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登録リスト(該当:62件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
生島足島神社
平安初期にまとめられた「延喜式」に載る古社で、生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」を祭神とする。摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる。御神体は「大地」である。太陽が夏至には東の鳥居の真ん中から上がり冬至には西の鳥居の真ん中に沈むよう鳥居が太陽の至点と一致するように配置されており、まさに「太陽」と「大地」を結ぶ神社である。 晴れた土曜日の11時頃に行ったこともあり、多くの人が訪れていた。特に家族で七五三のお宮参りに訪れている人が多かった。文書も拝見した。撮影禁止で写真は撮れなかったが、非常に多くの文書が保存されていた。文書を拝見した。古文書からも、400年前の生島足島神社への信仰と長年にわたり守られてきたことがうかがえ
2024-02-13
2
長野の観光地の持続性 生島足島神社
生島足島神社の西鳥居は運気の転換点として知られていて、太陽が東の鳥居から西の鳥居を抜けて一直線に伸びる参道へと沈んでいく様子が有名である。このような参道の仕掛けは太陽への深い信仰心が見られると考えた。また、生島大神がいると考えられていて、それは万物えお生み育て力強い生命を与え、足島大神は国中を満ちたら占め人々の願いをかなえてくれると言い伝えられている。 実際に行き、太陽が沈む様子はとてもきれいだった。
2024-02-05
3
日本の中心!生島足島神社
池の上に浮かぶ真っ赤な神社。その荘厳な雰囲気は見るものを惹きつけます。地域住民だけではなく外国人観光客も度々見受けられ、インバウンド誘致も成功していると読み取れます。初詣では県内外の客が集いその姿は、長い年月を通して多くの人から愛される地方における、信仰・観光・地域開発の象徴だといえます。
2024-02-01
4
生島足島神社
平安時代初期に生まれたものか 生島大神は万物に生命力を与え太古より守り神として信仰されてきた。 →日本遺産の掲示板から引用しました。詳しくは実際に行くと近くに分かりやすい説明があります。 かぼさ ・小さい頃から初詣にお世話になっており、しっかり見たことはないなと感じ、探求しに。 ・初詣の三日目は少し人通りが少ないなと思いつつ、いつもよりは多いと思う。 ・大学に行く際に見られる鳥居はここから繋がっているのかと感じた。 ・池には鯉や鳥?がいて餌やりをすることができる。 ・写真は12/7撮影
2024-02-01
5
猫山観音堂
猫山観音像は、「猫山」というちょっとした小山の中腹でにある。養蚕が盛んであった頃は、鼠除けの霊験があるとして、村人から厚い信仰が寄せられていた。江戸・明治・大正と、この地方の主要産業の「お蚕様」を守ったとされている。 この場所は、「猫山」というちょっとした小山の中腹です
2024-01-31
6
石造多宝塔
信濃国分寺石造多宝塔は、現在の多宝塔は屋根や塔身の一部に窪みがみられる。これは、削り取った粉を飲むと「病気が治る」や「お守りとするとよい」などの信仰から、民衆が削り取ったものとされる。各部の様式、手法などから鎌倉時代の造立と推定される。全国的にも石造による多宝塔は少ないが、上田市には常楽寺含め二つの多宝塔が現存しており貴重なものである。 三重塔などなどの複数の歴史的価値のある建物が存在していることは知っていたが、その細部まで見ることは無かった。国分寺と共に一体感や壮大さを体感でき、良い経験となった。平日に行ったため、人が少なくゆっくり見ることができ良かった
2024-01-30
7
十福の湯の名前の由来
十福の湯の名前の由来は、昔から「地蔵尊を信仰することで十の福を授かることができる」と言われていることから、「十福」という名前がつけられました。 お地蔵様を信仰することで、「安産」「健康な体」「病気の回復」「長生き」「聡明」「商売繁盛」「人に好かれる」「豊作」「家内安全」「大きく豊かな心」が得られると言われています。 温泉の入口には、可愛らしい十匹のフクロウが出迎えてくれます。内湯はもちろん、露天風呂やサウナ、壺湯や寝湯もあります。十福の湯の魅力はなんと言っても大きな露天風呂!長野県最大級の露天風呂で、景色も最高に良いです。夏場は緑に囲まれて、冬には雪景色と、一年中楽しめます。 大学からは少し遠いですが、1度は入ってみてほしい温泉です。自然豊かなところで開放的な露天風呂、かなり
2024-01-27
8
安楽寺八角三重塔
安楽寺八角三重塔は、全国で唯一の八角形の塔で、国宝に指定されています。建築様式は禅宗様で、鎌倉時代に仏教が入ってきた時期を示しています。このような八角の塔は中国では一般に見られるものということから、信州上田の地では、外国の文化を積極的に取り入れ異文化交流を行っていたのかと想像しました。また、禅寺である安楽寺は本当なら本尊は釈迦如来ですが、この塔の内部には大日如来が安置されています。このことから、やはり降水量が少なく日射量が多い上田という地で、幅広い人たちから大日如来は信仰を集めたのかと感じました。
2024-01-26
9
前山塩野神社の伝承
この神社は独鈷山の麓にある神社で、独鈷山の山岳信仰から生まれたとされている。境内は木々に囲まれており、外界と隔てられたような神秘的な印象を受けた。 伝承の内容 昔、この神社に彫られている彫刻の竜が、夜に御神木で遊んでいたそうだ。そのうちにその木の枝が折れて枯れそうになってしまい、村人たちは困っていた。そこで、その竜を掘った人に頼んで、目玉を取ってしまった。その後のある夏に大夕立が起き、御神木に雷が落ちて煙が上がり、折れてしまった。村人たちは、竜の目玉を取らなければ、竜が雨を降らせて御神木の火を消してくれたのにと後悔したそうだ。 実際に前山塩野神社に行ってみると、御神木には柵と屋根がついており、この伝承の出来事以降、大切に守られてきたのかなと感じた。竜が雨を降らせてくれる
2024-01-26
10
信濃国分寺・三重塔
信濃国分寺は、薬師如来を安置する本堂をはじめとした堂塔伽藍がそろい、1月8日の縁日にちなんだ「八日堂のお薬師さん」の名で近在の信仰を集めている。 そして信濃国分寺三重塔は、日本遺産に登録されており建久8(1197)年に源頼朝が善光寺参詣の帰途、寺の衰退を憂い、塔の復興を命じた。建築様式は、「和様」の外観となっている。
2024-01-25
11
北向き観音堂
平安時代初期に比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁が開いた霊場。厄除観音として昔から信仰を集め、長野市善光寺と向かい合うように本堂が北を向いている事から北向観音と呼ばれるようになった。「極楽往生」を願う善光寺と「両参り」し、ここで「現世利益」を祈ることで、御利益があるとされる。 手水舎には境内から湧出している温泉が使われていて、とても温かい。 ここでは上田市の景色を眺めることが出来る。 北向き観音堂に行くまでの道中も、魅力があふれているためおすすめスポットである。 日本遺産に登録されている北向き観音堂はぜひ訪れるべき場所だ。
2024-01-25
12
越後の伝説についての考察(『越後の国雪の伝説〔正〕』鈴木直著 昭和十七年七月二十二日発行)
越後の国雪の伝説〔正〕に収録されている23の伝説の中の4つについて、それがなぜ生じたのかという自分なりの考察をおこないました。 *越後の国雪の伝説〔正〕とは、越後に古くから伝わる伝説のうち、雪に関するもののみをピックアップして収録した本です。なお、地域としては中・下越の中でも比較的豪雪な地帯の話が中心的です。 1,茂助地蔵 《あらすじ》 昔、一人の旅人がいた。宿屋を出発して目的地へと歩いていたが、天候は最悪で、顔を前に向けることも困難なほどの吹雪だった。そして、その途中で偶然にも一人の女性に遭遇し、自分の家に泊まっていくことを勧められる。旅人は女についていくことにし、彼女の家で手厚いもてなしを受けた。数日後、旅人は死体となって発見された。死因は凍死であり、近くの村の村人は旅人は雪
2024-01-24
13
北向観音堂
厄除観音として昔から信仰を集め、長野市善光寺と向かい合うように本堂が北を向いている事から北向観音と呼ばれるようになりました。善光寺と合せてお参りするとさらにご利益があるといわれています。 北向観音は825年(天長2)、比叡山延暦寺座主・慈覚大師円仁により開創された霊場です。 現世でのご利益を授けてくれるという千手観音を御本尊とし、本堂に祀っています。 坂道が多いので、足腰が弱い人は訪れづらいなと感じました。
2024-01-23
14
地域に伝わる逸話
舌喰池を訪れた時の写真です。 結構前の写真ですが,当時はもう少し水位があったようです。 人々の信仰心は恐ろしいと感じた。 このような話は他地域でも存在するはずである。 だからこそ,調査し続け後世に伝えていくことが重要だ!
2024-01-23
15
別所 北向観音
北向観音は別所にあり、昔から厄除観音として地域の人からの信仰を集めた神社である。長野市にある善光寺と向かい合うよう北を向いている様子からその名がついたそう。 私はこの神社をとても素敵だと思うのだが、そこから見える景色のほうにより心を奪われてしまった。すこし高い位置にある神社からは上田の町が一望できるのだ。よく見れば上田駅の方までも見渡すことができる。きれいな空気を吸って、きれいな景色を見て、リフレッシュするのに最適な場所だろう。
2024-01-17
16
前山寺
前山寺の本堂です。本尊は大日如来で、真言宗のお寺であり、信州で経学の殿堂として名をはせました。信州四ヶ檀林の内の1つに数えられていることから、信州や中部の僧侶の方に信仰されてきたお寺だと感じました。また、信州塩田平には、大日如来をご本尊とするお寺が多いように思えます。私は、塩田平は日本有数の小雨地域で日照率が高いことと、太陽という存在に例えられる大日如来とが何か関係しあっているのかなと思いました。塩田平には、中禅寺薬師堂や安楽寺など、古刹が多く存在しその多くは鎌倉から室町時代の建立です。塩田平は、「信州の鎌倉」と呼ばれるにふさわしいと感じました。
2023-11-26
17
鹿教湯温泉の名前の由来
鹿教湯温泉は文字通り、「鹿が教えた湯」というのが由来になっています。文殊菩薩が鹿に姿を変え、信仰心が強かった猟師に温泉の場所を教えた、という伝説があります。それ以外にも、鹿になっていた文殊菩薩がお湯を飲んでいたところを猟師が発見した、というものもありました。 他の由来として、狩ろうとしていた鹿が森の中の池に入り、鹿が池から出た後に池に近づくと、そこがお湯であった、というものもあります。 いずれにしても、鹿が人間に教えた湯であるのが鹿教湯温泉です。実際に行ってみたのですが、写真にもあるように橋の所に鹿のデザインがされていました。また、旅館の入り口には鹿教湯温泉の名前の由来が記されていました。どちらの由来だったのかは実際に行って確かめてみてください。せっかく上田に来たのだから、別
2023-11-16
18
庚申塔
庚申塔は、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石碑である。 この石碑にはほかに、明治の政治家である高橋是清と板垣退助の名や、日光東照宮で有名な三猿の絵も刻まれていた。三猿については、庚申の申にかけて刻まれることが多かったという。
2023-05-10
19
小松神社の青面金剛
小松神社は、実家のすぐ近くにある小さな神社である。 この地域に住む子供たちにとっては貴重な遊び場であり、私も小学生の頃はよく公園がわりにしていた。 石碑に刻まれている青面金剛は日本仏教における信仰対象のひとつで、日本の庚申信仰の中で独自に発展した。庚申講の本尊として知られる。 神社の軒下につくられたまま放置されたスズメバチの巣は、この地の少子化の深刻さを物語っていた。
2023-05-10
20
馬力神
母校の小学校の通学路にある石碑。 馬力神信仰は、栃木県を中心に江戸末期から昭和初期まで盛んだった風習である。 大部分は愛馬の供養のために造立されたものであり、栃木県内に274の馬力神の石碑が存在するという。 石碑には「大正十年七月三十日死亡」とあることから、その時代に建てられたものと考えられる。
2023-05-10
21
学生による地域キュレーション2022(信州上田学A受講生)
長野大学の地域科目「信州上田学A」を受講した学生が「信州上田」を接点とした地域キュレーションの学習成果です。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します。 ▼カテゴリ1:蚕都上田
【1】
長野県の中でなぜ上田市が蚕都で有名なのか
【2】
上田の養蚕の歴史を掘り下げ、伝え続けるには。
【3】
蚕都上田の歴史と未来
【4】
製糸業の歴史
【5】
蚕都上田の歴史
【6】
蚕都上田
2023-02-10
22
戸隠山九頭龍大権現〔信州の浮世絵〕
江戸時代の浮世絵師、二代歌川広重による錦絵の揃物「諸国名所百景」の一つ。 初代広重の門人で、師の亡き後その画風を継承した二代広重が、安政6年(1859)から文久元年(1861)にかけて制作した。版元は、初代広重晩年の作「名所江戸百景」を出版した魚屋栄吉。徳川家の手厚い保護を受け、戸隠山顕光寺として信仰を集めた神仏混合の時代を描く。九頭龍大権現(現在の九頭龍社)の右に奥院(奥社)、江戸末期の狩野派絵師河鍋暁斎作の「龍の天井絵」がある中院(中社)、右下の石階段の先が宝光院(宝光社)とみられる。参道には杉木立の合間に院坊が立ち並び、参拝者や商人らが行き交う門前町として栄えた当時の様子を描いている。九頭龍社は古くから地主神として祀られてきた。 水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結びの神として信仰を
2023-02-01
23
まとめ
今回の「上田市と太郎山」のキュレーションで分かったことは、太郎山は上田市民と文化的に密接に関わっていたということだ。 今も昔も変わらず上田の地を上から見下ろす太郎山は、上田に住む人々にとって信仰の対象であったり、故郷の思い出として残るものであったりと、様々な形で上田市民の中にあることだろう。 私も去年一度登ったことがあるがとても登りやすく初心者にもおすすめで、山頂からは上田市が一望できる最高の山なので、是非一度登ってみてはいかがだろうか。 https://jpsearch.go.jp/item/u001-UMS_008_0843
2023-02-01
24
信州の自然と人、47年前と今
昭和51年(現在2023年から47年前)に長野県が制作した、信州の自然と人の暮らしとの関わりを記録した映像です。 白馬三山の雪形、山の信仰、水質・大気汚染、自然観察会などをまとめており、2023年の現在と比較検証し、変っていない点と変わっていった点を考察していく。 仮説として、現在と47年前で変わっていない点は普遍的な部分で今後も変わらないのではないかと推測する。 URL:https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03FS0000000132
2023-02-01
25
”川”と共にある上田市御所
上田市には千曲川が流れている。 上田市の災害の歴史を語るには欠かせないだろう 千曲川が流れている御所では、昔から大きな洪水の被害を受けてきた。その被害を少なくするために当時の村人達は「水天宮」を奉納し、「天御中主神(あめのなかぬしのかみ)」を祭ってきた。 向かいにも「水神宮」がある。 今、ここで生活出来ているのは当時の人々が、こういった「信仰」によって水害が少なくなることを願い、どうすれば安全になるのかを考えて対応をした、それらの「堤防」の積み重ねの結晶であると考えられる。 昔の人々の想いに馳せながら、こういった史跡を巡ってみるのも面白いのではないだろうか。
2023-01-30
26
向源寺宛武田信玄朱印状
この文書は戦国時代の永禄九年(一五六六)武田信玄が、重臣の三枝〔さいぐさ〕宗四郎昌貞に命じて「武田方の軍勢が向源寺(当時上田原にあった)境内で陣をとることを禁じ、もし命令に背〔そむ〕く者がいたら、子細〔しさい〕(くわしい事情)を申し出るように。」と、向源寺に伝えた朱印状だそうです(資料参照)。 信玄は信濃国へ、幾度か軍勢を出して合戦を繰りかえしています。このようなとき勢力下におさめた地域の主な寺や社を大事に扱うことが、民の心を安定させるために、大切であることを心得ていて、特に寺社に迷惑がかからぬよう、心配りをしていたことを物語る文書として貴重なものです。」 神仏への信仰心がもたらす力は信玄自身が一番実感していたがための行動だったのではないかと考えさせられます。 https://museum.umic.jp/bunkaza
2023-01-30
27
武田信玄願文(県宝)
武田信玄は、上杉謙信との戦いに備えて、東信濃の名社生島足島神社に、願文を献げ、今後の戦について深く祈願するところがあったそうな。 これがその願文で、おわりに永禄2年(1559)と記され、信玄自筆のものといわれています。 「謹んで、下之郷諏訪大明神に申し上げます。私(信玄)は、越後の軍勢(謙信をさす)が攻めてくるので、戦うがよいかどうかト(うらな)ったところ”吉”という卦が出ました。そこでこの天の教えに従って出陣いたします。何卒私の軍に勝利を与えられ、長尾景虎(謙信)が逃亡するようお助けをお願いいたします。もし私が凱歌をあげて帰国しましたなら、今年から10カ年間、毎年青銅貨10緡ずつお社のために上納いたします。」 調べて知ったことですが、信玄は戦国大名の中でも占いマニアだ
2023-01-30
28
温泉薬師瑠璃殿
本尊薬師如来。北向観音堂の西方の崖の上に建てられた一風変わった建物で「医王尊瑠璃殿」と呼ぶ。建立年代は明らかでないが、資料によれば焼失した後文化6年(1809)に地元湯本薬師講中によって再建されたという。温泉の効能に併せて病気を除き解脱するという深い温泉薬師信仰に由来するものである。「瑠璃殿」という名は、薬師如来を瑠璃光如来とも呼ぶところからとった名である。 引用元 http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=668014
2023-01-29
29
別所温泉の歴史
塩田平を囲む山なみの西方にそびえる夫神(おがみ)岳のふもとに、この地方の古い歴史とともに、絶えまなく湧き続けて来たのが別所の温泉である。この自然の出湯と人とのかかわりは、夫神岳の麓から古代の布目瓦が多数発掘されたことによっても、その古さが想像される。 国造や国府の所在していた古代から、庶民の安息療養の場所であり、また温泉の効能と医薬信仰が、やがて仏教の霊場としての北向観音堂となったであろう。 別所の温泉は昔から”七久里(ななくり)の湯”と呼ばれたといわれ、平安時代の有名な和歌集にもその名をとどめている。 鎌倉時代には北条氏の居館塩田城にも近いので北条一族の好んで来湯することも多かったと想像される。国宝八角三重塔のある名刹安楽禅寺は北条氏の開基によるところから、別所とい
2023-01-26
30
市街地方面の神社・寺院と真田氏
上田城周辺には、神社・寺院が多数存在する。しかも、同じような場所に集まっている場合が多い。これは、地域のシンボルである上田城に深く関わってくる。1583(天正11)年、上田城を築城した真田昌幸は、城下町として海野町を作った。これは、先祖の地である海野郷(現在の東御市本海野)より、新たな本拠地近くに住民を移住させたことに由来する。それに伴い、海野郷近辺にあった寺院を城の近くに移した。例えば願行寺や日輪寺といった寺院がこれに該当し、真田氏の先祖である海野氏が開いたとされる場合が多い。特に願行寺は、江戸時代に上田藩の菩提寺になったほど、この地域や人々に深く根付いていたと考えられる。また海野町には、商売繁盛を利益とする高市神社がある。これは昌幸がつくったものだ。 このように、上田城を築城す
2023-01-26
31
温泉薬師瑠璃殿 解説
本尊薬師如来。北向観音堂の西方の崖の上に建てられた一風変わった建物で「医王尊瑠璃殿」と呼ぶ。建立年代は明らかでないが、資料によれば焼失した後文化6年(1809)に地元湯本薬師講中によって再建されたという。温泉の効能に併せて病気を除き解脱するという深い温泉薬師信仰に由来するものである。「瑠璃殿」という名は、薬師如来を瑠璃光如来とも呼ぶところからとった名である。 http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=668014より引用
2023-01-25
32
別所温泉 解説
塩田平を囲む山なみの西方にそびえる夫神(おがみ)岳のふもとに、この地方の古い歴史とともに、絶えまなく湧き続けて来たのが別所の温泉である。この自然の出湯と人とのかかわりは、夫神岳の麓から古代の布目瓦が多数発掘されたことによっても、その古さが想像される。 国造や国府の所在していた古代から、庶民の安息療養の場所であり、また温泉の効能と医薬信仰が、やがて仏教の霊場としての北向観音堂となったであろう。 別所の温泉は昔から”七久里(ななくり)の湯”と呼ばれたといわれ、平安時代の有名な和歌集にもその名をとどめている。 鎌倉時代には北条氏の居館塩田城にも近いので北条一族の好んで来湯することも多かったと想像される。国宝八角三重塔のある名刹安楽禅寺は北条氏の開基によるところから、別所という地名は
2023-01-25
33
山家神社
上田市真田町長にある山家神社です。「白山大権現(はくさんだいごんげん)」と称えられ、ご利益としては上田城鬼門除けの神として広く信仰されています。
2022-12-05
34
温泉薬師瑠璃殿
温泉薬師瑠璃殿は北向観音の境内にある薬師堂であり、建物は崖にへばりつくように建てられていました。瑠璃殿という名称は薬師如来の「瑠璃光如来」から来ているが、温泉の薬効と薬師如来の病苦から人々を救うというご利益が結びついた温泉薬師信仰のためである。以前は大師湯の西隣にあったとされるが、寛保二年(1741)湯川の氾濫によって今の場所に移され、文化六年(1809)に現在の形に再建された。 土台が意外と細いにもかかわらずしっかりと立っていて、周りには大きな木に囲まれていた。その木の中のひとつに上田市の文化財である愛染カツラ(あいぜんかつら)もありました。
2022-12-04
35
市街地方面の寺院、神社
やはり城下町らしく、この地を治めた真田氏に縁あるものが多い。欧州ではキリスト教、東洋で仏教、そして日本の神道。古来より信仰というものは人々の生活の隣にあるものだった。信仰のあり方はその地域の生活のあり方ともいえる。歴史を紐解くうえで貴重な材料となり得るものである。(今回キリスト教を取り上げなかったのは、ここいら一帯はキリシタンが現れた時期が遅かったと考えられるためである。)
2022-12-04
36
太神宮社
祭神は「天照(アマテラス)皇大神」、「豊受(トヨウケ)皇大神」。1622年に秋和から今の場所へ遷された。上田地域の伊勢信仰の中心。境内にはお稲荷様らしき連鳥居がある。
2022-12-04
37
太郎山
上田市の北に位置する里山。 近くには太郎山神社があり、信仰も根強い。 歩道も整備されており比較的登りやすい山である。
2022-12-02
38
常楽寺
別所温泉駅から、徒歩5分程度のところにある上田市の指定文化財である常楽寺に行ってきた。茅葺き屋根が特徴的で、常楽寺に向かうまでの石階段がかなり、足腰にきた。門構えも立派で引き込まれた。別所三楽寺の一つとして多くの信仰をあつめている常楽寺にぜひ一度訪れてみてほしい。
2022-10-30
39
上田城 二の丸跡の歴史物④ 眞田神社
上田城本丸跡に鎮座する当社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。 <引用文> http://sanada-jinja.com/about/ 10月21日15時頃にフィールドワークしました。 上田城跡に鎮座する神社、行った時には人が多くいてお守りなどを買っているなどとても栄えていることがわかりました。歴史的に調べてみると、この神社は城主を御祭神として信仰する歴史があるそうです。ちなみにご利益は「勝負運」「学業成就」などです。
2022-10-27
40
私の趣味① 【御朱印集め】
私の趣味についてご紹介。 私はいくつか趣味を持っているが、その中の1つ 【御朱印集め】 御朱印集めの趣味歴は約10年ほど。 小学4年生の頃京都・奈良に家族旅行で 出発前におばあちゃんから「行くなら御朱印をあつめてみたら?」と言われたコトがきっかけで始めた。 最初はあまり楽しくなく、 でも御朱印代、御朱印帳代を母が払ってくれるからいいかー、と思いながらやっていた。 が、旅行後半には 「あの~神社行きたい!龍安寺石庭ももらいたい!」と どっぷりはまっていた。笑 そこから約10年 機会があれば御朱印をいただくようになり、 いまでは自分の趣味で1番長くやっている。 私は寺社仏閣や教会に行くのが大好き。 これについてはまた別の機会に書こうと思っているが、 信仰の対象となるモノはとても魅
2022-06-30
41
伊香保神社
北海道旅行の投稿が滞っていることが気になるが今回もリアルタイムな投稿。 6月18日 伊香保神社へ。 温泉は火山活動から、山は昔、信仰の対象として崇められていたということもあり温泉地には大抵寺社仏閣がある。 温泉も寺社仏閣も大好きな私からすると たまらない。 伊香保神社は神社へ行く前に365段の石段がある。 偶然なのか必然なのか1年のと同じ。 「6月だから今この辺かな」とか思いながら登った。
2022-06-20
42
山家神社
2022.06.09(木) 上田市眞田、山家神社へ。(写真) 山家神社は古くから上田城の守護神として、 歴代上田上藩主から一般民衆に至るまで 深い信仰があったとされている。 鳥居にはおおきな桜の木があり、 とても風情が感じられる。 境内に入ると森に入ったように 自然が周りに広がっており時間の流れをゆっくり感じることができた。(写真) 宮司さんの書いた「白山大権現」(写真)と私の御朱印帳の文字(写真)を見てみるととても字体がよく似ている。 御朱印は去年12月にいただいたもの。 きっと宮司さんが書いてくれたものではないかな、と思った。 現在、アリオ上田店「赤ちゃん本舗」と山家神社はコラボしており宮司直筆の腹帯守りと御朱印のプレゼントを行っている。 お堅いイメージのある神社が 少し
2022-06-10
43
前川ゼミ/藤本蚕業プロジェクト2022/05/30
前川ゼミ・藤本蚕業チームの実質3日目は、地元の方々との情報交換がメイン。藤本蚕業が、あるいは蚕種製造が今とどうつながるのか、地域づくりに活かせるのかを緩く探りました。 その中で急浮上したインタレストの対象が「猫瓦」。各家々で解雇を育てていたこの地域ではそれぞれの屋敷の屋根に猫瓦を置いて、蚕の天敵であるネズミを追い払う信仰がありました。蚕種紙の袋には馬の絵が。蚕の卵にどうして馬なの? 多くの人が理解できない蚕種、それゆえに人々から忘れられてしまった蚕種。それと共に蚕種製造で栄えた塩尻地区も藤本も忘れられた存在となっています。知識循環型社会におけるインタレストの接点と地域づくり。一つの方向が早くも見えてきました。
2022-06-05
44
善光寺の昼間と夜の風景
善光寺は、長野県長野市元善町にある仏教寺院です。創建以来約1400年の長きにわたり深く広い信仰を得ています。ここでは昼間と夜の本堂の写真と夜の仁王門付近の写真を紹介します。昼間と夜では善光寺の雰囲気が変わります。夜になると仲見世商店街の大半が閉まり人通りもかなり少なく、昼間のガヤガヤワイワイした雰囲気とは打って変わって静かで落ち着いた雰囲気になります。また、冬には善光寺イルミネーションが行われており、幻想的な光に包まれる善光寺は綺麗です。善光寺に訪れる際には、夜の新たな一面を知ってみるのもいかがでしょうか。
2022-05-11
45
共通点②神社やお寺が多く存在する
探索している中でどちらとも神社やお寺が多く存在することに気づいた。私が訪れたところでも別所で4箇所、山ノ内で2箇所であった。回りきれなかったものもあるため、比較的多く感じた。調べてみると、「温泉の周辺」ではなく「山」に神社やお寺が多いということであった。縄文時代に遡るが、その時代の人々は山には神々が宿り、材料や燃料、また、食料等の恩恵を与えてくれるのは山のおかげという考え方、そして、神話で山には神々が降りる場所であるというような考えに基づき、そ信仰対象が次第に山自体になり、現在様々な神社が山にあると言われている。 参考:「見せる登山と温泉記録」https://wotcool.com/mountain-notes/mountain-faith/
2022-02-01
46
富士山研究
「富士山の“世界遺産登録までの歩み”と“これから”」 入月龍輝 黒田蒼士 日本人の自然観や日本文化に大きな影響を与えてきた富士山は2013年に「信仰の対象と芸術の源泉」として、世界文化遺産に登録された。 ―世界遺産登録までの歩みー 富士山を世界遺産とする動きは1992年からスタートしている。その後も静岡・山梨両県が、衆参議院に富士山を世界遺産として推薦していった。しかし、2003年国の検討会が最終候補地を選定した際、富士山が狭い遺産候補から外れる。そのため、世界文化遺産登録を目指し活動することになる。2007年に文化庁が日本の世界文化遺産 暫定リスト 追加候補遺産に選定する。最終的に2013年第37回世界遺産委員会にて世界遺産登録決定となる。 このように世界遺産登録までに約20年かかったおり、一筋縄
2022-01-27
47
平和観音(世界平和聖観世音菩薩)
112段の石段の先に平和観音と呼ばれる重さ約22t、全長約25mにも及ぶ銅像がある。雪のなかということもあり、石段が滑り大変だった。昭和39年に完成し、金属製の観音像としては東洋最高らしい。実はこの像は2代目で、昭和初期に33mの「聖観音菩薩」が建立されたが、戦争のため台座を残して解体されてしまったという。下から見上げる平和観音は写真では伝わりきらない迫力なので、是非実際に訪れ体感していただきたい。 また、境内から上につながる階段を上ると、地震除け、金運をもたらす石仏として信仰されている「弥勒石仏」(みろくせきぶつ)があった。こちらも雪がたくさん積もっており大変で、石仏は猿がいたずらをすることから扉が閉ざされていた。
2022-01-23
48
北向観音堂
北向きに建立されたことから名前がついた北向観音。厄除け観音として信仰を集めています。 お堂の中は薄暗く、お線香の匂いが立ち込めていてなんだか心が落ち着く空間でした。お線香を入れられる香炉には小さな狛犬が乗っかっていて可愛かったです。
2021-11-14
49
羽黒山
山岳信仰の場とされた「出羽三山」という3つの山の中の1つ。羽黒山は現世の幸福を願う地とされている。 隋神門から山頂までには杉並木と2446段の石段があり、その杉並木はミシュランで三ツ星にも選ばれている。石段にはあちこちに盃やひょうたんなどの絵や字が彫られていて、全て見つけると願いが叶うと言われている。
2021-07-26
50
温泉薬師瑠璃殿
現在の建物は文化6年(1809)、地元の人々によって再建されたもの。この地には、温泉の薬効でさまざまな病気を治すという温泉信仰が昔から根強く、「るり」は、薬師如来を「瑠璃光如来」とよぶことからきている。舞台の上からは、別所温泉の旅館街を見渡すことができる。
2021-07-23
51
愛染堂
現在の建物は明治15年(1882)に色川徳兵衛が建てたもので小規模ながら精緻な彫刻が施され格式のある造りです。愛染明王が祀られ、一般民衆は愛欲を無罪とし、それを糧として幸福を得ることが出来ると解釈し「恋愛・縁結び・家庭円満」を司る仏として信仰が広がりました。
2021-07-23
52
戸隠神社
急峻な山容と、裾野を潤す豊かな水が、 古くから農耕民に仰がれ、 水をつかさどる神・九頭龍が棲む所とあがめられていた戸隠山。 鎌倉時代の仏書「阿娑縛抄(あさばしょう)」には、 849年、戸隠山を開山した行者・学問が窟の中で祈念して 九頭一尾の龍が現れたことが記されています。 その後は、多くの修験者が入り、 信仰と修験者のメッカとして栄えた神域・戸隠。 その名残は今も、戸隠古道や戸隠神社、宿坊にみられ、 毎年春から秋にかけて全国から講仲間が大勢この地を訪れ、 代々継がれてきた御神楽、祭りの数々が献奏されます。 戸隠奥社
2021-05-16
53
高崎だるま
群馬県ではだるまが有名である。どこのお店や家に行っても大小様々でデザインも豊富なだるまが飾られている。 ○だるまの歴史○ だるまの発祥の地は群馬県の高崎市の少林山達磨寺だといわれている。高崎のだるまはもともと「富岡だるま」と呼ばれ親しまれてきた。しかし昭和30年に富岡が高崎市と合併し富岡村の名前が消えて以来、「高崎だるま」「縁起だるま」「副だるま」などの呼び名が付いた。だるまは江戸の人々が疫病から逃れるために、祈り、まじないを信じて作ったと考えられている。当時疱瘡が子どもの間で流行り、この病気は赤色を嫌うとされていたことから、早く治るようにとだるまには赤色に塗られた。疫病の予防法が見つかったことにより、だるまは農作祈願のための縁起物として買い求められるように変化した。特に群馬
2021-01-26
54
北沢大石棒
佐久穂町 説明板より 北沢川の大石棒 今から四千数百年前(縄文時代中期)眼前に広がる南台地に生活していた人々が、動植物の豊穣と人間の甦りを願っての信仰のシンボルとして、豊かに湧きあがる泉のほとりに建立したものと思われる。なおこの石棒は、日本最大のものとして知られている。 [石棒] 二.二三メートル、溶結凝灰岩(佐久石) [石柱] 柱状節理流文岩 昭和六十二年八月 佐久穂町教育委員会 (※当初の説明板の記述は「佐久町教育委員会」だったと思われます。)
2020-12-20
55
道祖神
寺下駅から徒歩20秒の距離にある道祖神 自分が見たことのある道祖神は人型を模していたので自然石のままというのが意外だった。 しめ縄のくたびれ具合や、周囲の草が伸びっぱなしになっていることから、あまり信仰されていないのかも。 道祖神は通行人を守ってくれる神様らしく、駅の近くにあることで、知らないうちにたくさんの人が災難から守られているのかも。 自分は手を合わせておいた。
2020-10-21
56
法住寺虚空蔵堂
虚空蔵堂(こくぞうどう)は平安時代に創建されたと伝えられる天台宗の古刹(こさつ、古い寺)・法住寺の信仰の中心となっています。堂名の虚空蔵が部落名になっているほど地域信仰の中心となってきました。 選んだ理由としては国の重要文化財に指定された程大切な建物で、もちろん依田窪(よだくぼ)地方最古の建物であることから行ってみたいと思ったからです。
2020-08-06
57
散歩中に発見した石碑
道祖神を祀る石と文字碑であり、長野県内でも最も確認数が多いのが佐久市である。 無加工の自然石を道祖神と名付けて祀っているそうだ。 文字碑と双体像が一緒になっており、古くからの石神信仰が想定されるうるものである。 また、この地区に伝わる道祖神祭りという夏の行事にも関りがあると考えられ、発祥については不明点が多いものの佐久市内でも最古の行事のうちの一つであるという説もある。
2020-08-06
58
『上田市誌』(全31巻 2004年)目次
『上田市誌』全31巻 発行:2002~2004年 編集者:上田市誌編さん委員会 発行者:上田市、上田市誌刊行会 以下から各巻の目次と奥付が参照できます。なお、対象の「上田市」は2006年の合併以前の旧上田市が対象です。
第01巻 自然編(1)上田の地質と土壌
第02巻 自然編(2)上田の気象と川や湖
第03巻 自然編(3)上田の動物と植物
第04巻 歴史編(1)上田盆地のあけぼの
第05巻 歴史編(2)上田の弥生・古墳時代
2020-06-27
59
子檀嶺岳(こまゆみだけ)
※画像の添付がされておらず、また投稿者名が入っていなかったため、再投稿します。 長野県の青木村にある山である。 山の形は少しいびつだが、青木村を一望できる山頂からの眺めは、素晴らしい。 「信仰の山としての霊山」であり、地元民に愛されている山一つである。 参考:http://www.vill.aoki.nagano.jp/assoc/aruku/trek/komayumi.html https://www8.shinmai.co.jp/yama/guide/00088.html
2020-06-01
60
山神社
民家のある中にぽつんと存在する、非常に小さな神社である。鳥居には手作り感満載の「山神社」と書かれた札がかけられており、かわいらしい。あるのは小さなお堂と水道のみではあるが、これを建造した当時の人々の信仰心に思いをはせることができる。
2020-05-25
61
福神子安地蔵尊
何かを抱えたような姿で安置されている地蔵である。日本の民間信仰では、地蔵菩薩は子供を見守る存在であり、道祖神と似たような性格を持つ。(隣には道祖神も祀られている) 詳しい情報は石碑に記されていると思われるが、近寄れず確認できなかった。
2020-05-25
62
下塩尻 庚申塔
庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことを言います。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多いそうです。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれています。 出典:庚申塔 - Wikipedia 庚申という言葉もその歴史についてもあまり知る人は少ないのではないかと思います。実際に調べてみると多くの歴史があり、様々な情報があるため歴史的に興味が持てます。他の都道府県にもあるため、実際にその場へ赴き、どういった歴史があったのか調べたくなります。
2020-05-21
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