志津衛の三男、祖父の俊三は大柄で、運動神経抜群。
京城中学校が甲子園に出場した時、ホームランも打っています。
外地の学校も、船で日本に遠征していた時の写真です。
甲子園での第12〜14回に出場し、成績も残っています。
12回大会は大正15年(1926年)なので、志津衛殉職の後7年後のこと。写真には手書きで、1927年とありますので、13回大会の時のものと思われます。
大正天皇は12月25日崩御なので、この年はすでに昭和2年の和暦となっています。
日本と京城間は、頻繁だったことに驚きます。
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投稿者 | スピカ85 |
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カテゴリ名 | 人物伝 |
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