| 写真 | タイトル | 説明 | 登録日 |
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1 | | 霧に包まれた菅平湿原 | 6/18、雨降りの中、菅平中学校を訪問した後、帰る頃には雨は止み、一面が霧に覆われていました。数十メートル先は見通せないような視界でした。
霧の中、久しぶりに菅平湿原を訪れました。霧に包まれた湿原はこの世とも思えないほどに幻想的で美しい世界でした。野鳥のさえずりも一際よく聞こえていました。ただし野鳥の姿は見えず。可憐なミズバショウも葉っぱが大きくなり、ミズバショウとは思えないほどの変容(Transformation)ぶりです。 | 2024-06-24 |
2 | | 余里一里花桃の里 | 武石の花桃の名所。
地元の方々の管理が行き届いており、
丁寧に剪定された松まであった。
「世界で一番綺麗な二週間」と呼ばれるほど、
最盛期は見事な花盛りらしい。
地域のニュースで満開との噂を耳にして向かったものの、
地元の方にお伺いしたところ「一週間おそかったね」とのこと。
それでもとてもきれいで、来年こそリベンジしたい。 | 2024-05-10 |
3 | | 昔ながらのポスト | 昔のポストがそのまま残されていた。アニメの世界でしかこのようなポストを見たことがなかったので、見られて嬉しかった。 | 2024-05-10 |
4 | | 信州上田学2023/地域キュレーションVol.2 | 長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「信州上田学2023①~④地域キュレーション」をご参照ください。
「学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)」それぞれのマイテーマにリンクしています。[ Vol.1 | Vol.2 ]
No. ニックネーム/探究テーマ
探究のねらい
- よう/地域交通と産業のつながり
交通インフラと産業は密接に関連していると考えたから。産業の発展には
| 2024-02-16 |
5 | | 別所神社 | 長く急な坂道を登った先にある別所神社。
お賽銭はPayPayで払えます。
神楽殿からの見晴らしは最高!椅子に座ってゆっくりすると気持ちがいいのでおすすめです。
また、忘れられがちですが神楽殿とは反対の山の中にも鳥居があります。
のジブリの世界みたいでワクワクしますよ。
すぐそばにある休憩所では美味しいお焼きが食べれるので、ぜひ立ち寄ってみてください。 | 2024-02-13 |
6 | | 前山塩野神社 | 塩野神社はひっそりと佇む趣ある神社です。
物語の中に入ったような静けさ。
橋を渡ることにより、より一層の異世界感を生み出しています。 | 2024-02-13 |
7 | | 無言館 | 無言館は、第二次世界大戦の戦没画学生が描いた作品が展示してある美術館です。
彼らが故郷を離れる前に描いた愛する家族の絵。
出兵先で家族に宛てたハガキの絵。
作者だけでなく、作品を寄贈した遺族の方々の思いもよみとることができます。
ドームや図書館など、ただの美術館ではないので、一度足を運んでみてはどうでしょうか。 | 2024-02-12 |
8 | | 上信越道から見える富岡製糸場 | 世界遺産「富岡製糸場」が上信越道から一瞬見えます。富岡市街にガスタンクが2基見えます。そのすぐ後ろにある大きな建物が富岡製糸場です。ガスタンクを目印に照準を合わせると走行している車窓からでもはっきりと確認できます。 | 2024-02-11 |
9 | | Cafe Bosso | Cafe Bosso
上田駅から徒歩15分位の場所にあります。お店の壁は鮮やかなブルーでひときわ目を引く存在でとってもオシャレでした。サンドイッチが有名で、分厚い食べ応えのあるサイズでした。種類も色々あり、美味しかったです。個人的はデザートの美味しさに驚きました。あまりにもクオリティが高くてスイーツ屋さんでもおかしくないと思います。店内は1人の定員さんしかおらず、自由な空間を楽しんでいるようで素敵なお店でした。カウンターなどもあり1人でも入りやすそうな雰囲気でした。店内には様々な陶器やお皿などが飾ってあるスペースがあり、店主の方の世界観に溢れていて面白かったです。 | 2024-01-31 |
10 | | 戦前と戦後の北海道新聞における文化の移り変わり | まず初めに何故北海道新聞で文化の移り変わりを調べたかったのかというと西塩田時報で様々な大正から昭和にかけての記事を閲覧していた際に自分の地元ではどのように変化していったのか素直に興味を持ったからだ。
そこで今回は現代の北海道新聞と昔の戦前の新聞を用いて文化をそれぞれ比較しようと思う。
比較する新聞の年は1942年と2020年だ。北海道新聞は1942年に創刊された。1942年といえば日本は第二次世界大戦中であり、アメリカと戦っていた時期であった。実際の記事を見てみるとそれが伺える。下方に「アメリカの焦燥」と書かれた項目がある。当時の日本がアメリカを牽制していたのが分かる。さらに、「戰」や「諸勅令」といった今となっては使われなくなった漢字や表現が使われている。ここからも北海道での戦時中の緊張感が伝 | 2024-01-25 |
11 | | 富士山の恐ろしさ | 私は静岡県出身で富士山を見て生活していた。富士山は昔から富岳百景などで有名である。世界中からも人気で外国人観光客が多く来て、世界遺産にもなった。しかし、災害が多い今そこで私は富士山の恐ろしい面を調べることにした。恐ろしい面を知り、今後どのように富士山と関わっていくかを考えた。
参考資料
葛飾北斎 画『富岳百景 3編』二,永楽屋東四郎[ほか],天保5-6 [1834-1835] 序. 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/8942998
富士市「フリー写真素材集」
https://www.city.fuji.shizuoka.jp/page/gazou/fmervo000001dsro.html
山梨県 編『富士山の自然界』,山梨県,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/983213
富士市 富士山の噴火史について
https://www.city.fuji.shizuoka.jp/safety/c0107/fmervo000000oxtb.html | 2024-01-24 |
12 | | 前山寺 | 空海が開き、鎌倉時代に長秀上人が発展させた前山寺。
塩田北条氏の祈願寺となった。
境内に入ると空気感が一気に変わる。
本堂は立派なかやぶき屋根。
三重塔は二層三層にやりかけの部分があるが、不調和が無く「未完成の完成塔」と言われている。
境内内にある鐘は世界観に没入する観光客に時刻を伝える。
山の中にあり、車がないとアクセスが難しいと感じるが、
藤の名所とも言われているので是非一度空気感を味わいに訪れてもらいたい。 | 2023-12-14 |
13 | | 戦争時の金はどこから( 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁) | 第二次世界大戦のさなか、この戦争を続けていくにはどうしてもお金が必要になるでしょう。ではそのお金、特に金(きん)はどこから出ていたのか。
この記事は、今政府が金不足にある理由と、それを補うために各家庭から金を徴収する旨が書かれており、金の出どころの一端が伺えて面白いと思いました。
▼この記事は以下から参照できます。
#843 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁 | 2023-12-11 |
14 | | 西塩田時報 面白いと感じた記事 2 | 情報通信文化論 西塩田時報切り抜き2
この記事も自身がもう一つ選んだ記事と同じく、過去の日本の変化がみられる記事の一つで、第二次世界大戦が終わった日本が封建的思想から次第に目覚めていき、デモクラシー的な自由な世界となろうとしてる、といった記事であり、終戦後から大正デモクラシーにつながっていくであろう過程が分かるような記事になっており、これもまた自身が学んだ歴史を振り返っているようで面白いと感じました。西塩田時報vol.2 7ページ左上農村青年より | 2023-12-11 |
15 | | 椀子ワイナリー | 「上田市の特産品とイベント」のテーマにあげられている「椀子のあわ」と「椀子シラー」の二つのワインはここでつくられている。
世界最高のワイナリー50に日本で初選出された。 | 2023-11-30 |
16 | | 安楽寺・八角三重塔 | 信州最古の禅寺である。日本で唯一の木造八角塔で、長野県で最初に国宝に指定された。長野県が世界に誇る貴重な文化財である。中国宋時代の禅宗様という建築方式である。 | 2023-11-29 |
17 | | DA学会地域アーカイブ企画セッション2023/11/11 | デジタルアーカイブ学会第8回研究大会2日目の11/11(土)、地域アーカイブ企画セッションが開催されました。50名を超える参加者があり、充実した情報交換がなされました。
【セッションタイトル】
「地域のアーカイブの構築と活用、人材育成〜地域のアーカイブが、デジタルアーカイブを進めるにあたって〜」
【セッションのねらい】
本セッションにおいては北陸各地域のデジタルアーカイブの取り組みを実践者から直に報告いただき、地域アーカイブの困難、課題は何か、どうすると利用されるものになるか、地域アーカイブを育てていくには何をすることが解決策になるかを考える。
■開催日時 11月11日(土)10:00~12:00
■開催場所 金沢未来のまち創造館多目的室2
■運営責任者 宮本聖二 立教大学大学院
■登壇者(敬称略)
司会進行:宮 | 2023-11-14 |
18 | | 常楽寺石造多宝塔 | 常楽寺石造多宝塔は、北向観音の出現地とされる常楽寺境内に建てられています。
1292年の作で、大日如来を具現化したものとされています。
静かな山の中のこの場所はまるで別世界。観音様が出現したというのも頷けます。
そんな神聖な雰囲気の境内には学徒出陣した信州大学繊維学部学生の鎮魂碑もありました。
※拝観料100円を常楽寺境内にある箱に入れてから行くようにしてください。 | 2023-11-08 |
19 | | 別所神社参道 | 厳かな雰囲気の別所神社の参道です。
鳥居をくぐるとすぐにこのような山道が出現します。
竹林に囲まれ、別世界に入り込んだような不思議な感覚を覚えました。
この参道から俗世界を離れて神の領域に入ることができます。 | 2023-10-31 |
20 | | 信州上田学2023①~④地域キュレーション&蚕都上田を未来に活かす | 【1】信州上田学へのいざない/デジタルコモンズ&地域キュレーション(第1回10/05) 74分
【2】地域キュレーションの進め方(第2回~第4回)
①地域キュレーションの進め方(1) (第2回10/12) 76分
②地域キュレーションの進め方(2) (第3回10/19) 58分
③地域キュレーションの進め方(3) (第4回10/26) 13分
【3】蚕都を未来に活かす(第3回、第4回)
①世界を救った蚕種 (第3回10/19) 28分
②ポスト蚕糸業の視点から(第4回10/26) 69分
| 2023-10-29 |
21 | | 新「信州学」プレイバック | 画像は『わたしたちの信州学』表紙の一部を転載
▼新「信州学」推進事業(長野県教育委員会教学指導課)
https://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/kyoiku/documents/19shinshugaku.pdf
阿部長野県知事が旗ふりして始めた地域学「信州学」推進事業です。その副読本も作られ、ネット公開されました。
▼eReading Books『わたしたちの信州学』
https://ereading.cs.nii.ac.jp/nagano/book/shinshugaku/1
長野県の県立高校全校で地域学を実践するという方向付けは望ましいことであった一方、いきなり「信州学」を実践しなさいという号令はそれぞれの学校にとって反応のしようがないものであったことは否めません。
「信州学」は地理学者の故・市川健夫先生(1927-2016)が生涯をかけ | 2023-10-10 |
22 | | 蚕都上田ものがたり~歴史のとびら~ |
今から約百年前、日本は世界の蚕糸王国であり、蚕糸業は外貨獲得の中心産業でした。
この産業において、長野県は日本の蚕糸王国でしたし、上田はその長野県の蚕都でした。
(『蚕都上田ものがたり』前文)
制作・発行 蚕都上田プロジェクト「蚕都上田ものがたり」編さんチーム
発行日 2012年3月30日 | 2023-10-05 |
23 | | 「〔18/10〕世界湖沼会議とつくば」始める | 私のウェブサイト『マッピング霞ヶ浦*』に「〔18/10〕世界湖沼会議とつくば」の掲載を始めました。
マッピング霞ヶ浦*/〔18/10〕世界湖沼会議とつくば
今から5年前、茨城県つくば市をメイン会場に国際会議「世界湖沼会議」が開催されました。世界各国から数多くの参加者が訪れ、会場は国際会議らしい雰囲気を醸していました。当日は皇室の秋篠宮様を迎え、仰々しい警備体制の中で開催されました。
湖沼の環境問題を提起し、情報交換をすることは大切なことながら、私個人はこれに関して何もコミットしてこなかったなあ、という思いが先に立ちます。 | 2023-08-21 |
24 | | 現役の蚕種製造企業:上田蚕種株式会社 |
上田蚕種は1918年(大正7年)に創業後、世界恐慌、太平洋戦争などの激動の時代を経て日本の蚕種製造を支えてきました。現在も蚕種製造業を営んでいる数少ない企業の一つです。
2023/06/15記録。
現役の蚕種製造企業は上田蚕種(上田市)、高原社(松本市)、冨田蚕種(福島県伊達市)の3社のみです。 | 2023-06-17 |
25 | | 上田紬 | 上田紬は、上田地方の農家や機屋で江戸時代からおられている織物です。初めは紬織物だったようですが、江戸中期以降上田縞と称する、より絹織物に近い風合いの織物が主流となりました。つむぎはもともと絹糸にできないくず繭を真綿にしてそれから紡いだ糸で織った製品ですので、いわば廃物利用品です。
上田紬は当初各農家の自家用として、地機や高機によっておられたようですが、その後生産に移行し、県外に大量に出荷され、布地の丈夫なこと、すぐれた染色によって、全国的に知られた特産物に発展してきました。
しかし、明治に入ってから徐々に衰退し第2次世界対戦中にはほとんど途絶えてしまいましたが、戦後復興され、現在では手織りと機械織りの両方で生産されています。 | 2023-05-11 |
26 | | 山極勝三郎 | 山極勝三郎は世界で初めて人口癌を作り、癌研究の世界的先駆者となった人物です。
世界初の人口癌発生の偉業はノーベル賞候補にもなったほどでした。
参考…上田人物伝 https://museum.umic.jp/jinbutu/data/031.html | 2023-02-08 |
27 | | 八木沢周辺の聖地 | 「八木沢駅」もロケ地として利用されてきました。
・「夏風」(2002)
・「いくつもの、ひとりの朝」(2006)
・「たとえ世界が終わっても」(2007)
・「ロスト・ハーモニー/Lost Harmony」(2011)
・「ナナとカオル 第2章」(2012)
・「あの電燈」(2014)
・「赤い糸の女」(2012)
などがあります。
上田電鉄別所線の駅舎がロケ地となることも多いようですね。 | 2023-02-08 |
28 | | 大学前駅周辺の聖地(JA信州うえだ塩田東山観光農園) | 大学前駅周辺の聖地、最後は「JA信州うえだ塩田東山観光農園」がロケ地となった作品です。いちご狩りなどが楽しめる人気のスポットですよね!
・「零 ゼロ」(2004)
・「博士の愛した数式」(2006)
・「たとえ世界が終わっても」(2007)
・「それでも、生きてゆく」(2011)
・「赤い糸の女」(2012)
などがあります。 | 2023-02-08 |
29 | | 塩田町駅周辺の聖地 | 塩田駅周辺には、「塩田中学校」があります。頻繁にロケ地として使われている中学校です。在学生が羨ましい…!
塩田中学校では、
・「さよなら、クロ~世界一幸せな犬の物語~」(2003)
・「血と骨」(2004)
・「嫌われ松子の一生」(2006)
などのロケ地となりました。
https://map.umic.jp/loca_map/map.html | 2023-02-08 |
30 | | 信州大学繊維医学部 | 校舎の中までは、入っていないが、信州大学も見てきた。
ここは、理・工・農・医+α、幅広い分野を横断した学びを展開している。新たな地平を拓くため、日本を超えて世界最前線と連携している。基礎研究にとどまらず、企業と連携した学びの環境を提供している。学科は、「先進繊維・感性工学科」「機械・ロボット学科」「科学・機械学科」「応用生物科学科」に分かれている。
参考文献
「信州大学繊維学部HP」より
https://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/textiles/ | 2023-02-06 |
31 | | 上田紬の歴史<復活> | 主に世界大恐慌により衰退した上田紬ですが、1945年頃の社会全体として終戦後の文化復興の動きに準じて、復活する動きが始まりました。
また、その動きに加え、高度成長期を機に、着物ブームが到来し、上田紬を作る織元が50軒ほどに増加しました。当時はまだ、地方では着物を着る文化が残っていたため、需要が多くありました。
その後は、1980年代のバブル景気時がピークとなり、バブル崩壊や洋服形態の変化などにより、需要が減っていきました。 | 2023-02-01 |
32 | | 昆虫体験学習館 | 佐久平パーキングエリア周辺にある昆虫体験学習館は、私が小学校時代に、社会見学の一環として訪れた場所でもあるのですが、この場所に行くだけで日本の昆虫だけでなく世界の昆虫について、知る事ができ実際に観賞する事が出来ます。そして、見るだけでなく触ることやクラフト体験も出来るため、訪れた後も頭の中に記憶として残りやすく、昔から現代までの多様な昆虫を知れる場所です。
参考文献
http://saku-konchuukan.jp/ | 2023-02-01 |
33 | | 上田紬の歴史<衰退> | 前回の投稿で繁栄した上田紬はその後衰退していきました。今回はその背景をまとめます。
盛んだった上田紬は、明治維新後に絹糸の輸出が盛んに行われるようになり、生産量が減り始めました。
その後は1930年代に世界大恐慌があり、糸代の大暴落によって蚕種業が壊滅的な状況になり、戦争が始まってからは衰退の一途を辿りました。 | 2023-02-01 |
34 | | 林倭衛 (はやししずえ) | 父は、倭衛が小学校在学中に製糸工場経営に失敗し、明治40年の春、倭衛と弟を実家の小林家にに預けたまま夜逃げ同様に東京へと出てしまいました。実家は上田駅に近い北天神町通りで蚕種用の和紙などを商っていましたが、倭衛は友人たちから離れ孤独にさいなまれましたが、同じ頃に同じ北天神町に移り住んだ馬場衛まさるが、生涯の友となりました。約1年の後にようやく父母の下に引き取られはしたものの、何かにつけて旧士族出身にこだわって失敗を繰り返す父に対して、倭衛は激しく不信を覚え続け、やがて少年の孤独感は次第に不屈な自立心へと成長していくのでした。
明治43年には印刷会社の給仕となり月給を得るようになると、近くの水彩画研究所の夜間部に入り、明るく旺盛な好奇心のままに、生涯にわたる美術関係の友人を | 2023-02-01 |
35 | | 西川小扇八 (にしかわこせんぱち) | 上田地方だけでなく、広く東信地方から県内にかけて日本舞踊の普及に尽力した小扇八は、明治38年東京浅草瓦かわら町に生まれました。小扇八(本名金子光みつ)の育った浅草界隈は、古くから歌舞音曲かぶおんぎょくの盛んな土地柄でした。生まれつき体の弱かった光を心配した両親は、健康のために芸事を身につけさようと、長唄や日本舞踊、華道、茶道など日本古来の伝統芸能を一通り習得させました。
とりわけ光は日本舞踊に強く興味を示し、自ら進んで西川流に入門し、稽古に励みました。縁あって18歳で結婚しますが、婚家になじまず実家に戻ります。浅草に戻った光は生涯進むべき道を日本舞踊と決め、西川扇五郎に師事します。再び踊りの世界に没頭し、厳しい稽古に耐え、艱難かんなんを克服して次第に頭角とうかくを現あらわ | 2023-02-01 |
36 | | 中村直人 | 大正期中ごろ山本鼎が提唱した「農民美術」と「児童自由画教育」の二つの運動の、発祥の地、神川で少年期を過ごした直人は、リアルタイムに農民美術、児童自由画教育の誕生を直視し、その中で小学校時代を過ごしました。
15歳の時、山本鼎の世話で上京し、木彫家吉田白嶺の木心社に入門。昭和10年には院展同人(会員)に推挙され日本の彫刻界の新風として頭角を現し始めました。
その後日本で活躍し、47歳でパリに渡りました。昭和28年のパリ展で大成功し、その後何度か個展を開き話題となり、滞欧12年の間に彫刻家から国際的な画家に見事な変身を遂げました。
昭和39年日本へ帰国。同年滞欧作展でパリ生活12年の成果を証明しました。その後二科会に招かれ、昭和55年には内閣総理大臣賞を受賞しました。帰国後は、様々な分 | 2023-01-31 |
37 | | 戦時版の新聞② | バチカン市国について書かれた記事である。しかし、内容は敵国(アメリカ、イギリス)に対する批判である。
現代の世界史とは違った視点から歴史を見ることができ、興味深く感じた。
参考サイト
【戦後75年】戦時中の中部日本新聞をPDFで読んでみよう
2023年1月31日閲覧
▼この資料は以下から参照できます。
『中部日本戦時版』「戦争と闘ふヴアチカン 非道へ法王の睨み」(昭和19年3月16日) | 2023-01-31 |
38 | | 「海外視聴者向けの日本人youtuberと旅行動画」その活用方法の調査 最終版 | 2022年度研究である
『「海外視聴者向けの日本人youtuberと旅行動画」その活用方法の調査』
の最終完成版になります。
私自身海外に向けた動画をいくつか制作してみた結果、
主に言語の面でかなり高度な技術が必要であることが分かりました。
それは同時に、新たに海外へ向けてYouTubeによる情報発信を企業や自治体が行うことは非常に難しいということにもなります。
外国語字幕を付けた動画で発信している企業はもちろん存在しますが、そのほとんどが日本人以外の社員も多く在籍している大企業であるため、それと同様のレベルを地方自治体などがこなすことはほぼ不可能です。
そこで、すでに個人や少人数であっても海外に向けて活動し、好調な成績を出している日本人youtuberに協力を仰ぐことで、世界中へ向けての効率的かつ効果的な情 | 2023-01-30 |
39 | | 唐菓子について | 奈良時代から平安時代にかけて遣唐使によって唐から伝来した唐菓子は,米粉や小麦粉を捏ねていろいろな形に作り,油で揚げたり,焼いたものである。
日本や仏教の世界でお供え物とされるほどであり、当時はとても高価でめったに食べられないものであったが、現在では限られた和菓子店だけではあるが、手軽に食べることができる。
写真は岡田哲「食文化入門-百問百答-」から抜粋 | 2023-01-27 |
40 | | 戦後80年で人々の価値観はどう動いたのか | 戦後日本において、新幹線が開通し、オリンピックが開催され、インターネットが普及する間に、日本人の価値観・人生観はその生活の様相とともに大きく動いてきたように思われる。そこで、戦前の人々の価値観は、現在を生きる我々から見ていかに違うのかを研究する。
本記事では西塩田時報第百八十二號第五頁を取り上げて述べる。
「幹部修養講習會に出席して」という項目は、「原田晴章」なる人物が、「三好武治」なる人物の講演の一端を書くというもの。講演の内容は、主に支那事変(日中戦争の、当時の日本での呼び名の一つ)についてのものである。
「日本で今度の事變での勝利は精神力である」
「支那事變は世界に類の無立派なる所の正しき戰争である」
このような記述がある。やはり根拠のない精神論や戦争を美化する意 | 2023-01-26 |
41 | | みんな輪になれ | この曲が発売されたのは昭和16年8月とされている。当時の踊りと言えば盆踊りが主流とされていたが軍歌に振り付けを付けて子供たちに教えていた人たちがいたそうだ。まさに軍国世界の音頭である。
▼この記事は以下から参照できます。
『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)6頁
| 2022-12-25 |
42 | | 引揚者を暖かい気持ちをもって迎えましょう | 過酷な環境から帰ってくる引揚者の人々に冷たい態度をとらず暖かく迎えましょうと呼びかける内容です。
第二次世界大戦が終わった後の記事で海外にとどまることを強いられた人々への思いやりや終戦後の日本の一体感が読み取れる記事です。
#965 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0965.jpg | 2022-12-21 |
43 | | 課題発見ゼミ 12月15日 まとめ | 12月15日分 調査まとめ
開国後の日本による生糸輸出と上田の関わりについて
上田藩主・松平忠固と生糸輸出
鎖国を解き、開国を果たした日本が世界に進出する際に大きな武器となった生糸の輸出。それに多大な貢献をした人物が松平忠固である。六代目上田藩主、幕府の老中も務めた松平忠固は、日本開国のきっかけとなった日米和親条約の締結に関わりがあった。この開国をきっかけとして、忠固は上田藩の特産品を諸外国に売ることで利益を上げようとしていた。
その中で注目されたのが上田の「生糸」である。雨が少なく乾燥した地域である上田は江戸時代ごろから蚕種業が始まっており、のちに蚕種業の発展に大きな貢献をした「藤本善右衛門」の家系が先駆けだと言われている。忠固は生糸の輸出を行うことを決め、生糸輸出による利益 | 2022-12-15 |
44 | | BFI:世界映画史上、最も偉大な映画2022 | ▲BFIホームページからの部分転載
英国のBFI(British Film Institute)が発行する映画専門誌『Sight and Sound』が10年に一度選定する「世界映画史上、最も偉大な映画」(The Greatest Films of All Time)の2022年の選定結果が発表されました。
▼The Greatest Films of All Time
https://www.bfi.org.uk/sight-and-sound/greatest-films-all-time
シャンタル・アッケルマン監督の『ジャンヌ・ディエルマン』(1975)が第1位に。これは驚異的なチョイスです。世界映画史上、そこまでの高い知名度も評価も得ていなかったアッケルマンが、しかもその一作品が選ばれたことが驚異です。映画監督は圧倒的に男性優位で女性監督はごく少数です(旧来「女流」監督と呼んできたのは男性中心の捉え方から発生した偏見的な呼び方か?)。多様性とLGBTが全世 | 2022-12-12 |
45 | | 野口健 | 私が登山を始めたきっかけである野口健さんをご紹介。私は佐賀県の講演会に行ったことがきっかけで野口健さんを知った。当時、私は小学校2年生(7歳)。兄に連れられ、講演会に行った。なんか、おじさんが喋ってるな〜と思っていたが、一枚の写真に目を奪われた。
その写真がエベレストでの写真。
ネットで『野口健、エベレスト』と検索すると出てくるその写真が今でも忘れられない。
真っ白な雪と輝く太陽。寒そうなのになんだか暑そう。そんな写真。
エベレストでは無臭。昼は雪を被りたくなるほど暑く、夜は指が凍りそうなほど寒い。そんな話をされていた。常に死と隣り合わせ。昨日まで仲良く話していた韓国人が次の日には亡くなったという知らせを受けることも。
話していること全てが異世界。興味を惹かれないわけがない。
| 2022-12-01 |
46 | | 養蚕に適した気候上田 | 上田は古くから養蚕業が栄えていました。かなり古い歴史を持つ上田の養蚕業は、世界に向けても、輸出され蚕の産地として名を轟かせました。上田は降水量が少なく、乾燥しているため、蚕が育てやすく、長野は傾斜地が多いため蚕の餌になる桑などを生育しやすいという有利になる利点がありました。具体的には、上田の年間の平均降水量は約900mmであり、日本の平均降水量は1718mmであり、上田は全国平均の約半分ほどであるということが分かります。また、傾斜か多いため果樹や桑を育てることに有利な条件である水はけが良いということもあり、上田は気候の面でも後押しされて養蚕業が栄えてた要因の一つは気候であると言えるでしょう。 | 2022-11-30 |
47 | | 上田が蚕が有名な理由とは | 上田は養蚕業が盛んです。理由として様々な要因があると思います。まずは、気候の面です。上田は蚕を育てやすい気候をしていると分かりました。また、上田の蚕が歴史を持っているだけではなくて、上田の蚕が世界を救っていると言うことも分かりました。
さらに、養蚕業が盛んであったと分かる痕跡として、上田紬という織物もあります。上田紬という上田の地名がつくほどに栄えていたそうです。
富岡製糸場が製糸工場としては有名ですが、上田にも今でも製糸場が残っています。これは、とても珍しく全国で見ても数カ所にしかありません。
上田が蚕の都として有名であるのは、養蚕業が栄えていたことや、その痕跡が未だに残っていることが大きいと思いました。 | 2022-11-30 |
48 | | 地元から信州上田学へ | 群馬県には上田市と同じように養蚕の歴史があり製糸業が盛んであった点で共通している。群馬には世界遺産に登録されている富岡製糸場があるため認知されているが上田市にはそれがない。そのため養蚕の歴史を知ってもらうことこそが蚕都上田の未来を考えるうえで重要になってくると思う。 | 2022-11-30 |
49 | | 上田の蚕業について④ | 蚕業を行っていた頃の農家の主婦についても現在の社会の状況と重なる部分が多々あります。
女性の労働について記録された書籍(「人権の確立と女性のあゆみ」 (平成14年)編集者 上田市誌編さん委員会 発行者 上田市・上田市誌刊行会より)に載っている写真を見ると、家の一角のような場所で女性や子どもが写っていたり、女性が男性に交じって働く写真があったり、特定の性別や年齢で限らず、人々の生活に蚕業が根付いていたように思われます。特に女性の仕事は家事育児、給桑作業や農作業など多岐にわたるように見受けられました。
同誌によると、
「明治から大正期に蚕糸業が全盛であった上田地域では、多くの農家の主婦が蚕の世話に始まる農作業や家事に追われ、目の回る忙しさでした。乳幼児をかかえた母親たちも例外ではなく、重 | 2022-11-28 |
50 | | 二十四の瞳 | 2022/03/01
二十四の瞳の舞台。小豆島へ。
小豆島というと私が思い浮かぶのは「オリーブ」「二十四の瞳」「昔の車のCM」。小学校の頃からいつか行きたいな~。と思っていた。
小豆島に入ってすぐに、二十四の瞳の像が。
うわ~、ホンモノだ。写真で見てたやつ!となり小豆島に来たんだな~と実感した。
その後、車で小豆島を回り念願の「二十四の瞳映画村」へ!
しかし、なんとコロナウイルスの影響で臨時閉館していた。行きたくてたまらなかった私はすき間から映画村をたくさん覗いた。
二十四の瞳映画村がしまっていてショックを受けたのかなと思いながら、この日の日記を見ると
「二十四の瞳映画村にいくと臨時休館していた。また小豆島に来る理由ができた。ラッキー!」(当時の日記より)
と書いてあった。
いや、、どん | 2022-11-25 |
51 | | モアイ像 | なぜか上田にはモアイ像がいっぱいいる気が。
町中の居酒屋さん?の前でモアイを発見。
上田東高校前のファミマにもモアイが!
調べてみたら上田だけじゃなくて長野県的にたくさんいるみたいでした。
なぜなのかを調べたかったのですが理由については不明です。世界遺産になっているイースター島のモアイ像の設立理由も謎のままのようなのでちょっと似ているなと思いました。 | 2022-11-13 |
52 | | 笠原工業常田館製糸場 | 平成24年12月28日 旧常田館製糸場施設が重要文化財として指定。
平成22年2月17日 笠原工業常田館製糸場が上田市指定文化財に指定。
明治33年(1900年)に笠原房吉によって「常田館製糸場」(屋号は〇二)は創業しました。明治以降、日本の生糸は輸出世界一の座を占有してきました。生糸の性状は原料である繭の影響を直接受けて変化します。国内最高層の木造5階建て繭倉庫、大正時代末の鉄筋コンクリート5階建て倉庫群などによって、年間を通して均等な生糸を生産した常田館製糸場は学術的にも貴重な文化財になっています。 | 2022-11-13 |
53 | | 高山祭 【秋の八幡祭】 | 2022/10/09
世界無形文化遺産「秋の高山祭」。
たまたま岐阜に行く用事があり
もしかして!
と思い調べて見ると高山祭の日と同じであったため向かった。
諏訪大社の御柱祭といい天神祭といい自分は祭りに縁があるなぁと思う。
高山祭は日本各地から大勢の人々が来ていた。
人が多く屋台が見えない人のためYouTubeでライブ配信も行われていた。しかし、高山祭を見に来ている人は年齢層も高くライブ配信が見れないという人も中には居た。
私は運良く見ることができた。
からくり奉納には非常に感動した。
春の山王祭も是非いきたい。 | 2022-11-05 |
54 | | 旧横田家住宅について | 旧横田家住宅は1800年代前半から中頃にかけて建築されたとされる武家屋敷です。横田家は、幕末から明治・大正・昭和にかけて最高裁判長や鉄道大臣等多くの秀才を生んだ家です。明治時代には世界遺産の富岡製糸場へ伝習工女として働き、製糸場の様子を記した有名な「富岡日記」を書いた横田英がここで育ちました。 | 2022-10-29 |
55 | | 山極勝三郎の偉業 | 信濃国上田城下(現在の長野県上田市)に生まれた人物で東京大学医学部を首席で合格し、後にドイツに留学。
当時、日本のがん研究の第一人者となった。1915年には世界で初めて化学物質による人工がんの発生に成功。
ノーベル生理学、医学賞にも4回ノミネートされた。 | 2022-10-29 |
56 | | 五台橋 | 文殊堂、薬師堂へと向かう渓谷にかかる橋。
国内では珍しい屋根付きの木橋で、現世と神の世界を結ぶといわれている。
緑を感じられ自然豊かである。静かで落ち着く場所である。 | 2022-10-28 |
57 | | 山極勝三郎 生家跡 | 世界で最初の人口ガンの成功者である、山極勝三郎博士誕生の地の写真。車や、自転車で通っていても気づかないのではないだろうかと思うような場所にあった。
説明の看板を読んでいると、いかに山極勝三郎博士が素晴らしい方であったのかわかった。ドイツのソフィー賞を受賞していたのは初耳であった。長野県民として誇らしい気持ちになった。 | 2022-10-21 |
58 | | 信州上田学2022③蚕都を未来に活かす(1)世界を救った蚕種/蚕種の現場 | ▲講義資料PDF
長野大学2022年度講義「信州上田学」
担当:前川道博(長野大学企業情報学部教授)
第3回は「蚕都を未来に活かす/世界を救った蚕種&蚕種の現場」と題して上田の蚕糸業全般の中でも「蚕の卵(蚕種)」に対する視点の提供をねらいとして話題提供しました。上田を探ると見えてくるもの。その一つが蚕糸業の源泉「蚕の卵(蚕種)」です。世界を救った蚕種とは? 蚕種の現場は? 学生たちに対しては知識の押し売りではなく「信州上田学」で何を「探求するのか」、そのテーマ発見のヒントとなる話題提供をメインとしました。
《参考資料》
★蚕都上田マップ 1928年の上田市 蚕都上田プロジェクト制作
★ | 2022-10-21 |
59 | | 【2022/11/3開催】「民間で始まる蚕糸業ものがたり」開催のお知らせ | 小諸市で蚕糸業について学ぶ「民間で始まる蚕糸業ものがたり」を開催します。
[第5弾移動企画シリーズ 民間で始まる蚕糸業ものがたり 【紺屋町ものがたり】 共催 紺屋町区公民館]
令和4年度小諸市市民活動促進事業 補助金活用事業
主催:特定非営利法人 糸のまち・こもろプロジェクト
後援:小諸市教育委員会/株式会社コミュニティテレビこもろ
[開催内容]
2022年11月3日(木曜日.祝日.文化の日)
13:00 受付開始
13:10-13:25 プロローグ コピーヌクラブ(バイオリンとピアノによる演奏)
13:30-15:00 講演会「蚕糸業とシルク利用の展望」講師:塚田 益裕氏(元 信州大学繊維学部 特任教授)
15:00-16:00 見学会 紺屋町歴史同好会のご案内
蚕種蔵跡(大正6年3月設立)
平成30年度【小諸ふるさと遺産】山屋物産株式会社・勝俣浩司氏所有
[会場]
| 2022-10-17 |
60 | | スマートシティにおける上田市と千曲市の観光型MaaS・温泉MaaSの可能性 | 1. はじめに
この記事は、千曲市戸倉上山田温泉での温泉MaaSの取り組みの調査を行い、その調査をもとに上田市の別所温泉での温泉MaaSの課題と展望を考察していく。そして以上の考察を基に、観光型MaaSや温泉MaaSでの共通した重要となる要因を明らかにする。
2. スマートシティの定義
そもそもスマートシティとは何かである。まずは、スマートシティの定義を整理することからはじめる。スマートシティとは、IoTやAIなどの最先端技術を活用し、エネルギーや交通網などのインフラを効率化することで生活やサービスの質を向上させた、人が住みやすい都市のことである。スマートシティという言葉の定義は、これまでも様々な機関で定義されている が、国土交通省によると「都市の抱える諸課題に対して、ICT 等の新技術を活用しつつ、マネジ メント | 2022-08-11 |
61 | | 地域メディア活性化のための提案 | 地域情報メディア論の講義を受けて考えた、地域メディア活性化のための提案を、私の最終課題としてアウトプット化していきたいと思います。
はじめに、私が現在の地域メディアの課題として感じるのは、地域メディアは利用者が限定されてしまっているという点であると考えます。地域メディアという言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶことは、そもそも興味をもちにくい媒体であるという事です。地域メディアの例としては地域資料館や市町村史がありますが、どれも元から地域に興味を持っている人や地域について調べようと思っている人の目にしか留まらない媒体であると感じます。地域と人とを繋ぐための媒体であるのに興味がある人しか利用しない、そういった意味で地域メディアは利用者が限定されていると思います。特にその傾向が強いの | 2022-08-10 |
62 | | 現代に繋がる主導的産業の偏移について | 幕末の開港によって長野県は地域経済を世界につなげることになった。そこで長野県を国外まで広げる一翼を担ったのは生糸でした。
長野県は外国との交流が始まると、器械製糸を取り入れ、養蚕や蚕種業の技術開発や改良に力を入れました。それで、蚕糸王国と呼ばれることになったわけです。長野県の近代のあゆみは養蚕や製糸業の盛衰に左右され長野県の命綱は、蚕糸業であったと断言して過言ではありません。
長野県の製糸業は県外や外国にまで進出し、日本の製糸の中心となります。なので、長野県内のいたるところの農家では養蚕が営まれました。
蚕糸業は大正時代から昭和初年にかけて全盛期を迎えますが、1929年(昭和4)からの世界大恐慌の影響をうけ、製糸業を営む会社の倒産が相次ぎ、繭価の価値の大暴落のため生活を養蚕に | 2022-08-10 |
63 | | 上田市観光会館 | 上田城の目の前に位置する、上田市観光会館。1階はお土産処となっており、2階が観光案内所になっています。2階入口には、サマーウォーズのキャラクターたちの看板がお出迎えしてくれます。中に入ると、上田を舞台とした作品にちなんだ展示物があり、特に真田丸にちなんだ甲冑やとサマーウォーズをモチーフにした工芸品など、ファンにとっては欠かせないスポットになっています。上田市は映画のまちと言われるほど、多くの作品のロケ地になっていることをここに来てはじめてしりました。
特に印象的だったものとしては、「聖地巡礼ノート」。表紙にはサマーウォーズでおなじみ細田守監督の直筆イラストが書かれています。これは案内所の窓口で見ることができ、旅の記録としてノートに直接書き込むことができます。現在ノートはNo.8まで | 2022-08-09 |
64 | | 海野町商店街 | サマーウォーズの聖地で、栄の死を知り、侘助が慌ててUターンしたのがこのあたり。映画では「上田わっしょい」で賑わう海野町商店街の様子が描かれていましたね。普段はあまり人通りの多い場所ではなく、のんびりとした空気がながれています。この商店街は食べ歩きにも適していて、抹茶アイスや、ご当地グルメのじまん焼きも売られています。
お茶屋さんでもある喜光堂さんで抹茶アイスを注文。冷たくて、本格的な抹茶の味はとても夏にぴったりでおいしかったです。夏に訪れると、サマーウォーズの世界観そのままの雰囲気が楽しめるように感じました。
余談ですが来る途中に真田一族の甲冑がデザインされた自動販売機もありました。 | 2022-08-09 |
65 | | 銀山温泉 | 2022.05.22~2022.05.24
山形県、銀山温泉へ。
珍しくお友達と4人での旅行。
この旅行、長野県上田市から山形県銀山温泉まで車で行った。
実は今回の車には裏話が…
なんと、この旅行私の愛車コペンではなくタフトで向かったのだ。レンタカー?と思うかもしれないがなんと代車‼️愛車コペンが車検の時期になり、その代車で旅行に向かった。本当は一日で車検が終わるのだが、
お店の人に
「燃費がいい車で旅行したいんですけど〜( *´꒳`* )」
と言ったら快く
「なら、3日間貸出予約しときますね!代車で、1番燃費のいい車をご用意させていただきます。」
と了解してくれた。
ということで、この旅行はコペンではなくタフト!
とても走りやすいし、車内は広いしいい車!(もちろん、コペンが1番良い車と思っている 笑)
話を銀山温泉に戻す | 2022-07-10 |
66 | | 【2022/7/2~7/3開催】民間で始まる蚕糸業ものがたり | 小諸市で2日間にわたり、小諸の蚕糸業について学ぶ「民間で始まる蚕糸業ものがたり」を開催します。
【民間で始まる蚕糸業ものがたり】
主催:特定非営利活動法人 糸のまち・こもろプロジェクト
【講演】
日時:2022年7月2日(土曜日) 10時~16時
会場:ステラホール(小諸市交流館内)
参加料:500円
講演1:午前10時「シルクの里 純水館ものがたり」~制作秘話~ CTK報道制作部長 後藤 理恵氏
講演2:午後13時30分「小諸の交通と蚕糸業」元長野県立歴史館総合情報課長 宮下 健司氏
【糸のまち・ツアー(着物参加大歓迎)】
日時:2022年7月3日(日曜日)
参加募集:20名(地元会員ガイドがご案内いたします)
集合時間:午後13時30分(ツアー所要時間2時間)
集合場所:荒町 酢久商店駐車場(純水館資料館)前より
荒町商人記録を巡る 渋沢栄一宿泊の家(小山久 | 2022-06-10 |
67 | | 7年ぶり…違う8年ぶりだ! | 善光寺の御開帳へ行ってきました。
平日の昼間にも関わらずとにかく人が多い人が多い。
7年に1度行われる御開帳ですが、コロナウイルス感染拡大の影響を受け、昨年度は開催されませんでした。
東京オリンピックも延期され、御開帳も御柱も延期され…
世界が下を見ている日が長く続いたように感じますが、段々上を見上げる人が増えてきたように感じます。
御開帳の柱がこれだけ高く、また大きいのも、「みんなに上を向いていてほしい」と思っているのかもしれないと思いました。 | 2022-06-08 |
68 | | 前川ゼミ/藤本蚕業の史料を手にする2022/05/23 | 前川ゼミの藤本蚕業プロジェクト。前回5/12の視察に続き、この日5/23は、藤本蚕業歴史館の所蔵史料を手にして、史料がどのようなものなのか、学生たちから見てどのように関心を持ちうる情報源となるのかを検証しました。
全く予備知識なく初めて触れる「史料」。しかもランダムに選択。それぞれ手にした史料が何物かを物語ってきました。学生A君はそこに記された金額。その時代背景と貨幣価値、そこで行われている取引の活動が垣間見えてきました。学生B君は生命保険の記録。学生C君は「奄美大島支場」と記された史料。なぜ蚕種の会社が遠く離れた奄美大島に支場があるのか。
難しいどころか、タイムカプセルから出てきた数十年前の世界が今目の前にいきなり現れてきたという感じです。 | 2022-06-05 |
69 | | 角川武蔵野ミュージアム、ミュージアム概念の革新 | ★角川武蔵野ミュージアム https://kadcul.com/
角川武蔵野ミュージアム(所沢市)には心地よくインスパイア―されました。社会のデジタル化が進み、社会が知識循環型に大きくパラダイムシフトしつつある現代において日本ではその兆しすら見えにくいというのが実情です。そのような現代において、思うように進まないМLA(Museum, Library, Archives)連携をいとも簡単に乗り越え、しかも古臭い施設の既成概念をひきずることなく、誰もが知的に楽しめる、そして親しめる新しいタイプのミュージアムを具現化しています。見事というしかありません。
産業の斜陽化が止めようがない出版業界の雄でもあるKADOKAWAが世界の知識体系・知識環境がデジタル化により否応なしに再編されつつあるアートや文化のコンテン | 2022-06-05 |
70 | | 尾澤木彫美術館 | 尾澤木彫美術館では山本鼎氏が信州にもたらした農民美術に関連した作品や世界各国の木彫品を見ることができ、農村の風俗が表れた木片人形などは見ていてとても楽しい物だった。 | 2022-05-17 |
71 | | 善光寺周辺お勧めカフェ(C.H.PCOFFEE) | おすすめな善光寺周辺のカフェC.H.PCOFFEEを紹介します。C.H.PCOFFEEは、ビニール加工工場をリノベーションした建物で、自家焙煎のコーヒー専門店をやっています。名前の由来は大好きなバンド「クリープハイプ」の略称を使っているお店です。そのため、お店のBGMはクリープハイプ、本が店の中で並んでいるのですが、そこにもクリープハイプのボーカル尾崎世界観さんの本も並んでいてメニューもクリープハイプ独特の歌詞を使った商品が多くあります。クリープハイプファンにはとびきり楽しい場所なので是非訪れてほしい場所です。もちろん、クリープハイプのファンでなくてもお洒落でコーヒーのいい香りが漂う素敵な雰囲気や美味しい色んな色(赤、青、黄色、緑)のクリームソーダ・パフェ・キーマカレー・ホットサンドなどの軽食や飲み物が楽しめ | 2022-05-11 |
72 | | 料理倶楽部 六花亭 | 看板メニューの豆腐ステーキが有名!
豆腐とソースの絶妙な旨みが口中に広がります。
コースを頼んだ際にも、とても素敵なお料理がたくさん出てきました!
店内にはオーナーが収集したアンティークが並んでおり、異世界な空間で暖かい雰囲気で、ゆっくりと食事を楽しめます。
映画のロケ地にもなっています。「透子のセカイ」
ランチ 11:30~14:00
ディナー17:00~21:00
水定休 | 2022-05-10 |
73 | | 飯山・雪に覆われている春のブナ原生林 | 飯山市の戸狩を過ぎ、関田峠方面に向かってブナ林の山道を登りました。関田峠の手前で通行止め。そもそも除雪されておらず、その先には進めません。
春なのに残雪に覆われたブナ原生林の神々しく美しいこと。下界とは異次元の別世界です。
私も長野県内を各地見聞した中で最も印象的だった場所の一つが飯山のブナ林です。木々が芽吹く6月初旬ぐらいが一番美しい。さらに紅葉する秋もまた美しい。一般に観光地としてPRされていないこともあり、訪れる人はあまりいませんが、この美しさ、神々しさは他と比較しようがありません。 | 2022-05-05 |
74 | | 分散型地域デジタルコモンズ d-commons.netの開発 | ▲デジタルアーカ犬
前川道博 d-commonsプロジェクト/長野大学
【1】はじめに
分散型地域デジタルコモンズは、地域デジタル知識循環型プラットフォームのコアとなる知識・データの共有地である[1][2]。その中核のクラウドサービスとなるd-commons.netを開発した。現在も地域資料のデジタルアーカイブ化、地域学習支援など多目的的で柔軟な運用、長期にわたる運用ができる課題解決の支援にd-commons.netを適用し、サービスの機能強化を図ってより実用性の高い、使いやすいサービスを目指している。
デジタルコモンズはさまざまな知識や学びの成果をどの地域からでも、誰でもが載せ合えるクラウドサービス上の「ネット上の本棚」(デジタルアーカイブ)、クラウドサービスと | 2022-03-13 |
75 | | デジタルコモンズが拓く地域資料のデジタルアーカイブ化 | ▲デジタルアーカ犬
前川道博 d-commonsプロジェクト/長野大学
【1】消費する知識から活用する知識へのパラダイムシフト
知識消費型社会から知識循環型社会へのパラダイムシフトが今世界中で起きています。これまでの社会では知識を書籍や講座などから受け取るものが知識、学問分野の権威が提供する知識、それを獲得することが学習と思い込まれてきた傾向があります。知識の源泉の一つは、それ以上は遡れない情報源、つまり一次資料にあります。書籍や講座は研究者などが咀嚼・編纂した二次情報に過ぎず、受け手は普通それを受け売り(消費)することぐらいしかできませんでした。さらにはデジタルな手段が当たり前に使えるようになったことにより、知識とは活 | 2022-03-13 |
76 | | 第28号『上田小県における感染症の歴史』 | 上田小県近現代史研究会ブックレット第28号『上田小県における感染症の歴史』
【編著・発行】上田小県近現代史研究会
【発行】2021年12月10日
【定価】600円(税別)上田市内の書店でお買い求めください。
パンデミック(世界的大流行)はこれまでも幾度となく立ち現れ、先人たちもその度に脅かされてきました。多くの命が奪われ、社会活動に支障をきたしました。しかし、その都度全力で立ち向かい、できる限りの対策を講じて乗りこえようとしてきました。なす術もないと思われた時でさえ絶望せず、しばしば神仏に疫病退散を祈り続けました。(略)
もう一度各章にわたり取り上げたテーマについて、明らかにできた教訓や課題、厳しい条件の中でも命や暮らし、さらには文化を守るための人々の努力があったことを確認してみましょう。( | 2022-03-13 |
77 | | 少女世界に掲載 | 太陽という雑誌は今でもある?おなじものかわからないけど、その中の少女世界という雑誌に寄稿しているようです。
○○世界という雑誌が沢山発行されていたようです。 | 2022-02-28 |
78 | | まとめ | 初めは単なる好奇心から始めたイナゴ探求であったが、海のない長野県でたんぱく質を得るための古くからの知識であることが分かったり、SDGsや飢餓問題にからめ、これから世界で注目されていくべきスーパーフードであることも知れた。
今回、「イナゴ」というテーマから、上田や長野県の昔からの生活や歴史を知ることができた。
これからも様々な角度からみた長野県を探究していきたい。 | 2022-02-15 |
79 | | イナゴで作る持続可能な食生活 | FAOは、世界の人口は2050年には現在の75億人から90億人まで増加し、世界中で10億の人々が慢性的な飢餓に陥ると指摘。
さらに2030年頃には、タンパク質の需要に対して供給が足りなくなると予測されています。
そんな食糧問題の解決策のひとつとして、昆虫を食用としたり、家畜の飼料にしたりすることを推奨する報告書が公表されました。
海のない長野県で、貴重なタンパク質の供給源として古くから食べられてきた昆虫食、イナゴ。
これからの「次世代のスーパーフード」として世界に見つかれ!!!イナゴ!!!
参考: https://www.inadanikankou.jp/special/page/id=1107 | 2022-02-15 |
80 | | 呉市の歴史~昔と現在の比較2~ | これは、「呉海軍工廠」の様子。1889年に「呉鎮守府」が設置されるとそのもとに、「造船部」が置かれた。1903年に組織され、「呉海軍工廠」が誕生。東洋一の設備を誇り、ドイツの「クルップ」とならび、「世界の二大兵器工場」と称されるようになる。巨大戦艦「大和」、戦艦「長門」、航空母艦「赤城」などの海軍を代表する戦艦を数多く建造した。
出典:「海軍とともに発展した呉の街」
https://smtrc.jp/town-archives/city/hiroshima/p07.html | 2022-02-09 |
81 | | 第二次世界大戦以後の上田紬 | 第二次世界大戦以後の上田紬
終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。
などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特有 | 2022-02-08 |
82 | | 第二次世界大戦以後の上田紬 | 終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。
などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特有の風合や柄模様にもあったが | 2022-02-08 |
83 | | 上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~戦後以降~ | 第二次世界大戦以後の上田紬
終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。
などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特有 | 2022-02-08 |
84 | | 電化~国営化 | 昭和2年に富士―身延間、昭和3年には身延―甲府間の全面開通と同時に電化が完了した。この電化により、汽車運行時より約半分の時間で運行できるようになり、2年の間に旅客人数、旅客収入がともに2倍以上になり利用者が電化をどれだけ待ちわびていたかが分かる。
しかし、その後の会社経営は良好でなかった。その主な理由として、沿線の集落人口が多くなかったこと、身延参詣の乗客が予想以上に増加しなかったこと、工事など建設、設備費への投資によって運賃を上げてしまったことが上げられる。それだけでなく東海道線と中央線の接続線としての利用客が予想以上に多くなかったこと、山間部の土砂崩れや暴風雨による線路の補修工事による出費が重なったこと、そして世界恐慌により貨物輸送が伸び悩んだこと、これらの状況が重なっ | 2022-02-06 |
85 | | 身延線の開通 | 明治38年あたり、以前の富士川鉄道を企画した資産家をはじめ、甲州の資産家らが賛同し、「富士身延鉄道株式会社」を設立した。この計画では以前の、富士市の岩淵から富士川の流域に沿って甲府までというコースから富士宮市大宮地区の経済発展を考え、富士から大宮を通り甲府に向かうルートで計画された。そのため、甲府までの鉄道の用地買収に加えて、先ほども説明した富士馬車鉄道の権利の買収を行なった。
日蓮宗の総本山である身延山参拝を鉄道計画の一つの目的としていたため、富士身延間の工事をまず行った。富士大宮間は問題なく開通された。しかし、大宮から芝川、そしてその北部の工事がはじまると、第一次世界大戦と重なり物価の異常な高騰により、建築資材の調達、用地買収が難しくなっていき、中断を余儀なくされてしま | 2022-02-05 |
86 | | ΓEN(ゲン)―長大サミット2021発表団体/登壇者紹介⑤ | ▼発表動画
https://youtu.be/VR3TfoZnqbs?t=1405
言語化の技術を磨くための学生団体。日常の言葉を一歩踏み込み考え、新しい世界観と出会うことにより、言語表現の向上を目指す活動をしている。
| 2022-02-04 |
87 | | 呉市の歴史 | 広島県呉市は、面積35,318平方キロメートル、人口213,640人と広島県三番目の都市。
平安時代に遣唐使の往来があったことや、平清盛が関係した「音頭の瀬戸」からも分かるように、古くから海と船にゆかりのある地域である。
明治時代には、海軍の拠点の一つとして海軍の鎮守府を置き、軍港と共に発展を遂げる。
海軍開庁時に、人口も増加に転じ、ピーク時には400,000人にも上り、職人だけで30,000人もいたが現在は半減し、尚も減少傾向にある。
終戦後、「旧軍港転換法」の成立により、現在の産業の発展の糧となる。
海軍の施設は、観光資源としても再利用され、毎年多くの観光客が訪れる。
2016年には、映画「この世界の片隅に」がヒットし、再び注目を浴びる。
出典:「富国強兵とひろしま~軍港呉~」
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploade | 2022-01-29 |
88 | | 富士山研究 | 「富士山の“世界遺産登録までの歩み”と“これから”」
入月龍輝
黒田蒼士
日本人の自然観や日本文化に大きな影響を与えてきた富士山は2013年に「信仰の対象と芸術の源泉」として、世界文化遺産に登録された。
―世界遺産登録までの歩みー
富士山を世界遺産とする動きは1992年からスタートしている。その後も静岡・山梨両県が、衆参議院に富士山を世界遺産として推薦していった。しかし、2003年国の検討会が最終候補地を選定した際、富士山が狭い遺産候補から外れる。そのため、世界文化遺産登録を目指し活動することになる。2007年に文化庁が日本の世界文化遺産 暫定リスト 追加候補遺産に選定する。最終的に2013年第37回世界遺産委員会にて世界遺産登録決定となる。
このように世界遺産登録までに約20年かかったおり、一筋縄 | 2022-01-27 |
89 | | 1 地域探求のテーマと目的 | テーマ:旧坂井村と戦争
第二次世界大戦の終戦から76年が経ち、戦争の記憶が若い世代にとって遠いものに感じ始めている。知識としては知っていても、感覚的にどこか遠く感じてしまう。
その理由として「70年以上前のこと」という時間的要因の他に、「自分の身近に感じにくいスケールの大きさ」が要因として考えられる。
小中高それぞれの学校では、日本全体や世界全体の戦時中の出来事を学ぶ機会が多く得られるため、ある程度多くの人が知識として戦争について知っている。しかし、スケールが大きすぎてしまい、どこか他人事の様に感じられてしまうこともある。
そこで、都道府県単位や市町村単位における戦時中の出来事から、戦争をみていきたいと思う。都道府県や市町村ごとであれば、現代を生きるそれぞれの人にと | 2022-01-27 |
90 | | 平和観音(世界平和聖観世音菩薩) | 112段の石段の先に平和観音と呼ばれる重さ約22t、全長約25mにも及ぶ銅像がある。雪のなかということもあり、石段が滑り大変だった。昭和39年に完成し、金属製の観音像としては東洋最高らしい。実はこの像は2代目で、昭和初期に33mの「聖観音菩薩」が建立されたが、戦争のため台座を残して解体されてしまったという。下から見上げる平和観音は写真では伝わりきらない迫力なので、是非実際に訪れ体感していただきたい。
また、境内から上につながる階段を上ると、地震除け、金運をもたらす石仏として信仰されている「弥勒石仏」(みろくせきぶつ)があった。こちらも雪がたくさん積もっており大変で、石仏は猿がいたずらをすることから扉が閉ざされていた。 | 2022-01-23 |
91 | | 山形のトーク番組『今日とは違う、世界がある。』 | ▲PDF:『トーク番組 今日とは違う、世界がある。』
番組リスト 1997~2008年 第1回~第111回
レギュラー:吉村和文さん(当時はケーブルテレビ山形専務、現ダイバーシティメディア社長)
端山貢明さん(当時は東北芸術工科大学教授、後に名誉教授)
山形市のケーブルテレビ局「ケーブルテレビ山形」(現ダイバーシティメディア)が1997年から10年以上にわたり毎月当該番組を放送していました。吉村和文さんと端山貢明さんがレギュラー出演し、毎回多彩なゲストを迎えて地域課題について意見交換するという番組でした。
「現代社会と教育」「地方分権」「福祉と共生」など毎回硬派なテーマが取り上げられました。端山貢明さんは第1回(1997年9月)以来、1回も欠かすことなく第111回(2008年5月)まで連続出演し、毎回、コメンテートをしまし | 2022-01-08 |
92 | | 旧坂井村と戦争 | 地域探求テーマ:旧坂井村と戦争
西上田事報などをこれまで調べてきた際に、戦時中に地方の地域ではどのようなことが起こっていたのか、地域ごとにどれほど戦争によって被害を受けてきたのかを知ることができた。
第二次世界大戦の終戦から76年が経ち、戦争の記憶が若い世代にとって遠いものに感じ始めている。戦争と地元地域を絡めて探求していくことで、より身近に、自分ごとに戦争や自分の出身地域について考えることができると感じた。
また今回は旧坂井村(現・筑北村坂井)の地域を対象としていきたい。
アウトプットの時点では、戦時中の状況を現在に置き換えるなどして、読者がより自分ごとに分かりやすく感じることができるものを目指す。
参考文献:坂井村史
但し著作権等について確認がまだ取れていないため、変更す | 2021-12-23 |
93 | | 富士山研究 | ーなぜその研究テーマを選んだのか
地元なので一緒に調べようと考えた
ー何を探求しアウトプットするか
富士山の歴史
ー具体的にどのような資料を調べるか
世界遺産登録への道のり | 2021-12-21 |
94 | | 「上田市の主な工業」まとめ | 今回、上田市内における十の企業を調査気づいたことをまとめていきたいと思う。
まず一つは、やはり機械・精密機器製造が盛んであったということだ。上田市は隣接する坂城町同様に機械・精密機器を工業の強みとしているという情報は調査前に持っていたが、実際に具体的な企業を通じて知ることができた。逆に、針や食料品などの製造にも大きな役割を持っているということも確認でき、多様性も見ることができた。
次に、全国、または世界に展開する企業が複数あったということだ。上田という地から多くの製品が広がりを見せていくというのは、上田で学ぶ人間として驚きであり、誇らしいことでもあった。
今回は数多く存在する中小企業に触れることができなかったために調査結果としては物足りなさがあるが、上田市の工業における一般 | 2021-12-20 |
95 | | [上田市に本社を持つ企業③]オルガン針株式会社 | 関連会社など(国内):県内四つ・熊本
関連会社など(国外):ベトナム・中国・台湾・シンガポール・ドイツ
主力製品:針
・ミシン針(家庭用・工業用いずれも)
・メリヤス針(ニット素材に用いられる)
・フェルト針(繊維を複雑に絡め合わせた不織布をつくる)
・ブローブ(「導通検査=電気的な接続を確認する試験」に用いられる)
参考資料
オルガン針株式会社 「一本の針に心を込めて、世界の顧客に手渡そう」. (https://organ-needles.com/company/outline/) オルガン針株式会社 代表取締役社長 増田 良介 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
96 | | 冬の美ヶ原 | 一面の銀世界に圧倒されてしまう、雪の美ヶ原。
空気もより一層澄んでいるように感じる。
トレッキングシューズでも意外と歩きにくい。
雪は硬めでずっしり感があり、木も雪がこびりついて重そうだ。
広大な美ヶ原で一人お昼を食べる、新鮮な体験もできた。
雪道を走れる自信がある人は防寒対策をしっかりして、冬の美ヶ原を訪れてほしい。
現地でしか味わえない自然の美しさに圧倒すること間違いなし。 | 2021-12-17 |
97 | | 鍛冶職人の世界 | 鍛冶職人を集めて住まわせた上田の鍛冶町では、1706年の記録によると、32軒の鍛冶屋があった。それが、明治末には半数以下に減少してきた。
一人前の鍛冶職人になるためには、親方のところに弟子入りして、一定の年季をかけて修行した。これを徒弟制度といいい、親方は弟子に厳しく技を仕込んだ。
鍛冶町の鍛冶屋では、桑こき、稲こきや馬耕用の犂先なども生産したが、回して開ける柏錠もよく作られた。 | 2021-12-15 |
98 | | 「青少年学徒に賜りたる勅語」(『西塩田時報』第190号(1939年9月1日)1頁) | 昭和天皇の勅語を掲載した記事。この前年に国家総動員法が発令されたことがあり、これを含めて戦争一色となっていることがわかる。また、この日はドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発した日であり、欧州においても戦乱が広がり始めることになるが、それ以前よりこのようにあらゆる分野の記事で挙国一致、戦時体制の確立を訴えていることは、日中戦争がいかに長期化していったことを示すものだと考えられる。 | 2021-12-14 |
99 | | かつての成人の願い(『西塩田時報』第78号(1930年5月1日)3頁) | コラムを書いた筆者が、戦争の傷が残る子ども時代に見た大人の世界は、
生きるために血眼で戦う醜い世界。
そんな時代の先で彼が望んだのは、何か世の中の役に立つ人間になることだった。
生きるために戦うことの醜さを知らない現代の日本の大人たちは、
戦いの時代になったら、彼にとっての醜い大人になってしまうのだろうか。
私は世の中の役に立つ大人になりたいとは思うものの、そういう人にならない確証は無い。
なるべく避けたいものだなと思った。
現代では多分考えないだろうこの価値観が面白いと思った。
▼この記事は以下より参照できます
#337 『西塩田時報』第78号(1930年5月1日)3頁 | 2021-12-14 |
100 | | 農村の若人に(一)(『西塩田時報』第121号(1933年12月1日)4頁) | この文章は、匿名のYさんから農村の若者に向けた物である。
世界は戦争や疫病により、落ちぶれてしまっている。世界では資本主義や社会主義、科学を主体とする思想も広がっている。日本もそれを色々と真似ようとしているが、執筆者から見たら、立派な青年(日本)が不良な青年(外国)と遊んでいて悪い癖を覚えさせられているように感じられているそうだ。現に世界恐慌の際、労働者と資本家も苦しんでいる中で、大資本家や国際的な資本家は卑しく笑っていた。また、人間は自ら見つけた科学を全力で成長させてきた。その科学は完全に人間の上に立ち、一切の指令権を持つようになり、人間は科学に職を追われ科学の犠牲になりつつある。歴史ある美しき日本を守れ。そして、大和魂を持って世界を再生することが使命である。
ある程度理解 | 2021-12-12 |