忠固無名の謎
出典:Wikipedia 岩倉使節団https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%80%89%E4%BD%BF%E7%AF%80%E5%9B%A3
では、なぜここまでの功績を上げた人物の名前が知られていないのだろうか。それは、「明治維新を正当化させるためには、幕府が無能でなくてはならなかった」からである。
私たちはこれまで学校で、外交能力の乏しい幕府が列強に強要されるまま関税自主権がなく、治外法権を認めるような不平等条約を結ばされたと習ってきた。そして、明治維新後の薩長土肥を中心とした新しい国家が、幕府の負の遺産である不平等条約の改正を血のにじむような努力の末に成し遂げたとされてきた。しかし、これは明治政府が明治維新の正当性を国民に信じ込ませるために作り上げた「神話」だった。明治政府は、幕府が無能だったという前提のもとで明治維新というクーデターを正当化するため、幕府は対等な国際関係を築けず、自律的に近代化を遂げることが出来ない政権であったことにした。開国を推進した松平忠固は強要されて条約を結ぼうとしたわけではなかったし、当初日本がアメリカと結んだ通商条約には関税自主権も明記されていた。
つまり、忠固が未だにほとんど知られていない理由は、忠固を含む幕府側の功績が不都合な明治政府による改竄と、明治政府を否定できないのちの権力にあると考えられる。
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投稿者 | yo-to |
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