筑波研究学園都市の建設が始まったのが1970年代。初期に建設されたペデストリアンデッキの橋の銘板を見ると1978年が竣功年です。概ねその頃から学園都市の建設が本格化したとみてよいでしょう。その頃からは既に45年が経過しました。日本で本格的に都市計画された都市の先駆けと捉えてみると筑波研究学園都市の都市特性がよく見えてきます。
ここ10年ほどの筑波研究学園都市で著しい変化は「研究学園」地区の開発により中心部から研究学園への大規模な人口移動が起きてきたことでしょう。都市計画された新しい都市であったこの中心部が「旧市街地」化し、通常であれば中心市街地の衰退化を招きかねないところ、中心部には高層マンションが増え、公舎型の住まいから分譲型の住まいに移行しつつあります。人口は減らず、逆に増加しつつあります。全国的に少子高齢化の社会状況にありながらつくば市は例外的に毎年5,000人程度の人口が増加し続けています。都市全体の高層化がその変化をシンボリックに物語っています。
整然とした大きな区画、幅広い道路、ペデストリアンデッキにより接続された上層の歩道空間と下層の車道空間が分離した立体的な構造、綺麗に植えられた街路樹、電信柱のない景観、など、おそらく日本の都市の中でこれだけ美しく整えられた都市空間は稀有ではないかと思われます。都市が形成されてから40年近くが経過した都市の歴史的風格が加わっている点、幕張など新たに形成された都市空間とは異なっています。
都市の中心部でありながら、ペデストリアンデッキの張り巡らされた中心部は端から端まで徒歩10~15分程度の距離にあり、車に出会うことなく仕事や買い物などができるという点では、これ以上ないと言うぐらいのコンパクトシティです。「住みやすさ」「都市環境の心地よさ」が景観からだけでは見えにくい特性です。
ただしその一方で都市が40年以上も経過すると、初期に建設された公舎は古臭くなり、廃屋も増えてきました。おそらく将来に向けては徐々にそれらは新たな建物に代わる可能性があります。そうした都市環境の新陳代謝がやっと起き始めたとも言えます。
地区コード | 茨城県 |
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管理番号 | 3290 |
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カテゴリ名 | 地域めぐり・まちあるき |
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