はじめての方へ
|
新規ユーザー登録
ログイン
カテゴリ選択
私の地域探検2024学生編
地域めぐり・まちあるき
歴史文化スポット
自然
温泉・観光・食
祭・イベント
気になるスポット
文化財・道具
商品・工芸品
食文化
地域の記録
旅れぽ
文書記録
写真記録
講座等記録
面白記事抄
人物伝
マンホール
私の地域探究
ようこそ上田!
上田のelaboration
プロジェクト研究
地域学習研修記録
公文書利用地域学講座
藤本史料ピックアップ
長大サミット2021
2020信州上田学Aテキスト
2020信州上田学Bテキスト
2021信州上田学A&Bテキスト
2022信州上田学テキスト
2023信州上田学テキスト
その他
最初の投稿
登録リスト(該当:179件)
≪
1
2
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
国道143号:青木線の遺構
青木線の廃線跡は国道に吸収されたため、駅や電柱などの遺構はほとんどと言っていいほど残っていない。しかしながら、国道の南側には、道路がはみ出したような形状になっている場所がある。これは現在バス停になっている場所であるが、その昔は駅だったという事実がある。現在は千曲バスの宮島停留所、川西小学校前停留所、白銀停留所、花の木停留所などに遺構が明確に残っている。
2024-05-16
2
青木線:国道となった廃線跡
他の記事でも記したが、青木線は現在の上田原駅から西に直進し、青木村へと至る路線であった。80年以上前の1938年に廃止された路線であるが、地元民からは「電車道」と呼ばれる道がある。それは現在の国道143号、上田市川西地区の主要街道である。 国道143号には昔の宿場町を避けて敷設された歴史がある。それ故に、もともと青木線があった場所に道路を通したと思われがちだが、実際のところは国道143号の路面を使う形で路面電車として運行されていたという経緯があり、現在の国道143号は廃線跡のぶん拡張されただけに過ぎない。
2024-05-05
3
上田原駅:青木線との分岐点
上田原駅の別所温泉側には、白い大きな建物がある。現在は「Balue Books」という企業の倉庫となっているが、昔はこの土地に上田原駅と車庫があった。 別所線は別所温泉方面に進むと南に大きくカーブするが、カーブせずに西方向に進む青木線と明確に分岐していったのである。
2024-05-06
4
城下~三好町:別所線と青木線の分岐点
現在の別所線には、城下駅~三好町駅間の線路の横に空き地がある。これは昔、この区間にもう一本の線路があった時代の名残であり、その線路は今の青木村へ至る「青木線」という路線の廃線跡である。
2024-05-06
5
和船らしき看板
街灯に和船らしき看板がついていた。かつて和船の製造や運航などが行われていたのだろうか。写真をとった日は空が晴れていて、ちょうど空に船が浮かんでいるように見えた。
2024-05-09
6
森林と空
軽井沢にて撮影したものです。360度森林、花に囲まれているなかから綺麗な青空がのぞき込んでいます。
2024-05-08
7
上田ブルー、色即是空
2005/11/01の記録。 上田に移り住んだ2005年。強烈に印象づけられたのが空の限りない青さです。これを私は「上田ブルー」と呼んできました。 「空色」とは「水色」のこと。イタリア語では「アズーリ」と言います。サッカーのイタリア代表はアズーリ色のユニフォームを着て、チームそのものも「アズーリ」の呼び名で親しまれています。イタリアのアズーリは日本の空色よりもより濃い。しかし上田の空色はもっと濃い。濃いどころかディープブルーと言っても過言ではありません。 関東地方に暮らすと空は普通水色をしています。このようなブルーは望めません。「色即是空」不思議に言い得て妙です。
2024-03-02
8
cafe bosso
上田駅お城口からまっすぐ歩いていくと見えてくる、ぱきっとした青い壁が目印になるbossoは、甘いものが食べたくなった時ぜひ立ち寄ってみてほしい。本日のワッフル、ケーキがあり、フルーツが使われていて、どれも絶品である。ここでは、サンドイッチやカレーなどの食事のメニューもあり、ランチや甘いものはちょっと...という方でも楽しむことができる。店内も非常に落ち着いた雰囲気でゆっくりとした時間を過ごすにはぴったりである。上田駅から徒歩5分というアクセスのしやすさもあり、電車の待ち時間などにも最適である。
2024-02-13
9
沓掛酒造 蔵見学 PART3
こちらは沓掛酒造の「互」シリーズです!!互いに酒を酌み交わすという意味で互と書いて「ご」と読みます。面白いのがそのシリーズの名前で、先発、中継ぎ、抑え、隠し玉、夏の青春など、野球に関連した名前になっています。 その中でも「先発はストレート勝負ピッチャーで、体力あるんだよ」言っていたのが面白かったです^^
2024-02-13
10
【上田市の銭湯】銭湯の分布から見る地域の考察
突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回はこれまでの調査のまとめとして、「銭湯の分布から見る地域の考察」を題として、上田市の銭湯の現状とともに記していきます。 ◎上田市の銭湯の現状 下に上
2024-02-12
11
【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~
突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回は、上田市の銭湯を研究するための必読書、「史的ニ上田(15)上田の銭湯」という文献をご紹介します。 (画像は、文中にも登場する中央3丁目(松原町)の「竹の
2024-02-12
12
Cafe bosso
青い壁が目印のサンドイッチ、ワッフル、ケーキがおいしいお店。信州産のりんごを使ったワッフルが特徴的。2021年にはNBCみんなの信州に出演している。チケットQRや信州プレミアム食事券などの様々な町おこしイベントに参加していて上田市を支え盛り上げるために貢献している飲食店である。
2024-02-11
13
諸を語り唄~絹の奏で~ 坂本 明央氏(津軽三味線奏者)
2023/10/29開催 【第8弾移動企画シリーズ 諸ものがたり ~純水館・名前の由来~】 主催:糸のまち・こもろプロジェクト 共催:諸公民館 後援:信濃毎日新聞社・小諸新聞・東信ジャーナル社・小諸市教育委員会・(株)コミュニティテレビこもろ・(株)純水館・純水館資料館・氷風穴の里保存会・週刊さくだいら 【内容】 「諸を語り唄~絹の奏で 坂本 明央氏(津軽三味線奏者)」 坂本 明央氏は青森県北津軽郡坂柳町出身。民謡全国大会連続優勝後、クラウンレコードよりデビューし、全国ツアーを開催しました。津軽三味線名人藤田淳一師の門下生となり、日本コロムビアより「津軽を弾いて津軽を唄う」を発売しました。平成12年に小諸市に移住、津軽じょんがら座を設立。現在も公演を続け、三味線や民謡の指導を行っています。
2024-02-08
14
ニホントカゲ
7月17日に学内で見つけたニホントカゲです。 幼体は尾が青くなっているのが特徴です。当時近くに3匹ほど同じようなサイズの個体がいたので、兄弟であると思われます。 この時期にニホントカゲもニホンカナヘビも学内で観察することができました。 実家の方ではニホントカゲしか見られなかったので、どちらも同じ場所で観察できるというのは新鮮でした。地元の方は標高がかなり高めであったので、カナヘビは適応していないのかなと考えました。 改めて観察していると、ニホントカゲの方が蛇行のようにスルスル動くように感じました。
2024-02-01
15
道の駅あおき
道の駅あおきには、食堂や農産物直売所、ふるさと体験館、情報・休憩施設などの充実した施設があり、ドライバーだけでなくわれわれ住民でも気軽に立ち寄り、楽しい時間を過ごすことができる。食堂、味処こまゆみではうどんやカツ、てんぷらなどの豊富なメニューがあり、青木村の特産であるタチアカネで打ったおそばも味わうことができる。農産物直売所では、珍しい野菜や長野県のお土産などが売っており、野菜は安く、秋には松茸も販売している。車を持っていなくとも、バスで行くことができるので皆さんもぜひ立ち寄ってみてはいかがだろうか。
2024-01-26
16
別所 part1
探求テーマとして、私は「別所を盛り上げるには」と設定した。今よりも多くの人に、別所のことを知ってもらい、別所でのイベントや行事について興味を持ってもらうとともに、足を運ぶ人が増えることがこのゴールであると考えた。 そこで、まず初めに、別所の大きな観光地である「北向観音」についての基本情報をあげた。 そして今回は、自分ができる、行っている活動を紹介する。 part1では、岳の幟について紹介する。 岳の幟は、7月の夏に行われているもので、別所温泉に伝わる雨乞いの祭りである。青竹に色とりどりの反物をくくりつけた幟の行列が練り歩き、笛や太鼓に合わせてささら踊りや三頭獅子舞も奉納されます。国の選択無形民俗文化財に指定された珍しいお祭りになっている。 (上田市ホームページ、信州上田観光
2024-01-25
17
りんどう
長野県花りんどうです。濃い青紫色の花びらがこの上なく美しい。 この個体は2013年9月、松本で開催されたサイトウキネンフェスティバルの最終日を飾るGigで来場者に配られたもの。 長野大学の大学祭は長野県のシンボル・りんどうにちなんで「りんどう祭」とネーミングされています。
2023-12-23
18
西塩田時報 面白いと感じた記事 2
情報通信文化論 西塩田時報切り抜き2 この記事も自身がもう一つ選んだ記事と同じく、過去の日本の変化がみられる記事の一つで、第二次世界大戦が終わった日本が封建的思想から次第に目覚めていき、デモクラシー的な自由な世界となろうとしてる、といった記事であり、終戦後から大正デモクラシーにつながっていくであろう過程が分かるような記事になっており、これもまた自身が学んだ歴史を振り返っているようで面白いと感じました。西塩田時報vol.2 7ページ左上農村青年より
2023-12-11
19
西塩田時報 面白いと感じた記事1
情報通信文化論 西塩田時報切り抜き1 この一つ目の記事では終戦後一年目を迎えた日本の状況やその時代の青年に求められたことが読み取れる良い記事だと思いました。終戦後一年経った日本は依然として食糧問題が発生しており、農村に住んでいる青年の仕事ぶりが大事であるといったことや、「ポツダム宣言以来、日本の人々が好む好まずを関係なしに、民主主義的生活様式を採用せざるを得なかった」という文章から戦後に変わっていく日本が過去に自身が歴史の授業で学んだ通りに西塩田時報に描写されているのが個人的に面白く感じました。 西塩田時報vol.2 3ページ左下現代青年の任務より
2023-12-11
20
『西塩田青年団報』第4号(1966年11月25日)1頁
これは、日本国憲法の全文が掲載されている記事です。やはり、憲法が変わるという大きな出来事なので、大きく掲載されています。
2023-12-10
21
卒業論文執筆にあたっての課題とその解決の成果
後期開始から卒論執筆を開始 →項目立て、本文を鋭意執筆中 課題 生涯学習、社会教育、地域づくりについて 自分の中で理解が深まっていなかったため、混同していた。 →ミスリード、ひいては全否定につながる恐れがある 生涯学習 一般には人々が生涯に行うあらゆる学習,すなわち,学校教育,家庭教育,社会教育,文化活動,スポーツ活動,レクリエーション活動,ボランティア活動,企業内教育,趣味など様々な場や機会において行う学習の意味で用いられます。 https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab201901/detail/1421865.htm 社会教育 学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動を指します。 https://www.mext.go.jp/a_menu/01_l.htm 違い これに対して、「生涯学習」は、学習者の視点から
2023-12-07
22
『西塩田時報Vol.1』(戦前編1923~1943年)
1. 地域の組織やクラブなどが、支部や施設の改修が完了したことを公に知らせるために催しを行っているようです。 2. 事務所で春季の行事や催し物を行うことを意味している可能性があります。 3. 組織の指導者や管理者のポジション(支部長や副支部長)と、産業統計に関連する活動が行われていることが示唆されています。 4. 組織のメンバーが新しいリーダーシップやポジションに選ばれるプロセス。 5. 複数の組織や部門からのメンバーが一堂に会して合同で役員会を開いていることを示唆しています。 6. 新年を祝うためのイベントやパーティー。 7. 高齢者を敬愛し感謝する日。日本では9月の第3月曜日が敬老の日とされています。 8. 青年団や青年会の活動に関連するものと思われます。 9. 寄付や寄贈を受けたことを報告している箇所。 10. 収支
2023-12-07
23
青少年不良化対策 必要な補導育成(『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁)
今でもいる不良。昔は、不良に対してどのような補導育成を行っていたかが、わかる記事です。 補導育成事項が11項目もあり、今でも適応されるようなことも書かれている。しかし、「(8)青年男女の集合して行う演劇、演藝会等は無軌道に陥らないように注意すること」と書かれており、別に不良に関係あるのかが微妙なラインのものまで書かれていた。不良のことについて細かく書いてあるのが面白いと思いました。 標語例を見て、現代に通じるものを感じてみてください。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1073 『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁
2023-12-06
24
酒は薬か(西塩田時報 第28号大正15年3月1日)
お酒を適量に飲むことは、体の薬であると世の中の多くの人が信じていますが、統計による調査を見ると、少しも酒を飲まない人の平均生存年より、四年程度短い命であったことがこの記事には、記載されています。そして、お酒は、飲んだその人の体に害を及ぼすだけでなく、子孫の体質にも影響を及ぼすことから、青年に対して、自身の健康問題だけでなく、日本民族の体質の向上という面からも禁酒することを促していました。 この記事の最後の日本民族の体質の向上の面から禁酒を促している点が、昔の日本の民族意識のようなものが感じられて面白かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第28号(大正15年3月1日)
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.p
2023-12-06
25
信濃国分寺に残る、初代・松平忠周の影
信濃国分寺本堂には、上田松平氏の「五三の桐」が描かれた垂れ幕と提灯が掛けられている。上田市立博物館が発行した『松平氏史料展』によると、松平忠周(ただちか)はそれまで損傷していた信濃国分寺の三重塔を、享保11年(1726)3月8日に修復したと書いてある。修復された当時の状態のまま今日まで残されているかどうかはわからない。だが、忠周が三重塔を今見えている形状に正したのは確かだろう。なお、忠周だけでなく、仙石氏や、その後の松平藩主も国分寺を保護・援助している。 私は実際に塔を見てみて、三重の屋根は青銅で葺かれているのではないかと思った。その青緑色と塔の木材部分の茶色の組み合わせは綺麗だった。また、塔のすぐそばには池がある。池側から三重塔を見ると、池の大きさはかなり違うけれど、京都府木津川
2023-11-30
26
5代松平忠学と明倫堂
この場所にはかつて、松平忠学(たださと)の命によって設立された明倫堂があった。ここで、上田藩の多くの若者が文武教育を受けた。 私が散策したところ、この学校(現在は上田市立第三中学校となっている。)は3種類の石垣によって囲まれているのが分かった。左から二つ目の石垣は、横に長く敷き詰められており、一枚一枚はの厚さは薄く、どれも四角形であった。左から三つ目の石垣と一番右の石垣を比べると、左の石垣は、全体的に白く、配列がきれいである。それに対し右の石垣は、全体的に黒いけれども青、赤、黄などの色の石もあり、また、上にいけばいくほど石の大きさが小さくなっている。配列が乱れている箇所もある。 おそらく左から二番目の石垣は今日に近しい時代に、一番右の石垣は古い時代に積まれたものだろう。
2023-11-25
27
常楽寺
上田市の指定文化財です。 平安時代の始めに北向観音の本坊として慈覚大師(円仁)によって建てられた天台宗の寺で、大日如来の化身妙観察智阿弥陀如来がまつられています。 学問への貢献も知られている寺で、多くの青年僧が学んだとされています。 重厚な茅葺き屋根が神聖な雰囲気を醸し出しています。 寺の裏手の林は北向観音が出現したと言われ、石像多宝塔があります。(100円の拝観料が必要) また境内に美術館も併設されています。(記事作成者が行ったときは残念ながら閉まっていました。)
2023-10-31
28
【第8弾移動企画シリーズ 諸ものがたり ~純水館・名前の由来~】
2023/10/29開催 【第8弾移動企画シリーズ 諸ものがたり ~純水館・名前の由来~】 主催:糸のまち・こもろプロジェクト 共催:諸公民館 お問い合わせ:事務局 栁沢浩一(090-7265-1315) 後援:信濃毎日新聞社・小諸新聞・東信ジャーナル社・小諸市教育委員会・(株)コミュニティテレビこもろ・(株)純水館・純水館資料館・氷風穴の里保存会・週刊さくだいら 【内容】 「諸を語り唄~絹の奏で 坂本 明央氏(津軽三味線奏者)」 坂本 明央氏は青森県北津軽郡坂柳町出身。民謡全国大会連続優勝後、クラウンレコードよりデビューし、全国ツアーを開催。津軽三味線名人藤田淳一師の門下生となり、日本コロムビアより「津軽を弾いて津軽を唄う」を発売。平成12年に小諸市に移住、津軽じょんがら座を設立。現在も公演を続け、三味線や民謡の指導を行っている
2023-10-29
29
安楽寺八角三重塔
中国から伝わった「禅宗様」で造られた、現存する日本唯一の木造八角三重塔。かつては「四重塔」とされたが、現在は一番下の屋根は裳階(ひさし)と解釈されている。創建は1290年代とされ、八角形のどっしりとした落ち着きがある塔で、頂上には相輪が青天高くそびえている。屋根の下の華やかな木組みも相まって、安定感と崇高美、華麗さを兼ね備えた名塔である。 ここはこれまでに二回訪れたが、何回行っても感動する場所であると私は思う。何段も階段を上ったあとに、姿をあらわす木造の塔は実際に足を運んで見るからこそ感じられるものが多くあると改めて思った。自然との調和もとても趣がある。しかし、この魅力はまだ多くの人に伝わり切っていないと感じている。よって、まずは魅力を伝えるために、信州上田の日本遺産のストーリーを
2023-10-24
30
カナヘビ
探求テーマとしては上田市の自然について、特に動物を中心として深めていきたいと考えています。自然豊かな上田に生息する生物について調べ、上田ならではの環境を見つけたり、地元と比較して探求していきたいとです。自然について興味を持ってもらい、ふとした景色に目を向けていただけたら嬉しいです。 近所で見つけたニホンカナヘビです。 名前だけ聞くとヘビの一種と勘違いされやすいですが、トカゲの一種です。 ニホントカゲと勘違いされる方もいますが、ニホントカゲの皮膚はツルツルで、特に幼体の尾は青みがかかっているのが特徴ですが、ニホンカナヘビの皮膚はカサカサと乾燥しており、体に対して尾が長いのが特徴です。 飼育したことがありますが、たまたま卵を持ったメスの個体で3匹の幼体も見ることができたのを覚
2023-10-23
31
稲倉の棚田
田植え時期の稲倉の棚田 青々とした葉と田の茶が綺麗です。
2023-10-23
32
青空と雲
軽井沢アウトレットの、ソラーパネルが付いた屋根と綺麗な空を写した写真である
2023-10-21
33
旅れぽ『津軽滞在記2015』
マッピング津軽/津軽滞在記2015
今から8年ほど前の2015年8月、青森県弘前市に滞在しました。長野県上田市を発ったのが8月2日、上田市に戻ったのが8月22日、約3週間の滞在です。弘前滞在の理由は家内の実家の整理。その滞在期間に小坂(秋田県)、弘前(以下青森県)、黒石、青森、田舎館、五所川原などを見聞しました。 特に夏の期間でなければ見れない津軽各地のまつり、弘前ねぷた、青森ねぶた、立佞武多(五所川原)、大河原の火流し(黒石)、黒石よされ(黒石)などを記録しました。 それから8年が経過し、記録した画像を見直してみると、津軽という地域を記録したことの価値に気づき、当時の記憶をこのマイサイト『ミッチーのサイト』とは別サイト『
2023-10-03
34
霞ヶ浦のワカサギ不漁
私にとってはソウルフードでもあるワカサギ干しを地元土浦で久しぶりに買いました。さすがにこの味、懐かしく口に馴染みます。 土浦ピアタウンにある川魚店「出羽屋」で購入。霞ヶ浦産のワカサギはほんのわずかで「秋田産」が売られています。販売個数も「お一人様2個までの販売とさせていただきます。」との但し書きも。その後、スーパーの店頭に並んでいたワカサギ干しも秋田産でした。 ▼
霞ヶ浦北浦におけるワカサギ漁獲量の推移
(茨城県農林水産部, 2023年) この統計を見るとワカサギ漁獲量が激減し2022年(令和4年)は17トンにまで減少しています。 ワカサギの漁獲量が減った原因ははっきりしていないということです。この統計データを見ると県別では茨城は青森
2023-08-15
35
津軽ねぷたそれぞれの違いを見る
観光資源としても有名な青森ねぶた、弘前ねぷた以外のねぷたを見たのは1997年、黒石ねぷたが初めてです。民俗的な文化でもあるねぷたは、本来的にはそれぞれの地元のまつりであって観光資源ではありません。 1997年当時、黒石ねぷたを『マッピング津軽』(現在は閉鎖)で紹介しました。もしかすると黒石ねぷたをネットに紹介したのは私が初めてかもしれません。 ねぷた(ねぶた)は津軽各地にあります。青森、弘前、黒石、平川、田舎館、大鰐、五所川原、つがる(木造)、…。ねぷた文化がどのように遍在しているのか、当時は知る術もなく、現地に訪れ初めて接しました。観光資源化されたねぷたではなく、土着的な祭りとしてのねぷたを直に見て紹介しようというのがその時の動機。平川(当時は猿賀)や田舎館などにもあることは知っていましたが、
2023-08-06
36
小松神社の青面金剛
小松神社は、実家のすぐ近くにある小さな神社である。 この地域に住む子供たちにとっては貴重な遊び場であり、私も小学生の頃はよく公園がわりにしていた。 石碑に刻まれている青面金剛は日本仏教における信仰対象のひとつで、日本の庚申信仰の中で独自に発展した。庚申講の本尊として知られる。 神社の軒下につくられたまま放置されたスズメバチの巣は、この地の少子化の深刻さを物語っていた。
2023-05-10
37
雲の切れ間の青空と上田市の車社会を物語る一枚
まだらな白い雲の切れ間に見える青い空がきれいです。上田市に住むうえでは車はほぼ必須。駐車場がびっしりと埋まっています。 長野大学の近くで撮影しました。都会や街中にキャンパスを構える大学と比べると長野大学へ車で通学する人が多いですよね。
2023-05-09
38
青空と1羽の飛ぶ鳥
2023年4月27日14時頃の上田市の空です。 青色~水色のきれいなグラデーションが出来ています。 風に乗って飛ぶ鳥にのどかさを感じます。
2023-05-09
39
晴天とまちの美容室
4月27日13時30分ごろの上田市です。 絵に描いたような晴天が続く日でした。 ポップな色をした外観が特徴的な美容室が青い空に映えていました。電線がたくさん張り巡らされています。せっかくの青空が電線によってさえぎられており、少し残念な気もします。防災の観点からも電線の地中化が進むことを願います。
2023-05-09
40
平和橋
千曲市でも有数の長さを誇るのが、この平和橋。 その長さは約580mで、川幅の広いこの一帯を繋ぐ必要不可欠な橋です。 平和橋の「平和」というネーミングは、初めてここに本格的な橋が架けられた1951年が、サンフランシスコ平和条約と同年であったことから、それにちなんで付けられたようです。 水色のボディが青空に映えて、景観と馴染んでいるのも良いと思いました。
2023-05-07
41
根津美術館
表参道にある美術館で、東洋美術(特に青銅器や仏像)や日本美術の作品を多く所蔵しております。また、建物がとてもスタイリッシュで解放感のあるエントランスには驚きました。 初めて行った時は5月の中頃で尾形光琳の《燕子花図屏風》を鑑賞したのち、隣接している庭を散歩しました。庭の植物もとても青々としていて素敵だったのですが所々に石碑などがありこれも展示物みたいだなと思いました。 11月末に行った時には紅葉がとても綺麗でした。 作品だけでなく、庭も楽しみながら非日常感に満たされる美術館だと思います。
2023-02-18
42
明治時代のスキンケア、パーソナルカラー
日傘は廃れ、西洋風の小型な蝙蝠傘が流行っていた。雨の時は不便であるが、「流行のため仕方がない」と言われているのが面白い。 流行に振り回される当時の人の苦労が垣間見えた。 青みがかった顔色の人は紅色、茶色の傘を選ぶと顔色とうまく調和する。青、紫、緑は顔が尚更青ざめてみえ、黄色の顔色が悪く見える。 赤みがかった顔色の人は、青、紫、緑色の傘を選ぶと顔色とうまく調和する。紅、茶色は顔が尚更赤く見える。 現代の「ブルーベース」「イエローベース」は最近生まれた概念だと思っていたが、明治時代から存在していた。 明治時代の人はグリセリンを水に溶いたものを顔に塗り保湿していた。現代の化粧水の主な成分にグリセリンは含まれている。また、肌が白いのが美しいとされている価値観は明治時代から変わっていな
2023-02-08
43
明治時代のお洒落と色
https://jpsearch.go.jp/item/dignl-848938
婦人の装飾には二方面があり、そのいずれもおざなりにはできない。二方面とは第一が肉体の美、第二が服飾の美とある。 肉体の美とは、紅を塗り白粉を施しあるいは肉色を麗しくはせ、あるいは穢れを着けず、あるいは手の指を美しくさせ、あるいは爪紅を入れあるいは顔立ちによって白粉の塗り方を違える。 顔色を良くする化粧や、顔立ちによって化粧を変える等は現代と共通していることがわかる。 服飾の美とは髪の飾りから始めて、衣服、指輪、下駄など体の格好に応じて帯の締め方もあり、顔の色に応じて半衿や羽織などの色の去り嫌いもあり、良くも悪くもこれひとつでどうでもなる。とある。 顔の色に応じて服装や化粧を変えるのは、今で言う「パーソナルカラ
2023-02-08
44
恩田緑蔭(おくだりょくいん)
文政2年松代生まれ。本名はゆり。桜雲亭緑蔭、桂月由里などとも称した。松代藩絵師の山田島寅や青木雪卿に師事、葛飾北斎や与謝蕪村にも私淑して作品を模写している。花鳥図や松代の風景、藩にゆかりのある人々の肖像を描いた。平成17年、長野市の水野美術館で「恩田緑蔭展~知られざる信州の元祖女流画家~」が開催された。明治7年、55歳で死去した。 ※図は「写生集壱」 https://yuagariart.com/uag/nagano09/
2023-02-01
45
現代の名刺
現代の名刺は、名前、会社名、役職、住所、連絡先等、今まで紹介した名刺と比べて多くの内容が載っている。 また、左には青色のデザイン装飾があり、こういったデザインによってその人や会社の雰囲気を伝える事ができる。 紙質やその他加工も様々な種類があり、一人ひとりがこだわりの名刺を作ることができる。 現代の名刺は主に、自己紹介ツールとして使われている。また、信頼度は低いが身分証明にも使うことができる。 ビジネス名刺の無料デザインテンプレートver.11 (4色展開) | デザイン作成依頼はASOBOAD | フリーDL素材, 無料名刺・カードデザインテンプレート https://asobo-design.com/nex/template-92-42871.html ・まとめ 明治時代と現代の名刺を比較することで、明治時代の時代背景や、文化が読み取れたように思った。 しかし、今回考えたこと
2023-02-01
46
青木雪卿(あおきせっけい)
現在の長野市松代町岩野に生まれる。通称八重八、号を雪卿とした。川中島の更級雄斎 に絵を学んだとされる。松代城の障壁画を描き、多くの肖像画を描いたと伝えられる。 弘化 4 年(1847)に起こった善光寺地震後の被災地を、8代藩主真田幸貫の巡行どお りに描いた『感応公丁未震災後封内巡視図』は、被災地を写実的に描いた彼の代表作であり、災害史の重要な記録である。パノラマ写真のような眺望図や、実景を尊重する極めて 写実的な表現は、写真の影響を想像させるような、新しい表現が見られる。 https://nagano-citypromotion.com/learning/person.html https://www.sonpo.or.jp/report/publish/bousai/yobou_jihou/pdf/ybja_ez/ybja-ez-174.pdf ※図は『感応公丁未震災後封内巡視図』の一部である。
2023-02-01
47
飯島保作(花月)(いいじまほさく(かげつ))
飯島保作は、文久3年(1863)に飯島家の長男として横町に生まれました。明治6年(1873)上田街学校に入学し、明治10年(1877)に上等小学校全科を卒業しました。上田街学校の教員補助の職は、天皇の御巡幸が終わった後退職し、家業(質屋)に従事しました。 自らが作成した年賦には「家業のかたわら独学」とあります。向学心旺盛な青年で、この向学心が実業家飯島保作を生み、このころから雑誌に狂歌、川柳等々の投稿を始め、後の上田地方の庶民文学のリーダーとしての文学上の資質を開花させたのです。 保作は、上田商工会議所会頭、第十九銀行の頭取を歴任して生涯を閉じた上田を代表する傑出けっしゅつした実業家でした。明治15年(1882)10月、上田郵便局に採用され、最初の職業の第一歩を踏み出し、
2023-02-01
48
笹沢檪亭 (ささざわれきてい)
檪亭は、安政2年(1855)、小県郡坂井村(現上田市塩川)に生まれ、本名を清十といい、幼い頃より画才に富み、花鳥画を描いては村人を感嘆させたといいます。早くに父を亡くし苦労して育ちますが、母の理解もあって、明治6年(1873)、18歳の折に島田桃渓とうけいに師事して絵の指導を受けたのを手始めに、明治18年(1885)、29歳の時には、水戸の木下華圃かほに師事。この頃から専業画家としての道を歩むことを真剣に考え始めたものと思われます。 明治19年(1866)、31歳の折には終生の師となる児玉果亭に入門を許され、果亭より檪亭の雅号を受けました。この檪亭が入門した明治19年は、第2回内国絵画共進会に出品した果亭の即品が天覧に供され、出品2点のうち1点が宮内省買上げ、1点が銀杯(こ
2023-02-01
49
林倭衛 (はやししずえ)
父は、倭衛が小学校在学中に製糸工場経営に失敗し、明治40年の春、倭衛と弟を実家の小林家にに預けたまま夜逃げ同様に東京へと出てしまいました。実家は上田駅に近い北天神町通りで蚕種用の和紙などを商っていましたが、倭衛は友人たちから離れ孤独にさいなまれましたが、同じ頃に同じ北天神町に移り住んだ馬場衛まさるが、生涯の友となりました。約1年の後にようやく父母の下に引き取られはしたものの、何かにつけて旧士族出身にこだわって失敗を繰り返す父に対して、倭衛は激しく不信を覚え続け、やがて少年の孤独感は次第に不屈な自立心へと成長していくのでした。 明治43年には印刷会社の給仕となり月給を得るようになると、近くの水彩画研究所の夜間部に入り、明るく旺盛な好奇心のままに、生涯にわたる美術関係の友人を
2023-02-01
50
上田城跡公園
真田信繁(のぶしげ)こと、幸村は、上田で青年期を過ごしたといわれています。上田城の築城がはじまってしばらくの後、上杉家に人質に出され、そこで、兼続と出会ったのです。
2023-02-01
51
上田のスポーツ
塩田地域では青年たちによるスポーツの大会が開かれており、競技は野球とバレーでした。記事の内容には競技のなかでのスポーツマンシップについてやどんなプレーがでたのかが書かれていました。 それとは別にも村の体育祭も開催されていました。多様な種目にわたるものになっており、おもしろい名前の競技もありました。「まずいっぷく」や「2百才リレー」などがとても興味をもちました。 また、現在でも上田オール西部というソフトボールチームが存在しています。大会に優勝し北海道での全国大会に行くことも書かれています。同様にバレーもママさんバレーとしてチームがあり、こちらも優勝を経て全国大会に行っています。これらも過去の歴史として地域で盛んだったスポーツの熱が残っていることが一つの地域の伝統なのではないでし
2023-02-01
52
農村女性に望む
戦時中の苦労や恐怖からと終戦に対する幸福感が書かれている。それとともにもう戦争のことなど考えず農家の女性としてこれから生きていくことが力強く書かれている。 まとめ 終戦直後の混乱状態のリアルなこえをまとめることができた。青年は敗戦に落ち込まず前向きに復興へとすすんでいることが読み取れた。 被害が多くなかったとは言え様々な問題を抱えていたことが分かった。
2023-01-31
53
現代青年の任務
終戦後の苦しさとこれからの政治に期待することが書かれている。 今後の青年の行動がどれだけ重要かが説かれている。
2023-01-31
54
戦時版の新聞③「プロパガンダ映画」とまとめ
映画までもプロパガンダとして利用されていたことが分かる記事である。 イギリス領インドの青年を日本人(岡倉天心等)が助けるといった内容であると書かれている。 実際の人物までもプロパガンダ映画で使われていたことに驚いた。 岡倉天心の「東洋は一つ」という言葉を都合よく解釈し、戦争に利用したように感じる。 参考サイト
【戦後75年】戦時中の中部日本新聞をPDFで読んでみよう
2023年1月31日閲覧 ▼この資料は以下から参照できます。
『中部日本戦時版』「
2023-01-31
55
下塩尻にも猫瓦
下塩尻にも猫瓦を見つけることができました。 この猫瓦は耳の部分がとがっていないこと、文様などが彫られていないのが特徴です。他の猫瓦と比べても文様や文字が彫られていないので瓦が平です。 色も少し青っぽいので瓦自体が普通のものとは違うのではないかと思います。もしかしたら年代的には新しいのかもしれませんね。
2023-01-30
56
武田信玄願文(県宝)
武田信玄は、上杉謙信との戦いに備えて、東信濃の名社生島足島神社に、願文を献げ、今後の戦について深く祈願するところがあったそうな。 これがその願文で、おわりに永禄2年(1559)と記され、信玄自筆のものといわれています。 「謹んで、下之郷諏訪大明神に申し上げます。私(信玄)は、越後の軍勢(謙信をさす)が攻めてくるので、戦うがよいかどうかト(うらな)ったところ”吉”という卦が出ました。そこでこの天の教えに従って出陣いたします。何卒私の軍に勝利を与えられ、長尾景虎(謙信)が逃亡するようお助けをお願いいたします。もし私が凱歌をあげて帰国しましたなら、今年から10カ年間、毎年青銅貨10緡ずつお社のために上納いたします。」 調べて知ったことですが、信玄は戦国大名の中でも占いマニアだ
2023-01-30
57
戦前長野の農業形態⑤
栽培されたイチゴは鮮度の問題から近郊には青果として、遠方には貯蔵できる形としてジャムにすることで販売していたようである。 この資料に加え、長野のジャムに関して調べてみたとこ ろ、明治10年新宿で初めて日本でジャムが作られ、その四年後に企業として初めてジャムが作られた地が長野であり、長野は日本のジャム生産の先駆的な地のようだ。 信濃産業誌 完」 https://api.ro-da.jp/v1/shinshu-dcommons/library/02BK0102152899/images/629fa7724c1f448586380935d789259b.jp2/651,655,2070,3016/333,485/0/default.jpg 「日本におけるジャムの歴史」 http://www.sudo-jam.co.jp/tokusyu/20140210
2023-01-28
58
やたら
北信地域の郷土料理。野菜や漬物を細かく刻んで混ぜ合わせたもので、夏野菜のふりかけのようなもの。みょうがやなすなどの夏野菜、ぼたんこしょう、大根の味噌漬けを刻んで混ぜ合わせ、あたたかいご飯にかけて食べる。「ぼたんこしょう」は、古くから地域で栽培されてきた青唐辛子のこと。やたらとなんでも入れたり、やたらと刻んだりすることから「やたら」といわれるようになったといわれている。そのため、家にある野菜を使って自由にアレンジできる。 [やたら 長野県 | うちの郷土料理:農林水産省](https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/yatara_nagano.html)より引用
2023-01-28
59
野沢菜漬
県内全域の郷土料理。寒さが厳しい長野県は、冬になると田畑から青ものはひとつもとれなくなるため、晩秋になると大量に保存用の漬物を仕込んだ。一石桶といわれる大きな桶で大量の野沢菜をつける。各地域や家庭によって漬け方は様々。そのまま食べたり、おにぎりやおやきの具材にも使われる。野沢菜には浅漬けと古漬けがあり、春先、発酵が進んで黄色く変色した古漬けは、酸味が強いが味わいがあり、油との相性がよく、炒めて食べたりもする。 [野沢菜漬 長野県 | うちの郷土料理:農林水産省](https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/nozawana_zuke_nagano.html)より引用
2023-01-28
60
岳の幟
塩田平の西辺に位置する別所温泉地区には、「岳の幟」と呼ぶ雨乞〔あまご〕いの祭りが伝わっています。この塩田地方は昔から水不足で大変悩まされてきた所で、灌漑〔かんがい〕用の溜〔ため〕池も多く造られ、雨乞い行事もいろいろ行われてきました。 ー中略ー 祭日は例年七月十五日(近年その日に近い日曜に変更)として、別所の上手〔わで〕・院内〔いんない〕・大湯〔おおゆ〕それに昭和四十九年大湯から独立した分去の四地区で、輪番〔りんばん〕に幟の役に当ります。夜明前に、上部に笹のついた竹竿と巻いた布を担いで夫神岳に登り、日の出と共に九頭竜神の石祠に布と神酒を供え、郷中の安全と五穀豊饒〔ごこくほうじょう〕を祈ります。 ー中略ー 支度を整えて日影公民館に待機をしていた三頭獅子とささら踊りの一行がそれに加わり
2023-01-25
61
プロジェクト研究の足跡
プロジェクト研究の足跡を綴ってきたものをまとめました。 4月25日 前半はグループメンバーの共通項として、研究への取り組み方や考え方を共有しました。後半は、各自のプロジェクトの説明とそれに対する質問や問題意識の共有を行いました。ゼミ内で横のつながりが出来ることで、各自の持つ問題意識への様々な考え方が示され、非常に有意義なものとなったと感じました。今後は、自身のプロジェクトを進める中で頻繁に意見交換をすることで、より多角的な視点から研究していこうと考えています。 5月11日 大洗町における地域学習に関する記事の閲覧及び調査を行いました。また、大洗にフィールドワークに赴く際の調査事項などをまとめました。今後も活動を報告し合う事で様々な視点から調査を行っていきたいと考えています。 5月17日
2023-01-16
62
体力検査成績発表!!(『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁)
学校のカリキュラム上の新体力テストのようなものだと思いましたが、地域の青年団員の成績結果でした。一番上に百米(100m)の結果が広報されているのですが、12秒台の方が先頭にいらっしゃいます。現在においてもかなりの記録です。靴や走り方を学べばもっと良い記録を狙えると思います。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf
2022-12-26
63
夢を読む
時代背景が伺える言葉選びと病弱な青年が活字によって人々の夢について語る部分がとても興味深かった。
2022-12-25
64
青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】
太平洋戦争が終結した際の日本国内の様子が書かれている。自分にとっては教科書的な内容であった国民主権や思想良心の自由への移行への国内の動向を知ることが出来た。今では当たり前にあるような考え方も当時は反発もあったようだ。現代とギャップが非常に興味深いものだった。
2022-12-25
65
壮丁学力検査問題(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁)
明治時代、徴兵制度に基づいて満20歳の青年全員に行われた「壮丁検査学力試験」の問題が載っていました。壮丁検査とは、徴兵検査受検義務者を壮丁と称し、教育や学力の程度を測るための調査です。 「人の本分は何か」という問いや、「我等の進むべき道」という題の作文がありました。また、書取では「議会協賛」や「心身鍛錬」などが出題されていました。問題から、戦争が身近にあり、求められているのは化学的な知識や学力ではなく、愛国心や天皇や国策に関する理解だったことが読み取れました。 この記事は以下から参照できます。 #1『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0001.jpg
2022-12-25
66
青年期の問題に就て(『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁)
青年期の問題について記載されており、その内容の中でも結婚年齢が徐々に遅れているという内容が現代と通じていて面白いと思った。この頃から「青年」や「壮年」が何歳からと規定されていたことを知り、驚いた。昔は15~25歳を青年と呼んでいたが、時が経つにつれ年齢が変化しているということを知った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #284『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁
2022-12-24
67
引揚者を暖かい気持ちをもって迎えましょう
過酷な環境から帰ってくる引揚者の人々に冷たい態度をとらず暖かく迎えましょうと呼びかける内容です。 第二次世界大戦が終わった後の記事で海外にとどまることを強いられた人々への思いやりや終戦後の日本の一体感が読み取れる記事です。 #965 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0965.jpg
2022-12-21
68
火の用心
他の災害と比較して火事は我々の意識で防ぐことができあるという内容をユーモアを交えて訴えかけた記事です。 地震雷火事親父という今でも耳にする言葉を用いられていて、当時から親父の部分に疑問を持つような書き方がされていて、そのうえ火事への注意喚起は真面目に訴えかけている点が面白いと感じました。 #957 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0957.jpg
2022-12-21
69
青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】
これは当時の太平洋戦争が終わりポツダム宣言を受諾した日本の意見が良く分かる記事です。おそらくこの記事のようにポツダム宣言に賛成した派と否定派で激しく争ったように感じ取れます。そのような昔の雰囲気を感じ取れる記事として面白く思えました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #985 『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg
2022-12-21
70
火の用心 【『西塩田青年団報(戦後)』第2号(1946年9月20日)3頁】
この記事は当時はかなりの災害だった火災に対する恐ろしさとその対策について書かれている記事です。しかし単なる災害防止の記事だけでなく読みやすいようユーモアがある筆者の独白なども書かれていて面白いです。 ▼ この記事は以下から参照できます。 #957 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg
2022-12-21
71
柿の木
2023年は、柿が豊作だったようです。
2022-12-17
72
課題発見ゼミ 12月15日 まとめ
12月15日分 調査まとめ 開国後の日本による生糸輸出と上田の関わりについて 上田藩主・松平忠固と生糸輸出 鎖国を解き、開国を果たした日本が世界に進出する際に大きな武器となった生糸の輸出。それに多大な貢献をした人物が松平忠固である。六代目上田藩主、幕府の老中も務めた松平忠固は、日本開国のきっかけとなった日米和親条約の締結に関わりがあった。この開国をきっかけとして、忠固は上田藩の特産品を諸外国に売ることで利益を上げようとしていた。 その中で注目されたのが上田の「生糸」である。雨が少なく乾燥した地域である上田は江戸時代ごろから蚕種業が始まっており、のちに蚕種業の発展に大きな貢献をした「藤本善右衛門」の家系が先駆けだと言われている。忠固は生糸の輸出を行うことを決め、生糸輸出による利益
2022-12-15
73
上田蚕種協業組合
大正5年1916年地元の蚕種家が出資して上田蚕種株式会社として設立したのがはじまり。昭和45年に現在の社名となった。最盛期には22万箱の蚕種をこの組合から出荷していた。建物は検査室、食堂、催青室(蚕の卵を掃立予定日にそろって孵化させるため温度・湿度・光線を調節した部屋)、貯蔵の冷蔵庫や採卵室が配置されている。
2022-11-29
74
月
2022.11.27 軽井沢行った時の写真。 長野は福岡に比べて空気が澄んでいる。(気がする) 気温が低いことになる相対湿度のせい? 暗い中で写真を撮ると、レンズを隠したように真っ黒になることもあれば 写真のように青っぽくなることも なんでだろう。 個人的には、青っぽい方が好き。
2022-11-29
75
今治タオル
2022/02/25 愛媛県今治市へ。 急にどこの紹介をしているんだと思われそうだが、日付を見てほしい。これから、投稿する写真は春休みに四国、中国地方を回った思い出。日付もバラバラだが、思い出しながら書いていく。 この今治タオルカフェは非常にシンプルなデザインで良い空間だった。ここでは、今治タオルを使用したヘアバンドを2つ購入。(母と妹に) 値段は2000円弱だった気がする。 今治タオルは説明不要かもしれないが今治タオル工業組合が製造するタオルのことで実は1つのメーカーというわけではない。認定されると今治タオルブランド認定され有名な赤・白・青のタグがつく。 ちなみに私の使っているタオルは今治タオルと佐賀県のタオル美術館のものである。2つとも吸水性が非常に高く肌触りもよい。おすすめ。
2022-11-18
76
1.千曲フルーツ
住所 〒386-1102 長野県上田市上田原1112−4 赤坂上駅近くにある青果店「千曲フルーツ」。 このお店では多くの種類の果物やスムージーが販売されていた。 私はバナナとくるみのスムージーを頼んだ。バナナの甘さとくるみの香ばしさが合っていてとても美味しかった。メニューも豊富で幅広い世代の人に受けるのではないかと感じた。
2022-11-01
77
像
上田城内にあった、真田幸村の青年期の銅像がありました。凛々しい顔つきをしていました。
2022-10-29
78
上田城 二の丸跡の歴史物⑤ 青年眞田幸村公之像
幸村の初陣とされる第一次上田合戦頃の、青年・真田幸村をイメージして造型されたもの。彼の眼が見据える先は徳川の大軍である。 <引用文> https://kojodan.jp/castle/60/photo/229664.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。 青年時代の真田幸村を表した銅像。眞田神社すぐ横にある。後ろには、壮大な景色が広がっていてとても綺麗でした。この銅像の場面は幸村の初陣、徳川との戦いを表しています。なんとこの戦いの結果は幸村が勝利を収め、大名として独立を確定させた戦いです。こう言ったことから眞田神社のご利益が「勝負運」なのかと考察できました。
2022-10-27
79
青空
偶然空がいい感じでした!
2022-10-13
80
ななの湯 【鳴神温泉】
2022/09/14 鳴神温泉ななの湯へ。 私の家族がよく行く温泉の1つ。 場所は佐賀県唐津市と少し遠いが、 温泉・露天風呂・サウナ・水風呂・寝湯・外気浴・外の洗い場 と 休憩室(畳)と全てがそろっている。 今日の佐賀県の最高気温は32度と熱く、ぬるい露天風呂との相性が良かった。 サウナ後の水風呂の温度は20~22度。 キンキンに冷えた水風呂が好きな私は少し物足りなさも感じた。 普段はスマートフォンとパソコン。本を読む際も電子書籍がほとんど。 電子機器に囲まれた生活をしている私は温泉に浸かっているときが唯一電子機器と距離を置いている時間かもしれない。 ぼんやりと「後期は何をしよう」とか「次は青森に行きたいな」とか考えたりする。 サウナで整い疲れて 今日も早めに寝る。
2022-09-14
81
草津アカデミー2022コンサートを聴く#1
「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」を今年も聴きに行きました。今回は第42回、テーマは「ロッシーニ生誕230年~その時代のヨーロッパ」。 はあ、そうですか。 →
草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル
聴きに行ったのは8/26(金)のプログラム「カリーン・アダム ヴァイオリン ・リサイタル フランク&コルンゴルトのソナタ」です。 草津でアルプホルンの演奏。まるでスイスのごとく。ホテルの送迎もあり。リゾート気分で温泉ばかりでなくコンサートまで堪能できるプチ贅沢の催しにもなっています。 <曲目と演奏者> 曲目 (1)コルンゴルト:ヴァイオリン・ソナタ ト長調 作品6 K.アダム(Vn)、岡田博美(Pf) (2)ベートーヴェン:セレナード 二長調 作品25 K-H.シュッツ(Fl)、K.アダム(Vn)、般若佳子(Va)
2022-08-27
82
上田自由大学を彷彿させる旧山越脩蔵宅
1921年、上田で「信濃自由大学」(後に上田自由大学)が始まってから約100年が経過しました。当時の神川村の青年だった山越脩蔵、金井正らが始めた上田自由大学は「学ぶとは何か」「自由とは何か」といった時代を超えた根源的な問いかけを現代に対しても投げかけています。 今日8/23、たまたま信濃国分寺の周辺を訪れました。上田自由大学の主要メンバーの一人、山越脩蔵(1894-1990)の生家が現在も残っています。その屋敷の広大さは外塀の大きさからもうかがい知れます。しっかりと綺麗に保全されていることに感心をしました。道路側から見える手前は増築された建物。山越脩蔵が暮らしていた時代の母屋はその奥にあります。 現在はバックパッカーが宿泊できる宿として運営されていることを知りました。歴史的な建造物をこのような形で保全・
2022-08-23
83
気温41℃の上田
今日8/9、上田の最高気温は38℃と予報されていました。期待にたがわない暑さで正午、車の温度計は41℃を指していました。ハンドルが熱くて持てません。思わず手を放しました。 空を見上げれば見事な青空と白い雲。さすがさわやか信州の風景ながら強烈過ぎる暑さです。
2022-08-09
84
旅する喫茶
2022.05.29 松本 旅するカフェへ! 旅するカフェとは全国で回りながらクリームソーダを作っている人がやっているカフェ。 今回は松本に来るということで、行ってみた。 実は、このカフェ私自身が好きという訳ではない。 高校時代の同級生が旅するカフェのファンで 次の場所が長野だからぜひ行ってみてと連絡が来た。これはいい機会だ!と思って行くことを決めた。 少し余談だが、私はお出かけや旅行が大好き。すると、周りの人達(友達や知り合い)も、旅行好きが多い。そのため、知らない事や知らない場所を沢山教えてくれるため行く場所が尽きない。 旅するカフェに話を戻す。 旅するカフェのコンセプトは その土地の空の色をクリームソーダに、ということらしい。 いつもは別のカフェを営業しているが この日だけ旅するカフェと
2022-07-11
85
またまた投稿 【您好! 朋友】
6月28日(火) 二日前に続き、またまた投稿【您好! 朋友】 お店に行くといつも通り友達のお母さんが「渡辺くん、いらっしゃ~い!!」と挨拶してくれる。 前回と違い、お昼に来店。 このお店はお昼には多くのサラリーマンが訪れる大人気店。 私は酢豚定食を。兄は回鍋肉定食を頼む。 今回はきちんと写真を撮ってきました! 今回食べた中でおすすめは三枚目のピーマン! メニューには「荷包青椒」と書いてあります。 行った際には絶対食べる私の中のレギュラーな品です。 今回は珍しく、真面目にお店紹介をしてしまいました。 本当においしいので是非!!!!!!
2022-06-28
86
益子輝之さんが語る上田の近代@真田太平記館
6/3(金)午後、池波正太郎真田太平記館で益子輝之さんによる特別講座「近代の上田について」を聴いてきました。 この講座は現在、同館で開催中の展示企画「ご近所さんの近代遺産 原町通りの商店編」(3/26~6/19開催)にちなむ企画です。益子輝之さんにお会いするのも、お話を聴くのも久しぶりです。コロナ禍がそうした機会を妨げていたことは手痛かったですが、徐々に復調の方向には向かうことでしょう。 「近代の上田」というお題でしたが、前段でもある近世(江戸時代)のお話も長く、いつから近代に入るのかな?と思いながら、お話に聴き入ってしまいました。 明治2年に起きた青木騒動にまつわるお話は特に興味深く、神社の変遷、中納言などの位、明治天皇の御巡幸など、次から次へと矢継ぎ早に話は進み、メモしようがないぐらいに
2022-06-05
87
アオキノコちゃん
道の駅あおきにいる、信州青木村マスコットキャラクターのアオキノコちゃん。 背中に義民と書いてあってとてもかっこよく決まっている。 義民の郷あおきと言われていることから、義民という文字が入っていることを学んだ。
2022-05-12
88
アスレチック施設
リフレッシュパークあおきのアスレチックエリアにあるアスレチック用具。 本格的でかなり疲れるものの、山の中で自然に触れあいながら楽しむことができる。
2022-05-12
89
焼き魚
リフレッシュパークあおきにて撮影。 渓流釣りなど釣りの体験ができるこの施設では、釣りたての魚を焼いてその場で食べることが出来る。 持ち帰りも可能。
2022-05-12
90
ニジマス釣り体験
リフレッシュパークあおきにて撮影。 釣りが体験できる施設で、釣った魚は網を借りてこのように入れておける。 イワナやニジマスが渓流釣りで釣れる。 釣り堀ではニジマスが釣れる。
2022-05-12
91
川
リフレッシュパークあおきにて。 この川で渓流釣りができる。 水が綺麗で、山の中での体験がよりリアルに感じられる。
2022-05-12
92
大鳥居
生島足島神社の鳥居は平成2年に再建されたが、昔と変わらず同じ位置にある。神社御所と参道を結んでいるわけだが、非常に大きな鳥居に圧倒される。初めて訪れた際も感じたが、青空に大きくそびえ立つ赤い大鳥居の雄大さに魅了される。
2022-05-12
93
善光寺周辺お勧めカフェ(C.H.PCOFFEE)
おすすめな善光寺周辺のカフェC.H.PCOFFEEを紹介します。C.H.PCOFFEEは、ビニール加工工場をリノベーションした建物で、自家焙煎のコーヒー専門店をやっています。名前の由来は大好きなバンド「クリープハイプ」の略称を使っているお店です。そのため、お店のBGMはクリープハイプ、本が店の中で並んでいるのですが、そこにもクリープハイプのボーカル尾崎世界観さんの本も並んでいてメニューもクリープハイプ独特の歌詞を使った商品が多くあります。クリープハイプファンにはとびきり楽しい場所なので是非訪れてほしい場所です。もちろん、クリープハイプのファンでなくてもお洒落でコーヒーのいい香りが漂う素敵な雰囲気や美味しい色んな色(赤、青、黄色、緑)のクリームソーダ・パフェ・キーマカレー・ホットサンドなどの軽食や飲み物が楽しめ
2022-05-11
94
メディアリサイクルショップだった場所
2021年にグランドオープンした葬儀会館「信州さがみ典礼 青木島法事センター」。 以前この場所には青色の壁と赤い屋根が特徴的だった「メディアメガリサイクル館」というゲームやコミックの販売店が存在していた(2019年に閉店)。また、メディアメガリサイクル館が建つ前は、スーパーマーケットの「アップルランド」が存在していた。 メディアメガリサイクル館はそれなりに目を引く建物だったため、取り壊しになる前に撮影しておけばよかったと後悔。
2022-05-09
95
軽井沢の景観条例による色規制
数年前から軽井沢町にあるお店などの看板が色規制され、単色の地味な色合いに替わって久しくなります。ローソンは濃い青色、コスモ石油やセブンイレブンは濃い茶色、マクドナルドは黒に近い灰色。景観条例以前に設置された看板はそのまま残っているので、セブンイレブンでも変更のないままの看板は少し残っています。 日本の社会環境における色公害は確かに私も気になるところです。軽井沢町のように条例を施行してその抑制をするのは一つの見識です。よいのではないかなと思いますね。
2022-05-07
96
当研究会発行のブックレット バックナンバー
号によっては品切れがあります。上田市内の書店でお買い求めください。または上田小県近現代史研究会事務局へお申込みください(下記に住所記載)。 号数 ブックレットタイトル 著者 発行年月 1 『
深町広子と上田自由大学
』上原民恵[著] 1995.03,2000[改訂]【品切れ】 2 『
上田小県地方に空襲があった
』新津新生[著] 1996.07,2005[改訂]【品切れ】 2 『
上田小県地方に空襲があった 増補改訂版
』新津新生[著] 2005.07【品切れ】 3 『
信州の鎌倉 別所温泉―歴史と文化―
』上田小県近現代史研究会[編] 1997.10,1998[改訂]【品切れ】 4 『
金
2022-03-06
97
食生活(『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)2頁)
見出しに惹かれ読むと、想像より重い内容であった。私の本来のテーマからは少しばかり脱線しているかもしれないが、紹介させていただく。 敗戦にからめ、「武士は食わねど高楊枝」「腹が減っては戦ができぬ」といういわば真逆ともいえる二つのことわざに言及し、食の大切さを語る。 人間らしさとは何かを問うこの文章からは何とも言えない悲壮感が伝わってくる。敗戦後1年3ヶ月ほど経過した段階では、相変わらぬ絶望感がまだ日本中に漂っていたのだろう。 ▼資料出典元 #964
『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)2頁
2022-02-09
98
上田別所線の歴史
かつて、この上田盆地には、北は真田町(現上田市)、南は丸子町(現上田市)、西は青木村と縦横無尽に鉄路が張り巡らされ、その全長は57.2kmに及びました。そうした鉄路も今や別所線11.6kmを残すのみとなっています。 これは当時の北東線 公園前駅の写真。
2022-02-07
99
4 年表からひもとく
坂井村誌内の年表を一部引用し、特に重要な部分をまとめた。
昭和12年(1937年)
・
盧溝橋事件が勃発。村内の予備兵に召集下令があり、村内に一気に緊張感が流れた。
・銃後後援会(後に奉公会)結成、村防護団結成・応召家庭の農作業奉仕。 ・軍の指示により、初めて防空演習が行われる。 ・国防婦人会結成(全村)、国民精神総動員長野県実行委員会(会長・県知事)坂井村支部(支部長・村長)結成。 ⇒日中全面戦争の開始に伴って始められた、国民の戦争協力を促す官製国民運動。「精動」と略されることもある。1937年(昭和12)8月第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣は「国民精神総動員実施要綱」を閣議決定し、同年10月「挙国一致、尽忠(じんちゅう)報国、堅忍(けんにん)持久」のスローガンのもとに国民精神総動員
2022-01-29
100
現代用語の基礎知識(『西塩田青年団報』第33号(1949年12月20日)1頁)
その名の通り、現代日本において知られるようになってきた用語を紹介している。外来語についても紹介している。 今の私たちにとっては身近な言葉も、こうして徐々に浸透していったんだということがわかり、面白いと感じた。
2022-01-27
≪
1
2
≫
西塩田時報(31)
上田市(15)
青木村(13)
歴史(13)
自然(10)
時報(7)
山(5)
西塩田青年団報(5)
青空(5)
上田(4)
バリアフリー(4)
大東亜戦争(4)
太平洋戦争(4)
農業(4)
リフレッシュパークあおき(4)
長野大学(3)
橋(3)
信号(3)
道の駅(3)
蚕都上田(3)
日本博覧図(3)
銅版画(3)
温泉(3)
信州上田学(3)
近代(3)
長野県(3)
カフェ(3)
長野市(3)
別所(3)
#廃線跡(3)
晴天(2)
川(2)
塩田(2)
景色(2)
栃木県(2)
子檀嶺岳(2)
上田市史(2)
神社(2)
寺社(2)
地域史(2)
西塩田地区振興会(2)
西塩田青年団(2)
上田自由大学(2)
山本鼎(2)
上田小県近現代史研究会(2)
文書(2)
西塩田(2)
地域学習(2)
農民美術(2)
伝統(2)
工芸(2)
石碑(2)
りんご(2)
小諸市(2)
釣り(2)
ニジマス(2)
軽井沢(2)
空(2)
美容(2)
メイク(2)
明治(2)
服装(2)
動物(2)
爬虫類(2)
生物(2)
松平氏(2)
#カフェ(2)
一般公衆浴場(2)
銭湯(2)
地域(2)
#青木線(2)
上田ブルー(1)
アズーリ(1)
天気(1)
道標(1)
別所街道(1)
保野(1)
石(1)
大正(1)
保野青年會(1)
街道(1)
散歩(1)
道端(1)
大学前(1)
道(1)
落合橋(1)
産川(1)
秘境(1)
青い橋(1)
天然記念物(1)
文化財(1)
銀杏(1)
木(1)
公園(1)
桜(1)
花見(1)
小山市(1)
千曲川(1)
青木三山(1)
登山(1)
ボタン(1)
Cafe(1)
ふるさと公園あおき(1)
指定避難場所(1)
歩車分離式(1)
自転車専用(1)
車道外側線(1)
田んぼ(1)
上田市を一望(1)
人物(1)
小林直次郎(1)
小県蚕業学校(1)
上田東高校(1)
校歌(1)
蚕業教育(1)
養蚕教師(1)
学校(1)
岡野貞一(1)
土井晩翠(1)
蚕業(1)
勝俣英吉郎(1)
銅像(1)
上田市体育協会(1)
体育施設(1)
海外旅行(1)
フランス(1)
エズ(1)
ブルーライトアップ(1)
上田市役所(1)
国宝大法寺三重塔(1)
子檀嶺神社(1)
長谷寺(1)
長谷観世音(1)
田沢(1)
ますや旅館(1)
宮原右庄衛門(1)
田沢温泉(1)
小平千文(1)
近代史(1)
信濃自由大学(1)
信濃黎明会(1)
画像(1)
青年(1)
民主主義(1)
青年時報(1)
健康(1)
三角縁神獣鏡(1)
蟹沢古墳(1)
古墳(1)
卑弥呼(1)
邪馬台国(1)
群馬県(1)
高崎市(1)
青銅器(1)
西塩田村公報(1)
青年団(1)
歳入(1)
予算(1)
萬葉集(1)
和漢書(1)
小諸図書館(1)
上田築城(1)
上田城跡(1)
写真アルバム(1)
昭和時代(1)
上田市公文書館(1)
上田城(1)
静岡県(1)
菊川市(1)
田舎(1)
緑(1)
赤門(1)
お賽銭(1)
地元(1)
加茂(1)
諏訪湖(1)
湖(1)
高速道路(1)
写真(1)
スポット(1)
絶景(1)
人気スポット(1)
綺麗(1)
大手通り(1)
商店街(1)
朝 (1)
人通り(1)
人物伝(1)
長沼地区(1)
別所温泉(1)
食事(1)
食堂(1)
喫茶(1)
独鈷山(1)
お土産(1)
スイーツ(1)
道と川の駅(1)
おとぎの里(1)
ご当地(1)
グルメ(1)
神川・山本鼎の会(1)
りんご(1)
台風19号(1)
渋沢栄一(1)
別所線(1)
戦後(1)
坂井村(1)
戦争(1)
年表(1)
景観条例(1)
色公害(1)
軽井沢町(1)
都市景観(1)
建物(1)
新しい建物(1)
法事センター(1)
地域探検(1)
長野(1)
善光寺(1)
長野市カフェ(1)
C.H.PCOFFEE(1)
クリームソーダ(1)
クリープハイプ(1)
生島足島神社(1)
大鳥居(1)
体験(1)
焼き魚(1)
アスレチック(1)
運動(1)
アオキノコちゃん(1)
マスコットキャラクター(1)
義民(1)
益子輝之(1)
講演(1)
講座(1)
池波正太郎真田太平記館(1)
福岡県(1)
您好! 朋友(1)
松本市(1)
旅する喫茶(1)
猛暑(1)
夏(1)
気候(1)
山越脩蔵(1)
歴史的建造物(1)
音楽祭(1)
草津(1)
アカデミー(1)
クラシック(1)
佐賀県(1)
鳴神温泉(1)
ななの湯(1)
#信州上田学(1)
#上田城(1)
千曲フルーツ(1)
愛媛県(1)
今治市(1)
今治タオル(1)
月(1)
柿(1)
青年の夢(1)
プロジェクト研究(1)
スポーツ(1)
名刺(1)
美術館(1)
表参道(1)
紅葉(1)
千曲市(1)
探索(1)
街歩き(1)
フィールドワーク(1)
塩田町(1)
美容院(1)
電線(1)
鳥(1)
大学前駅(1)
車(1)
通学(1)
鹿沼市(1)
深程(1)
小松神社(1)
青面金剛(1)
庚申講(1)
青森(1)
津軽(1)
ねぷた(1)
ねぶた(1)
祭り(1)
ワカサギ(1)
漁業(1)
茨城県(1)
霞ヶ浦(1)
食文化(1)
カナヘビ(1)
日本遺産(1)
安楽寺八角三重塔(1)
太陽と大地の聖地(1)
諸(1)
常楽寺(1)
石垣(1)
跡地(1)
明倫堂(1)
松平忠学(1)
三重塔(1)
国分寺(1)
松平忠周(1)
酒(1)
薬(1)
りんどう(1)
長野県花(1)
植物(1)
岳の幟(1)
#道の駅あおき(1)
#青木村(1)
#肉うどん(1)
#タチアカネ(1)
#松茸(1)
#農産物直売所(1)
ニホントカゲ(1)
#食(1)
地図(1)
史的ニ上田(1)
飛古路の会(1)
#沓掛酒造(1)
#bosso(1)
#cafe(1)
#ワッフル(1)
#ケーキ(1)
#ランチ(1)
#サンドイッチ(1)
青(1)
ブルー(1)
色(1)
和船(1)
看板(1)
#別所線(1)
#城下駅(1)
#別所線#上田原駅(1)
#遺構(1)
#国道143号(1)
#駅跡(1)
ログイン
トップページへ