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登録リスト(該当:603件)
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写真
タイトル
説明
登録日
1
上田市立中塩田小学校
中塩田小学校は今年度151周年です。 ここは、児童のみんなが登校する昇降口前です。
2024-06-25
2
諏訪神社
中塩田小学校やAコープしおだ店の近くにある神社である。鳥居の形が少し変わっており上の部分が屋根のような形状になっていた。民家のすぐ隣に建っているものの人通りは少なく静かな場所である。
2024-05-09
3
22世紀に残したい風景:稲わら焼きと「にお」
2005/11/02の記録。 私が上田に移り住んだ最初の年2005年。長野大学周辺の塩田平の景観に触れて一番心の虜になったのが稲わら焼きと「にお」の風景です。「にお」とは藁を円錐状に束ねたものの呼び方です。この呼び方自体、一般にも馴染みがありません。地元の方に呼び方を尋ねても知っている方は殆どいませんでした。 特に秋になると稲刈りの済んだ塩田平の田圃のあちこちから煙が立ち上り、風になびかれて横に流されて行きます。煙のたなびく風景に郷愁を感じ、いつまでこの風景を見ることができるのだろうかと思うと、愛おしく、かけがえのないものに感じられて心惹かれてきました。 稲わら焼きは地域によっては環境等に影響があるから禁止条例が出されているところもあります。また稲作は機械化が進み、このような昔ながらの農業が
2024-03-02
4
塩田平観光マップ(上田駅構内)今昔2005→2024
写真上:信州の鎌倉と周辺の図(2005/05/04の記録) 写真下:日本遺産・信州上田・塩田平(2024/02/03の記録) 上田駅構内のしなの鉄道改札出入り口に面したコンコースの壁に塩田平の大きな観光マップが掲げられています。塩田平が日本遺産「レイラインがつなぐ『太陽と大地の聖地』」に選ばれてしばらく経ってから「日本遺産」マップにリニューアルされました。 レトロ感たっぷりの「信州の鎌倉」マップが今となっては貴重な記録です。このマップ、デザインは古い時代様式のものです。退色もしています。あるいは退色したように装ったデザインかもしれません。一見したところ相当に年季が入ったもののように見えますが、新幹線や上田大橋が描かれてもいることから推察すると上田大橋開通後の2000年頃に観光PRのために掲げられたものではないかと
2024-02-19
5
信州上田学2023/地域キュレーションVol.1
長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「
信州上田学2023①~④地域キュレーション
」をご参照ください。 「
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)
」それぞれのマイテーマにリンクしています。[
Vol.1
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Vol.2
]
No.
ニックネーム/探究テーマ
探究のねらい
こぶた/別所を盛り上げるには
サークルの関係で別所に行く機会が多々あるが、別所の魅力にまだ自分自身
2024-02-16
6
泥宮に行ってきました。
泥宮まで行ってきました。 歩いて片道45分~1時間ほどかかった気がします。 流石に歩いていくのは時間がかかりました… 私のように散歩感覚で行くのはおすすめしません。 泥宮に行くまでの道のりは、行きは生島足島神社を通り過ぎて、交番があるあたりで右に曲がりました。曲がった先から道には街灯がないので、夜には行かない方がいいと思います。暗いしこの時期の道は雪があったり凍ってたりで危ないので。 帰りの道は、甲田池・塩田町駅・男池を通る形のルートで帰りました。 上田市は少雨地域である為、ため池が多いことは学びましたが、歩いていると思ったよりも近くにため池群があり、楽しかったと思うとともに、すべてのため池を巡りたいなとも感じました。 夜遅くに行ってしまったので、泥宮の雰囲気は不気味に思えました。
2024-02-13
7
別所温泉【第五回上田氷灯ろう夢まつり】
2月8日から2月12日の五日間、別所温泉にて【第五回上田氷灯ろう夢まつり】が開催された。「2024年は甲辰の年、塩田平の日本遺産が象徴する龍をテーマに新しく動き出す成長の年を表現します」というテーマで開催された。私はこのイベントに長野大学MIZUMATCHサークルの一人として、キャンドルアートの制作等に携わった。また、五日間参加した。 このイベントに参加して、別所は地域の人から強く愛されているということを実感した。また、来場者の方々とお話することがあったが、県外から来ている方もいらっしゃって、日本遺産である北向観音堂をはじめ、別所全体は、上田の主となる観光地であると感じた。このイベントには小さなお子さんから、家族連れ、若者、高齢者等様々な方が足を運んでおり、特に休日は多くの人で賑わっていた。このよ
2024-02-13
8
舌喰池
日本遺産の「塩田平のため池群」の一つである。年間降水量が全国で最も少ない上田市は、農業用水を確保するためにため池を100か所以上作った。そのうちの一つが舌喰池である。貯水量は、138,000㎥、満水面積は、61,400㎡、堤高は7.0mである。舌喰池周辺の水田では、上田藩で作られる米の約半分が作られ、他にも雨乞いをする儀式の場としても使われた。舌喰池の名前の由来の一つとして、ある昔話が関係している。昔この池が造られた頃、土手から水が漏れて、十分に水を溜めることができなかった。そこで池の改修をするにあたり、土手に、生きた人を土中に埋めて祈るという「人柱」を入れなければ水が溜まらないという話があった。 くじ引きで決められたある娘さんは、日夜悲しみに明け暮れていたが、人柱に立つ前の晩、身の不運を嘆いて舌
2024-02-13
9
中禅寺
中禅寺は、塩田平に仏教文化が根付いた時期を示す建築などがあるお寺だ。敷地はさほど広くないものの、薬師堂や如来坐像など、みるべきものが多い。 また、枯山水の庭も美しく、私が行った時には雪がうっすらとかかっていて風情があった。東屋もあるので、庭を見ながらくつろぐのもいいだろう、
2024-02-13
10
北向観音堂
北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場である。永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまうが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興された。本堂が北に向いているのは、日本でもほとんど例がない。 私は、全国的にも珍しい特徴があるため、観光客の興味を引きやそうだなと感じた。また、北向観音堂までは坂道が多く歩きづらいが境内は整備がされているため綺麗だった。周辺に温泉があることは、寒い時期でも行きやすくなる要因となっているだろう。
2024-02-13
11
ため池の自然における役割
天然の湖や池が少なく、川も浅い塩田地域では、ため池が水鳥のすみかとなっている。 また、水草が多く茂っているため池もある。その中には水辺にすむ昆虫などが生息していると考えられる。草が多いため池は十分に管理されていない可能性があり、自然に還りつつあるとの見方もできる。 水が少ない地域では、ため池は生き物にとっても貴重な水場である。しかし、ため池はあくまでも人工的な環境である。石やコンクリート、金属で作られた箇所が多く存在する。 ため池を人が利用し続けるなら、人工的な部分を残してもよいだろう。しかし、野生生物のためだけに保存するのであれば、パイプなどの人工物は撤去するべきだと考える。ため池を使い続けるのかどうか、はっきりと決める必要がある。
2024-02-10
12
前山寺三重塔
塩田平の南方、東前山の集落の山麓にある前山寺は弘法大師空海の開創と伝わる。 三重塔は室町時代初期の造立とされ、初層と二層に掲げられた大日如来の額で金剛界五仏を表す。 何らかの理由で二層・三層には扉や回廊がないが、簡素かつのびやかで美しいことから、未完成であるにも関わらず何の不調和もなく、「未完成の完成塔」と絶賛される。 一見、未完成の状態には見えず塔の精密さが感じられた。
2024-02-09
13
前山寺三重塔
塩田城の鬼門に位置している、前山寺の中にある塔。写真を見てわかるように、とても整っていて、美しさを感じられる塔なのだが、なんと未完成らしい。どうやら、廻廊など足りない部分があるらしいため、「未完成の完成塔」と言われているそうだ。一見、どこが未完なのかは本当に分からない。なので、ぜひ自分の目で見て確かめてはどうだろうか。日本遺産になっているのは三重塔だが、他の建築物も素晴らしく、茅葺き屋根の本堂はとても大きく、迫力を感じられる。私が見てきた茅葺き屋根の建築物の中では、ダントツで大きいと思ったので、それも兼ねて見学することをおすすめする。
2024-02-09
14
これは最低気温を折れ線グラフ化したものである。「西塩田時報」の数値の上下が気象庁のデータと比べて非常に大きい。「,14」の「西塩田時報」のデータは他のデータに比べて非常に数値が高くなっている。表記の解釈次第では「ー4」とも「ー14」ともとれる。他の水準から考えるとー14℃が正しい解釈の可能性が高い。
2024-02-09
15
これは平均気温を折れ線グラフ化したものである。「西塩田時報」の数値の上下が気象庁のデータと比べて非常に大きい。これが正しいデータであるのかを検討するためには当時の気温に関するデータを他に参照しなければならないが、当時は手計算であったこと、気温の測定方法の明記がなく現在のように統一化された条件のもとで測定されたものである確証がないことからデータ自体が間違っている可能性が大いに考えられる。なお大正10年のデータは記録がないため「西塩田時報」の「,12」の数値はグラフに表示されていない。
2024-02-09
16
2つの資料のデータを比較するために折れ線グラフをつくる。まずは「西塩田時報」のデータを折れ線グラフにしていく。大正13年から昭和6年のデータを見ると、気温が℃の単位以外で表示されていることがわかる。気温や温度を表す単位として他に℉があることから、これらのデータは℉での表示であると判断し上記の式を用いて℃での表示に直す。なお数値は小数点以下第2位を四捨五入して、第1位まで求める。また昭和3年4月の平均・最低気温に書かれている「仝」という漢字の意味が分からなかったため調べたところ「同」の古字であると説明されていたため、最高気温の数値の前に書かれている「室内(資料のタイトルなどが横書きの場合右から書いてあったことを踏まえ当時は横書きの文字は右から読むことがわかった。この資料では現代の表記に
2024-02-09
17
「西塩田時報」のデータに合わせ「気象庁」の「過去の気象データ」も25年分のデータから14年分のデータをまとめる。
2024-02-09
18
「西塩田時報」の「長野縣小縣郡西鹽田村一覧」という各種データを取り扱うページから「氣候」という項目をまとめた。大正13年(1924)4月~昭和24年(1949)12月の期間で14年分のデータを見つけることができた。それぞれ「氣温」「結霜」「積雪」という項目があり、さらに「氣温」は「最高」「平均」「最低」に、「結霜」「積雪」は「初月日」「終月日」の項目に分かれる。今回は「氣温」のデータを活用する。
2024-02-09
19
次に戦争の影響です。当時、満州事変などもあり、新聞よりも、いち早く戦争の情報を得られるラジオに関心が高まったのではないかと考えられます。実際に西塩田時報で時系列を追って、過去の記事を探した時にも、刊行日に空きがあり、著しく変化する戦時状況をとらえるには新聞は適していなかっただろうなと考えていました。その上、政府は当時、国防強化の面からラジオ放送を聞くことを推奨し、ラジオを聞くことは国策に協力することと強く発信してあおっていたことも要因の一つだと考えました。 また、政府にとって、ラジオは戦争で懸念される民意のコントロールにも役立っていのではないかと考えました。
2024-02-07
20
先ほどもご覧になった通り、長野市で放送局が開設されたのちに、上田市にも放送局が開設したことが西塩田時報に記載されていました。これにより、25円程度先ほどの1/4程度で放送が聞けるようになるとも伝えられており、このような状況が全国各地で起こっていたことが推測されます。また、機械性能の改良により、受信機の値段も低下することも普及につながると考えました。他にもかなり推測になりますが、特需景気による好景気も、受信機を手に取ることに影響した可能性も考えました。
2024-02-07
21
1925年8月に発行された西塩田時報では無線通信分野における、我が国の現状や問題点、将来性や、欧米諸国との比較について言及されていました。詳しく説明すると、従来日本でも無線技術を兵器工場などでの軍用利用にとどめる形で利用してきていたが、秘匿されていました。国民の科学思想の普及を図る目的もあり、この技術が公開され、さきがけとして東京放送局でラジオ放送が開始されました。 この年、長野県でも1か所放送局開設が許可され、年中に上田市の多くの地域でもラジオ放送が聞くことができることが記されていました。
2024-02-07
22
前山寺のくるみおはぎ
2008/05/11の記録。 塩田平の名刹・前山寺のくるみおはぎを賞味したいと思い、この日、前山寺を訪れました。通常、予約が必要ですが、幸いこの日は予約なしで入ることができました。前山寺のホームページによると、檀家さんを接待するのに住職さんが手作りしたのが始まりとのこと。精進料理を提供してくれるお寺さんもありますが、前山寺の檀家さんに対する接待文化を一般の私たちも体験できることはこの上ないおもてなし文化です。いわゆる普通のグルメとは違います。美味なものでした。 くるみおはぎの文化は前山寺の環境の中で一際映えたものになります。障子戸のガラス窓越しに見える借景には風情があります。軒先に立つと塩田平が一望できます。「くるみおはぎ」のみでこの文化を語ってはいけません。 参考:前山寺ホームページ
2024-02-07
23
長野県上田市にある別所線の終点である別所温泉駅
別所線は大正から昭和にかけて開業した蚕都(サント)上田を支えた5つの私電鉄のうち、唯一現役なのである。また、上田から別所温泉に至る路線は大正10年(1921年)に開通した。また、中塩田駅や別所温泉駅など、駅舎に近代の趣を残す建物が多いのも特徴である。また、別所温泉駅は別所温泉街の玄関口として、別所温泉の発展に大きく貢献してきたと言える。また、別所温泉駅も信濃国分寺・生島足島神社・泥宮も結ぶレイラインの一部である。そして、別所温泉駅は、別所温泉街への玄関として長年、別所温泉の歴史や文化を伝える拠点として重要な役割を担っているとされている。そして別所温泉駅もまた竜と生きる町、上田としての文化的な背景を示す象徴的な存在と言える。 実際に訪れてみて、昭和のレトロ感があり、駅としてだけでなく、
2024-02-06
24
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生) 長野大学の地域科目「信州上田学A」2023を受講した学生が「信州上田」を接点として地域キュレーションした地域学習のアウトカムです。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します(2024/02/15更新)。 各キュレーションの「マイテーマ」は次のページからご参照ください。[
Vol.1
|
Vol.2
]
▼社会福祉学部学生
いちご/上田の食
しおり/上田の食べ物
な/上田の日本遺産について
るるる/塩田平の文化財
2024-02-05
25
安楽寺の文化財
安楽寺の文化財について、3つ紹介する。 一枚目の写真は重要文化財の「安楽寺前開山樵谷惟仙和尚像」。樵谷惟仙(しょうこくいせん)は安楽寺の初代住職。二枚目の写真は重要文化財の「安楽寺前二世幼牛恵仁和尚像」。幼牛恵仁(ようぎゅうえにん)は安楽寺の二代目住職。これらのような禅宗の僧の彫刻像のことを「頂相(ちんそう)」という。 三枚目の写真は上田市指定文化財の「輪蔵」。このなかには「黄檗版一切経」というお経が納められている。この輪蔵を回転すれば、文字を読めない人もお経を読める人と同じ功徳が与えられるといわれている。 参考文献: 上田市塩田地区学校職員会、上田市塩田文化財研究所編,『信州の鎌倉塩田平とその周辺』信毎書籍出版センター発行,昭和六〇年一二月二五日初版発行,p.66-69 曹洞宗安
2024-02-02
26
常楽寺の''石造多宝塔と石造多層塔''
常楽寺の石造多宝塔について。写真の場所は、昔大きな火柱と一緒に観音が現れた場所と言い伝えられている。 多宝塔というのは一枚目の写真のような塔のこと。多宝塔には木造のものと石造の物がある。常楽寺の物は石造の多宝塔で、重要文化財に指定されている。 多宝塔のほかにも多層塔もあり、二枚目の写真が多層塔。六〇年前の大正一三年に、別所温泉北向観音堂の近くの裏山の地下で発見された。その後どこかに行ってしまったが、滋賀県で発見。別所に返してもらった。 参考文献:上田市塩田地区学校職員会、上田市塩田文化財研究所編,『信州の鎌倉塩田平とその周辺』信毎書籍出版センター発行,昭和六〇年一二月二五日初版発行,p.56-58
2024-02-01
27
北向観音の''絵馬''
北向観音堂に奉納されている絵馬はとても興味深い。馬の絵や、鬼退治の絵、善光寺地震などが描かれた絵馬がある。絵馬の由来は、神は馬に乗った姿で現れるとするため昔は本物の馬を奉納していたそう。しかし次第に木や紙、馬の像で代用するようになっていった。鎌倉時代以後には、絵馬の図柄は馬だけではなく多様なものが描かれるようになっていった。 一枚目の写真は板絵鬼女紅葉退治の絵馬。平安時代、信州戸隠山に住み悪事を働いた鬼を退治したとされる伝説。鬼女征伐の命令を受けた平維茂は、北向観音の加護によって退治することができたといわれている。 二枚目の写真は善光寺大地震の絵馬。一八四七年に御開帳でにぎわう善光寺を突然大地震が襲い、多くの人が亡くなった。絵馬の中央にいる市之助という人は、一五人の一行と旅を
2024-02-01
28
上窪池
上窪池は塩田鯉の発祥の地とされている。1958年に上窪池で鯉の養殖がはじめられた。その後、塩田の70の池で飼育されるようになり、昭和40年代、50年代初めは年間千トンもの出荷量を誇り、塩田鯉として全国ブランドとなった。しかし、他地域との価格競争などで昭和50年代に衰退し、塩田での鯉の生産は終了した。上窪池の貯水量は二万五千㎥で、満水面積は一万二千㎡となっている。
2024-01-31
29
白い壁の汚れの取り方
このような古典的な方法は今での主流だと考える。 だが、現代は白い壁に汚れが付いた場合にアプローチする様々な方法がある。 『西塩田公報』第86号(1954年11月5日)4頁
2024-01-31
30
昔と現代の豆知識の変化
今はシミ取り用の洗剤、石鹸、等が普及しているが、当時はそのような便利なものがなかったので、容易に手に入る身の回りものでシミ取りを行っていたと考えられる。 今でもいざというときに使えそうなものはありそうだ。 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁
2024-01-31
31
北向観音
日本遺産の一つである北向観音を訪れた。 北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場である。 寿永元年(1182年)には源平争乱の中、八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまうが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興された。北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益を願う。祈祷では厄除・家内安全・商売繁盛・身体健全・交通安全をお願いすることができる。 率直に、想像していた場所よりも高いところにあると感じた。割といきなり北向観音が現れたように感じたが、周りと調和していると感じた。また、別所の街並みを見渡すことができた。
2024-01-30
32
お盆にまつわる話①
この記事では「お盆」という行事がどのように伝わってきたのか書かれています。この記事によると、どうやら中国の仏教がルーツのようです。 現代では、今は「何となく夏にある長期休みで実家に帰る期間」くらいに捉えがちですが、今一度、その由来やルーツを考えてみると発見があります。 このような記事が広報誌に載るくらい、お盆は当時の人々にとって関心の高い行事だったのでしょう。 この記事は以下から抜粋したものです。 『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1209.jpg
2024-01-29
33
どのくらいお盆は大切にされてきたか
この記事では、お盆にふるまう料理を紹介しています。今ではこれだけ丁寧に料理を作ることは減ってきているかもしれません。 そもそも、この時代の人々はまだ遠く離れた人とやり取りする手段が多くはありませんから、こうしてお盆に親戚一同集まるというのはとても貴重なことだったと思います。 こちらの記事は以下より抜粋したものです。 西塩田時報よりhttps://www.mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/vol2.pdf
2024-01-29
34
安曽神社
鈴子、石神、柳沢の3地区の産土神(うぶすながみ)であり、地域の守り神。社伝によると、崇神天皇の御宇、国家安泰を祈願し、各地に天社国社を建てた時、御震筆阿曾山舎社(がしゃ)阿曾大明神の御勅額が奉納されたという古社。境内入口は東向き。参道脇には「郷社 安曽神社」と刻まれた社号標が建つ。鳥居をくぐり、木々の参道を進むと、立派な隨身門がある。隨身門の中には、左右に隨身像が安置されている。門をくぐると、砂利の境内。境内西奥に、両翼を広げた形の拝殿があり、拝殿の後方、垣の中に流造の本殿がある。 実際に訪れてみて、一歩境内に入ると、風情を感じられるような空間であった。特に印象に残っているのは、随身門である。とても立派な木造建築の門で、左右の随身像は守り神の様な存在感だった。
2024-01-29
35
昔から大切にされてきたお盆
これは昭和四年八月一日の西塩田時報より抜粋したもので、物価高騰でお盆の準備に困っている人は、組合が安く提供できると呼びかけているものです。 物価が高騰してもそれぞれの家で事前の準備がなされていることから、昔の人がお盆の大切にしていると読み取れます。 『西塩田時報』第69号(1929年8月1日)3頁よりhttps://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0301.jpg
2024-01-29
36
炭焼き小屋
炭焼きや薪取りなどの山の仕事は主として冬の仕事であったため、冬の山は賑やかであった。良い炭を焼くには経験と勘が大切で、体力的にも大変な仕事であった。窯の造り方も経験を要するもので、窯の良し悪しで炭の出来具合が分かると言われていた。 実際に訪れてみて、石積みの作りから歴史と時代の流れを感じられた。訪れた時期が秋であったこともあり、周辺の紅葉がとても綺麗だった。
2024-01-29
37
西塩田時報から見る戦前の様子
西塩田時報を閲覧し戦前の様子を調べ、学んだことをまとめました。
2024-01-29
38
下之郷
上田市の塩田地区に属する。 産川支流の尾根川が形成する扇状地の扇端部にあたる。生島足島神社横の十字路を中心に形成された塊村で、格子状の道路網を骨格として形成された交通の要地である。 天文22年(1553年)武田信玄が生島足島神社に下した安堵状に「下之郷上下社」とあるもので、上本郷(現・本郷)に相対する地名と考えられている。 駅から徒歩ですぐのところに生島足島神社があるため、観光に訪れる際には別所線がとても便利だと感じた。駅の待合室の外観も神社に似た赤と白が基調となっていて、駅に着いた時点から神社の雰囲気を人々に感じさせるという工夫がなされているのではないかと考えた。
2024-01-29
39
塩田平の民話や伝説について まとめ
塩田平の民話は、現場に行って体験しないと気づかないこともあると思った。例えば、前山塩野神社の伝説の拝殿に彫刻された龍が出てくる話は、文だけを見て、龍は一匹だけなのかなと思って読んでしまったのだが、実際に前山塩野神社を見てみると、龍は複数彫られている。(写真参照)そのことから、目玉をくり抜かれた龍はどれだったのか。はたまた複数いたのではないか。と色々考えることができるため、現場に行かないと分からない面白みが塩田平の民話にはあると感じた。したがって、塩田平の民話に興味を持った際には、ぜひ民話の現地に行って体験してみることをおすすめする。また、縁結びの美欄樹の話など、インターネット上で紹介されていない民話が塩田平には存在していたことが分かった。加えて、自分が調べた限りでも、塩田平
2024-01-26
40
縁結びの美欄樹
出典 藤沢衛彦 編『日本伝説叢書』信濃の巻,日本伝説叢書刊行会,大正6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/953569 (参照 2024-01-25) 自分が調べた限りでは、ネット上にこのお話の詳しい説明が書かれた記事がなかったので取り上げてみた。現在、この木は無いそうなので、そもそも塩田平の方々もほとんど知らないようなマイナーなお話なのではないかと感じた。別所温泉で縁結びと聞くと、北向観音前にある「愛染かつら」を思い浮かべるが、他にもこのような木がかつてあったことを初めて知った。もし仮に、現代にもこの木が残っていたとしたら、現在の別所五木が別所六木になっていたのかもしれないほどのストーリーを持っていると思った。
2024-01-26
41
舌喰池の伝承
塩田の里交流館「とっこ館」の正面道路を挟んで向かい側にある大きな池のお話。 伝承の内容 舌喰池が作られたころ、土手から水が漏れてしまっており、人柱を入れないと水が貯まらないという話がどこからか伝わっていた。(人柱とは、人を生き埋めにして祈ること。)結果的にくじ引きで、村外れの娘が人柱として選ばれた。その娘は、自分の不運を嘆き、舌を食い切り池へ身を投げ、死んでしまったそうだ。その後、村人たちはその出来事を受けて、この池を「舌喰池」と呼ぶようになった。 現在の舌喰池は、とても綺麗で、決してそこで人が死んでいるような印象は受けなかった。池周りの「憩いの広場」の芝も短く刈られて整備されており、とても大切にされているような印象を受けた。そのことから、地域の人々がその悲しい出来事
2024-01-26
42
前山塩野神社の伝承
この神社は独鈷山の麓にある神社で、独鈷山の山岳信仰から生まれたとされている。境内は木々に囲まれており、外界と隔てられたような神秘的な印象を受けた。 伝承の内容 昔、この神社に彫られている彫刻の竜が、夜に御神木で遊んでいたそうだ。そのうちにその木の枝が折れて枯れそうになってしまい、村人たちは困っていた。そこで、その竜を掘った人に頼んで、目玉を取ってしまった。その後のある夏に大夕立が起き、御神木に雷が落ちて煙が上がり、折れてしまった。村人たちは、竜の目玉を取らなければ、竜が雨を降らせて御神木の火を消してくれたのにと後悔したそうだ。 実際に前山塩野神社に行ってみると、御神木には柵と屋根がついており、この伝承の出来事以降、大切に守られてきたのかなと感じた。竜が雨を降らせてくれる
2024-01-26
43
とっこ館について
塩田平の民話を調査するにあたって、とっこ館を見学したが、それがどのような施設だったのかを紹介する。見学を通して、とっこ館は塩田平の歴史・文化を学べるところになっていると感じた。具体的には地域の歴史や遺産の紹介がされている展示物や、上田市周辺で産出する鉱物などが展示されており、図や実物を見て、塩田平地域の文化や歴史を分かりやすく理解することのできる施設になっていると感じた。塩田平の歴史・伝承を知りたい人、特に、上田市に来たばかりで、塩田平地域について全く知らない人などはとっこ館を利用すると、塩田平がどんな地域であるのかが大体把握できると思った。 (館内写真は撮影・掲載の許可を得て掲載しています。)
2024-01-25
44
別所 part2
前回では、「北向観音」「岳の幟」と別所にまつわる、多くの人に興味をもって頂きたいと思うものをのせた。 そして今回は、別所の大きな温泉施設である「あいそめの湯」について紹介する。別所温泉にあるあいそめの湯は、信州の鎌倉・塩田平の西側に位置し、古くは「七久里の湯」と呼ばれ枕草子にも登場する信州最古の温泉である。 ●開館時間:10時〜22時 ※入館受付は21時20分まで ●休館日:毎月第2・第4月曜日(第2・第4月曜日が祝日の場合は翌日が休館日) ●料金 大浴場、露天風呂、福祉風呂(予約制) 未就学児童 無料 小中学生 250円 一般 500円 障害者手帳をお持ちの方については、大人250円、小中学生120円 ● ボディソープ・リンスインシャンプー(無料) ● ドライヤー(無料) となっている。(あいそめの
2024-01-25
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Cafe sprout
信州上田にある見晴らしの良い塩田平にあるカフェ スプラウトに行ってきた。 発芽珈琲や発芽玄米を使ったメニューが人気。
2024-01-25
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長福寺
長福寺はその八角のお堂は信州の夢殿と称されている。奈良の法隆寺の夢殿完全二分の一に写し、瓦なども奈良のものを使用するなど、当時の匠の技術が集結した昭和を代表する建築である。実際に見てみて、これまで見てきたものと比べて、八角形が珍しく、感じた。縁起のあるものとされているのだから、もう少し、存在感を強調したほうがいいと感じた。この時は見ることができなかった、長福寺銅像菩薩立像があるのだが、これは国の重要文化財にもなっていて、飛鳥時代の歴史遺産として、いつかは見てみたいと感じた。
2024-01-25
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戦前と戦後の北海道新聞における文化の移り変わり
まず初めに何故北海道新聞で文化の移り変わりを調べたかったのかというと西塩田時報で様々な大正から昭和にかけての記事を閲覧していた際に自分の地元ではどのように変化していったのか素直に興味を持ったからだ。 そこで今回は現代の北海道新聞と昔の戦前の新聞を用いて文化をそれぞれ比較しようと思う。 比較する新聞の年は1942年と2020年だ。北海道新聞は1942年に創刊された。1942年といえば日本は第二次世界大戦中であり、アメリカと戦っていた時期であった。実際の記事を見てみるとそれが伺える。下方に「アメリカの焦燥」と書かれた項目がある。当時の日本がアメリカを牽制していたのが分かる。さらに、「戰」や「諸勅令」といった今となっては使われなくなった漢字や表現が使われている。ここからも北海道での戦時中の緊張感が伝
2024-01-25
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生島足島神社
生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社である。 初めて訪れた際に感じたことは、全体が赤で統一された建築に魅了された。赤くそびえたつ鳥居がとても印象的だった。 創建の年代は明らかではないが、平安時代の天皇からの崇敬が厚く、鎌倉時代の北条国時や戦国時代の真田昌幸からも寄進があり社殿を修築するなど古くから日本の歴史に関わってきた神社である。
2024-01-25
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上田レイライン 泥宮
泥宮は字のごとく大地をご神体として、生島樽島神社が建設されたときに、遺霊をここに残したという歴史がある。 かつては生島樽島神社の西鳥居とまっすぐな道でつながっていたといい、ご神体と同じくこの二つの神社は、深いつながりがある。実際に見に行き、感じたことは目の前にため池があり、周りが住宅に囲まれており、地域住民に大切 にされながら今日まで保存されてきたんだと感じた。
2024-01-25
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戦前に発行された西塩田時報は戦争、学校、地域などの時事ニュースが多く書かれており、生活の知恵と思われる記事は957ページの中でたった5つほどであった。戦後になると生活の知恵を特集したコーナーのようなものができ、数ページごとに1つ生活の知恵と思われる記事が掲載されている。また、記事の内容も変化しているように感じられる。戦前は、睡眠やビタミン、乳児の育て方という基礎的な生活の知恵であったのに対して戦後は基礎的な生活の知恵も残しつつ、季節の料理やさらにより良い暮らしを求める記事が多い。この変化は、戦前から戦後にかけて人々の暮らしに対する意識の変化があると考える。戦前は生きていくことに必死で暮らしの質は求めておらず、戦後になり心にゆとりが生まれることで暮らしに対する質を求めることができる
2024-01-24
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西塩田時報と他県の時報~それらの抱える課題~
西塩田時報に似た他県の時報を調べ違いや共通点を見つけていく予定で進めていたが似た時報がデジタルアーカイブとして残っていなかった。そこで、歴史的資料がなぜデジタルアーカイブとして残っていないのかについて考え、デジタルアーカイブの問題点と実際に使ってみての問題点をまとめてみた。
2024-01-24
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西塩田時報から見る ラジオ放送の普及
1925年ラジオ放送が開始され、我が国の現状や問題点、将来性や、欧米諸国との比較について言及されていました。上田地域でもラジオ放送が聞けるようなり、西塩田時報からも当時の様子が記されていました。この後急速にラジオ放送が普及していくのですが、その背景について、考察していく。
2024-01-24
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今後のデジタルアーカイブの在り方について
PowerPointでまとめました。 参考URL ・「国立国会図書館デジタルコレクション」https://dl.ndl.go.jp/ ・「上田市公文書館」https://kobunshokan.city.ueda.nagano.jp/ ・「上田老舗図鑑」https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?id=2351 ・「西塩田時報」https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?id=3613
2024-01-24
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狙い:デジタル化された一次資料を実際に活用し、そこでの気づきを自分なりにまとめてみる。 今回はデジタルアーカイブとして閲覧できる一次資料「西塩田時報」の「長野縣小縣郡西鹽田村一覧」と「気象庁」の「過去の企業データ」を題材にし、「気温」についてデータをまとめながらデジタルデータの活用に関して気づきをまとめていく。
2024-01-24
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無線電話について
1925年に日本でラジオ放送が開始されて、無線通信分野における、我が国の現状や問題点、将来性や、欧米諸国との比較について言及されています。当時、受信機は庶民にとってなかなか手に届かない代物で、村で1つ大きなロードスピーカーを購入して、みんなで聞くことを提案しており、ラジオ放送がこの地域でも関心が高まっていたことをミクロな視点で体感できた。 参考文献 西塩田時報https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf
2024-01-24
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組合立中學校設立研究会生まる
研究環境の改良を図るため、当時上田市では組合立中學校の設立が検討されていた。合同での校舎を設立することで、学生の学習環境に様々な効果がもたらされることを期待していた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1235 『西塩田公報』第80号(1954年3月5日)1頁
2024-01-23
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塩田分校を訪問する
これは塩田にある分校でのインタビュー内容が記載されている史料である。記事を見ると、塩田分校では教育方針として「農村を担う中堅的人材」を育てることを掲げており、そのために高等学校での基礎的な一般教養に加え、家庭科や農業科の専門的技能を体得させること、そして一番に「人間としての素養を育て上げること」を重んじていることが読み取れる。 このことから、塩田分校では学生に対して専門的知識を持った地域に根差す人材、並びに志や人徳の高い学生を理想像としていたのではないかと考察した。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1192 『西塩田公報』第66号(1953年3月5日)2頁
2024-01-23
58
學校だより
当時は時報に學校だよりが記載されており、学校でどのような行事が行われるかを知ることができた。 ここでは11月の行事について説明されている。 記事を読むと、当時は陸上競技会が珠算競技会が開かれており、幾名の生徒が表彰されている。また、籠球大会や珠算検定会での表彰者が記載されている。 これらのことから、現代で言う部活動のような取り組みが戦後でもなされており、学校での座学から逸脱した様々な機会が設けられていたのではないかと考えた。 また、小学校の行事内容を確認すると、「産業文化祭に児童の図学工作品を出品する」「校内音楽会」などが行われていたことが読み取れる。他にも、小学校での映画鑑賞などの機会が設けられていることが分かった。 記事の内容から、小学校でも机上での学びに囚われない多様な
2024-01-23
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校舎増築に就て(ついて)
1948年の西塩田時報に、児童数の増加に伴った校舎の増築についての一報が記載されていた。 記事によると、増築前には校舎の裁縫室や工作室と言った、俗に言う特別教室を普通の教室として使用していたそうだ。また、校舎を増築するにあたり、学校の新教育課程の順守について説かれている。文献を読むと、当時の新課程は個人の尊重を図り、自主性を重んじた学習環境を構築することを目標としていたことが読み取れる。 さらに、記事の末尾では地域住民に対して学生が自由に研究できる環境や、特別室(裁縫室、工作室)の設置のための支援を呼び掛けている。 この記事から戦後の人々は学生に対し、学生自身の興味を探求できる教育を施そうとしていたと考察した。また、当時から裁縫室や工作室が存在していたことから、座学だけではなく
2024-01-23
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学校水泳における変化
現在と以前の学校環境、特に水泳に変化があるかを調査する。 西塩田時報にある水泳についての記載で、海に囲まれた国である日本の国民として泳げないのは恥ずかしいとある。ストレートな言い方であるが、日本国民には水泳は必須であることを表現している。ここから水泳が生命に関する重要な運動であることは現在と同じ認識だと思う。 また当時の夏休みの水泳は午前と午後の部に分かれており、なるべく短い時間で寒いと感じたらすぐに泳ぐのをやめることが書かれている。水泳の時間を一時間を制限して管理するのではなく、自己管理を促しているのではないかと思う。自己管理の面では、他にも空腹時に水泳を行わないことや頭まで水につけること等の子供達自身が意識して行うことが記載されている。 以上の記事から、学校水泳は過去でも
2024-01-23
61
伝説のワイン「ヴィランジュ・ドゥ・ベッショ」
2011/04/22の記録。 マンズワインが製造販売している(いた?)伝説のワイン「ヴィランジュ・ドゥ・ベッショ」。赤ワイン(ルージュ)と白ワイン(ブラン)とがあります。「塩田平契約栽培善光寺種100%」と銘打っています。当時、上田市中野にある若林醸造のお店で購入しました。久しぶりにこのワインを賞味したいのですが、今もあるのでしょうか? 「ヴィランジュ」と書くといかにもフランス語の意味ありげな名前に見えますが、実は別所温泉の地名にもなっている「比蘭樹」にちなみ、ネーミングを洒落たものです。現在の「あいそめの湯」の前にバス停の名前として「比蘭樹」が残っています。遠い美味ワインの記憶も甦ってきます。
2024-01-21
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塩田平から望む遠くの浅間山
塩田平から浅間山は遠くにあり、上信越高原国立公園の山々の連なりの一番右手に位置します。一際白い山容が特徴的ですが、手前の山々に隠れて一部だけが見えます。(2009/02/07の記録)
2024-01-16
63
炭焼き小屋
2009/02/07、塩田平にある前山寺付近を訪れた際、あじさい小道の入口にある炭焼き小屋に目がとまりました。昔当たり前だった暮らしの痕跡が少なくなる中、冬の仕事だった炭焼きの小屋の石積みが今も残っているのはたいへん貴重です。
2024-01-16
64
塩田平で発見、猫瓦では?
塩田平の前山寺近くのところでふと目にとまったこの瓦。猫瓦ではないでしょうか? むろんこの地域、旧「西塩田村」も蚕種製造、養蚕は盛んだったわけで、まだまだ猫瓦が残っている可能性があります。 蚕種製造が盛んだった塩尻地区、特に上塩尻に猫瓦が多く残っていますが、塩田平にもあるのですね。昔の画像を何気なく見ていたらパッと目にとまりました。思いがけない発見です。(2009/02/07記録)
2024-01-16
65
黒坂周平先生像
塩田平の前山寺近くに「黒坂周平先生像」が設置されています。黒坂周平先生(1913-2003)の功績をたたえ、平成9年(1997年)「黒坂周平先生頌徳事業発起人」「同実行委員会」が建立したものです。平成7年(1995年)建立の「筆塚之記」もあります。地域史研究に大きな功績を残され、数多くの方々から尊敬を受けたことが伝わってきます。(2009/02/07記録)
2024-01-16
66
塩田城跡
塩田平の南方にそびえる独鈷山の一支脈である弘法山の北山麓にあり、塩田平を一望できる位置にある。鎌倉時代に北条義政が鎌倉から塩田の地に入ったときに居城として築いたといわれているもの。 現在はあじさいの名所として知られ、6月下旬ごろからの見頃には満開のあじさいを見ることができる。 実際に訪れてみて、山の中腹にあるこの石碑から見る眺めは非常に広大だった。北条氏が当時ここから塩田平を眺めていた風景が浮かんでくるような、そんな景色であった。
2024-01-11
67
塩野神社
平安期より続く歴史ある神社で、楼閣造りと呼ばれる二階建ての拝殿が、とても非日常感を感じられる歴史的建造物だ。 周辺は深い森に囲まれ、境内へと入ると、一層神秘的な空間が広がっている。
2024-01-11
68
日本遺産 生島足島神社
日本遺産シリーズの講義を通して、生島足島神社に訪れた。 生島足島神社本殿は、生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社。生島大神・足島大神の二柱の神は、日本の真ん中に鎮座して、万物を生み育て、国中を満ち足らしめ給う日本国土の守護神として崇められてきました。実際に訪問した時、七五三やお宮参りで来ていたり、妊婦さんもいて、安産祈願や育成発展の祈願に適した神社なのだと感じた。また、全体の真っ赤な見た目が美しく、神秘的だと感じた。
2024-01-09
69
家庭メモ ( 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁)
この記事では日常生活の豆知識のような内容が書かれていて面白いと感じました。昔はお茶に含まれるカフェインをテインと呼んでいたことも分かります。 この知識を家庭内で知っていれば、食事も気を付けて作ったり食べたりできるでしょう。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1118 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁
2024-01-08
70
生活改善に就て (『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁)
昔の人たちがどのように節約してるのか掲載されています。昔ならではの男女の役割についても書かれています。 現代とは違った節約方法が書かれていて面白いと感じました。生活の仕方までも強制される世の中であったのは現代では考えられません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #50『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁
2024-01-08
71
旧西塩田小学校校舎(さくら国際高校)2013/11/22
★
さくら国際高校
旧西塩田小学校の校舎は、小津安二郎監督の映画『一人息子』(1936年)でも使われた「絵になる風景」です。その校舎が現在もなお残っています。しかもさくら国際高校の現役の校舎です。
2023-12-22
72
稲わら焼きの風景2013/11/22
戦場の煙ではありません。お間違えなく! 塩田平のため池・舌喰池に近い金井バス停付近の棚田から稲わら焼きの煙が立ち上っています。棚田の段々の土手、集落の風景が煙に遮られ、さんさんと降り注ぐ陽光に煙が映えています。22世紀に残したい稲わら焼きのイチオシ風景です。
2023-12-22
73
稲わら焼きの風景2013/10/04
稲わら焼きの風景。収穫の秋、稲刈りが済んだ後の田んぼで普通に見られる光景です。田んぼの稲を焼く風習は昔から連綿と続いていたと思われますが、農業の機械化や地域の都市化が進んだ現代において、ここ塩田平の稲わら焼きの風景はかけがえのないものです。各所に煙が立ち上り、この季節ならではの風情を醸し出しています。
2023-12-22
74
論説“一九五六年”の課題(『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁)
今年は農業経営のかわりめだから、気を抜いていてはいけないと忠告している。新年一発目の新聞で酒に酔っててもいいが、今後のことをしっかり考えてほしいといわれ、気持ちの引き締まる思いがした。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1327 『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁
2023-12-14
75
山林緑化運動に寄せて(『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁)
この記事には緑を植えることで民衆安定の基礎を確立することを目指していると書かれている。今でこそSDGsが国際社会共通の目的になっており、環境に優しいことが重要視されているように思うが、当時はその記事に賛同する人は少ないのではないかと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1011 『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁
2023-12-14
76
前山寺
空海が開き、鎌倉時代に長秀上人が発展させた前山寺。 塩田北条氏の祈願寺となった。 境内に入ると空気感が一気に変わる。 本堂は立派なかやぶき屋根。 三重塔は二層三層にやりかけの部分があるが、不調和が無く「未完成の完成塔」と言われている。 境内内にある鐘は世界観に没入する観光客に時刻を伝える。 山の中にあり、車がないとアクセスが難しいと感じるが、 藤の名所とも言われているので是非一度空気感を味わいに訪れてもらいたい。
2023-12-14
77
火の元注意
当時の人々にとって火という存在は生活に必要不可欠なもので、うまく利用していました。しかし家などは木で造られ、燃えやすい環境で暮らしていたの事実です。もちろん火事も起こっていたでしょう。この記事はそんなことに警鐘を鳴らしている記事です。 また個人的には四月が一番火事が多いということがなぜなのか気になりました。 現在とさほど火事の原因に差はないことも分かりました。 当時の人々は火事をどうやって消火していたか気になります。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第4号(大正25年12月1日)166頁
2023-12-13
78
勝利は何処へ
この記事の特異な点は、謹賀新年のあいさつの記事のすぐ後にあることです。これはあくまで私の推測ですが、あいさつをしている暇などなく、当時日本の世の中で起きていた、いろいろな社会問題を危惧しているのではないかと思います。 さらにこの記事は、自己実現が大事であるという戦時の中であると少し嫌悪的である考えを話しているようにも見え、検閲が厳しかった当時の記事では珍しかったのではと思います。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第4号(1924年4月1日)21頁
2023-12-12
79
身体測定(『西塩田時報』第35号(1926年10月1日)3頁)
学校の身体検査について書かれた記事だが、情勢の脅威について触れられていたり、体格を成績として評価したりしている。現代では配慮され絶対にかかれないことが書かれていたため、時代の移り変わりを感じた。
2023-12-12
80
小学校便り『西塩田時報』第101号(昭和7年4月1日)2頁
学校の出席に関して書かれている この記事は以下から参照出来ます 『西塩田時報』第101号(昭和7年4月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns07_101to120.pdf
2023-12-12
81
上海より『西塩田時報』第101号(昭和7年4月1日)1頁
上海からの手紙 この記事は以下から参照出来ます 『西塩田時報』第101号(昭和7年4月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns07_101to120.pdf
2023-12-12
82
学校だより(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)
アニメなどのイメージから昭和にはおかっぱの女の子がいたというのは想像していたが、ここまで多くの子がおかっぱにしており、学校からもおかっぱが推奨されていたことに驚いた。
2023-12-12
83
眼を大切に
眼を大事にすることは今も昔も変わらずに大切である。眼の疲れに効く対処法も書かれている。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田広報』第47号(1951年3月10日)
2023-12-11
84
旅立ちし朝『西塩田時報』第11号(大正13年11月1日)4頁
文芸のコーナーに掲載された小説。 小説を読むのが苦手な人でも短いため読みやすい。しかし現代の文字とは違うためすらすらとは読めないだろう。しかし内容は頭にスッと入ってくるものになっている。 小説が苦手な人やこれから源氏物語などの古典を読んでみたいと思う人への最初の一歩としてちょうど良いのではないだろうか。 ▼この記事は以下から参照出来ます 『西塩田時報』第11号(大正13年11月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0056.jpg
2023-12-11
85
酵母パンの焼き方
現在のクックパットのようなもので、酵母パンを作る際に必要な材料、作るときの手順、一工夫が載っています。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田公報』第51号(1951年7月5日)
2023-12-11
86
春蚕の結果について(西塩田時報第2号大正12年9月1日2頁)
大正12年の春蚕について記述されている。 上田が蚕都と呼ばれるのは当時から考えることを辞めなかったからなのだということが分かる。ただ春蚕の技術が上がったから成功したと考えず他の要因についても考えていることは他のことにも言えるだろう。成功してもなぜ成功したのかを考察することが全体のレベルアップの秘訣なのだと知らされる。 ▼この記事は以下から参照できます #『西塩田時報』第2号大正(12年9月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0006.jpg
2023-12-11
87
道路で遊ばないように
昭和25年4月5日の西塩田広報第1項の記事。交通取締法が改正されて、その変更点、注意すべき点が掲載され、自転車や歩行者、さらには保護者の子供に対する注意事項まで書かれていた。 「事故を防ぐために」という項目で、荷牛馬車についての注意点は細かく書かれているのに、一番危険だと考えられる自動車について書かれていないのは変に感じて面白いと思った。もちろん、自動車が当時はまだ、全然普及していなかったからだと思うが、現代の交通のメインの1つである自動車についての注意点が書かれていないことに私は違和感を感じた。 参照元
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf
2023-12-11
88
村民運動会プログラム
昭和24年10月20日の西塩田時報第3項での記事。同年11月3日に行われる村民運動会の開催プログラムが掲載されていた。 その内容を見てみると、リレーやマラソンなど今でもよく行われているようなものもあるが、ドヂョーつかみや女子仕度競争などユニークなものもあった。特に、「自轉車(自転車)徐行」は何を採点基準に競うのか謎に思えたので面白いと感じた。 参照元
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf
2023-12-11
89
嫁さんが自働車で横付(『西塩田時報』第四号(大正十三年四月一日)一ページ)
工事が完了したことを知らせる記事であると考える。 タイトルが「嫁さんが自働車で横付」であるため、横付が原因で事故や苦情があったのかと思った。しかし、記事の内容をよく読んでみると工事が完了したため通りやすくなったと書かれていると思う。 ・参照資料 『西塩田時報』第四号(大正十三年四月一日)一ページ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns02_001to020.pdf
2023-12-11
90
禁酒(『西塩田時報』第一号(大正十二年七月一日)四ページ)
お酒を飲む人は意気地がなく、飲まなければ元気もなく、だらしがない等お酒を飲むことに対するデメリットや人格について書かれている。それらを提示し禁酒を勧める記事となっている。 科学や医学的な根拠を基に禁酒を勧めるのではなく、第三者から酒飲みの人をみて感じるだらしなさやどうすることもできない呆れ等を根拠に禁酒を勧めている部分が面白いと感じた。 ・参照資料 『西塩田時報』第一号(対象十二年七月一日)四ページ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns02_001to020.pdf
2023-12-11
91
蠶飼は必ず讀べし ( 『西塩田時報』第141号(1935年8月1日)3頁)
秋蠶を飼う時の注意点についての記事。 蠶という漢字は全く馴染みのないものだったため調べてみたところ蚕の旧字体であるそうだ。蚕の話題は蚕都である上田には馴染み深いどころで言い表せないほどに密接な関係のあるものになっている。西塩田時報のその他の号を眺めていても蚕に関する記事は高頻度で出てくる。 本記事は「秋蠶は風で飼へ」という古語の話題から始まり、蚕の成長段階での特徴、病気について詳細に解説されている。秋の頃の蠶の育成段階では、熱や湿気が逃がしにくい体をしているらしく、それゆえに風のある場所で飼うのが良いと研究で解明されたそうだ。蠶の育成段階によっては適度な気流がある場所で飼うのが適していることを「風で飼う」と表現した古語は大変風流だと感じる。しかし、この記事の筆者からは「風と云
2023-12-11
92
動員令下る
1932年、当時は満州事変をきっかけとして動員令が下ったようだ。戦争の兵隊としての徴兵は大学生も対象となっていたらしいが、もし私が当時を生きていたら動員されているかもしれないと思うと今を生きていて良かったと思える。また、時報を拝見する限りかなり過激な言葉で奮い立たせていることが分かる。かなり殺伐とした雰囲気に包まれていたのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #441 『西塩田時報』第101号(1932年4月1日)1頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0441.jpg
2023-12-11
93
全購印のゴム靴について (『西塩田時報』第107号(1932年10月1日)2頁)
産業組合が相当な気合いを入れて生産していると思われるゴム底靴の宣伝記事。 高品質の素材を用いつつもお求めやすい価格のゴム底靴が紹介されている。その名も「久美愛地下足袋」 少々アバンギャルドな商品名もさることながら、紹介記事も一般的な商品紹介・広告とは一線を画す熱の入りようである。簡単な商品説明にとどまらず、いかに質のいい素材を用いているかを原料の加工法や使用する薬品までも持ち出して解説しているというのだから驚きである。果ては他の競合商品を引き合いに耐久テストまで行う徹底ぶりに組合がどれほど自信をもってこの商品を売り出しているかがわかる。しかし、ページの半分ほども占めるこの一連の商品自慢だが、肝心の値段が記載されていない点が気になる。一体いくらで売り出されていたのだろうか?
2023-12-11
94
面白い話
火事が起きた際に知らせる半鐘を火事が起こっていない状態で鳴らすと実際に火事が起きるというなんともおかしな話から始まる。これは俗な者たちが世間についてろくでもない演説をすると世間がそれを鵜呑みにして騒がしくなるという例えだと自分は解釈した。正直、これを読んで面白いとは思えなかったが、昔から政治については物議を醸す論争が起こっていたことはここから伺える。 ▼この記事は以下から参照できます。 #277 『西塩田時報』第63号(1929年2月1日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0277.jpg
2023-12-11
95
新しき美の標準
女性の美しさとは何か。華やかな化粧や衣服など、可視的な美しさに囚われてしまうのは今も昔も変わらないのかもしれません。 「真の美しさとは何か」にフォーカスを当てた当記事では、人々が永続的に持つ美への苦悩を垣間見ることができます。記事を読み進めると、現代と昔の人が持つ「美しさ」への認識に何か通ずるものを感じるかもしれません。記事を読み終えた後に本当の美とは何なのか、あなたはきっと一考するでしょう。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1244 『西塩田公報』第79号(1954年4月5日)6頁
2023-12-11
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子供はしつけ第一 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁
子供のしつけの仕方について書かれている。いうことを聞かない子供にどのようなしつけをしたら良いのか、こどもの性格や考えを交えながらその手助けとなることが書かれている。ネットで検索などができない時代に、とても重要な資料であると思う。昔の親はこういった資料を参考に育児をしていたと思うと現代より大変で努力があったんだなとおもう。 ・この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0349.jpg #349 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁
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子供の教育一歩先に 親自身の教育へ
今も昔も子供の教育は人々の関心事の一つであり、子供を立派に育て上げるために大人は良い手法を考えあぐねています。 子供の教育にばかり目を向けられるのではく「親自身の教育」に力を入れるべきだという風刺的なタイトルから始まる、新鮮な切り口から子供の教育について説いた記事となっています。 記事の末部では当時の子供が求められていた理想像を知ることができます。今の子供と重なる部分を照らし合わせながら、現代と昔の価値観の違いを比較して記事を読み進めると面白いかもしれません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1119 『西塩田公報』第46号(1951年2月10日)1頁
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家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)12頁)
衣服のシミの種類別の取り方や摂取すると良い食物と注意点が書かれています。 今では様々な洗剤がありすが、汚れたときの早い対応や昔ながらのやり方が一番効果的な場合もあるので知っておいてそんはないと思います。 また身体に良い食べ物も食べ過ぎると逆効果になってしまいます。食べる量やタイミングに気をつけようと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)12頁
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戦争時の金はどこから( 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁)
第二次世界大戦のさなか、この戦争を続けていくにはどうしてもお金が必要になるでしょう。ではそのお金、特に金(きん)はどこから出ていたのか。 この記事は、今政府が金不足にある理由と、それを補うために各家庭から金を徴収する旨が書かれており、金の出どころの一端が伺えて面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #843 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁
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入学前の家庭教育に就て 西塩田時報
入学前に家庭内で教育してほしいことについて友達のことや先生を怖がらないように教育してほしいといったことが書かれており、今の新聞ではないので珍しく面白いと感じた。 西塩田時報 戦後 昭和22年1月25日 第1号2頁
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