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登録リスト(該当:23件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
公園前駅
公園前駅は上田城跡公園に架かる二の丸橋の下にあった真田傍陽線の駅です。真田傍陽線とは、1972年まで上田駅と旧真田町にあった真田駅、傍陽駅を結んでいた鉄道路線です。この駅は上田城の堀の跡に駅が設置され、現在でもホームや架線の跡、駐車場に転用された線路跡を見ることができます。ちなみに城跡公園の北西の堀の跡は野球場、陸上競技場に転用されています。
2024-02-10
2
上田交通真田傍陽線廃線跡
上田駅と真田駅を結んでいた路線。1927年に開業し1972年に廃止された。現在では遊歩道として整備されている。 実際に訪れたことで上田の繁栄の歴史や当時の姿を感じることが出来た。
2024-02-02
3
上田城のすぐ隣を走っていた真田傍陽線の跡
かつて上田市から真田地域、菅平高原方面に繋がっていた真田傍陽線(さなだそえひせん)は、上田城のすぐ横を走っていたとされる。今では、上田城のケヤキ並木遊歩道となっている。他にも、街中には路線の跡が残っており、昔の菅平高原開発の名残が見て取れる。
2023-11-30
4
交通機関を使って上田観光を!
上田市での交通手段は主に車、電車やバスなどの交通機関、タクシーなどがあります。その中でも特に、電車やバスといった交通機関は、たくさんの人々が利用し、日常生活に必要不可欠となっています。 上田市の主な電車には、しなの鉄道と上田電鉄別所線があり、上田電鉄別所線は大学前にも通っているため、長野大学の皆さんも普段から利用しているのではないかと思います。上田電鉄別所線は上田駅から別所温泉駅まで続いており、上田市屈指の観光地である別所温泉に気軽に行くことができます。上田電鉄別所線の車両には、1月1日~30日限定の車両「謹賀新年 HM」、「れいんどりーむ号 HM」、「真田傍陽線開業95周年 HM」「真田傍陽線廃止50周年 HM」、「さなだどりーむ号 HM」などのラッピングが施された特殊車両があり、外見でも楽しむ
2023-01-19
5
上田城のトンネル
上田城の外側の堀ですが、実は昔電車が通っていました。上田交通真田傍陽線(さなだそえひせん)という電車が50年間走っていました。 廃線となったのは1972年だそうです。なんか懐かしい感じ。知らんけど。
2022-10-29
6
上田城の知られざる歴史
上田城の入り口はいくつかありますが、市役所に最も近い入口は橋になっています。橋の下は昔堀がありましたが、ちょうど50年前までは、この場所に電車が走っていました。「上田交通 真田傍陽線」という路線で、写真の場所には「公園前」という駅がありました。橋の裏側には電車の架線の跡が残っています。
2022-10-25
7
上田城 堀の中の自然
上田城の魅力の一つに堀がある。その中を歩いているとたくさんの自然に触れることができる。ふと上を向くと…。きれいな景色がどこでも見れてしまう。 昔通っていた電車の名残も感じながら、歴史ロマンに浸るのもいいのではないだろうか。
2021-05-05
8
[14/09/11]真田町を進む、途中駅前食堂
旧真田町に入って間もなく「駅前食堂」が右手に見えてきます。この店名が面白い。かつて鉄道・真田傍陽線が通っていたときにここに駅があったことに由来しています。隠れスポットとして知っておくと訪れたときに楽しいです。ただしこの時は通過しました。 最初に向かった先は真田氏歴史館です。
2021-05-01
9
上田温泉電軌真田線の延伸計画について
1926年11月25日の官報第4277号と1935年9月16日の官報第2613号に、上田温泉電軌(現在の上田電鉄)真田線の真田から先の区間の延伸について記述があった。 以下が国立国会図書館デジタルコレクションのURLである。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956427/3 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959092/4 この2つの官報では、終点であった真田駅から先、当時の小県郡長村の大字であった大日向地区への路線敷設免許の下付と失効それぞれについて記述されていた。 下付が1926年、失効が1935年であることを考えると、その間の昭和恐慌によって計画を断念せざるを得なくなってしまったのではないかと考えられる。
2021-02-27
10
水面の亮岸に(神川橋梁橋台跡)
勢いよく流れる川のほとり。 奥に見える橋台とは別に、手前の方にも何かコンクリートの塊があるのが見える。 これも形は違うが橋台である。 本来ならば振り向いた反対側にも橋台跡があるのだが、こちらは個人所有の地で、行ったときには新しい塀ができてしまい見えなくなってしまっていた。 廃線跡の遺構はいつまでもそのまま変わらずに残る、というものではない。 次々に消えていくものを追いかける、そんな風に言えるのではないだろうか。
2020-07-15
11
愛される鉄路(曲尾駅跡)
植物に半ば埋もれるようにして、たたずむこちらの看板。 曲尾駅の駅名と、その両隣の駅名が刻まれている。 廃止になった後で地元の人々が設置したようである。 当時の遺構が1つもない曲尾駅において、駅がここにあったことを伝える大切な役割を果たしている。
2020-07-15
12
思わぬ発見(傍陽線神川の橋跡)
真田傍陽線の跡を辿るために自転車をこぎ、ふと右を見ていたら、突然視界によく見た形の構造物が現れた。 これはどう見ても、橋の橋台である。 だが、事前に調べた情報には一切なかった。 驚きと喜びと興奮、困惑が入り乱れる。 廃線跡探索の大御所やほかの方々のサイトには載っていなかったし、Googleマップのストリートビューで見たときも分からなかった。 そんなものが、自分の目の前に存在している。 これだから廃線跡探索はやめられないのだ。
2020-07-15
13
時代が変われど物流を支え続ける(真田傍陽線真田駅跡)
道路の脇にひっそりとある、草に覆われた石垣のようなもの。 よく見れば上にはトラックが停め置かれている。 ここは真田傍陽線の2か所ある終点のうちの片方、真田線の真田駅跡。 この石垣は当時のホームである。 人々や貨物が行きかったホームも、現在はトラックの駐車場となって目立たぬ存在となっている。 時代は変わってしまったが、鉄道が廃止となって半世紀が経とうとしている現在でも、地域の物流を支えている。
2020-07-15
14
駅がないのに「駅前」?(駅前食堂)
壁一面に貼られた、古ぼけた写真。 そして、ところどころ塗装の剥げた大きなライト。 ここは北本原駅があった場所のそばにある、駅前食堂。 とっくの昔に駅がないのに「駅前」という不思議なお店だ。 壁に飾られた写真は真田傍陽線の現役当時のもので、写っていない範囲にもたくさんあった。 また手前にある大きなライトは実際に電車についていたものなのだそうだ。 値段がかなりお手頃価格で、しかもとても美味しい。 菅平高原への道中にふらりと立ち寄ってみるのもよいかもしれない。
2020-07-15
15
巨塔の見つめる先へ…(神川橋梁の橋脚)
高くそびえ立つ、巨大なコンクリートの柱。 真田傍陽線の列車は、伊勢山トンネルを抜けるとすぐにこの上に架かっていた橋を渡って神川を超えていた。 川の反対にも橋脚が残っているそうなのだが、時間の都合でここで引き返すこととなってしまった。 次回が楽しみだ。
2020-06-24
16
役割は変われども(伊勢山トンネル)
入口が板でふさがれたトンネルが存在する。 真田傍陽線では唯一のトンネルであった、伊勢山トンネルの跡である。 建設時にルート変更が行われた結果、この山をトンネルで貫く険しいルートとなり、工事の難易度が上がってしまった。 そのため、開業当初はトンネル手前の伊勢山駅が終着駅であった。 廃線後は、キノコの養殖場として使用されているようである。
2020-06-24
17
叢の中で眠る(樋之沢駅跡)
生い茂る野草の中、何かコンクリートの細長いものが見え隠れしている。 ここは、樋之沢駅のホーム跡である。 真田傍陽線が開業した時は唯一、列車の行き違いができる駅であった。 草に覆われていてわかりにくくなっているが、赤い丸の部分にホームが残っていて、黄色の線のようにレールがあった。(レールは現存せず) 今回は夏に近い時期に訪れてしまったため、草の枯れた冬にもう一度訪れてみようと思う。
2020-06-24
18
近き水面のそばで(矢出沢川橋梁の橋脚)
勢いよく流れる川のそばで、護岸の一部が飛び出している。 かつては川を渡る橋を支えていた、橋脚である。 くぼんだ部分に鉄骨の橋げたが乗せられ、その上を毎日電車が人々や物資を載せて行きかっていた。 現地で見ても写真で見ても思うのだが、橋桁の下の面があったと思しき高さから水面までがとても低いようである。 現役時代にはいったいどのような景観をしていたのだろうか、などと妄想にふけるのもまた楽しいことだ。
2020-06-24
19
縁の下の力持ち(架線柱の基礎)
苔むしたコンクリートの塊から飛び出る、錆びた金属片。 これも実は真田傍陽線の遺構である。 電車には当然電気が必要であり、その電気を電車に送るために必要なのが、架線という電線である。 その架線を吊り下げる柱、重い架線柱を支えていたのがこのコンクリートの基礎なのである。 上田城の堀の区間では、確認できたもので5つも残されていた。 全国数ある廃線跡の中でも、こういったものがこれだけ残っているところはそう多くない。 ここはとても貴重な場所なのだということをもっと広めていきたいと考えた。。
2020-06-22
20
堀から鉄路、遊歩道へ(公園前駅跡)
切通しの底にある、立派な石のトンネルと低い石積みのホーム。 ここは公園前駅の跡。 元々は上田城の二の丸掘りであったところに、1927年に真田傍陽線が通された。 トンネルに見えるのは上田城址公園への橋で、側面上部には電線を通すための碍子(がいし)も残されている。 廃線後、現在はケヤキ並木遊歩道として整備され、人々の憩いの場所となっている。 城の守りの要から人々の生活の足へ、そして憩いの遊歩道へ。 不思議な人生(土地生?)もあるものだ、と考えた。
2020-06-22
21
支え続ける、足元で(古レールの車止め)
お城のほど近くの月極駐車場。 やけに細長くまっすぐな土地、そして車止めに使われているのはなんと鉄道用のレールだ。 ここも、上田交通真田傍陽線の廃線跡のうち1つである。 電車は上田駅を出てから北へ進路を変え、ここを通ってお城の堀を登って行った。 昔は電車を、今は車を支える存在となった古レール。 半世紀前に、確かにここには鉄道が通っていた。 その歴史の生き証人として、今日も静かに横たわっている。
2020-06-22
22
市街地の片隅に遺るもの(上田交通真田傍陽線の橋脚跡)
上田市の中心部にほど近い、川沿いの遊歩道。 歩いていると突然、まっすぐ続く護岸の中に他とは違って出っ張った、左右対称のコンクリートの柱が現れた。 これは、今から約90年前に開業し約50年前に廃止された、上田交通の真田傍陽線の橋の跡である。 このコンクリートの上部のくぼんだ部分に鉄骨でできた橋げたが乗せられ、その上を毎日電車が走り抜けたのであった。 こういった遺構は、多くの場合には再開発の際に取り壊されてしまったりするものであるが、ここでは遊歩道の一部として再整備されている。 片方の柱は柵が取り付けられて遊歩道の一部に、もう片方は民家の敷地となっている。 このようなものが、市街地のしかも中央郵便局のすぐ近くというような発展した場所に残っているというのは、 全国的に見てもかなり珍しい
2020-06-02
23
蚕都上田まちあるき2008
企画・制作:蚕都上田プロジェクト 2008/10/25の記録 竹内秀夫さん(都市・建築工房、建築設計) 斎藤功さん(長野大学環境ツーリズム学部教授、地理学) 新津新生さん(上田小県近現代史研究会) 小野寺芙美子さん(梅花幼稚園園長) 三田育雄さん(長野大学地域連携センター長)=まちあるきの企画者 <まちあるき探訪先リスト> リンクを選ぶとその部分を頭出し再生できます。 1.
上田駅前に集合
2.
往時の駅前の状況
3.
曳家した繭倉 木造4階建(笠原工業)
4.
2020-05-24
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