大洗町とガルパン 震災当時の商店街のお話
アニメ「ガールズ&パンツァー」の製作が開始された当時、大洗町は震災後の苦境にありました。
観光客数は前年の10分の1になり、当時の様子を商店街の人々は「商店街が死んでいた」とも言われていました。
そんな中製作され放映されたアニメ「ガルパン」。
舞台が大洗町に決定した理由は、偶然制作関係者の出身が大洗町であったということ。
アニメの放送時期には町の人々はほぼ無関心であったと聞いています。
しかし、製作開始前に大洗の関係者の方は、「この作品に経済効果は求めない。町の人が一緒になって遊べて楽しめる、元気になる素材として使いたい」と言っていたそうです。
そしてこの願いはアニメ放送終了後、その年のあんこう祭りで叶います。
その年、大洗町の名物であったあんこう祭りではガルパンを取り入れた内容を開催し、10万人という来場者が訪れました。
これには町内外の大勢の人々が驚愕したそうです。そして、これを機に商店街の人々の熱が戻ってきたと聞きました。
私はこれが大洗町の団結力の元となった、ターニングポイントだと考えており、共通の意思、共感のネットワークの起源であると思っています。
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投稿者 | yt |
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