大正10年(1921年)に開通したと書かれています。 また、真っ赤な鉄橋である千曲川橋梁(きょうりょう)は224メートルの長さであったそうです。 中塩田駅や別所温泉駅など駅舎に近代の趣が残っている様子が見る事が出来ます。
2023-01-22
44
交通機関を使って上田観光を!
上田市での交通手段は主に車、電車やバスなどの交通機関、タクシーなどがあります。その中でも特に、電車やバスといった交通機関は、たくさんの人々が利用し、日常生活に必要不可欠となっています。 上田市の主な電車には、しなの鉄道と上田電鉄別所線があり、上田電鉄別所線は大学前にも通っているため、長野大学の皆さんも普段から利用しているのではないかと思います。上田電鉄別所線は上田駅から別所温泉駅まで続いており、上田市屈指の観光地である別所温泉に気軽に行くことができます。上田電鉄別所線の車両には、1月1日~30日限定の車両「謹賀新年 HM」、「れいんどりーむ号 HM」、「真田傍陽線開業95周年 HM」「真田傍陽線廃止50周年 HM」、「さなだどりーむ号 HM」などのラッピングが施された特殊車両があり、外見でも楽しむ
2023-01-19
45
プロジェクト研究 週ごとの報告集
2022年度の研究における週ごとの報告をまとめました。 可能な限り、同じ週に投稿した動画も添付しておきます。 0510 5月9日は、それ以前の週で行った研究に際しての動画制作とその公開に関する記事をマイサイトに投稿しました。詳しくはそちらに記入してあります。 また私は16日のゼミには参加できないため、研究テーマのまとめ制作を少しずつ進める予定です。
0613 コメント遅れてすいません。 活動報告はマイサイトの方に投稿済みです。具体的には、動画1本投稿、各チャンネルの傾向をメモ等を行いました。現在は動画を投稿しつつタイトル、字幕、チャンネル名、概要などの英語対応化を進めています。
0620 先週は動画を1本投稿し、今日マイサイトに報告を投稿しました。 https://d-commons.ne
2023-01-18
46
小文『プリンス・マツダイラ物語』
明治5年からアメリカへ留学した最後の上田藩主・松平忠礼と弟の忠厚。その後忠厚は日本へ帰ることなく土木と建築を学びアメリカ人女性と結婚し、エンジニアとして測量器具を発明、大陸各地の橋や鉄道建設に携わる活躍をしながらも肺結核に倒れ、37才の若さでデンバーで亡くなりました。 今では上田の方々にはよく知られた話ですが、2000年上田市立博物館での松平忠厚展を機にした『プリンス・マツダイラ物語』は、2人の留学に随行した山口慎(山口平太郎毅の息子)の孫の金子香代が2004年「文芸せたがや」に書いたものです。ファミリーヒストリーの延長で当時随筆部門の3席でしかなく、批評の通り、練り直しを考えつつもできないまま没しました。そんな母の小文ですが、最近Wikipediaなどから関心を持って下さる方がいるので、この場をお借
2022-12-02
47
上塩尻における養蚕業①
上田駅からしなの鉄道で一駅の場所にある「西上田駅」。 「西上田駅」は1920年(大正9年)に塩尻区の養種家などの請願によって国鉄信越本線の「北塩尻駅」という名で開業されました。1956年(昭和31年)に現在の西上田駅に改称されています。 駅前には【まゆ浪漫】という上塩尻における養蚕業の名残りに触れられるような散策ルートと説明が書かれた大きな看板が設置されていました。
2022-11-30
48
別所線再生支援の取り組み②
別所線では温泉駅前に移転した日帰り温泉施設あいそめの湯に併せ、別所線往復乗車券と入浴券をセットにしたお得な切符を販売されています。他にも一日フリーきっぷ、外湯入浴券付き切符、別所線・信州上田レイライン線電車・バスフリーきっぷなどがあります。 また、別所線の上田駅から別所線までの11.6㎞のうち、下之郷から別所温泉まではまるでレイラインに沿っているかのように見えることから、信州上田レイライン線の時刻表が上田駅にも張られている様子を見かけました。 地域の特性を最大限に活かすための鉄道の運営が盛んにされており、それが地域活性化や別所線再生支援にもつながっていくと思います。
2023-01-22
49
別所線のれいんどりーむ号
別所線の車両についてです。 別所線は側面に丸窓を持つ丸窓電車が走っていたこで知られ、丸窓は路線を象徴する特徴になっています。 平成17年2月には丸窓ラッピング電車の愛称が募集され、全国から250通の応募をもらいました。選考した結果、多くの人に夢を与えながら、ずっと走り続けて欲しいという思いからまるまどりーむ号になり上田駅で命名式が行われました。 現在では、信州上田日本遺産のラッピングがされたれいんどりーむ号も運用されている様子を見ることが出来ます。上田市の日本遺産のデザインとして、塩田平の歴史・文化の一つである雨乞いの儀式にちなんだ、塩田平に進む龍が表現されています。鉄道に親しみが持ちやすい愛称を募集したり、地域にちなんだデザインがされたりしている様子から地域住民に密着した鉄道だ
2022-11-29
50
災害と別所線について
今ある別所線の下之郷駅には昔、西丸子までつながる西丸子線がありました。チンチン電車やマッチ箱電車などの愛称で呼ばれ、通勤や通学時には混み合っていたそうです。しかし、昭和36年の梅雨前線豪雨によってトンネルや鉄橋などの破損し、電車の通行を休止するとともに、バス通行に変わり、昭和38年には廃止となってしまいました。 現在の別所線も2019年の台風19号による豪雨で千曲川にかかる千曲川橋梁が崩落して一部区間の運休が続き、一時期はバスで補っていたことがありました。 そのような状態だった別所線が廃止とならず全線復活して、今も鉄道として運行していることは素晴らしいことだと思います。 ローカル線が大災害によって、廃止になってしまうということは多くあり、そのたびに本当に鉄道として必要かどうか問われますが
2023-01-22
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企業社長より依頼された動画を作りました
今週は1本の動画を公開しました。
この動画はこれまでの研究に沿った動画ではなく軽井沢と銀座に店を開いているジェラート店「リビスコ」の社長さんの依頼と協力の元で制作したものになります。 ですが、動画の構成を鉄道動画界隈で非常に人気のあるジャンル「迷列車で行こう」(※1)にしたため、投稿後1~2日で当チャンネル最多記録である5302回再生、登録者+33人という数字を記録しています。 ここで得られた視聴者を維持、さらには増加に繋げられるよう、今後の動画投稿と研究を進めます。 ※1「迷列車で行こう」とは 自動音声ソフト「ゆっくり」を用いて、鉄道に関する「ちょっとおかしな車両」や「訳ありの鉄道会社の歴史」などを少し小ばかにしつつ紹介する動画ジャンル。今年で13年目を迎え、100以
2022-11-15
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「ナレーションとBGMのある動画を作ってほしい」という需要の発生要因について
間隔が開いてしまいましたが10月24日の報告になります。 動画は1週間前にナレーション版を投稿しています
今回は前回の報告の続きとして「ナレーションとBGMのある動画を作ってほしい」という需要の発生要因について2つの視点から考察していきます。 1、自身のチャンネルからの視点 私のチャンネルは趣味で始めたものであり、当初は肉声もしくは一般的に「ゆっくり」とよばれる合成音声のほか、BGMも使用して不定期ではありましたが約1年間動画を投稿していました。その期間にチャンネル登録などをして私の動画を視聴してくださっている方々はそのような内容の動画を期待していると言えます。 その後、今年度の研究を始めるにあたり字幕動画の投稿を始めたことで「期待していた動画と違う」と感じた視聴者層が
2022-11-04
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旧横田家住宅について
旧横田家住宅は1800年代前半から中頃にかけて建築されたとされる武家屋敷です。横田家は、幕末から明治・大正・昭和にかけて最高裁判長や鉄道大臣等多くの秀才を生んだ家です。明治時代には世界遺産の富岡製糸場へ伝習工女として働き、製糸場の様子を記した有名な「富岡日記」を書いた横田英がここで育ちました。
2022-10-29
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上田城のトンネル
上田城の外側の堀ですが、実は昔電車が通っていました。上田交通真田傍陽線(さなだそえひせん)という電車が50年間走っていました。 廃線となったのは1972年だそうです。なんか懐かしい感じ。知らんけど。
2022-10-29
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上田城跡 二の丸跡の歴史物① 二の丸橋
現在、市立博物館がある一角に上田監獄署ができたのは明治18年。城跡に残っていた石垣や土塁の上に更に高い塀を築き、周りを囲みました。現在の二の丸橋のところが正門となり、頑丈な門が石垣の間に作られました。そんな事情もあり、公園利用者のために二の丸橋の南側にもう一つ橋を設けていたようです。現在のけやき並木のところに鉄道(上田温泉電軌(き)北東線)を通すことになった昭和初年に、この橋は撤去されましたが、二の丸橋が二つあったというのは、現在では想像もできません。 <引用文>https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/shogaku/2024.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。上田城 二の丸跡の入り口には二の丸橋という橋があり、歴史を調べてみたら、二の丸橋が元々2つもあったなんて、驚きました。
2022-10-26
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千曲川橋梁
台風19号によって1度は崩落したものの、無事に元の姿に戻った千曲川橋梁。 赤い橋と夕日と別所線のコラボには鉄道ファンではなくてもどこか惹かれるものがあります。ぜひ1度は直接見てみてください。
2022-10-22
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長野飛行場跡地
長野県長野市大豆島には長野飛行場の跡地があります。長野飛行場は昭和14年に開場され、東京や大阪などに定期便が運行し、その2年後の昭和16年に軍用飛行場として利用されるようになりました。しかし昭和20年、太平洋戦争によって長野市は空襲に遭い、飛行場とその周辺の民家にまで被害が及びました。 戦後は民間飛行場としてセスナ機や鉄道機関、長野県警のヘリポートとして利用されていましたが、平成2年に閉鎖されました。現在は中学校や住宅が立ち並んでおり、一目見ただけでは跡地だとは分からないのですが、当時の滑走路は現在も道路として残っています。 現在の日本は戦争とは無縁のような社会ですが、この飛行場の歴史を知って、戦争というものを少し身近に感じました。
2022-08-09
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YouTubeに関する研究 6/27報告 日本語以外の字幕設定に関して
今週は1本の動画を投稿しました。
比較的再生数が多いですが、これは動画のテーマとして今現在日本の鉄道マニアからの注目度が高い「キハ40」という車両を取り上げたからです。 2本以上の投稿を目指すと先週言っていましたがスケジュールの確保に難航しており間に合いませんでした。 今回は海外視聴者向けの動画を作るにあたって重要な字幕について簡単にですが調べてみました。 余談ですが上記の動画で日本語字幕をあえて設定せずに視聴した人も一定数いたようです。 現在私の動画では、英語のみ字幕やタイトルを用意しています。他の成長著しい旅行チャンネルでは、価格表記や寄せられるコメント等から推測するに少なくとも5か国以上の字幕を設定していると考えられます。 私の動画でも複数言語の字
2022-06-27
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YouTubeに関する研究 6/20報告 「鉄道・旅行動画視聴者が望む動画」
先週は1本の動画を投稿しました。
私のような知名度の低いチャンネルが週1本だと成長や変化が分かりにくいため、今後は週に複数本の投稿を確立させたいと考えています。 ここからはこの記事の本題としてタイトルにもある「鉄道・旅行動画視聴者が望む動画」について記します。 視聴者層は大きく2分化されます。「ナレーションを許容する層」と「ナレーションを受け付けない層」です。 まず「ナレーションを許容する層」。日本の鉄道・旅行系動画はスーツ氏や西園寺氏、がみ氏、謎のちゃんねる氏等の肉声ナレーションを用いる動画が伸びた(高視聴回数、高収益等)ためにそのような動画を求める視聴者が増加しました。 現在私が調査している海外向け鉄道・旅行動画とは異なる動画のスタイルであり、日本ならで
2022-06-20
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姨捨駅と姨捨の棚田
標高551mにあるJR東日本の駅『姨捨駅』 日本三大車窓の1つとして知られている。 全国でも珍しい「スイッチバック方式」を採用しており、本当に行ってよかった「鉄道ファンがガチ投票!駅総選挙2022」では、第5位を獲得し話題となった。 ホームからは棚田と善光寺平を見渡すことができ、姨捨夜景ツアーも開催されている。 姨捨の棚田では、「名月の里 おばすて 千曲市棚田貸します制度」で棚田のオーナーになり稲作体験もできる。 2020年6月19日に文化庁から「姨捨の棚田」が日本遺産に認定されたことをきっかけに、2021年12月22日にオープンした千曲市日本遺産センターにも注目。千曲市内の文化財とストーリーなどの資料の展示、歴史の紹介、イタリアン料理も楽しめる。
2022-05-10
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JR飯山駅の五島慶太翁碑
JR飯山駅の構内に石碑があるのに気づきました。「五島慶太翁碑」と刻まれています。 五島慶太(1882~1959)は東急グループの創始者です。「碑の由来」には、五島は飯山線の前身である飯山鉄道の敷設に援助の力を尽くしたと記されています。逝去翌年の1960年に飯山駅開業70周年を記念し、五島の功績を顕彰して建てられました。
2022-05-05
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SL C56-144
佐久鉄道が国有化され、昭和13年に小海線の輸送の主役として活躍した。引退してあと、昭和48年に小諸市に貸与されました。C56は日本には20台しか残っておらずとても貴重な文化財であると言える。機関車の重厚な車体は迫力があります。
2022-05-05
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4/25 YouTube関係の調査概要など
今年度の個人研究の内容を概要ですが決めたのでまとめます。 テーマ.海外視聴者向けの旅行動画需要とその運用方法 きっかけ.昨年度は鉄道系YouTuberを中心に、YouTubeやYouTuberという職業の難しさとそれらの傾向について分析しましたが、最近投稿開始から1年もたたずに登録者が数十万人、再生回数が動画によっては数十万、百数十万回再生という驚異的な成長をするチャンネルが複数見られるようになりました。それらは、動画やコメント欄を見たところ、海外に向けた動画であるという傾向があります。よってこれらのチャンネルは従来の物と何が違うのか、また私のチャンネルでも工夫次第で成長が見込めるのかについて分析を行うという方向性にしました。 また、先週土曜日に公開した動画の4月25日現在の状況をまとめます。 動画URL
2022-04-25
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6 まとめ
明治~大正時代の文化や生活について調べていて、西洋の文化が取り入れられ現代つながる様々な変化が訪れたことを知り大変興味深く思いました。伝統や文化的特徴が残るというのは、そのもの自体に価値があることの証明なのだと感じました。 上田市も建築や鉄道開発などの点で影響を受けており、養蚕業で発展した街がさらに賑わうことの一助となりました。「蚕都上田」と呼ばれる当時の上田市は、金融業も盛んであり、資料で見てみると街の中の銀行の多さが如実にそれを表しています。製糸業の盛んな街には銀行の数が多いのも大きな特色なのだと思われます。 この探求を通して、上田市の文化的特徴や、当時の観光、産業の発展について深く知ることが出来ました。現在の上田市は、観光都市として発展しているわけではありませんが、こ
2022-02-10
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5 当時の上田市について
上田市の文化的特徴と言えばやはり「蚕都」として発展した点です。 養蚕業、製糸業を始め関連産業が好況で、桑園も拡大していき、多くの住民が蚕中心の生活をしていたのだと思われます。また、こういった街の繁栄は演劇等の娯楽にも広がり、演芸館・劇場が建つこともありました。さらに、市民の生活用品である酒類・醤油・味噌を扱う店、綿糸・染物を商う店、魚・金物・雑貨を商う店が集まり、上田の町の繁栄を支えていました。 観光の面でも産業の面でも古くからにぎわっていた街であり、また別所温泉などの温泉宿も多くあったため、観光地としても発展していたのではないでしょうか。 信州最古の温泉である別所温泉は明治時代にはすでに年間宿泊、入浴客数が2万人を超えており、大正時代には観光旅館として設立し温泉収入が別所
2022-02-09
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電化~国営化
昭和2年に富士―身延間、昭和3年には身延―甲府間の全面開通と同時に電化が完了した。この電化により、汽車運行時より約半分の時間で運行できるようになり、2年の間に旅客人数、旅客収入がともに2倍以上になり利用者が電化をどれだけ待ちわびていたかが分かる。 しかし、その後の会社経営は良好でなかった。その主な理由として、沿線の集落人口が多くなかったこと、身延参詣の乗客が予想以上に増加しなかったこと、工事など建設、設備費への投資によって運賃を上げてしまったことが上げられる。それだけでなく東海道線と中央線の接続線としての利用客が予想以上に多くなかったこと、山間部の土砂崩れや暴風雨による線路の補修工事による出費が重なったこと、そして世界恐慌により貨物輸送が伸び悩んだこと、これらの状況が重なっ
2022-02-06
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上田市「別所線応援プロジェクト」
令和元年台風19号に伴う千曲川欠損により、令和元年10月13日早朝に上田電鉄別所線千曲川橋梁が崩落した。そこでこのプロジェクトを始めると、上田電鉄別所線に対し上田市内外から数多くの鉄道ファンの方々から寄付が集まったそう。 [参考文献・写真] https://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/14543.html
2022-02-06
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1路線だけ生き残った鉄路
長野県上田盆地には始め五つの路線が張り巡らされていた。車社会の進展にともない昭和40年代までに次々と廃止となったが、唯一残ったのが別所線であったという。 しかし、昭和48年、輸送人員の減少を理由に上田交通が廃線を表明した時があった。沿線住民による存続運動が起こり、翌49年、国と県による鉄道軌道欠損補助の公的支援とともに、上田市が3年間の補助金を交付することで、別所線存続が決まった。3年後の昭和52年にも、沿線住民により存続運動が行われたが、この時点では上田交通の営業努力で赤字幅が減少していたため、廃線を免れている。 [参考文献] https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/63_p26_27.pdf [写真] https://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/5563.html
2022-02-06
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身延線の開通
明治38年あたり、以前の富士川鉄道を企画した資産家をはじめ、甲州の資産家らが賛同し、「富士身延鉄道株式会社」を設立した。この計画では以前の、富士市の岩淵から富士川の流域に沿って甲府までというコースから富士宮市大宮地区の経済発展を考え、富士から大宮を通り甲府に向かうルートで計画された。そのため、甲府までの鉄道の用地買収に加えて、先ほども説明した富士馬車鉄道の権利の買収を行なった。 日蓮宗の総本山である身延山参拝を鉄道計画の一つの目的としていたため、富士身延間の工事をまず行った。富士大宮間は問題なく開通された。しかし、大宮から芝川、そしてその北部の工事がはじまると、第一次世界大戦と重なり物価の異常な高騰により、建築資材の調達、用地買収が難しくなっていき、中断を余儀なくされてしま
2022-02-05
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富士地区の経済発展の成り行き
明治18年、富士地区で富士製紙株式会社の影響により、紙の資源となる富士山麓の木材を効率よく輸送するため、富士市から富士宮市大宮までの「富士馬車鉄道」が開業される。その後さらなる効率化を目指し、大宮から人穴まで富士軌道を開業し、この影響により、富士地区の経済は発展していった。 このころ、鉄道の開通の出願が増えており、この富士地区の鉄道計画に関して資産家らが「富士川鉄道」を設立し、国からの免許が下りたが、日清戦争により経済が悪化し、結局富士川鉄道に対して運行の免許が取り消されてしまった。
2022-02-05
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長野大学鉄道研究同好会N鉄―長大サミット2021発表団体/登壇者紹介⑥
▼発表動画
https://youtu.be/VR3TfoZnqbs?t=1627
別所線を中心に撮影や旅行を行うなど鉄道を接点に地域に根ざした活動をする団体。現在「別所線かけはしプロジェクト」に取り組んでいる。
Twitter:
https://twitter.com/nagadai_tetsudo?s=11
2022-02-04
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上田市の鉄道
上田市の主な鉄道は別所線があるが、ほかの栄えている都市の鉄道と比べると足りない部分が多いと感じた。足りないところとしては改札がない、駅員の以内駅がほとんど、電車の来る時間がながすぎる、駅前の道の舗装が不十分、駅のある道が大通りなどでないなどが挙げられた。さらに地図を見てみると別所線としなの鉄道が上田市を通っているが、このふたつが通る場所以外に鉄道などはなく車を持っていないと利用しきれない施設などが多くもったいなさを感じる。 改善策としては別所線の駅員がいないなどクリアし安いものは改善し、上田駅周辺の市街地にも鉄道を通し、別所線の足りない部分をその鉄道で満たせばさらに生活しやすい町になると考えた。
2022-02-01
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上田市の鉄道ルート
上田市は上田駅から別所温泉に伸びる別所線としなの鉄道が小諸や長野まで伸びてはいるが、別所線と反対方向の比較的栄えている上田駅前には他の鉄道が通っておらず、joyjoyなどの娯楽を楽しめる場所もせっかくあるのに活用しきれていないと感じた。
2022-02-01
74
4 年表からひもとく
坂井村誌内の年表を一部引用し、特に重要な部分をまとめた。
昭和12年(1937年)
・
盧溝橋事件が勃発。村内の予備兵に召集下令があり、村内に一気に緊張感が流れた。
・銃後後援会(後に奉公会)結成、村防護団結成・応召家庭の農作業奉仕。 ・軍の指示により、初めて防空演習が行われる。 ・国防婦人会結成(全村)、国民精神総動員長野県実行委員会(会長・県知事)坂井村支部(支部長・村長)結成。 ⇒日中全面戦争の開始に伴って始められた、国民の戦争協力を促す官製国民運動。「精動」と略されることもある。1937年(昭和12)8月第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣は「国民精神総動員実施要綱」を閣議決定し、同年10月「挙国一致、尽忠(じんちゅう)報国、堅忍(けんにん)持久」のスローガンのもとに国民精神総動員
2022-01-29
75
JR身延線とは
JR身延線は富士と甲府を結ぶ全長88.4kmを誇る鉄道で、39駅を通る。富士市を起点として、富士山と南アルプスに挟まれた富士川の流域を走り、甲府市を終点とするルートである。 富士駅では東海道新幹線の新富士駅とは接続されていないので、静岡駅から特急「ふじかわ」が運行されてる。この特急「ふじかわ」は静岡駅から東海道線で富士駅まで行き、富士駅から身延線で甲府駅までというルートとなっている。
2022-01-27
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上田電鉄株式会社の沿革
・大正5年9月17日 丸子鉄道株式会社 設立 ・大正9年1月5日 上田温泉軌道株式会社 設立 ・昭和14年8月30日 商号変更 上田電鉄株式会社 ・昭和18年10月21日 丸子鉄道株式会社と上田電鉄株式会社合併(商号 上田丸子電鉄株式会社) ・昭和44年5月31日 上田丸子電鉄株式会社を上田交通株式会社に商号変更 ・昭和47年6年30日 城下駅を無人化 ・昭和47年7月7日 中塩田駅を無人化 ・昭和61年9月30日 上田原駅無人化 ・平成17年10月3日 上田交通株式会社より分社 上田電鉄株式会社 設立 このように、上田電鉄株式会社は路線の縮小などにより会社規模を小さくしたり、子会社を合併したりと時代によって進化してきた。現在は東急グループの傘下に入っている。 [参考文献・写真] 上田電鉄株式会社ホームページ https://www.uedadentetsu.com/
2022-01-27
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上田市の位置は工業向き
・日本のほぼ中央に存在するため交通インフラが良い 鉄道:JR北陸新幹線・しなの鉄道・上田電鉄別所線(上田駅で接続) 高速道路:上信越自動車道(菅平インターチェンジ) 東京から約190km(北陸新幹線で最短80分) 県庁所在地長野市から約40km [参考資料] 上田ってどんなところ?-上田市ホームページ(https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/uedapr/5606.html) 上田市ホームページ 上田市 上田市長 土屋 陽一 2022/01/19参照
2022-01-25
78
戌の満水とは
長野県千曲川流域の歴史的な洪水として、仁和4(888)年の洪水、弘化4(1874)年の善行寺地震の後の洪水がよく知られている。ところが、寛保2(1742)年の洪水「戌の満水」は、全国的にも近世以降最大の水害と呼ばれているのに知らない方が多い。 その理由の一つとして、昭和16(1941)年に連続堤防が完成、大きな水害が激減し流域住民の洪水への恐れ、関心が急激に薄れてきていることが挙げられる。しかし、寛保の洪水が「未曽有の水害」「前代未聞の水害」といった表現のまま、流死者など具体的な被害実態が集計されてこなかったため、訴える力が弱かったこともある。 流死者は2800人前後に達することが明らかになり、長野県内で被害が大きかった「三六災害」の死者は107人、不明が29人である。現在の
2022-01-24
79
YouTubeを用いた情報発信 後期中間報告
YouTubeを用いた鉄道動画による情報発信について、 後期の中間報告になります。 スライドはあえて簡単なものにしました。 実際に動画を見てもらうことも兼ねているためです。 また、新しい動画も投稿しました。 下記のURLよりどうぞ。 チャンネルURL https://www.youtube.com/channel/UCsrC_Lq4hcpxyec0vmvT9FQ
2021-12-12
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12月第1週の報告
12月第1週には2本の動画を投稿しました。 そのうち2本目は、先日撮影した企画動画の1本目になります。 今後は、企画に沿ったシリーズを投稿することによる傾向を見るつもりです。 鉄道系の動画には大きく、「単発で列車や路線などを紹介する物」と「数回のシリーズに分けて1つの旅行や企画の様子を投稿する物」の2種類に分かれています。 これからは後者を優先するつもりですが、前者のような動画も多少投稿して、新規の視聴者獲得を狙います。 新作2本のURL
2021-12-06
81
明治二十四年上田全図
この図面は、上田の町を印刷により表わした初期の地図だ。実測図ではないため、縮尺や距離感は不正確である。地図の周囲にとは、明治維新後の近代化した上田の姿を、建築物を中心に表している。「上田尋常小学校」「高等小学校(旧藩主屋敷)」、「上田女学校」、「上田停車場」、「第十九国立銀行」、「上田橋」などが見られる。図面の中央の上田城本丸には「松平神社」がある。また、本丸には櫓が2基残っていたことがわかる。二の丸は「監獄」となっている。また、大手門の堀が残存していた。明治21年に鉄道の駅「上田停車場」(現在の上田駅の前身)が営業を開始するとともに、駅と「海野町」「原町」をつなぐ「松尾町」も開通した。
2021-11-14
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11月第1週の活動報告
11月1週目は動画の投稿はしていません。 その代わり、次回公開予定動画3本分のサムネイルを制作し準備しています。 前回、前々回でサムネイルデザインを新しくしましたが、「グラデーションの色合いをあと少し見やすくできると思う」という意見を元にさらに若干の変更を加えています。 前回の記事では書きませんでしたが、サムネイルの変更理由には、「マンネリ化している鉄道動画界隈のサムネイルデザインからの脱却」を目的としています。 YouTubeにて検索して頂けると分かるかと思いますが、鉄道動画のサムネイルは投稿者の実力等とは関係なく、どれも似通った見た目になっており、見やすくはありますが個々の特徴が感じられなくなっている傾向にあると思われます。 (例、黄色や赤色の単色で大きな字、字は写真の上に直接載せる、
2021-11-08
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10月最終週の活動報告
11月最終週には2本の動画を投稿しました。 それぞれの制作ポイントは以下の通りです。 【E4系Max】 ・車窓以外の視点を増加。 ・動画の前枠・後枠を制作。 ・サムネイルデザインの一新。 【成田エクスプレス】 殆どはMaxと同様です。 ・後枠を削除し、前枠のみに。 また、冬の北海道鉄道旅シリーズにて好評であった、 地図を用いての解説ですが、 現在、就活等によって編集時間を設けることが困難になっているので割愛しています。今後地図を用いるのは、地図の必要性が高いと判断された動画のみにしようと検討しています。 双方の動画とも好評のようで、アドバイザーの中には 旅行好きのご家族や友人に動画をおすすめしてくれた方もいるようです。 この1か月間で登録者数は66人になりましたが、既存動画の再生数が殆ど変わって
2021-10-31
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2020信州上田学Aふり返りまとめ
▼全体まとめと成果
2020信州上田学A講義録
(担当教員:前川道博)
信州上田学A2020⑭オンライン発表会記録
2020/07/29
>信州上田学2020/学びの成果発表会
(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼上田市行政チャンネル
>長野大学公開講座「信州上田学A」学生と市民の合同発表会
2020/07/29
>信州上田学2020/学びの成果発表会
(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼学生受講生のマイサイト
ニックネーム、テーマと内容は一致していないケースがあります。
上田の食
2021-10-06
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これまでの動画改善点に関して(2)
これまで投稿した動画毎に行ってきた意見聞き取りと改善点について簡単にまとめました。 2,冬の北海道鉄道旅に関して(第0、1,2、3、4) 第1,2,3回については自動音声(以下ゆっくり実況)を用いて制作しました。理由としては以下の2つです。 ・「鉄道旅ゆっくり実況」という動画のジャンルが存在しており、それをテーマにすることで初心者でも再生回数の向上が見込めるため ・ナレーションの原稿制作と収録の手間が省けるため 意見 第0回・次回予告に期待が持てる。 ・ナレーションはまだまだ練習が必要 →ゆっくり実況へ移行予定であったため具体的 反映はせず。 第1回・分かりやすくて面白かった。 ・ところどころにネタ要素を入れているのが 良かった。 第2回・コロナで遠くへ行
2021-07-26
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これまでの動画改善点に関して
これまで投稿した動画毎に行ってきた意見聞き取りと改善点について簡単にまとめました。 1,実験的投稿動画に関して(常磐線、東京駅、しおさい号) 意見・初めてにしてはよくできていると思う(常) ・地図を用いたのが良かった(東) ・解説に合わせて画像を入れる等してほしい(東) →次回に反映(し) ・字幕の向きは横向きの方がいいと思う(し) →次回に反映(冬北鉄旅) ・サムネイルの文字が小さい気がする(全部) →(東)と(し)のサムネイルを変更。その後再生数向上 上記の3本の中では、(常)が群を抜いて再生数が高い状態です。理由としては、 ・サムネイルに珍しい車両を採用 ・日立市内の常磐線というこれまでの鉄道系動画になかったコンテンツだった。 等が考えられます。 冬の北海道鉄道旅シリ
2021-07-19
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岡谷探索-4
岡谷駅の駅名標。岡谷駅は1905(明治38)年に鉄道院中央本線の終着駅として整備された。製糸業の中心地として、繭を県内・県外に輸送したり、石炭を天竜川の船に輸送する役割を果たした。1905年は日露戦争の年であり、またその4年後に日本は生糸輸出量で世界一位となっている。日本の産業、また国力上重要な期間に岡谷駅は整備されたのである。
2021-07-19
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鉄道をテーマにした動画投稿研究に関する中間報告(2021/7/5)
7月5日ゼミ内の中間報告の資料です。 詳細は添付してある資料をご覧ください。
2021-07-04
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馬車鉄道石碑
何故かミニストップ(コンビニエンスストア)の裏にある石碑。明治時代に鉄道が栄える前に存在していた馬車による鉄道の停車場跡地。 歴史の存在を思わせる。
2021-05-06
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つみつみいちごファーム(岐阜県)
岐阜県本巣市にあるいちご狩り園です。岐阜県の特産である濃姫という品種のいちごを食べ放題でいちご狩りができます。濃姫を食べてみると甘みと酸味の両方を感じます。近くにはカフェもあり新鮮ないちごを楽しむことができます。
2021-05-05
91
しなの鉄道線路
しなの鉄道の線路を上田自動車学校の近くの道路から撮影した写真。私の地元では、真上から線路を見るためには駅構内に入らなければならないが、上田では駅に入らなくても線路がはっきりと見える。このような場所でも上田の特徴が表れているのではないだろうか。
2021-05-05
92
養老駅
岐阜県養老町にある養老駅です。 養老駅では、入り口に掲げられている駅名の看板や、駅前のオブジェ、駅の天井などに養老町の名産品のひょうたんがあります。 風のある日には、天井からぶら下がっているひょうたんがぶつかり合いきれいな音を奏でています。
2021-05-05
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[14/09/11]真田町を進む、途中駅前食堂
旧真田町に入って間もなく「駅前食堂」が右手に見えてきます。この店名が面白い。かつて鉄道・真田傍陽線が通っていたときにここに駅があったことに由来しています。隠れスポットとして知っておくと訪れたときに楽しいです。ただしこの時は通過しました。 最初に向かった先は真田氏歴史館です。
2021-05-01
94
長大サミット動画記録
主催:長大サミットプロジェクトチーム 開催支援:長野大学地域づくり総合センター <頭出しリンク>
>開催趣旨
?t=87>代表者あいさつ(竹内美里)
?t=163>第1部・プレゼン大会
?t=180>①MIZUMATCH
?t=455>②NIC
?t=741>③AltuM
?t=1013>④ワカモノLABO@上田
?t=1405>⑤ΓEN(ゲン)
?t=1627>⑥長野大学鉄道研究同好会N鉄
?t=2103>⑦芋川史貴
?t=2550>⑧竹内美里
?t=3372>第2部交流会「
2021-03-18
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上田電鉄別所線の終点が今とは違う場所になるはずだったという話
上田市誌近代編(4)⑰変わる人や物の流れ 106ページより。 延伸計画とはまた異なるが、別所線の終点が現在の別所温泉駅よりも先、北向観音の下になるはずであったという内容が載っている。 ルート案が常楽寺の方を通るか、旅館花屋のそばを通るか考えられたが、2通りで対立してしまったため現在の位置に落ち着いた、ということである。 私は何度か別所温泉駅から北向観音や大師湯などへ歩いて行ったことがあるが、上り坂を10分ほど歩かねばならず、たしかに鉄道がそこまで伸びていれば大変利便が良かったのではないかと考える。
2021-02-27
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上田松本間に計画された鉄道(丸子経由案)
丸子町誌歴史編下巻の217ページに記載されている図である。 丸子町誌には詳しいことは書かれていなかったが、図から考えると、丸子線の丸子町駅から延伸し、国道254号や県道185号などに沿うような形で建設される計画だったのではないかと考えられる。 この図がいつ頃書かれたものなのかは記載を確認できなかったが、浅間温泉~松本間の松本電気鉄道浅間線が描かれていないことを考えると1964年から1969年の丸子線廃止までの間に書かれたものなのではないかと考えた。これについては今後問い合わせるなどしたいと思う。 また、次のページには、「丸子町から和田もしくは大門の峰を越えて諏訪地方に入り、中央本線と連絡する構想」があったともされている。
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上田温泉電軌真田線の延伸計画について
1926年11月25日の官報第4277号と1935年9月16日の官報第2613号に、上田温泉電軌(現在の上田電鉄)真田線の真田から先の区間の延伸について記述があった。 以下が国立国会図書館デジタルコレクションのURLである。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956427/3 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959092/4 この2つの官報では、終点であった真田駅から先、当時の小県郡長村の大字であった大日向地区への路線敷設免許の下付と失効それぞれについて記述されていた。 下付が1926年、失効が1935年であることを考えると、その間の昭和恐慌によって計画を断念せざるを得なくなってしまったのではないかと考えられる。
2021-02-27
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上田松本電鉄計画
1951年に運輸省告示第二百四十八号にて告示されたものである。 国立国会図書館デジタルコレクションのURLを以下に張り付けておく。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2963979/4 この計画は「上田松本電鉄」という会社のもので、一説によるとかなり本格的なものであったとされる。 以下、内容を要約する。 申請の理由 ・もともと国鉄信越本線、篠ノ井線が開通するまでは松本~東京間の街道筋に当たっていた ・現在は急峻な峠を越えて往復する1日4回のバスがあるだけである ・上田~松本間が3時間以上かかる ・冬季は降雪に阻まれて運行不能となる不便さがある ・輸送力が少ない ・沿線の産業、文化、観光資源の開発などに、非常な障害となっている 開通のメリット ・上田~松本間がわずか1時間半で到達される ・沿線住民が多大な利便を
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上田松本間に計画された鉄道
大正8年(1919年)に泉田村に提出された、鉄道敷設に関する意見書の内容を まず前置きとしては、 ・上田松本間はもともと2つの県道で旅客や貨物の輸送が盛んだったが、信越本線と篠ノ井線ができたことによって衰退した。 ・世の時勢が交通機関の発展を促している ということが述べられている。 この路線が開通した時のメリットとしては、 ・沿線に浅間温泉、別所温泉、田沢温泉、沓掛温泉などの年間の観光客が10万人を超える観光資源がある ・沿線に石炭などの特産品が少なからずある ・信越本線と篠ノ井線の半分の距離しかない (関東と濃尾地方の連絡にも大きな利点がある) ・篠ノ井線が塩沢の辺りなどで地盤崩壊が起きるときにバイパスとして機能する (軍事的にも利点である) ことが挙げられている。 当時沿線で石炭の
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長大サミット発表団体/登壇者紹介
①MIZUMATCH →
プレゼン資料
「ミズとマチ(水と街)をマッチさせよう」をコンセプトに、上田市、千曲川を拠点に活動する団体。最近は菅平高原でのスカイランタンイベントをクラウドファンディングで実行するなど幅広く地域貢献活動に取り組んでいる。
Twitter:
https://twitter.com/mizumatch?s=11
Instagram:
https://instagram.com/mizumatch_wkwk?igshid=15je1ichh0kim
②NIC →
プレゼン資料
長野大学の国際活動を行う団体。外国人を招待してイベントを開催するなど日本と外国のつながりを大切に活動する。
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2021-02-21
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