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1
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生) 長野大学の地域科目「信州上田学A」2023を受講した学生が「信州上田」を接点として地域キュレーションした地域学習のアウトカムです。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します(2024/02/15更新)。 各キュレーションの「マイテーマ」は次のページからご参照ください。[
Vol.1
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Vol.2
]
▼社会福祉学部学生
いちご/上田の食
しおり/上田の食べ物
な/上田の日本遺産について
るるる/塩田平の文化財
2024-02-05
2
男池、女池
上田にある殆どのため池が戦国時代から江戸時代に作られた物である。男池、女池は江戸時代の仙石氏が上田を治めているときに作られた。次に男池の貯水量は約五万㎥で、満水面積は約二万六百㎡。一方で女池の貯水量は約一万八千㎥で、満水面積は約八千八百㎡。男池と女池を比較してみると、男池の方が貯水できる水の量が多い。現在は農業用水として使用されており、隣の産川から池に貯水されている。
2024-01-31
3
生島足島神社
生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社である。 初めて訪れた際に感じたことは、全体が赤で統一された建築に魅了された。赤くそびえたつ鳥居がとても印象的だった。 創建の年代は明らかではないが、平安時代の天皇からの崇敬が厚く、鎌倉時代の北条国時や戦国時代の真田昌幸からも寄進があり社殿を修築するなど古くから日本の歴史に関わってきた神社である。
2024-01-25
4
男池
日本遺産の「塩田平のため池群」の一つである。上田市の池は戦国時代から昭和時代までの間に数多く作られてきた。その背景には、上田地域が全国でも有数の寡雨地域であることがある。一方、雨が少ないため晴天の日が多く、気温も低すぎることは無かった。したがって、肥沃な土地で農業用水を確保さえすれば、水田農業に適した土地であった。農民たちはため池を造成し、男池も農業用水確保のために作られた。男池は、江戸時代に仙石氏が統治していた時に作られたため池であるとされている。江戸時代では、ため池の存在は重要であったため上田藩をあげて作られた。現在の男池は、農業用水として使われ、産川からため池に水を貯水している。男池の貯水量は約50000㎥で、満水面積は約20600㎡、堤高は8mである。 男池が作られた背景を知る
2023-11-30
5
学生の地域探究テーマ2023
【第3回課題10/19】信州上田学2023/マイサイトと探究テーマ ▼社会福祉学部学生 1 長野県の自然 2 蚕都上田はどのようにして生まれたか 3 上田の地域の特徴から、福祉に活用できる社会資源を考える。 4 上田にある文化財について 5 上田市の特産物にはなにがあるのか、特産物と気候や地形との関係、特産物を使った料理について 6 上田市の食とそこから見る地域の特性 7 上田城の季節による変化 8 食と福祉(飲食店と社会福祉施設、養護施設との連携) 9 真田幸村と上田の関わり 10 なぜ上田には晴れが多いのか 11 別所温泉の自然風景とその風景に関する歴史学的・地理学的な知識 12 上田と福祉について 13 上田市内の地区の名前の由来について 14 上田市は子育てや生活をする上で、便利な地なのかどうか 15 上田市の子ど
2023-10-29
6
真田昌幸
真田昌幸は戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。武田信玄・勝頼に仕え、武田氏滅亡後には自立した。子には真田信之、真田信繁らがいる。 上田合戦で徳川軍を2度に渡って撃退し、徳川家康を大いに恐れさせたという逸話があるすごい人物だ。
2023-02-08
7
壱叶・三かわ連署願文
この文書は戦国時代の武将室賀信俊の妻壱叶と、信俊の弟経秀〔の妻三かわが、武田信玄に従って出陣した夫〔の無事を、下之郷大明神(生島足島神社)にお祈りして差し上げた、お願いの文書で、願文といいます。戦国時代の女性の願文や女性の花押〔かおう〕(書〔か〕き判〔はん〕)を記した文書は、例が少なく大変珍らしいものであるそうです。 この時代の女性の苦悩がうかがい知れます。 https://museum.umic.jp/bunkazai/document2/089-5.html
2023-01-30
8
開善寺宛武田信玄定書
この文書は現在上田市新田にある海禅寺が、戦国時代に小県郡東部町海善寺地区にあった当時、武田信玄が永禄5年(1562)11月7日、この寺に祈念を頼み、願がかなったときには、開善寺(海善寺・海禅寺)に、以前の通り土地を寄付することを約束した定書であるそうです。 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/collection/item/0028.html
2023-01-30
9
向源寺宛武田信玄朱印状
この文書は戦国時代の永禄九年(一五六六)武田信玄が、重臣の三枝〔さいぐさ〕宗四郎昌貞に命じて「武田方の軍勢が向源寺(当時上田原にあった)境内で陣をとることを禁じ、もし命令に背〔そむ〕く者がいたら、子細〔しさい〕(くわしい事情)を申し出るように。」と、向源寺に伝えた朱印状だそうです(資料参照)。 信玄は信濃国へ、幾度か軍勢を出して合戦を繰りかえしています。このようなとき勢力下におさめた地域の主な寺や社を大事に扱うことが、民の心を安定させるために、大切であることを心得ていて、特に寺社に迷惑がかからぬよう、心配りをしていたことを物語る文書として貴重なものです。」 神仏への信仰心がもたらす力は信玄自身が一番実感していたがための行動だったのではないかと考えさせられます。 https://museum.umic.jp/bunkaza
2023-01-30
10
はじめに~武田信玄と上田のつながり~
武田信玄は戦国時代に甲斐国(山梨県)の守護を独占してきましたが、一見関わりのなさそうな上田とはいったいどのようなつながりがあるのでしょうか?。 信玄は領地拡大のために信濃に侵攻した歴史が残っています。現在の上田地域を支配していた村上氏との上田原の合戦、砥石城の戦いで負け戦さとなったものの最終的には、村上氏をも越後へ敗走させ、川中島の戦いを経て北信濃までその支配下に治めたのがおおまかな史実です。 上田との関わりは、玄配下の武将たちが起請文を奉じた場所が生島足島神社であり、数多くの古文書が残されているという点です。 https://museum.umic.jp/ikushima/komonjyo/index.html
2023-01-30
11
前山寺
真言宗のお寺である前山寺。 マツやサクラなどの並木が両側をおおう約150メートルの参道は、昭和54年に上田市文化財保護条例により市指定記念物に指定された。山に向かって参道を進むと、色あせた木でできた風情漂う門が出迎える。門をくぐった先には国の重要文化財に指定されている三重塔がそびえ立ち、戦国時代から伝わる建築美を間近で楽しむことができた。 入山料は一般・大学生200円。
2022-11-30
12
昭和の残り香を巡る~①上田城編~
上田城やその城下町が残る上田市、江戸時代より城下町として繁栄を続けてきた。今回の探求では知られざる明治から昭和時代の「昭和の残り香を巡る」というテーマで探求を行いました。 今回は「遊郭としての上田城」の紹介です。 遊廓(ゆうかく)とは、公許の遊女屋(女郎屋)を集め、周囲を塀や堀などで囲った区画のことです。 上田城は戦国時代、真田家の防衛拠点として大きな戦果を挙げた城で有名な場所であります。 一方、戦国時代が終わった後明治維新以降、二基の櫓は、払い下げが行われ、それぞれ金州楼、万富楼という名前を付けられ、昭和の初期まで遊郭の妓楼としての役割を果たしていました。 ※妓楼→遊女を置いて客を遊ばせる家。 防衛拠点としての上田城は皆さんが良く知る歴史であります。しかしそれ以降の歴史は知らな
2022-10-25
13
戦国時代の上田城
戦国時代、天才的な軍略家として称された真田昌幸が、上杉家に対抗するため徳川家康を説得し、上田城を築城した。上田城の築城構想は、実に巧みなものとなっている。 千曲川の北岸一帯は、神川や矢出沢川が作った谷間にある、勾配の大きな扇状地となっており、千曲川の河岸段丘となっている。そのため、大外堀の役割を果たしているため、簡単には攻め込まれない。城の南端でも、千曲川の分流が高低差の大きな岸をつくっていることや、対岸や東側も難攻不落の地となっている。 この時代から土地を生かした築城がされていたとは驚きで、上田の土地柄ならではのことであると感じた。 参考文献・資料 ・
信州街あるき 上田城址を訪ねる
・
上田城跡
2022-02-04
14
駿河と甲府の交通
戦国時代から江戸時代までは、駿州中道往還という陸路に加え富士川沿いの河内路、甲州沼津往還、そして富士川を利用した舟での輸送といった方法があった。 この富士川を利用した舟での輸送は危険を伴っており、明治18年には6名死亡、15名行方不明という水難事故があり、その後も多発した。
2022-01-27
15
戦国時代の話と小諸 火縄銃を中心に
2021/07/09 「渋沢栄一と小諸商人」展(糸のまち・こもろプロジェクト主催) 会場にて(長野県小諸市)
2021-11-19
16
雨宮刑部の墓
武田氏と村上氏の合戦である上田原合戦でなくなった村上側の武将、雨宮刑部(あめみやぎょうぶ)のお墓。道外れにひっそりと立っている。現在は公園や野球場がある場所で、合戦があり多くの人が亡くなったという事を知ることができた。また今自分がいる所は、昔何が行われた場所なのかに興味を持たせてくれた。
2021-05-05
17
古戦場跡公園
戦国時代に行われた真田と村上の戦いである、上田原合戦の跡地。現在は公園になっている。武田氏の快進撃を止めた戦いであり、この戦いで武田信玄は初期の武田四天王、板垣信方と甘利虎泰を失うこととなった。現在はグラウンドなどになっており、戦場跡は案外身近にある事を思い知らされた。
2021-05-05
18
塩田城跡の石碑
塩田城は北条義政が建てたと言われている。 また、戦国時代には武田氏の重要な拠点としても使われていた。その後、上田城が築城されたため廃城となったが攻めづらく守りやすい城である。この石碑は実際の塩田城の少し下に建てられている
2021-05-05
19
長沼地域の歴史
長沼地域は「大町・穂保・津野・赤沼」の4つの集落で構成されています。戦国時代には武田氏の北信濃統治の中心であったことから城下町として繁栄していました。 今は「信州リンゴ発祥の地」やアップルラインと呼ばれる国道があるほどリンゴの町として知られていますが、その始めは明治末頃から始まりました。
2021-01-25
20
柳町
柳町は戦国時代上田城の城下町として栄えました。 現在も石畳の道路や長屋など昔の街並みが残っていて雰囲気があり、思わず写真を撮りたくなっていまう外観でした。また、「犬神家の一族」のロケ地にもなったそうです。 地酒・信州そば・ワイン・酵母パンなど地域グルメを中心としたお店が並んでおり、雰囲気ある歴史的な街並みと上田の地域グルメを一度に楽しめる場所でした。
2020-11-03
21
『上田市史・上巻』1/2(1940年)画像データ
ページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。
1ページ
表紙
2ページ
序
3ページ
4ページ
緒言
5ページ
6ページ
編集の経過
7ページ
8ページ
目次
2020-06-28
22
『上田市誌』(全31巻 2004年)目次
『上田市誌』全31巻 発行:2002~2004年 編集者:上田市誌編さん委員会 発行者:上田市、上田市誌刊行会 以下から各巻の目次と奥付が参照できます。なお、対象の「上田市」は2006年の合併以前の旧上田市が対象です。
第01巻 自然編(1)上田の地質と土壌
第02巻 自然編(2)上田の気象と川や湖
第03巻 自然編(3)上田の動物と植物
第04巻 歴史編(1)上田盆地のあけぼの
第05巻 歴史編(2)上田の弥生・古墳時代
2020-06-27
23
真田幸村シール
名取製餡では、この信州上田でしかゲットできない大きなシールがある。 真田幸村公と大きく書かれていて戦国時代を感じられるような赤い特徴的なシールは、観光客に大人気である。
2020-06-12
24
高遠城址公園
高遠コヒガンザクラの見どころとして有名であり、戦国時代には、武田と織田の戦いが起こった。
2020-06-02
25
上田城趾公園
ここは上田城。 戦国時代に真田家が本拠地とした城であり、現在では天守閣のない城跡となっています。 美しい桜やライトアップなど、上田の観光名所の一つでもあります。
2020-06-01
26
土偶広場
朝日山系の麓に位置し、周辺では旧石器時代から戦国時代に至るまで数多くの遺跡が見つかっています。 忠実に拡大、再現されたたくさんの土偶が設置されています。
2020-05-25
27
松本城
松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観です。松本城は標高590メートルの盆地内平地に位置しています。江戸の家康を監視する城として、甲府城・高島城・上田城・小諸城・沼田城とともに秀吉側の城主が配置された江戸包囲網のひとつの城といわれています。 松本城の桜は、加藤清正が城見のために松本城を訪れた時に駒をつないだという話を伝える桜です。春にお散歩をしながらお花見をするのもおすすめです。
2020-05-24
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1
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