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長野大学卒業式で情報保障2024/03/13
長野大学の2023年度卒業式が3/13、サントミューゼで開かれました。バリアフリー大学の実現を目指す長野大学では、20年以上前から、声が聴こえない人のために入学式、卒業式、セミナー等の場においてパソコン要約筆記による情報保障がこれまで行われてきました。今回は「あれ? ない」と思ったら、手話による情報保障に変わっていました。
2024-03-17
2
長野大学卒業式の様子2011/03/19
2011/03/19の記録。 2010年度の卒業式は上田城跡公園内にあった旧上田市民会館で催されました。新しい市民会館でもある「サントミューゼ」が開館するまでは旧市民会館が卒業式会場として使われていました。「ナショナルテレビ」の緞帳が施設の歴史を物語っています。 卒業式直前の3月11日、東日本大震災が起こり、その影響を受けた卒業生もいました。司会者の脇のスクリーンにパソコン要約筆記による情報が表示されています。この年度の長野大学学長は野原光先生、企業情報学部長は高橋進先生でした。画像で記録を再現することによりそれもはっきりと確認できます。13年前の2011年が現在に蘇ってきます。
2024-01-21
3
卒業生名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)
この記事は、当時の卒業生の名前が書かれており、しかもフルネームである。 現代の学校では名簿を世間に出すことさえも厳重な取り扱いを求められているが、この時代には時報に載っている。 個人情報保護などは考えられていなかった時代ならではの記事で面白いと思った。 ▼この記事は以下から参照できます #1124
『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁
2021-12-14
4
卒業生の動き(『西塩田時報』第25号(1949年4月15日)5頁)
恋愛結婚とお見合いでの結婚のどちらが良いか聞かれた女学生の考えや意見を知ることができる。 現代では恋愛結婚が主流だが、戦後の時代では恋愛結婚をするなら親に反対されるのだと分かる。
2021-12-14
5
オンライン発表会「学生による大学広報の改善提案」記録:全部①~⑳
長野大学/メディアプランニング論2021(企業情報学部クラスター科目) オンライン公開発表会「学生による大学広報の改善提案」記録 発表者①~⑳+講評 ▼分析対象の広報媒体 広報紙媒体:
★
長野大学パンフレット
★
長野大学ビジョン
(冊子) 広報ウェブ媒体:
★
長野大学ホームページ
▼発表(YouTube)通しで再生 75分
▼
発表概要説明
2021-08-09
6
小県蚕業学校-2
小県蚕業学校では、生徒の出身地が広範囲にわたっているという特徴があった。具体的には、岩手県から鹿児島県に至るまで範囲内にあった。その背景には、小県の蚕種製造業者がそれだけ広範囲に販路を広げていたことが挙げられる。卒業生の動向としては実家での養蚕・蚕種業の従事や養蚕指導者になったものが多い一方で、遠く清国や朝鮮、アメリカにまで人材を輩出している。また、蚕糸業だけでなく上級学校への進学や教職員、官公吏、銀行員となる者も存在していることから、教育機関としての機能も果たしていたことが分かる。このような点から、小県における蚕糸業はたんにそれのみで存在しておらず、金融業や教育業などあらゆる業界と密接に結びついていることが分かる。あるいは、蚕糸業を基盤としてあらゆる業界が幅広く発達したと
2021-06-13
7
本当に緑色 緑橋
上田原の合戦の地は、今は県営球場や小学校になっている。辺りを散策していると何やら緑色で塗られた橋が。 その名も緑橋。住宅街から産川を渡り小学校に行くためにかかっている橋で、ペンキでベタベタに塗られている。渡ってみると鉄板の音が心地よく何か懐かしい気持ちになる。自然の中にケミカルな人工物、異質な感じが面白い。 筆者は上田市立川辺小学校の卒業生なのでよくこの橋を渡っていた。学校の始まりと終わりにいつもわたるこの橋は、行くときは嫌で帰るときはウキウキだった。
2021-05-05
8
卒業生の名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)
この記事は西塩田時報に載っていた当時昭和26年3月の卒業生の名前が書かれています。 この記事の面白いところは今では恐らくあり得ないということです。 卒業生の名簿は顔写真が載っていないとしても名前は立派な個人情報です。 今の世の中で例えるならば、新聞にどこの学校を卒業した何組の誰さんと載る訳で様々な親御さんがいる中、このようなことになれば当然のごとくクレームが入るのではないかと思います。 誰でも読むことができる時報に公に個人情報を載せられるのはこの時代だからこそだと思うので、今とは異なるという意味で面白いなと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1124
『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁
2020-12-16
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