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1
上田駅
北陸新幹線、しなの鉄道、別所線が乗り入れる上田市の中心駅です。北口はお城口、南口は温泉口と呼ばれています。真田家の家紋である六文銭が特徴的です。通勤・通学に利用する人、観光に来た人などでにぎわっています。駅前広場の真田幸村の騎馬像が観光客を出迎えてくれます。上田の歴史を感じます。
2024-02-13
2
上田城
真田幸村の父、真田昌幸によって築城されました。桜の時期の祭りや、秋のライトアップなど一年を通して様々なイベントも行われ、地元の人たちにも愛される観光名所となっています。歴史ある上田の遺産に、皆さんもぜひ足を運んでみてください。
2024-02-13
3
眞田神社
東虎口櫓門を抜けると眞田神社がある。案内板によると上田城を築いた真田父子を主神とし、民政に尽くした仙石・松平の歴代藩主を祭神とした神社だという。眞田神社には合格祈願に訪れる学生の姿が見られた。日本一の智将といわれた真田幸村は今でも智恵の神様としてあがめられていることがうかがえた。
2024-01-25
4
学生の地域探究テーマ2023
【第3回課題10/19】信州上田学2023/マイサイトと探究テーマ ▼社会福祉学部学生 1 長野県の自然 2 蚕都上田はどのようにして生まれたか 3 上田の地域の特徴から、福祉に活用できる社会資源を考える。 4 上田にある文化財について 5 上田市の特産物にはなにがあるのか、特産物と気候や地形との関係、特産物を使った料理について 6 上田市の食とそこから見る地域の特性 7 上田城の季節による変化 8 食と福祉(飲食店と社会福祉施設、養護施設との連携) 9 真田幸村と上田の関わり 10 なぜ上田には晴れが多いのか 11 別所温泉の自然風景とその風景に関する歴史学的・地理学的な知識 12 上田と福祉について 13 上田市内の地区の名前の由来について 14 上田市は子育てや生活をする上で、便利な地なのかどうか 15 上田市の子ど
2023-10-29
5
錦絵真田幸村巡見図
大坂の陣で大久保彦左衛門とともに身を隠す徳川家康(左下)と、それを捜す幸村を描いている。明治期の錦絵。作者は月岡芳年。芳年は明治に入って近代的な感覚を盛り込んだ歴史画に本領を発揮した人で、特に欧米で評価が高い。
2023-02-01
6
錦絵真田幸村勇戦之図
慶長20年(1615)5月の大坂夏の陣における真田幸村の有名な奮戦ぶりを描いている。中央馬上が幸村、右にやはり馬上のその長男大助。幕末期の錦絵。 作者は歌川芳虎。芳虎は号を孟斎または一孟斎という。天保年間(1830年代)より明治にかけて活躍した浮世絵師で、武者絵を得意とした。
2023-02-01
7
真田幸村
幸村(信繁)は上田城を築いた真田昌幸の次男(信之〔のぶゆき〕の弟)として生まれ、2度にわたる徳川軍による上田城攻撃を父とともに退けている。 そして、大坂の役にあたっては、豊臣秀頼の大坂城に招かれ、徳川勢を相手に華々しい活躍ののちに討死〔うちじ〕にし、名を後世に残した。
2023-02-01
8
別所温泉石湯
別所温泉石湯石湯の表には、真田太平記の池波正太郎書「真田幸村公隠しの湯」の碑がたつ。 引用元 http://db.umic.ueda.nagano.jp/data/johogura/datadisp.php?arg_sano=2581061
2023-01-29
9
上田市の自然文化について
別所温泉は、信州最古の歴史を持つ七久里の湯と呼ばれる温泉を持ち、平安時代の有名な和歌集にも記されている。安息の場として栄えた別所温泉は、かつて真田幸村の隠し湯があったとも言われていて、1500年以上の歴史を持っているとされている。 また別所を含む塩田平は、信州の鎌倉とも呼ばれ、温泉に限らず多くの文化財が残されている。 「幕宮池」と呼ばれる池は、日本で最も降雨量が少ないとされる位置にあり、多くのため池が作られた場所である。 〈参考資料〉 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/others/01DD001H230003 https://adeac.jp/shinshu-chiiki/catalog/mh055500
2023-01-26
10
前川ゼミレポート
私は、なぜ上田氏は真田氏のPRに固執するかについて疑問を持ったため調べることにした。というのも、上田市には別所温泉近辺にたくさんの歴史的建造物があり、「信州の鎌倉」という別名まで付けられるほどのだからだ。そして「別所温泉」という名前自体は全国的にもある程度知られている。まったくの無名の観光地をアピールするわけではないのになぜここを差し置いて真田氏に固執するのだろうか。 真田氏に固執する理由として思いついたのが歴史好きに対するアピールの強さだ。二度にわたる上田の戦い・大阪の陣で有名な真田幸村にゆかりのある地(真田村)であることから、上田城や真田氏についてアピールできる。だが、この真田氏についてもやや疑問がある。一般人に「武将の真田」と言って思い浮かべるのは真田幸村だろう。この真田
2023-01-26
11
石湯
石湯の表には、真田太平記の池波正太郎書「真田幸村公隠しの湯」の碑がたつ。 https://museum.umic.jp/johogura/bessho/2581061/2581061.htmlより引用
2023-01-25
12
上田市立博物館
上田市立博物館に行き真田幸村(信繋)について学んできました。 真田家は織田、武田、豊臣家など仕える先を転々としており、豊臣家に仕えた時期が一番長かったそうです。 徳川家と豊臣家の関係が悪化してきた頃、幸村は豊臣家に誘われ、大阪城入りをします。 そこで真田丸という砦を城南に作ります。 その後に勃発した大阪冬の陣で徳川を破り、幸村は武名をあげました。 しかし、その後に起こった大坂夏の陣で徳川、真田両軍とも力尽き、幸村は命を落としました。 幸村がどんなことを行った人なのかよく理解していなかったので知ることができてよかった。 このほかにも上田の歴史を様々な面から見ることができて勉強になった。 また、十勇士の中で穴山小助、海野六郎などは実際に絵があったため 存在する人物であったと考え
2023-01-23
13
上田のelaboration
上田の一番の課題は地元の住民が上田市の歴史についての姿勢が問題あると考えた。交通の不便さ、若者へのアプローチの弱さ、そこから繋がる上田の地の魅力が広く知られていないなどの課題がいろいろある中、地元理解という土台が無ければ上田市が発展するにあたり、観光客の理解が深まらず上田の魅力が伝わらないと考えた。これより、上田の課題を地元理解に絞り、なぜその課題が提起され、その課題をどう解決させていき、どのような結果になることが理想的であるかを探究し提示することを目的とする。 例を挙げると、「真田丸」というドラマが始まり、真田幸村が大いに話題を呼んだ。上田市はその話題に際して、上田城を築城したのは真田昌幸であるという真実を広く公表することなくイベントや観光客を迎えた。さらに現在、上田
2023-01-19
14
12月22日分 調査まとめ
上田城の築城・歴史 「日本一の兵」真田幸村を輩出した真田氏は、現在の上田市真田町の周辺を拠点として活動していた。上田城の築城が開始されたのは1583年のことで、真田幸村の父である真田昌幸によって築城が開始された。当時徳川家康に仕えていた昌幸は、その援助を受けながら築城をしていた。しかし、北条と手を組もうとする徳川から土地の受領を要請された際にこれを拒否。徳川と断絶した昌幸は、上杉家に助力を求め次男の幸村を人質に差し出す。これにより、上杉方から戦力と築城の支援を受けた。上田城が一旦の完成を迎えた1585年、家康は鳥居元忠らを真田領に進軍させ「第一次上田合戦」が始まった。およそ1万の軍勢で進軍してきた徳川軍を昌幸は謀略を用いて少数の軍勢で撃退した。時は流れて関ヶ原の戦い最中の1600年、家康の息
2022-12-22
15
探求テーマ1
探求テーマ(タイトル) 上田市と真田について elaboration課題の提起 上田市はなぜ真田にこだわるのか なぜそうなのか(仮説) 1、「真田」は全国的に有名で細かい説明が不要という事。かっこいいイメージ(?)が強く、“真田幸村”、“不落城”というような名前だけで一定数のファンを獲得できるから。 2、「真田」というブランドが確立されているので、産業などを成長させる労力、資金を抑えられる。(もともと有名なものは周知してもらう手間が必要ない。) 3, 真田幸村にあやかっている 何を探求するか 真田について 探求の目標(何を明らかにするか) 真田をアピールすることで起こるメリット、デメリット どのように探求するか 上田市民にアンケートを取り、意味内容の共通性と相違性を検討し、分類と分析をする。 週間計画(
2022-12-15
16
上田城
真田幸村で有名な上田城。二度にわたる徳川軍を退けた難攻不落の城と呼ばれている。大河ドラマの「真田幸村」や「サマーウォーズ」のモデルとしても知られ、多くのファンから人気の観光スポットにもなっている。春に行ったときは桜が満開で川に移る姿や楽し気な屋台の列が印象的でした。奥に進むと結構大きな神社もあって素敵な場所でした。
2022-12-05
17
上田探検 まちなか 上田城
ここは上田城です。歴史の偉人、真田幸村を輩出した真田氏の城であり、周囲は散歩コースとなっており、春は桜、秋は紅葉を楽しめる。上田城内は昔使われていた道具が展示されており、当時の上田城を堪能することができる。
2022-10-31
18
真田家が生む松代とのつながり
松代と上田のつながりとして、真田丸や真田幸村(信繁)で有名な上田にゆかりのある真田家が挙げられます。上田城主・真田昌幸の次男幸村(信繁)ではなく、長男にあたる真田信之が上田より松代に入部し、松代藩十万石は幕末まで治めてきました。 ちなみに、今年2022年は信之の入部400年目の年だそうです。真田家家紋である六文銭を商標にしている六文銭合資会社の存在がつながりの証拠とも言えるでしょう。
2022-10-30
19
真田十勇士②
③海野六郎 比較的目立たないが十勇士のまとめ役であり、いなくてはならない存在 知略で徳川方を悩ませた。 ④三好清海入道 像を見ただけではわからないが180センチで怪力の持ち主。 太い樫の棒を振り回し戦った。真田幸村の父と親戚。
2022-10-29
20
真田十勇士①
上田の町中にある真田十勇士の像を巡ってきました。 真田十勇士は架空の人物ですが、一人一人得意とする武器があり真田幸村とともに活躍したヒーローです。 前から気になっていたので調べてみました。 ①猿飛佐助 甲賀(滋賀県甲賀市に伝わる忍術)流忍術の名人 角間渓谷で修行をした。 ②霧隠才蔵 伊賀(三重県伊賀地方)流忍術の名人 甲賀忍術と伊賀忍術は対の関係 名前にあるように霧から雲隠れの術を会得。
2022-10-29
21
像
上田城内にあった、真田幸村の青年期の銅像がありました。凛々しい顔つきをしていました。
2022-10-29
22
真田神社
真田神社は、 2度に渡る圧倒的不利な状態の上田合戦に大勝利した真田幸村の神霊を祀っている神社。 恋愛、学業、スポーツ、ビジネスなどで、真田氏の知略や勝運にあやかれるパワースポットとして人気の神社。
2022-10-28
23
上田城 二の丸跡の歴史物⑤ 青年眞田幸村公之像
幸村の初陣とされる第一次上田合戦頃の、青年・真田幸村をイメージして造型されたもの。彼の眼が見据える先は徳川の大軍である。 <引用文> https://kojodan.jp/castle/60/photo/229664.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。 青年時代の真田幸村を表した銅像。眞田神社すぐ横にある。後ろには、壮大な景色が広がっていてとても綺麗でした。この銅像の場面は幸村の初陣、徳川との戦いを表しています。なんとこの戦いの結果は幸村が勝利を収め、大名として独立を確定させた戦いです。こう言ったことから眞田神社のご利益が「勝負運」なのかと考察できました。
2022-10-27
24
真田幸村の神輿
上田城周辺には真田幸村の神輿があります。近くに行ってみることはできませんが、遠くから見ることはできます。
2022-10-27
25
真田幸村
上田市立美術館には真田信繁(幸村)の肖像画があり、 なんと複製品ではなく、本物なので見る価値ありです。
2022-10-27
26
真田神社
真田神社は、2度に渡る圧倒的不利な状態の上田合戦に大勝利をおさめた真田幸村の神霊を祀った神社。 恋愛、学業、スポーツ、ビジネスで「ここぞ!」という時に、真田氏の知略や勝運にあやかるパワースポットとして人気
2022-10-27
27
杉並木古株
正福寺の千人塚のすぐそばにあります。かつてここには杉の木が267本あったらしいです。杉の木は上田城築城の際に有名な真田幸村…の父親である真田昌幸が植えたと伝わっているそうです。
2022-10-24
28
安楽寺本殿
天長年間(824〜834)の創立と言われている。 曹洞宗の寺院 当時の国宝、重要文化財など、多くの鎌倉時代の文化遺産を貯蔵する、信州最古の貴重な禅寺となっている。 真田太平記では、真田幸村が別所温泉を訪れた際の常宿(隠れ宿)として、そして草のものの隠れ家として記されている。
2022-10-23
29
上田市ならではのコンビニ
上田城近くのコンビニの外観。六文銭や真田が描かれているのは上田ならではといえる。コンビニの他にも、上田には真田モチーフのものが数多くあり、少し歩くだけで上田市の歴史に触れることができる。
2022-10-23
30
眞田神社
上田城内でも賑わいを見せていたの眞田神社です。 写真スポットとして、神社の中には、直径2メートル、高さ2.7メートル、あの真田幸村が使っていたかぶとと同様に鹿角をつけた朱色の巨大なかぶとがあります。また涼しげな厄祓い風鈴が連なるきれいな場所もあり、いかにもインスタ映えしそうだなと思えるところです。 私が独特だなと感じたのはおみくじ通りです。あまり他の神社では見られない、いろんな種類の趣向を凝らしたおみくじが所狭しと並んでいました。家族や友人と運試しをしてわいわい盛り上がれる良い思い出づくりになるのではないでしょうか。サマーウォーズの大ヒット祈願を行った場所でもありますし(ほんとに大ヒットになった)、ご利益も期待できそうですね。
2022-08-09
31
益子輝之さんが語る上田の近代@真田太平記館
6/3(金)午後、池波正太郎真田太平記館で益子輝之さんによる特別講座「近代の上田について」を聴いてきました。 この講座は現在、同館で開催中の展示企画「ご近所さんの近代遺産 原町通りの商店編」(3/26~6/19開催)にちなむ企画です。益子輝之さんにお会いするのも、お話を聴くのも久しぶりです。コロナ禍がそうした機会を妨げていたことは手痛かったですが、徐々に復調の方向には向かうことでしょう。 「近代の上田」というお題でしたが、前段でもある近世(江戸時代)のお話も長く、いつから近代に入るのかな?と思いながら、お話に聴き入ってしまいました。 明治2年に起きた青木騒動にまつわるお話は特に興味深く、神社の変遷、中納言などの位、明治天皇の御巡幸など、次から次へと矢継ぎ早に話は進み、メモしようがないぐらいに
2022-06-05
32
安居神社
こちらは、大阪にある安居神社。真田幸村終焉の地です。 父が始めた印刷会社のすぐ近くにありました。上田へ行き来していてもあまり意識したことなく、ひっそりとしたお社だなという印象。 真田丸前後に整備されて銅像ができました。 命日の頃には、はるばる上田の方からお参りに来られる団体もあるようです。その時代に先祖が関わったかは不明です。甥は真田丸のあった上町にある学校に通っています。勝手にご縁を感じています。
2022-03-01
33
石湯(いしゆ)真田幸村公隠しの湯について
石湯は真田幸村公隠しの湯とも言われています。 大河小説「真田太平記」に、別所の湯がしばしば登場します。 物語の仲で重要な位置を占める向井佐平次が真田幸村と初めて逢うのも、その幸村が女忍者の、お江(こう)と結ばれるのも別所の岩の間から湧きだす温泉の白い湯気の中だったそうです。 そして、関ヶ原の合戦には真田の忍者草の者達が、別所の里に身を潜めて上田城に篭城する昌幸親子をじっと見守っていたそうです。 今も豊かに岩の間から湧きだす温泉の石湯は真田氏にとって真田氏にとって大切な隠し湯だったそうです。 その前に建つ「真田幸村公隠しの湯」の票石は真田太平記の作者、池波正太郎氏の筆の物だそうです。
2022-01-26
34
飲泉搭について
3か所の外湯の近くには引用専用の「飲泉搭」があります。 飲泉搭は 石湯前、北向観音参道、大湯前の3つありました。 1つ目の石湯前の飲泉搭には「真田幸村公 隠しの湯 2つ目の北向観音参道には「慈覚大師之湯」 3つ目の大湯前には「木曽義仲ゆかりの葵の湯」 と書かれていました。 飲泉搭の横には注意書きがあり以下のようにあります ・温泉飲用の1回の量は一般に100〜150ml程度とし、その1日の量は200〜500mlまで ・食前30分~1時間がよい ・夕食後から就寝前の飲用はなるべく避ける ・15歳以下の方は原則的に飲用は避ける 実際に飲んでみると少し熱くて硫黄の匂いがしてゆで卵を食べているような気分になりました。 適量飲むことで健康にもいいそうです。 糖尿病、痛風、便秘などの効果も期待できるそうです。
2022-01-26
35
温泉(大湯・石湯・大師湯)
大湯 北条義政や木曽義仲が愛妾である葵御前としばしば入浴したと言われている。北条義政が浴室を建てたことから「北条湯」、葵御前にちなんで「葵の湯」とも呼ばれていたが、後にその溢れ出る湯の量の多さから「大湯」に改められた。 石湯 池波正太郎の代表作「真田太平記」で真田幸村と女忍者・お江が、ここ石湯で出会いその後結ばれるというエピソードから真田幸村の隠し湯であったと言われている。 大師湯 天長2年(825年)比叡山延暦寺の座主円仁慈覚大師が北向観音建立のために来る度に、好んで入浴したことからこの名がつけられた。かつては、北向山に参詣した籠の者が夜通し入れ替わりで利用したため籠の湯とも呼ばれていた。また、昔矢傷を負った雉子(キジ)が傷を癒やしたことから「雉子湯」と呼ばれたこともあった。
2021-12-21
36
上田駅お城口
上田駅といえば、真田氏ゆかりの六文銭マークのイメージが強いと思います。駅前の広場には真田幸村の騎馬像もあります。馬にまたがる勇ましい姿が印象的です。 周辺には中国寧波市から寄贈された石刻獅子像や、上田駅再開発のモニュメントとして作られた水車などがあります。どれも上田駅のシンボルとして親しまれています。
2021-12-21
37
上田城の歴史
上田城は、真田幸村の父、真田昌幸によって1585年に完成したと考えられている。初め徳川家康のもとで上杉に対する城として築かれたが、沼田領の帰属をめぐり、徳川と手切れとなり、その後上杉方の城として完成した。 その直後、徳川の大軍が上田城を責め、第一次上田合戦(神川合戦)が勃発したが、昌幸の巧みな戦術により徳川軍は大敗した。また、1600年には関ヶ原合戦の前哨戦といえる第二次上田合戦が起こり、徳川秀忠率いる3万8千人の軍勢が攻め寄せたが、これも見事に退けた。この徳川との二度の合戦に勝利したことで、真田と上田城の名は、天下に知られるところとなった。
2021-11-14
38
上田城 真田赤備え兜
真田の代名詞でもある全国的に有名な兜。真田神社の敷地内にあります。大阪夏の陣で大活躍した時真田幸村が、赤で統一した「真田赤備え」部隊の時にかぶっていた物を、撮影スポットとして作られたものです。とても細かく作られており、その大きさに圧倒されます。
2021-11-12
39
上田城の歴史
上田城は天正11(1583)年真田幸村の父である真田昌幸によって築城され、天正13(1585)年第一次上田合戦・慶長5(1600)年第二次上田合戦の二度にわたり徳川の大軍を退けたことで知られています。 二度もの実戦経験があり、上田城のような戦歴を持つ城は全国でも珍しく、他に例がありません。 関ヶ原の合戦後、上田城主は真田信之となり、以後には仙石氏(三代)、松平氏(七代)と代わり、廃城後は公園となり現在に至っています。
2021-10-29
40
真田神社
城門を通るとすぐにある真田神社は、松平氏を祀ってあった松平神社だったが、太平洋戦争後に歴代城主である真田氏と仙石氏も合祀されて上田神社となり、昭和38年に真田神社と改称されました。真田の知謀にちなんで、学業成就にご利益がある神社と言われています。その影響もあってか、神社を入って左側にある絵馬には学業成就に関した内容のものが吊り下げられていて、またその場所を写真スポットとしてもお客さんに提供している。記念写真をとる場所としても人気であります。
2021-07-23
41
上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から)
『
上田市史・下巻(1940)
』の「社寺古墳及人物誌/
人物篇
」をハイパーメディア化。(長野大学「マルチメディア論」2020/2021実習で分担作成)
人物01 真田昌幸
真田一徳斎幸隆の第三子、天文十六年生る。
人物02 真田信之
真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。
人物04 真田幸村
幸村は正幸の代二子、永禄十一年生ると云う。
人物05 仙石政俊
先の小諸城主後上田城主たりし仙石忠政の
2021-07-21
42
阿梅の墓、真田大八(片倉守信)の墓
白石市の当信寺に阿梅の墓、片倉守信の墓が並んで建っています。阿梅は幸村の三女、片倉守信は次男、真田大八です。真田幸村は大坂夏の陣の際に、敵将であった片倉重長に子どもの養育を託したと言われています。重長は阿梅、姉妹の阿菖蒲、おかね)、大八を養育しました。 阿梅は重長の正室の死後、重長の後妻となります。大八は片倉守信と改名して仙台藩士となります。大八の家系が後に復活を徳川幕府から許された仙台真田家になります。現在に至るもなお、姉と弟の墓が白石に残っています。昔を今に伝える数奇な物語です。
2021-05-11
43
真田幸村ゆかりの寺・清林寺
白石の寺・清林寺は、真田幸村の遺臣・三井奉膳が開基です。真田昌幸、幸村に仕えた三井景国の次男とされています。寺紋が真田家の家紋・六文銭です。
2021-05-11
44
片倉家菩提寺・傑山寺
★常英山傑山寺 http://kessanji.jp/ 白石市の傑山寺は、白石城主片倉小十郎景綱が片倉家の菩提寺として創建した寺です。本殿の前には片倉小十郎景綱公像が建っています。歴代藩主の墓所があります。 ☆仙台真田家と傑山寺 http://kessanji.jp/history/sanada.html
2021-05-11
45
上田城跡公園
徳川家康が上杉氏に対抗するために築城した。その後上杉に奪われ増築されている。真田氏が第一次上田合戦時、徳川の軍を撃退。現在残っているモノは江戸時代に再建されたモノらしい。堀は深く出入り口も限られているため、責めるのはとても苦労したことがうかがえる。自然豊かで、落ち着いているため観光目的でも休憩目的でも立ち寄る価値は十分あると思う。
2021-05-05
46
上田城 堀の中の自然
上田城の魅力の一つに堀がある。その中を歩いているとたくさんの自然に触れることができる。ふと上を向くと…。きれいな景色がどこでも見れてしまう。 昔通っていた電車の名残も感じながら、歴史ロマンに浸るのもいいのではないだろうか。
2021-05-05
47
上田城跡公園
上田城は、徳川の大軍を2度にわたって退け、日本全国に名を馳せた真田昌幸の居城です。 現在は城跡公園として整備され、上田市の観光拠点になっています。
2021-05-03
48
眞田神社
真田家が公に認め参詣のある唯一無二の真田神社。 真田氏発祥の地より時の流れに変節せず、誠の心で真田氏の遺徳を後世に受け伝える。
2021-05-03
49
真田神社
真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。おみくじの種類が豊富で、歴史に興味が無く友達や家族と来ても楽しめるだろう。
2021-05-03
50
[14/09/11]角間渓谷・鬼ヶ城と岩屋館
角間温泉は岩屋館のみが存在する温泉です。秘境の湯という感じがします。 この辺りから急に岩の絶壁が角間川に迫り、この道路もその間をぬって延びているかような場所です。「鬼ヶ城」の説明板には「角間鬼ヶ城遊歩道周囲略図」が描かれています。遊歩道に沿って行くと、鬼ノ門、鬼ヶ城があり、一杯清水の近くを通ってこの場所に戻れるようになっています。 それにしても、真田幸村ばかりでなく、坂上田村麻呂の伝説まであるとは恐れ入りました。
2021-05-01
51
[14/09/11]真田氏歴史館
真田氏歴史館が開館したのは1991年ということです。NHKのドラマ『真田太平記』(大河ドラマではありません)が放送されたのが1985年。ドラマで使用された昌幸・信之・幸村の甲冑などが展示されています。 開催中の企画展「大坂冬の陣」を見学しました。戦国武将の中でも人気が高い真田幸村の人気にもかかわらず、幸村所用の甲冑「南蛮銅具足」がそれほど有名でないのはどうしたわけでしょうか。「伝幸村」「幸村所用」とされる遺産はいくつかありますが、この甲冑もその一つです。
2021-05-01
52
真田神社
上田城本丸跡に鎮座するこの真田神社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。 しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平神社と称していました。 神社の近くには、実際に昔使われていた井戸や巨大な兜、真田幸村の像などがあります。 個人的には、神社前の門や兜が記憶に強く残っています。
2021-04-25
53
海野町商店街の起源
海野町商店街の始まりには、真田幸村の父の真田昌幸が関係している。真田昌幸は現在東御市本海野の海野宿がある地にあった、海野郷の豪族、海野氏の子孫だった。真田昌幸は1583年(天正11年)に上田の千曲川の支流にあった尼ヶ渕という地名の場所に城を築くときに、海野郷大平寺村にいた住民に町を作らせた。これが、海野町商店街の起源である。 参考資料 「海野町史」中澤好冨 「海野町商店街の歴史」 ナガブロ URL「
http://unnomachi.naganoblog.jp/e1286383.html
」
2021-01-27
54
上田紬の特色
上田紬の特色としては、手触りが良く軽く丈夫で、吸放湿性の高い絹であることが分かった。真田昌幸・幸村父子の活躍により有名になったことから、真田幸村のように丈夫で強いといわれることもあったそうだ。縞や格子柄のデザインが多く、シンブルで飽きの来ないデザインが江戸時代から受け継がれていることが分かった。 参考文献:上田紬 http://ueda-tsumugi.com/#rashisa 小岩井紬工房 http://www13.ueda.ne.jp/~koiwai-tsumugi/index.html
2021-01-26
55
上田探検Ⅲ 真田十勇士
前回の上田探検Ⅱでも上田十勇士の像を記事に取り上げました。前回は半分の五人しか見つけることができなかったので、今回は残りの五人全てを見つけることができました。少し前には真田十勇士を見つけるイベントもあったそうです。全て見つけてみて感じたことは、上田に根付いた場所にあるのではないかと思いました。
2020-11-14
56
上田探検Ⅱ まとめ
今回の上田探検では、上田駅周辺を中心に見てきました。私が気になっている商店街も見ることができて、ゼミの題材にもなると思います。上田は真田幸村の家紋である「六文銭」が至る所に書かれていたり、赤色を基調とした看板などがありました。上田名物の食べ物を食べることもでき、上田のあまり知られていない場所にも行けたので、自分の学びになりました。また機会があったら行きたいです。
2020-11-01
57
上田探検Ⅱ 真田十勇士
上田駅周辺を歩いているときにこのような像がありました。はじめは何の像かわかりませんでしたが、調べたら「真田十勇士」の像でした。真田十勇士とは、豊臣方の武将真田幸村の家臣として活躍したとされる十人の勇士の総称のことです。私は半分の五人しか見つけることができませんでしたが、全員を見つける楽しみがあります。像になるということは、ここ上田にとって重要な人たちなのだと感じました。
2020-11-01
58
真田幸村
あの大河ドラマでも有名になった、真田丸の雰囲気を味わうことができます。外見からも目立ちますが、お店に一歩足を踏み入れると、外見からは伝わらない豪華さに圧倒されました。関西や遠方からも訪れる人が多い印象です。歴史好きで入場無料好きにはたまらない場所だと思います。
2020-10-16
59
上田城
上田市に引っ越して間もない5月に上田城を訪れました。 上田城は真田幸村の父、真田昌幸によって築城され、徳川氏の軍勢を2度にわたって撃退したことで有名です。巨大な堀、城への入口の狭さなどの敵軍を寄せ付けない様々な工夫から、築城能力の高さがうかがえます。 私が上田城を訪れた時は春でしたので、木々には緑の葉が生い茂り、共に見る上田城はとても美しかったです。桜や紅葉の時期に行けばまた違った美しさがあると思うので、ぜひまた行きたいと思いました。
2020-10-04
60
水で浮き出る幸せおみくじ
上田市の眞田神社にあるおみくじ。水に通すことで文字が浮き出る仕組みになっている。普通のおみくじにはない遊び心がある演出となっている。わたし自身普通のおみくじではなく、この水で浮き出る幸せおみくじを引いたのはそのような遊び心によるものが大きかった。また書いてあることも普通のおみくじと同じなので是非オススメしたい。
2020-08-07
61
真田十勇士小型像 現代アニメチック風に
この像は真田十勇士の望月六郎蔵である。真田幸村と共に活躍したという真田十勇士は立川文庫が明治末に創作したヒーローである。 望月六郎は見てわかるように火遁が得意。早くから真田親子に従い影武者をした経験もある。 あの大河ドラマ真田丸でも活躍した経歴をもつ。 私はこの像が街中の交差点にあったとしても一際存在感を放つものであったと感じた。
2020-08-07
62
上田駅に行ってみて
上田駅には真田幸村の六文銭が大きく飾られていた。駅の前の広場のような場所もとてもきれいだった。しかし駅前の坂を登っていくと、だんだんシャッターでしまっている店が多くあった。夜になると駅前とは思えないほど車の通りは少なかった。
2020-08-06
63
上田城跡
真田幸村の父、真田昌幸によって築城された。 日本百名城二七番・日本夜景遺産に認定されている。 写真は上田城東虎口櫓門である。「真田石」と言われる直径約3メートルの大きな石が石垣に使われている。
2020-07-22
64
人物04 真田幸村
幸村は正幸の代二子、永禄十一年甲州躑躅ヶ崎なる真田屋敷に生ると云う。 『上田市史・下巻(1940)』1196頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌 人物篇
2020-07-20
65
ようこそ上田 真田幸村と行く上田城
上田のシンボル、上田城の魅力をおもてなし武将隊の真田幸村公が紹介してくれます! 長野大学インターンシップ(2014)により制作した映像 協力 上田市観光課
2020-07-12
66
商店街に潜むマスコット1
商店街を歩いていると、なにやらかわいらしい物を見つけました。 これは、真田幸村とともに活躍した上田十勇士なんだそう。 これ以外にもまだ7体。探してみてはいかがでしょう。
2020-06-24
67
真田幸村シール
名取製餡では、この信州上田でしかゲットできない大きなシールがある。 真田幸村公と大きく書かれていて戦国時代を感じられるような赤い特徴的なシールは、観光客に大人気である。
2020-06-12
68
崇福山 安楽寺
信州最古の禅寺である安楽寺の池です。別所の湯で出会った幸村と左平次はこの寺で語り合い、最後の時まで続く2人の友情はここから始まったとされています。 その境内の中にとても美しい池があります。牡丹と鯉がとても良い絵になります。
2020-05-26
69
町の中心
言わずと知れた上田駅わが町の玄関といっても過言ではない
2020-05-26
70
信州上田の入り口上田駅
上田市の入り口である上田駅、特にお城口には多くのグルメや、カラオケなどの娯楽がある。 上田商業施設の中心といってもいいだろう。
2020-05-26
71
生島足島神社
生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神祀られている信濃屈指の古社。 赤を基調とした厳かな雰囲気で「夫婦欅」や「家族幸せの欅」など普段あまり見られない神木が見られるのが面白い。また、真田幸村ゆかりの地でもあります。 この神社は日本の中心にある神社だとも言われています。 ご利益がありそうです。
2020-05-24
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