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北向観音の''絵馬''
北向観音堂に奉納されている絵馬はとても興味深い。馬の絵や、鬼退治の絵、善光寺地震などが描かれた絵馬がある。絵馬の由来は、神は馬に乗った姿で現れるとするため昔は本物の馬を奉納していたそう。しかし次第に木や紙、馬の像で代用するようになっていった。鎌倉時代以後には、絵馬の図柄は馬だけではなく多様なものが描かれるようになっていった。 一枚目の写真は板絵鬼女紅葉退治の絵馬。平安時代、信州戸隠山に住み悪事を働いた鬼を退治したとされる伝説。鬼女征伐の命令を受けた平維茂は、北向観音の加護によって退治することができたといわれている。 二枚目の写真は善光寺大地震の絵馬。一八四七年に御開帳でにぎわう善光寺を突然大地震が襲い、多くの人が亡くなった。絵馬の中央にいる市之助という人は、一五人の一行と旅を
2024-02-01
2
霊泉寺の由来、『紅葉狩』平維茂との関係
霊泉寺温泉のある霊泉寺の境内に「霊泉寺温泉の由来」「霊泉寺の由来」と題する説明板が立っています。 それによると霊泉寺は「金剛山波羅蜜院霊泉寺と称し安和元年(九六八年)鎮守府将軍平維茂朝臣の命により、空也上人の開山」と伝えられているとのこと。霊泉寺温泉は平維茂の伝説と深い関わりがあります。文楽、歌舞伎の有名な演目『紅葉狩』の主人公平維茂が実在の人物であったことはこの説明からうかがい知れました。また戸隠でなく、ここ霊泉寺にその由来があることにも興味をそそられました。
2022-06-20
3
上田市別所温泉 将軍塚
上田市別所温泉駅から少し登ったところにある。戸隠にいたという伝説がある鬼女紅葉を倒したと伝わる、平維茂の塚。 塚には「朝日さし夕日かがやくそのもとに黄金千枚二千枚」という、朝日長者や徳川埋蔵金伝説に登場する歌と類似した詩が書かれている。別所が衰退し、家屋が残り3軒になったら掘って、埋まっている黄金を使え。3軒になる前に掘り返すと別所が滅びるという言い伝えが残っている。 ちなみに、鬼女紅葉を倒すことに使われた刀は北向観音で授かったとされているそうだ。
2022-05-10
4
鬼女紅葉伝説
この伝説は諸説あるが、その中の一説を紹介する。 会津の子供に恵まれなかった夫婦が子どもを授かった。幼名を呉葉(くれは)といった。京にのぼり源経基(みなもとのつねもと)公に仕えたが、美貌と 才気が公の心をとらえ寵愛を受けるようになり懐妊した。紅葉は公の愛を独占するに御台が邪魔になると、魔性を現わし、御台を殺そうとした。そのことが発覚して、信州に流され、戸隠山麓の荒倉山に棲むようになった。信州では京を恋う毎日だったが、或る朝、顔を洗おうとしてふと水面を見ると角が生えた鬼の形相に映った。そこで紅葉は、心を鬼にし、武力を貯え都に力づくで押しのぼろうと決意、盗賊の頭となり、悪事を働いた。あたりの人々を悩ませる鬼女紅葉のことは京にも伝えられ天朝に達し平惟茂(たいらのこれもち)が勅命を受けて紅葉
2021-12-21
5
北向観音堂
北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場です。 安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられている。北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益の願いが込められている。 また、北向観音堂の周りにはお店がたち並んでいて、北向観音堂だけではなく周りのお店でも楽しめるものになっている。
2021-07-23
6
将軍塚
この塚は古墳時代後期に築造された有力な豪族の墓である。また、平安時代中期の将軍平維茂の墓ともされている。冷泉天皇の御世の安和2年(969年)信州戸隠山に「紅葉」と名乗る鬼女が住み、妖術を近隣を荒らし住民を苦しめていたのでこれを平定したが、鬼女紅葉との戦闘で傷ついて別所温泉で湯治をしたが、治らずに果てたといわれています。この鬼女紅葉伝説は能「紅葉狩り」の演目のモデルとなっています。
2020-10-17
7
天台宗別格本山 北向観音
北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場です。安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられています。寿永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまいますが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興されました。堂が北に向いているのは、わが国でもほとんど例がありません。 選んだ理由としては北向観音堂は全国的に珍しい建物で面白さがあると思ったからです。
2020-08-06
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