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2023年度デジタルアーカイブ後期中間作業報告(10/9-11/27)
10/9 先週は日曜日に上田市で開催されたキモノマルシェに参加し、藤本蚕業の史料の魅力についてスライドショーで常時公開しました。中にはスライドショーに興味を持って見たいという人もおり、非常に驚くと共に史料の貴重さについて改めて認識しました。金曜日は藤本蚕業の段ボール史料の整理棚の組み立てを一日中行い、史料展示の再整理について考えました。今後は藤本蚕業史料の解説サイト、及び小諸の史料サイトの開設に向けて動く予定です。 10/23 先週は藤本蚕業歴史館で史料紹介の配信についてテストしました。その中で、史料を紹介するには1人で解説をしながらでは面白さが伝わらず、関心の高い方を介した対話形式で史料について語り合う事で面白さを引き出せることが分かりました。今週は水曜日にKAN-PRO中村さんと話し合いがあり
2023-12-04
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2023/11/04開催「歴史的景観ウォッチング:西部地域の歴史的景観」
「歴史的景観ウォッチング:西部地域の歴史的景観」に参加しました。丸山平八郎家を始めとした上田の歴史的景観を持った民家をいくつか訪れることが出来た他、その様子を撮影することが出来、改めて上田の街に対する観念が変わりました。こうした出来事は他の地域でも良く起こるのですが、それだけ地域の歴史が周知されていないという意味でもあり、こうした魅力をどう面白く発信できるかを考える必要性を認識させられました。
2023-11-19
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12月22日分 調査まとめ
上田城の築城・歴史 「日本一の兵」真田幸村を輩出した真田氏は、現在の上田市真田町の周辺を拠点として活動していた。上田城の築城が開始されたのは1583年のことで、真田幸村の父である真田昌幸によって築城が開始された。当時徳川家康に仕えていた昌幸は、その援助を受けながら築城をしていた。しかし、北条と手を組もうとする徳川から土地の受領を要請された際にこれを拒否。徳川と断絶した昌幸は、上杉家に助力を求め次男の幸村を人質に差し出す。これにより、上杉方から戦力と築城の支援を受けた。上田城が一旦の完成を迎えた1585年、家康は鳥居元忠らを真田領に進軍させ「第一次上田合戦」が始まった。およそ1万の軍勢で進軍してきた徳川軍を昌幸は謀略を用いて少数の軍勢で撃退した。時は流れて関ヶ原の戦い最中の1600年、家康の息
2022-12-22
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眞田神社
眞田神社は上田城本丸跡に鎮座しており、真田氏、仙谷氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。しかし、本来は松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していた。 松平家は、真田氏、仙谷氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで7代160余年の長きにわたる上田藩主であった。 上田藩主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号した。寛文9年(1669)に亡くなった。忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にあり、京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられてもいた。これが眞田神社の起源となっている。 明治維新の変革の中、国に接収された上田城もまもなく民間に払い下げられ、城跡は急速に桑園・麦畑などに変化していった。そのような情勢の中で、旧上田藩士や
2022-11-30
5
丸山邸
明治4年、廃藩置県により上田城を買い取り、明治18年、当時の上田町に寄贈したのが丸山平八郎です。丸山邸はその私宅「木屋平」です。
2022-11-03
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西部地域 丸山邸
明治時代に上田城から移設したとされる石垣が残る、丸山平八郎の邸宅。 近辺には矢出沢川が流れており、涼しげな雰囲気だった。現在は近くに植物屋なども置かれている。
2022-10-30
7
上田城の歴史2
関ヶ原の合戦後、上田城は徳川の手で破却されたが、真田に代わって上田城主となった仙石氏によって復興された。1626年に修復された上田城は真田氏時代の縄張りを受け継いだとみられ、仙石氏の後に城主となった松平氏の代になっても、その姿にほとんど変化はなかった。明治維新後、廃藩置県により1874年に上田城は民間に払い下げられ、再び廃城となった。この際、本丸付近を一括して購入した丸山平八郎氏は、1879年の祭り神社(現真田神社)創建に当たり本丸南側の土地を神社用として寄附し1893年には残りの土地を遊園地要として寄附した。これが上田城跡のの公園化の第一歩になった。
2021-11-14
8
丸山平八郎邸宅(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「丸山平八郎邸宅」はその一つである。
2020-09-25
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