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兎束武雄
上田町大手の銀行家兎束鐘一郎の長男として生まれた武雄は、幼い頃から音楽に特別な興味を示す子どもでした。母親の影響で琴を習っていたそうです。音楽に興味を示していた幼少期ですが、父親からは反対されていたそうです。 上田中学校(現上田高校)を卒業し、東洋音楽学校に入り勉強に励みましたが、東洋音楽大学だけの勉強では満足できず、他の大学でも聴講し、作曲やピアノ、チェロなどを勉強しました。大学を卒業した武雄は、高等学校の教師になることを決意して上田に帰ってきました。武雄は、音楽の楽しさや喜びを多くの人々と分かち合いたいと考え、地域の音楽活動に力を注ぎました。昭和8年、28歳のとき、梅花幼稚園の同窓生に声をかけ、「からたち合唱団」を創りました。当時、県下で混声合唱団と呼ばれるものはなく、上田
2023-01-31
2
上田とのつながり
お墓は、上田駅から歩いて20分ばかりにある呈蓮寺さんにあります。曾祖父の代から上田を離れているので、全く縁はありませんでした。ただ本籍地が長野県にあるということぐらい。母が父と結婚する時に、京都から身上調査的なつもりで、祖母と上田に来たことがあったそうです。もう60年ほど前のこと、関西から長野って今でも距離感ありますが、そんな時代によくもまあ!と思います。どなたかに、会ってそこのおうちの方なら大丈夫みたいな(なんの太鼓判やねん?と突っ込みたくなりますが・・・)ことを聞いて帰ってきたようです。 私が学生の頃、父が車で大事故を起こしたり、(車が丈夫だったため無傷でした)経営している印刷会社の業績が厳しくなった時期がありました。アルバイト先の方に紹介していただいた占い師の方に観て
2022-02-21
3
曾祖父との関係
人物伝にあるように、鈴木志津衛には4男2女の子供がいました。私は三男の俊三の孫にあたります。祖父が生まれた後、上田から京城(現ソウル)に渡り、日本人学校の 校長を務めていました。大正7年12月の学校火災で、殉職しますが、その後も家族は、京城に暮らしていたようです。1937年生まれの父、敬之(ひろゆき)が小学校1年の時、終戦で日本に引き揚げるまでです。 聞いた話だと、京城から釜山経由で、山口県仙崎へ戻ってきたようです。その後、祖母の実家に縁のある岐阜などで過ごした後、銀行に勤めていた祖父の関係で大阪に暮らすことになりました。 写真は、子どもたちの写真です。 陽一さん・はるさん・忠雄さん・愛さん・俊三(祖父) 俊三の出生地は明治四十四年小県郡上田町二千百九十九番地となっています。
2022-02-21
4
上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から)
『
上田市史・下巻(1940)
』の「社寺古墳及人物誌/
人物篇
」をハイパーメディア化。(長野大学「マルチメディア論」2020/2021実習で分担作成)
人物01 真田昌幸
真田一徳斎幸隆の第三子、天文十六年生る。
人物02 真田信之
真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。
人物04 真田幸村
幸村は正幸の代二子、永禄十一年生ると云う。
人物05 仙石政俊
先の小諸城主後上田城主たりし仙石忠政の
2021-07-21
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人物22 加藤勤
勤は維藩の子、通称彦五郎、字は士成、天山と号す。(略)詩文若干あり、明治十一年死す、年六十七。 『上田市史・下巻(1940)』1214・1215頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌 人物篇
2021-07-18
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