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最初の投稿
登録リスト(該当:65件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
丸山邸
上田市の中でも古い地域である諏訪部に丸山邸という建造物がある。上田城の築城と共に建設されたそうだ。建屋は火事で消失してしまったものの、石垣からは当時の雰囲気が感じられる。 中に入ってみると、倉庫の1部をリノベーションし、オシャレな植物園のようになっており、実際に販売しているそうだ。また、写真には収めてはいないが倉庫の2階部分にスクリーンを設置し、映画をみることができるそう。一般の方が利用することもあるそうだ。
2024-05-23
2
上田原駅:青木線との分岐点
上田原駅の別所温泉側には、白い大きな建物がある。現在は「Balue Books」という企業の倉庫となっているが、昔はこの土地に上田原駅と車庫があった。 別所線は別所温泉方面に進むと南に大きくカーブするが、カーブせずに西方向に進む青木線と明確に分岐していったのである。
2024-05-06
3
歴史も感じられる場所
我が家行きつけのカフェです。名前をseidenstrassenと言います。丸子にあった鐘紡の工場の倉庫を現在はカフェとして利用しています。店主の人柄もよく、料理も美味しいです。ぜひ一度訪れてみて下さい。
2024-05-09
4
傍陽駅
傍陽駅は傍陽線の終着駅でした。こちらも真田駅のように野菜を大都市に輸送するための拠点でした。現在駅跡には当時からある農協の倉庫のみが残されています。
2024-02-10
5
常田館製糸場について
これは五階鉄筋繭倉庫です。繭を保存するのに使われていました。鉄筋コンクリートでできた建物で、100年以上前からあります。社長さん曰く、鉄筋コンクリートの建物は50年ほどで崩れてしまうそうですが、この建物は、素材が山からの塩分が入ってないもので作られているため、100年経っても崩れることなく維持されているそうです。たまに東大の教授などがこの五階鉄筋繭倉庫の研究をしにきているそうです。
2024-01-31
6
税金について 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁
大正13年度の税額が決まったようで、その中で家畜税として犬一頭飼うごとに税金が課せられていた。他にも金庫税や倉庫税などがあり面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #26 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁
2023-12-08
7
増え続ける物流倉庫
関越道~圏央道の沿道に物量倉庫が増え続けています。ネット販売が多くなり、それと共に迅速な物資輸送が一大産業となりつつあります。特に物の蓄積と配送に便利がよい首都圏の高速道路の沿線に倉庫が目立ちます。現在もなお建設中の倉庫をいくつか目にしました。
2023-02-25
8
常田製糸場
【概要】 常田館製糸場は明治33年(1900年)創業の製糸工場である。笠原工業株式会社構内に常田館製糸場に関連する施設15棟が現存しており、そのうち明治から大正時代にかけて建てられた7棟が平成24年に国の重要文化財に指定されている。国内最高層の木造5階建繭倉庫、大正時代末の鉄筋コンクリート5階建倉庫群などは、製糸技術が発達した時代の先人達の工夫と知恵の足跡が歴然と残る貴重な文化遺産である。 【歴史】 嘉永5年(1852)諏訪郡平野村に生まれた笠原房吉(かさはらふさきち)が、明治33年「常田館製糸場」を創業した。以来110年余、製糸業の隆盛と衰退のなかで、製糸工場建物は増築・取り壊し・焼失・改築・移転・用途変更等の紆余曲折を経ながら今日に至っている。 【現在】 笠原工業(株)では施設の一部を一般公開している。 公開
2023-01-26
9
蚕業の施設
長野県上田市では、かつては蚕業が盛んな地域であった。それを象徴するのが常田館製糸場である。この製糸場は明治33年創業の歴史ある建造物である。当時の養蚕業は日本の近代化の原動力であり、様々な箇所で利用されていた。この施設では、室温度、通風、乾燥などを整えることで、一年を通して平均的に生糸を生産することが可能となっていた。 木造5階建繭倉庫、鉄筋コンクリート5階建倉庫群などは、国指定重要文化財に指定されている。
2023-01-25
10
繭倉庫
常田館製糸場の繭倉庫。大通りに位置しているため観光にも訪れやすいのではないだろうか
2022-11-30
11
常田館製糸場
国指定重要文化財にされた「笠原工業旧常田館製糸場施設」を見学しに行きました。構内には建物15棟が現存されていて、その内7棟が重要文化財として一般公開されています。昔のままの木造の繭倉庫は圧巻でした。機械などはありませんでしたが、当時の技術を知ることができました。展示品もあり、なんだか心が和みました。 常田館製糸場は1900年(明治33年)に創業し、110年余り、製糸業の隆盛と衰退の中で、製糸工場建物は増築、取り壊し、焼失、改築、移転、用途変更等の紆余曲折を経ながら今に至ります。現在はスチロール製品を製造しています。3階繭倉庫と5階繭倉庫は、多窓式と呼ばれる自然乾燥を前提とした繭倉庫の形式である一方で、4階繭倉庫と5階鉄筋繭倉庫は密閉 式の繭倉庫であり、大正時代以降は乾燥機の発達により通風による乾燥が
2022-11-30
12
蚕糸業からの転換
上田市を代表する蚕糸業の遺構と言っても過言ではない建築物である常田館製糸場。その所有者である笠原製糸は笠原工業に改称したのち現在では、精密機器や電子部品の開発、製造を行っている。常田館も笠原工業の現在の事業の一つである発泡スチロールの倉庫として現役で活躍している。内部を見学すると奥まった場所には発泡スチロールが積まれて保管されていた。
2022-11-30
13
上田の蚕業
長野県上田市では、かつては蚕業が盛んな地域であった。それを象徴するのが常田館製糸場である。この製糸場は明治33年創業の歴史ある建造物である。当時の養蚕業は日本の近代化の原動力であり、様々な箇所で利用されていた。この施設では、室温度、通風、乾燥などを整えることで、一年を通して平均的に生糸を生産することが可能となっていた。 木造5階建繭倉庫、鉄筋コンクリート5階建倉庫群などは、国指定重要文化財に指定されている。
2022-11-30
14
四階繭倉庫
干繭倉として建てられた。東西には窓が一つもなく、通し柱がなく繭の保管や作業に考慮した造りになっています。壁に雨がかからないように、各界部分に下屋がついていました。
2022-11-30
15
五階鉄筋繭倉庫
出火全焼のために建て替えられた、鉄筋コンクリート造りの五階建て建築物です。木造五階建繭倉とは異なり、干繭倉として建てられたもので、入り口は両開きの鉄扉が使用されています。階高も約240~345㎝と木造より高くなっており、繭の乾燥に優れた造りになっていました。
2022-11-30
16
常田館製糸場 見学
現笠原工業株式会社の常田製糸場は80年余りにわたって生糸の製造がおこなわれていました。構内には建物15棟が現存しており、うち7棟が国の重要文化財に指定されています。 この写真は五階繭倉庫です。多窓式繭乾燥・保管のための生繭倉庫として建設されました。製糸方法の変化に伴い、繭の保管・乾燥という目的から品質向上を目的とした干繭倉に改造され、小窓の多い造りになっている。
2022-11-30
17
重文常田館製糸場
重要文化財に指定されている常田館製糸場へ行ってきました。現在は笠原工業株式会社となっており、事務所のある繰糸棟には今でも湯気抜きの小屋が残っていました。倉庫の中にも入ることができ、貴重な体験ができました。
2022-11-29
18
三階繭倉庫・五階繭倉庫通路
三階繭倉庫・五階繭倉庫は木造であり、「多窓式繭乾燥」・保管のための倉庫として、建築されたそうです。窓をよく見ると、黒く塗り固めています。これは、製糸方法の変化に伴い、通風の確保を必要としなくなり、保管のみの目的にかわったことからこのような工夫がなされているのだそうです。 製糸業の盛んな時期にも、新しい技術や工夫が加えられて行ったことが分かりました。
2022-11-29
19
五階鉄筋繭倉庫内部
「猫は蚕の神様です」と紹介されています。 養蚕が盛んであった昭和まで、「鼠」は蚕、さなぎ、繭をかじってしまうため、人々を悩ませてきたと言います。その鼠を駆除する目的で、猫を飼ったり、猫の神様を祀り良い繭を作ってくれるよう願ったとのことです。 五階鉄筋繭倉庫は、防火を重視した当時の技術が結集された物だと言います。干繭倉(繭を乾燥させて蛹を殺す過程)として建てられたものとされています。コンクリートを使用するなど、当時の技術を集結させているのだなと歴史を感じました。
2022-11-29
20
常田館製糸場外観
左から、五階鉄筋繭倉庫・三階繭倉庫・五階繭倉庫。 三つの建物は、国指定重要文化財です。 木造の繭倉庫は国内随一の規模であり、鉄筋コンクリートの繭倉庫も当時の技術・知恵が残るものとして、貴重な遺産であるとされているそうです。 年間通して、均一な生糸の生産には「湿度・温度・風通し・乾燥・保管管理」など、大切なことがたくさんあるようです。これを管理しやすくする工夫が、建物の構造にあるのだと思いました。
2022-11-29
21
常田館製糸場へ。
上田駅から徒歩で10分弱。重要文化財として登録される常田館製糸場があります。 現笠原工業の構内に現存する15棟の製糸場時代の建物のうち7棟が重要文化財に指定されています。現在は、製糸業は終了し、他事業へ転換していますが、当時の建物を倉庫として使用されているようです。その為、予約なしで見学できるのは、「五階鉄筋繭倉庫」「三階繭倉庫」「五階繭倉庫」の三つの建物のみとなっていました。 入口付近、常田館製糸場の概要が書かれた看板には、 群馬県富岡製糸場は、「国営」の模範工場として「フランス式」の製糸が行われた。対して、常田館など、諏訪・岡谷では「民営」で「イタリー式」の製糸が行われた。 といったことが書かれています。 富岡製糸場など、群馬の製糸業と比較するのも面白いなと思いました。
2022-11-29
22
五階鉄筋繭倉庫
長野県内に現存する最古の鉄筋コンクリート造五階建て建築物である。大正14年10月に旧倉庫が出火全焼したため、当時の技術を集結し建て替えられた。
2022-11-28
23
常田館製糸場見学まとめ
常田館製糸場を見学させて頂いて改めて、蚕糸業、製糸業について興味を持つことができました。常田館製糸場の施設15棟のうち7棟は重要文化財、他の施設は上田市指定文化財に指定されており、貴重な建物であることが感じられました。 分かったこととして、建物の至る所に繭を守るための工夫がされていると感じました。その中でも国内唯一の木造五階繭倉庫は存在感があり、繭を守るため扉が四重になっているそうです。長い歴史の中で最善の工夫がされてきたから、ここまで建物が残り、製糸業が続いているのだと思いました。そして養蚕業、製糸業が上田の発展を支えてきたのだと感じました。 今回は予約をとっていなかったので、五階繭倉庫の中は見学することはできませんでしたが、団体で見学する際は予約をとって、ガイドをしてもらい、
2022-11-26
24
常田館製糸場見学4
三階繭倉庫、二階繭倉庫、五階繭倉庫の壁にそった通り道です。階段ではなく、なだらかな傾斜になっていました。なぜこのような造りにしてあるのかは分かりませんが、歩きやすく、重たいものを運ぶ際は運びやすいと感じました。 その通り道にせみ竿が展示されていました。現在のクレーンのような役割をしており、重いものを少ない労力で持ち上げるためのものだそうです。昔の人の工夫が感じられました。
2022-11-26
25
常田館製糸場見学3
五回鉄筋繭倉庫の1、2階を見学させて頂きました。現在は展示会場となっていましたが、建物はそのままなので、階段の急さに驚きました。また防火が重視された造りになっており、火事などが起きても建物が焼失しないよう工夫されているのだと感じました。 様々な作品や切り繭などを見ることができました。蚕や蛹をかじってしまう鼠を駆除する目的で猫が飼われたり、祈願されたりしていたということも初めて知りました。
2022-11-26
26
笠原工業常田館製糸場
笠原工業に残る製糸工場の遺産は、「蚕都」とうたわれた上田地域の製糸工場に関連する倉庫群や建造物が、セットとして残っていることにその価値が集約されています。製糸場道構では、この常田館は民営で、イタリー式製糸を行っており、日本の近代製糸業を語り対比する上で欠かすことのできない遺産です。繭倉庫は、南乾燥機が発達した時代の倉庫までの変選が歴然と残り、学術的にも貴重な近代化道産として指定されました。
2022-11-25
27
上田倉庫
蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 二つ目が現在はみすず飴本舗飯島商店になっている場所で、上田倉庫です。 当時は信越線上田への出荷前線基地として活躍したそうです。
2022-11-24
28
常田館製糸場見学2
常田館製糸場の外観です。 製糸場は蚕の繭から生糸を作る工場であり、繭を乾燥させ保管する工程、繭を出庫し、煮て柔らかくする工程、繰糸機械を使って糸とりする工程などが行われているそうです。 4棟残る繭倉庫は、初期の多窓式多層倉庫から繭乾燥機が発達した時代の倉庫までの変遷が歴然と残り、学術的にも貴重な近代文化遺産として指定されています。
2022-11-24
29
みすゞ飴本舗
明治27年に上田倉庫株式会社の蚕繭集積倉庫として建築され、蚕繭出荷の前線基地として活躍した繭倉の一つです。 蚕都上田が盛んだった当時は数十棟の繭倉が上田駅前に軒を連ねていましたが、終戦後は生糸関連産業が急速に衰退し、昭和30年代から40年代前半にかけて次々と取り壊されていきました。 昭和45年、飯島商店(現在のみすゞ飴本舗)が諏訪倉庫から2棟の繭倉を購入し、現在も飯島商店事務棟・作業棟であるとともに、当時の蚕都上田について知ることができる貴重な産業遺産になっています。
2022-11-13
30
笠原工業常田館製糸場
平成24年12月28日 旧常田館製糸場施設が重要文化財として指定。 平成22年2月17日 笠原工業常田館製糸場が上田市指定文化財に指定。 明治33年(1900年)に笠原房吉によって「常田館製糸場」(屋号は〇二)は創業しました。明治以降、日本の生糸は輸出世界一の座を占有してきました。生糸の性状は原料である繭の影響を直接受けて変化します。国内最高層の木造5階建て繭倉庫、大正時代末の鉄筋コンクリート5階建て倉庫群などによって、年間を通して均等な生糸を生産した常田館製糸場は学術的にも貴重な文化財になっています。
2022-11-13
31
繭の女神
蚕都上田の残映によせる上田・小県地方の人々の心を現したのが、天に繭を捧げる女神の像です。 上田駅改装の際に故中村直人画伯から贈られ、正面の水飲み場の上に飾られていたが、後に駅改築に伴い倉庫にしまわれていました。 しかし、当時の活力を思い出すために再びかざられることとなりました。 場所 上田駅エントランス前
2022-11-03
32
焼き鳥「ふっちゃん」
今回は大学周辺で見かけて焼き鳥屋さん「ふっちゃん」の写真を撮影しました。平屋の蔵や倉庫のようにも見える建物で珍しいな、と思い、撮影しました。古く大きい建物で、建物の再利用なのかな、と思いました。
2022-10-31
33
常設ランプ展
常田館製糸場の5階鉄筋倉庫のギャラリーには常設ランプ展があり、かさ地蔵やかわせみ、ねこ、サックスなど様々な和紙のランプシェードを見ることが出来ます。
2022-10-30
34
増え続ける物流倉庫(賃貸型物流施設)
買い物は久しくアマゾンを初めとするネットショップに依存しています。発注した翌日にはモノが届く素早い配送には驚かされます。その日のうちにモノが届いたことも。そうした迅速な商品の配送を担っているのが物流の企業。その拠点となるのが巨大な物流倉庫。 茨城へ帰省する際、巨大な物流倉庫が高速道路沿いに最近とみに目につくようになってきました。とりわけ関越道沿い、圏央道沿いに増えつつあります。従来、特定の企業の名前が記された従来型の企業の倉庫はいくつもありましたが、名前の知らない倉庫が目に付きます。その代表的な名前がGLP。物流プロバイダは最近、急成長しつつある業態と言ったらよいのでしょうか。物流プロバイダはGLP以外にいくつもあり、私も社会勉強のつもりでこの新たな業界の勢力図を頭に入れて
2022-08-17
35
立科町散策③ 【大庭遺跡】
2022/06/21(火) 立科町役場から少し歩いたところにある【大庭遺跡】へ。 長野県にきて驚いたことの1つは”縄文時代の遺跡が至るところにある”ということ。 小学校に縄文土器があったりして非常に面白い。 立科町にもその1つ大庭遺跡があると知り、訪れた。 行ってびっくり、 大庭遺跡は”古墳時代、奈良時代、平安時代わたる複合遺跡””とのこと。 縄文時代である約6500年前の竪穴式住居が17棟、墓が85基。 古墳時代~奈良平安時代である約1400年前の住居址18棟、高床式倉庫が1棟が検出されている。 この遺跡を見ていて考えたことは2点。 1点目は このような貴重な複合遺跡がなぜ全国的に、いや長野県内にすら知られていないのか。 もしかしたら、私が知らないだけかも知らない。 が、少なくとも周りにいた上田市民の知
2022-06-21
36
小諸消防組第二部器具置き場
住宅街の中に設置された、消防器具を保管された倉庫のような建物。正面右側面に鐘が設置されており実際に火災が起きたときに鳴らすようである。昔ながらの右から読む看板に歴史を感じました。また、こうした昔ながらの街には消防団の鐘がおかれるところがいくつかありますが、そのほとんどが塔の上にありますが倉庫に併設されているのは初見でした。
2022-05-10
37
常田館製糸場
嘉永5年(1852)諏訪郡平野村(現岡谷市)に生まれた笠原房吉は、開通したばかりの信越線上田駅に近いこの地に、明治33年(1900)「常田館製糸場」を創業した。常田館製糸場は、かつてあった講堂・劇場や病室は失われてしまっているが、近代製糸工場の前途の特徴を示す建物群がまとまって残っているのは県内ではここだけである。国内最高層の木造5階建繭倉庫、大正時代末の鉄筋コンクリート5階建て倉庫群などは製糸技術が発達した時代の先人達の工夫と知恵の足跡が歴然と残り、学術的にも貴重な文化遺産になっている。 「参考文献」 http://www.kasahara.co.jp/kasahara/tokidakan/
2022-02-08
38
5.蚕を使ったアート
私は常田館製糸場を訪れた時、鉄骨繭倉庫には絹糸を使ったアートが沢山並んでいました。様々な種類のアートが展示してあり、絵のようなものから立体なアートまで若者が興味を持ちそうな作品が沢山展示してありました。 近年、InstagramやTIKTOKが文化の流行を促しており、それを利用している年齢の層は若者です。 そういった若者をターゲットに普段、馴染みのない蚕を知ってもらう機会を設けて蚕という文化に触れてもらうといった策で蚕糸業を活性化しようと考えました。 次の記事では蚕を若者にどうやってアピールするかを考察していきます。
2022-02-03
39
4 年表からひもとく
坂井村誌内の年表を一部引用し、特に重要な部分をまとめた。
昭和12年(1937年)
・
盧溝橋事件が勃発。村内の予備兵に召集下令があり、村内に一気に緊張感が流れた。
・銃後後援会(後に奉公会)結成、村防護団結成・応召家庭の農作業奉仕。 ・軍の指示により、初めて防空演習が行われる。 ・国防婦人会結成(全村)、国民精神総動員長野県実行委員会(会長・県知事)坂井村支部(支部長・村長)結成。 ⇒日中全面戦争の開始に伴って始められた、国民の戦争協力を促す官製国民運動。「精動」と略されることもある。1937年(昭和12)8月第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣は「国民精神総動員実施要綱」を閣議決定し、同年10月「挙国一致、尽忠(じんちゅう)報国、堅忍(けんにん)持久」のスローガンのもとに国民精神総動員
2022-01-29
40
「木」が印象的な建物
少し離れてサントミューゼを見た時に、木がたくさん使われていると感じた。サントミューゼ自体もそうなのだが、外にあるトイレや倉庫も木材が使われていた。前回、館内を見て回った時も同じようなことを感じたのを思い出した。 近くで見ると白い木材はコンクリートだった。木材の板とコンクリートの板が混合していたのだ。コンクリートについている細かい筋が木目調に感じさせるのか、不思議と木材と調和している。
2022-01-26
41
蚕都上田探訪/飯沼郷蔵
郷蔵とは江戸時代、年貢米を貯蔵した倉庫です。飯沼(上田市生田)にあるこの郷蔵は教育委員会の説明板によると1729年に建てられ、その後度々の改修を経て現在に残っています。 この郷蔵からは幕末期、横浜からの生糸輸出を裏付ける大量の資料が発見されています。横浜開港資料館などが長年かけてその調査研究に当たってきました。驚くべき米倉庫です。我が国の生糸輸出や蚕糸業の歴史を紐解く数多くの文書がこのような倉庫に残っていたことも驚くべきことです。 この場所は飯沼の集落内にあり道は狭くわかりにくいので現地に行くには注意がいります。マップに位置を示しておきました。
2021-09-19
42
信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から
信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文) 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) ▼元の講演はコチラ https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779 信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回 2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ
【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸
■そもそも蚕糸業とは?
今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
2021-07-15
43
日本シルクロード講座・横浜編(4)上田と横浜の歴史アラカルト
2011年10月29日 会場:北仲BRICK(横浜、旧帝蚕倉庫事務棟)
講座「上田と横浜の歴史アラカルト」ダイジェスト版
3分で講座の概略を掴むことができます。
講座「上田と横浜の歴史アラカルト」ノーカット版
45分 「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座1日目> (4)上田と横浜の歴史アラカルト、横浜まちあるきのみどころ 講師: 前川道博(長野大学企業情報学部准教授、蚕都上田プロジェクト事務局長) 水島久光(東海大学文学部教授、北仲スクール) 特別ゲスト: 浦辺信子
2021-07-11
44
日本シルクロード講座・横浜編(1)新しい地域学習のすすめ
2011年10月29日 会場:北仲BRICK
講座「新しい地域学習のすすめ」ダイジェスト版
3分で講座内容を手短かに掴むことができます。
講座「新しい地域学習のすすめ」ノーカット版
67分 「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座1日目> (1)新しい地域学習のすすめ 講師:水島久光(東海大学教授)、前川道博(長野大学准教授) (撮影・編集 森田文和@おらほ放送局) ※肩書等は2011年当時のものです。
2021-07-11
45
日本シルクロード講座・横浜編・ダイジェスト版
ダイジェスト版25分 2011年10月29日 会場:北仲BRICK(旧帝蚕倉庫事務棟、横浜) 提供:蚕都上田プロジェクト 横浜を訪ねて上田を知る。蚕都上田全盛時の生糸貿易とゆかりのある歴史的建造物「旧帝蚕倉庫」(信州の生糸が貯蔵された倉庫)の事務棟を会場に横浜と上田の人々がお互いの地域の歴史を学びあいました。
講座内容
(1)新しい地域学習のすすめ 講師:前川道博(長野大学准教授)、水島久光(東海大学教授) (2)横浜開港と生糸貿易 講師:小泉勝夫(シルク博物館元部長) (3)日本初の生糸輸出は信州上田から 講師:阿部勇さん(上田歴史研究会会長) (4)上田と横浜の歴史アラカルト 講師:前川道博+水島久光 ゲスト:浦辺信子(上田藩松平家直系御子孫) (撮影・編集 森田文和@おらほ放送局) ※肩書
2021-07-11
46
気球倉庫
海野町商店街にある、すや呉服店が所蔵していた貴重な写真の一枚である。 この写真の裏面には、「明治三拾八年四月二十五日」「焼失セシ気球倉庫」と書かれ、この年代に焼失した気球倉庫であることが分かる。 また、周辺に建物や山が一切なく、開けている場所だということは分かるが、どの地域にあったのかは特定できない。気球の真ん中に、「日の丸」の旗のようなものを掲げていることから、日本を代表する気球だったのではないかと考える。
2021-06-11
47
山居倉庫
米どころ庄内に1893年に建てられた米保管倉庫。 NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケ地にもなった。 現在も現役で利用されている農業倉庫で、2021年3月26日に国指定史跡に認定された。 美しいケヤキが構える、ケヤキ並木も観光スポットとして有名だ。
2021-05-05
48
上田市消防団第12分団第11班の倉庫
上田市消防団第12分団第11班の倉庫だと思われしもの。 横には、道具らしきものがあった。だいぶ古い。錆びている。
2021-05-05
49
赤レンガ倉庫
明治33年に建てられた製茶構造の一部である。構造はレンガが主。イギリス積みであり、内部は木造2階建てである。茶産業に関わる建築物として貴重な遺構である。この赤レンガ倉庫は登録有形文化財として登録された。(第22-0194号)静岡県菊川市の街のルーツかつ当時の製茶工場の様式を現在に伝える日本で唯一の産業資産。
2021-05-03
50
常田館製糸場 (五階繭倉庫)
これは常田館製糸場の「五階繭倉庫」の写真である。明治38年(1905年)に建築された国内唯一の木造5階建繭倉だ。当時は繭を乾燥・保管する目的で作られたが、現在は比較的軽いプラスチックや発泡スチロールなどの倉庫として利用されている。建物の軽量化をはかるため、壁は薄く、柱もやわいが、震度4にも耐えられるくらい丈夫な造りとなっている。 参考URL:
常田館製糸場 施設紹介
2021-01-27
51
常田館製糸場 (五階鉄筋繭倉庫)
常田館製糸場は明治33年(1900年)創業の製糸工場だ。 15棟の施設が現存しており、そのうち7棟が国の重要文化財に指定されている。 写真3枚目は、「五階鉄筋繭倉庫」の内部である。大正15年(1926年)に竣工した、長野県内に現存する最古の鉄筋コンクリ―ト造5階建て建築物だ。現在1階はイベントの開催やワインセラーとして利用されており、2階と3階には従業員の方々が制作した芸術作品が展示されている。作品はライトアップされており美しかった。 参考URL:
常田館製糸場 施設紹介
2021-01-27
52
台風19号 災害関連死
台風19号災害から1年が経過した現在、報道などでは避難生活に伴う持病の悪化や疲労、精神的ストレスなど間接的な原因で死亡してしまう災害関連死が増加してしまっている。最近の記事でも、災害で被災した長沼地区の住民が災害公営住宅を巡り市職員と議論した。長沼地区に災害公営住宅が建設された場合、入居希望者は一定数いるとし住民からは入居要望があるのだから市は早期に建設方針を示して欲しい、住宅の問題が解決されないと先の事は考えられないと言った切実な声があがった。住宅課の職員からは長沼地区は洪水の浸水想定区域内にあり入居希望者には高齢者が多いため、建物の構造や災害時の避難誘導が課題だとした。私が現地の方々と話す中で、ある方は住宅が浸水し避難先の建物に訪れたが、避難先での不慣れな生活や部屋の大きさ
2021-01-25
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上田市と岡谷市における蚕業の比較
・地域探求テーマ 「上田市と岡谷市における蚕業の比較」 ・この探求テーマを選んだ理由 私の地元では、小学校の地域学習として岡谷蚕糸博物館や宮坂製糸所の見学を行っており、蚕業を身近に感じる機会が多くあった。また、上田市と岡谷市は蚕業が盛んであったことが共通しており、それぞれの蚕業の歴史の仔細や、そこに共通点があるかどうかについて興味があるから。 ・探求しアウトプット化すること 上田市と岡谷市の蚕業の歴史や当時の様子について探求するとともに、そこから共通点や相違点等を見つけ出し、記事にまとめて投稿したい。 ・具体的に調べる資料 信州上田デジタルマップ 信州デジタルコモンズ 長野大学附属図書館の地域資料室 岡谷蚕糸博物館 など ・調査記事一覧
2020-12-21
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常田館製糸場②
木造繭倉庫は足場が悪く、階段も急なため、お年寄りの方が見学するには危険な場所であると感じました。当時、製糸場で働いていた人がこんなに過酷な環境で働いていたということを知り驚きましま。
2020-11-19
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常田館製糸場①
常田館製糸場の見学をしてきました。蚕糸業が盛んであった上田市の遺産として残された常田館製糸場は、当時の姿をそのまま残した貴重な文化財であることが分かりました。鉄筋繭倉庫にはギャラリーがあり、そこでは様々な展示物も見ることが出来ます。
2020-11-19
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常田館製糸場-4
繭蔵内にある倉庫の一つ。旧字体で「第二号倉庫」と書かれている。このように現在では使用されていない漢字が表記されていることからも、繭蔵が非常に歴史の古い建物であることが感じられる。
2020-11-18
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常田館製糸場
上田が蚕都だった事がわかる施設跡 7棟ある建物全てが国指定の重要文化財、かつて倉庫だった建物は圧巻の大きさだった。 また建物内を見学することが可能だが、階段が急だったり、明かりがついていなかったり、床が抜けそうだったり施設を回るのも一苦労といった感じだった。
2020-11-18
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常田館製糸場-2
常田館製糸場にある木造繭蔵。この繭蔵は、国内では最高層の木造五階建繭倉庫で、1905(明治38)年に建てられた。建物では蚕種の均等な製造を行うため、窓を四重にするなど蚕の徹底的な管理が施されており、品質向上に向けて努力した後が伺える。
2020-11-18
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【肝試し会場?】常田館製糸場 内観 #2
常田館製糸場北側にある三階繭倉庫、五階繭倉庫の廊下、内観です。 重たい扉を開けると、#1の鉄筋倉庫と比べて明らかに手が付けられていない上、殆ど光が入ってこずほぼ真っ暗な空間が出現。床も古いが故にかなりギシギシしていて、今にもお化けが出そうな場所でした。 ただ、祖父母の家にも無いような古い機械、骨董品、天板や壁、文字書きなど、かなり面白いものが見れて良かったです。
2020-11-17
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常田館製糸場 内観 #1
常田館製糸場の内部はかなり面白い物が存在していたので、更に2つに分けて紹介します。 写真は場内西にある「五階鉄筋繭倉庫」の内部です。どうやら定期的にイベントがここで開催されているらしく、大正時代のまま残されていそうな壁の中にミニ会場のようなものがありました。上階には様々な繭作品が展示されていて、どれも綺麗でした。 また、袋に入った大量の繭が置いてありました。おそらくイベント用に置かれているものでしょう。 #2では場内北の建物を紹介します。
2020-11-17
61
横浜
赤レンガ倉庫が、「最後の晩餐」のような見事な遠近感を感じさせ、さらに奥にそびえたつビルと合わせて、横浜を感じさせられる。
2020-10-07
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野球と蚕糸業
1927年に建設された上田市営野球場。蚕都上田の隆盛があって、地元に野球場が出来る。キモノマルシェで旧常田館製糸場の鉄筋繭倉庫を現存する長野県最古の鉄筋コンクリート造の建物(1926年=大正15年)として紹介したばかり。なるほど、この野球場の建物に接する鉄筋コンクリート造の橋はその竣工年がその翌年(1927年=昭和2年)になっています。蚕都上田の隆盛を背景に当時としてはまだ数少なかった鉄筋コンクリートの建造物が建造されたことがわかります。 野球と蚕糸業。この視点で知り得ているのは諏訪蚕糸学校(現岡谷工業)の甲子園での輝かしい準優勝の記録。校名に「蚕糸」とあることからもはっきりとその学校の背景がわかります。蚕糸業による経済的繁栄があって、野球が盛んになったことが物語られています。 (2016/10/28投稿
2020-07-18
63
常田館製糸場 四階繭倉庫
常田館製糸場から交差点を挟んで少し歩いたところに繭倉庫があります。繭の保管や作業を行うために適した作りとなっている。現在、上田市と国が指定する重要文化財となっている。外から中の様子をみることができるようになっているが中に入ることができなくなっている。そして、中の様子は段ボールや発泡スチロールが置かれている。役割は変わったが、現在も利用されているようだった。
2020-06-23
64
第十九国立銀行について-3
黒澤鷹次郎像。黒沢 鷹次郎(嘉永2年(1850年) - 大正8年(1919年)1月27日)は、明治-大正期の銀行家で、明治10年(1877年)に第十九国立銀行の設立に参加した。黒沢鷹次郎は当時の常識を破り動産(原料繭)担保の融資で製糸業者を支援し、また、債権の保全と繭の品質向上のため、明治42年(1909年)1月、自ら諏訪倉庫建設に着手するなど、製糸業発展に貢献した。第1次世界大戦の後、不況に見舞われた岡谷の製糸業界は黒沢の金融政策によって救われ、更なる躍進を遂げた。
2020-06-22
65
蚕都上田まちあるき2008
企画・制作:蚕都上田プロジェクト 2008/10/25の記録 竹内秀夫さん(都市・建築工房、建築設計) 斎藤功さん(長野大学環境ツーリズム学部教授、地理学) 新津新生さん(上田小県近現代史研究会) 小野寺芙美子さん(梅花幼稚園園長) 三田育雄さん(長野大学地域連携センター長)=まちあるきの企画者 <まちあるき探訪先リスト> リンクを選ぶとその部分を頭出し再生できます。 1.
上田駅前に集合
2.
往時の駅前の状況
3.
曳家した繭倉 木造4階建(笠原工業)
4.
2020-05-24
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