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登録リスト(該当:547件)
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写真
タイトル
説明
登録日
1
川合新田公民館
川合新田神社に隣接している公民館
2024-05-23
2
川合新田神社②
川合新田神社のその②です
2024-05-23
3
神社 建物
先ほどに続き神社です。何か工事のようなものをしていました。何か変わるのか気になりました。
2024-05-16
4
神社
家の近くにある神社です。意外と行ったことがなかったのでいい機会でした。
2024-05-16
5
誉田別神社
誉田別神社は誉田別命をまつっている神社です。誉田別命は応神天皇の諱です。
2024-05-16
6
川合新田神社
小学校の登下校の際に毎日見ていた神社。文字が右から左読みであり、昔の建造物であることが感じられた。
2024-05-10
7
旧北国街道-高市神社
初代上田城主真田昌幸が創建した高市神社。 小さな神社だったが赤く華やかな神社だと感じた。 隣にたたっていた三好清海入道像の三好は昌幸の縁戚らしい。
2024-05-09
8
本殿からの景色
神社本殿からの眺め。元々が山の上なこともあり、なかなかの眺めだった。
2024-05-09
9
旧北国街道-日輪寺
海野六郎が建てた日輪寺である。 曹洞宗の寺であり、私自身も曹洞宗のため親近感が湧いた。 真田十勇士のことは知っていたし、興味はあったがこういった形で残っており私たちが訪れ感じることができることに嬉しさを覚えた。 ただ奉納旗(神社のぼり)ということは理解しているがこの量と密集具合は少し驚きがあった。
2024-05-09
10
高市神社
海野町商店街には今回の探検をきっかけに初めて訪れたのですが、商店街の一角に神社が置かれているのを見て驚きました。真田昌行公が創建された神社であるということでしたが、町の景観に馴染んでいる姿が印象的でした。
2024-05-09
11
愛宕神社付近
愛宕神社付近で町を一望できる場所を発見しました。
2024-05-09
12
生島足島神社
生島足島神社は真田氏や武田氏にもゆかりがあり、かなり大規模な神社である。自分が訪れたのは平日の昼間であったにも関わらず多くの人が参拝に来ていた。
2024-05-09
13
墨坂神社
須坂駅から少し歩いたところにあるのは墨坂神社である。 左右に狛犬の石像が置かれており、片方は子供を抱え、もう片方はボールを持っている。 この神社の参道はほかの神社と比べて珍しく、1度道路を挟んでいる。 道路を挟んで鳥居が2つ配置されており、メインの大きな鳥居は道路を挟む前の建物に挟まれた細い裏道のようなところにある。 毎年夏に行われる須坂カッタカタ祭りの時には、神社の手前に屋台が沢山並んだり、神社の奥の方は休憩場所としても使われている。
2024-05-09
14
神社本殿
無人の神社本殿は従来の人を見かける神社とは異なり、神秘的な雰囲気を放っていた。
2024-05-09
15
鳥居
布制神社の鳥居。
2024-05-09
16
諏訪神社
中塩田小学校やAコープしおだ店の近くにある神社である。鳥居の形が少し変わっており上の部分が屋根のような形状になっていた。民家のすぐ隣に建っているものの人通りは少なく静かな場所である。
2024-05-09
17
上田西小で「子ども地域探検隊」学習支援
★みんなでつくる西部地域デジタルマップ/子ども地域探検隊2023
https://d-commons.net/seibu?c=1261 2/28(水)上田市立西小学校で5年1組が総合学習で取り組んできた「地域探検」の画像記録から子どもたちそれぞれが自分のイチオシをネットにアウトプットする学習を学生、地元の「西部地域まちづくりの会」の方々と支援してきました。 地域の探検をしたのは7月の暑い日と1月の雪が降った日。子どもたちは自分のタブレットPCを持って、探検先の様子を画像に収めてきました。この日はそのまとめとなるふり返り学習の日。西部地域まちづくりの会が開設している『みんなでつくる西部地域デジタルマップ』に子どもたちが投稿しました。自分たちの探究をネットに公開して地域の人々なども見てもらえるようにしました。これまで大人たちが投稿し
2024-02-29
18
信州上田学2023/地域キュレーションVol.2
長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「
信州上田学2023①~④地域キュレーション
」をご参照ください。 「
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)
」それぞれのマイテーマにリンクしています。[
Vol.1
|
Vol.2
]
No.
ニックネーム/探究テーマ
探究のねらい
よう/地域交通と産業のつながり
交通インフラと産業は密接に関連していると考えたから。産業の発展には
2024-02-16
19
信州上田学2023/地域キュレーションVol.1
長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「
信州上田学2023①~④地域キュレーション
」をご参照ください。 「
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)
」それぞれのマイテーマにリンクしています。[
Vol.1
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Vol.2
]
No.
ニックネーム/探究テーマ
探究のねらい
こぶた/別所を盛り上げるには
サークルの関係で別所に行く機会が多々あるが、別所の魅力にまだ自分自身
2024-02-16
20
泥宮に行ってきました。
泥宮まで行ってきました。 歩いて片道45分~1時間ほどかかった気がします。 流石に歩いていくのは時間がかかりました… 私のように散歩感覚で行くのはおすすめしません。 泥宮に行くまでの道のりは、行きは生島足島神社を通り過ぎて、交番があるあたりで右に曲がりました。曲がった先から道には街灯がないので、夜には行かない方がいいと思います。暗いしこの時期の道は雪があったり凍ってたりで危ないので。 帰りの道は、甲田池・塩田町駅・男池を通る形のルートで帰りました。 上田市は少雨地域である為、ため池が多いことは学びましたが、歩いていると思ったよりも近くにため池群があり、楽しかったと思うとともに、すべてのため池を巡りたいなとも感じました。 夜遅くに行ってしまったので、泥宮の雰囲気は不気味に思えました。
2024-02-13
21
生島足島神社、本堂
生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られる、信濃屈指の古社である。御本殿は、神池と呼ばれる池に囲まれた神島の中で周囲を老樹に取り囲まれて建っている。武田信玄や真田昌幸、真田信之をはじめ、歴代の上田城主からも厚く崇敬されていた。また、現在は各種ご祈祷やご祈願を毎日執り行っており、七五三や個人でのご祈願も可能である。実際に訪れて境内を一周してみたが、整備されていない所が度々見られたり、案内の看板が少なかったりして、残念に感じる部分もあった。
2024-02-13
22
生島足島神社、西鳥居
生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られる、信濃屈指の古社である。御本殿は、神池と呼ばれる池に囲まれた神島の中で周囲を老樹に取り囲まれて建っている。武田信玄や真田昌幸、真田信之をはじめ、歴代の上田城主からも厚く崇敬されていた。また、現在は各種ご祈祷やご祈願を毎日執り行っており、七五三や個人でのご祈願も可能である。実際に訪れて境内を一周してみたが、整備されていない所が度々見られたり、案内の看板が少なかったりして、残念に感じる部分もあった。
2024-02-13
23
長福寺銅造菩薩立像
長福寺「信州夢殿」の本尊として安置されている。アルカイックスマイルを特徴とする、像高36.7㎝の小金銅仏で、7世紀後半の白鳳時代の作品と考えられる。もとは上高井郡小布施町の旧家に伝わるものだったが、昭和13(1938)年に長福寺に移された。 長福寺はこの講義を受講するまで名前も聞いたことがなかった。ここは生島足島神社の前に訪れたが、休日であるにも関わらず、訪ねている人は私一人だった。正直なことを言うと、日本遺産に登録されているにしては、閑散としていると感じた。観光客を呼び込むためには、もっと情報発信に努めるべきだと感じた。
2024-02-13
24
下之郷駅
生島足島神社に合わせた朱色の駅舎が特徴的で可愛らしいです。上田電鉄の本社と車両基地があり、運行上の中心駅です。かつては西丸子線との分岐駅でした。西丸子線の廃線後もホームはそのままの姿が残っています。
2024-02-13
25
生島足島神社
日本遺産にもなっている、地元の人々から愛される神社です。七五三の時期には多くの子どもがお宮参りに訪れます。祀られているのは生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神です。真田昌幸の朱印状など、国の重要文化財に指定された94通の古文書が残っており、内殿は「県宝」に指定されています。この神社は神池に囲まれた神島に建っていてとてもきれいでした。下之郷駅のすぐ近くなので、訪れてみてはどうでしょうか。
2024-02-13
26
別所神社
別所神社は、信州最古の温泉地、別所温泉にあります。舞台からは季節ごとに姿を変える別所の景色を見渡すことができます。 この別所神社の他との違いは、paypayでお賽銭ができるところです。かなり古い見た目で、あまり大きい神社ではないため現代的で驚きました。現金を持ち歩かない人も増えているため便利ですが、本当に電子機器での支払いでもご利益があるのか少し心配になってしまいますね。是非皆さんも別所神社まで足を運び、paypayのお賽銭を体験してみてはどうでしょうか。
2024-02-13
27
生島足島神社 日の入り
冬至の生島足島神社に行ってきました。 この神社は、太陽が夏至には東の鳥居の真ん中から上がり、冬至には西の鳥居の真ん中に沈むよう、鳥居が太陽の至点と一致するように配置されています。 実際この写真を撮影できたのは当時の三日後でした。雲がかかっているとみることができないため、きれいに鳥居の間に日が沈む光景を見るには、運も必要です。 とても寒かったですが、地元の方も多く集まっていました。とても美しく、見に行く価値があると思います。 次は夏至に、反対側の鳥居から日が昇る光景を見ることができます。是非行ってみてください。
2024-02-13
28
生島足島神社
平安初期にまとめられた「延喜式」に載る古社で、生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」を祭神とする。摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる。御神体は「大地」である。太陽が夏至には東の鳥居の真ん中から上がり冬至には西の鳥居の真ん中に沈むよう鳥居が太陽の至点と一致するように配置されており、まさに「太陽」と「大地」を結ぶ神社である。 晴れた土曜日の11時頃に行ったこともあり、多くの人が訪れていた。特に家族で七五三のお宮参りに訪れている人が多かった。文書も拝見した。撮影禁止で写真は撮れなかったが、非常に多くの文書が保存されていた。文書を拝見した。古文書からも、400年前の生島足島神社への信仰と長年にわたり守られてきたことがうかがえ
2024-02-13
29
前山塩野神社本殿及び拝殿
独鈷山の麓の前山地域に位置する、「延喜式」に載っている神社。鳥居が2つあり、その間は全国的にも珍しい流鏑馬の旧跡とされている。拝殿と本殿には竜などの彫刻が施されており、建造物の美しさを際立たせるものとなっている。境内は木々に囲まれ、俗世から少し外れた神秘さを感じさせられるような場所だった。自転車で行ったのでアクセスは少し大変であったが、落ち着いた雰囲気を味わうことができる所だと感じた。
2024-02-13
30
豊上モンテリア
生島足島神社からすぐのジェラート屋さん、豊上モンテリアさん 本格的なジェラートが食べられます その日限定のものがあったり、リクエストが出来たり、インスタを要チェックです
2024-02-13
31
生島足島神社
延喜式にもその名が記されている由緒ある古社である。生島大神と足島大神の二神が祀られ、武田信玄や真田昌幸・信之をはじめ歴代の上田城主からも厚く崇敬されたという。生島大神と足島大神を祀る神社は全国的にも珍しく、近畿地方中心に数社しかなく、東日本ではここを入れて2社のみである。昌幸の朱印状など、国の重要文化財に指定された94通の古文書が残っている。 敷地面積が特に大きいわけではないが、手入れがされていて池も相まって綺麗にまとまっているなという印象を受けた。境内には歌舞伎舞台もあるため。神社だけではない多くの歴史も感じることが出来る。また、日本の真ん中に位置していることでパワースポットとしても人気を集め、観光客を引き付ける魅力の1つでもあると感じた。
2024-02-13
32
生島足島神社
遠くからでもわかる様な赤い神社と鳥居。 上田の日本遺産にとって中心的存在
2024-02-13
33
別所神社
長く急な坂道を登った先にある別所神社。 お賽銭はPayPayで払えます。 神楽殿からの見晴らしは最高!椅子に座ってゆっくりすると気持ちがいいのでおすすめです。 また、忘れられがちですが神楽殿とは反対の山の中にも鳥居があります。 のジブリの世界みたいでワクワクしますよ。 すぐそばにある休憩所では美味しいお焼きが食べれるので、ぜひ立ち寄ってみてください。
2024-02-13
34
前山塩野神社
塩野神社はひっそりと佇む趣ある神社です。 物語の中に入ったような静けさ。 橋を渡ることにより、より一層の異世界感を生み出しています。
2024-02-13
35
まとめ
これまで上田市の街や神社を訪れてきましたが、上田の歴史について深く知ることができたように感じます。例えば、眞田神社は真田氏よりも松平氏の方がゆかりがあるなどのことを知ることができました。残りの3年間でより上田を知っていきたいと感じました。
2024-02-13
36
上田市の歴史を活かした観光
生島足島神社についてです。 延喜式にもその名が記されている由緒ある古社。生島大神と足島大神の二神が祀られ、武田信玄や真田昌幸・信之をはじめ歴代の上田城主からも厚く崇敬されたという。昌幸の朱印状など、国の重要文化財に指定された94通の古文書が残っています。
2024-02-13
37
上田市の歴史を活かした観光
長福寺についてです 生島足島神社に隣に建つ長福寺は平安時代の康保2年(965)創建で、創基は祐存上人と伝えられています。境内の一隅にある八角円堂は奈良、法隆寺の夢殿を模して、二分の一の縮尺で建てられた美しい御堂で、信州夢殿と呼ばれて親しまれています。
2024-02-13
38
真田神社について
上田城跡に存在している神社である。真田神社は明治時代、旧藩主の松平氏に対する恩義から藩主を祀るため、民衆によって建てられた。また、報恩だけでなく、上田城が遺した栄光や功績を後世に伝えるためでもある。 もともとは松平神社として松平氏のみを祀っていたが、戦後、歴代の藩主も祀るべきという声が上がり、真田神社と名を改め現在に至る。
2024-02-12
39
長福寺
長福寺は、生島足島神社の隣に立っている。長福寺は、平安時代に建てられた。境内のかたすみにある八角円堂は奈良にある法隆寺の夢殿を模して、作られたとされており、信州夢殿と親しまれている。
2024-02-11
40
長野県上田市にある別所線の終点である別所温泉駅
別所線は大正から昭和にかけて開業した蚕都(サント)上田を支えた5つの私電鉄のうち、唯一現役なのである。また、上田から別所温泉に至る路線は大正10年(1921年)に開通した。また、中塩田駅や別所温泉駅など、駅舎に近代の趣を残す建物が多いのも特徴である。また、別所温泉駅は別所温泉街の玄関口として、別所温泉の発展に大きく貢献してきたと言える。また、別所温泉駅も信濃国分寺・生島足島神社・泥宮も結ぶレイラインの一部である。そして、別所温泉駅は、別所温泉街への玄関として長年、別所温泉の歴史や文化を伝える拠点として重要な役割を担っているとされている。そして別所温泉駅もまた竜と生きる町、上田としての文化的な背景を示す象徴的な存在と言える。 実際に訪れてみて、昭和のレトロ感があり、駅としてだけでなく、
2024-02-06
41
生島足島神社
国土の守り神として仰がれている生島足島神社。 神池に囲まれた本殿の最深部、内殿には床板を張らないことで大地を直接祀っている。 近隣住民の中には神池を囲む参拝ルートを歩くことを日課にしている人がいる。
2024-02-06
42
科野大宮社
信濃国府の総社という説もあるほど由緒ある古社である。 境内には簡素な公園と喫煙所があり、私が参拝した際には近所の御老人方が談笑していた。
2024-02-06
43
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生) 長野大学の地域科目「信州上田学A」2023を受講した学生が「信州上田」を接点として地域キュレーションした地域学習のアウトカムです。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します(2024/02/15更新)。 各キュレーションの「マイテーマ」は次のページからご参照ください。[
Vol.1
|
Vol.2
]
▼社会福祉学部学生
いちご/上田の食
しおり/上田の食べ物
な/上田の日本遺産について
るるる/塩田平の文化財
2024-02-05
44
長野の観光地の持続性 泥宮
泥宮は泥をご神体とし、慰霊をここに残しという。泥宮は1790年以降に名付けられた。かつては、生島樽島神社と一本道でつながっていて、深い関係があった。 とても趣がある場所だと感じた。
2024-02-05
45
長野の観光地の持続性 生島足島神社
生島足島神社の西鳥居は運気の転換点として知られていて、太陽が東の鳥居から西の鳥居を抜けて一直線に伸びる参道へと沈んでいく様子が有名である。このような参道の仕掛けは太陽への深い信仰心が見られると考えた。また、生島大神がいると考えられていて、それは万物えお生み育て力強い生命を与え、足島大神は国中を満ちたら占め人々の願いをかなえてくれると言い伝えられている。 実際に行き、太陽が沈む様子はとてもきれいだった。
2024-02-05
46
生島足島神社
鳥居がとても大きかったです。 近くにあるお蕎麦屋さんがとてもおいしかったので、生島足島神社に訪れた人はよって見るといいかもしれないです。
2024-02-01
47
日本の中心!生島足島神社
池の上に浮かぶ真っ赤な神社。その荘厳な雰囲気は見るものを惹きつけます。地域住民だけではなく外国人観光客も度々見受けられ、インバウンド誘致も成功していると読み取れます。初詣では県内外の客が集いその姿は、長い年月を通して多くの人から愛される地方における、信仰・観光・地域開発の象徴だといえます。
2024-02-01
48
生島足島神社
平安時代初期に生まれたものか 生島大神は万物に生命力を与え太古より守り神として信仰されてきた。 →日本遺産の掲示板から引用しました。詳しくは実際に行くと近くに分かりやすい説明があります。 かぼさ ・小さい頃から初詣にお世話になっており、しっかり見たことはないなと感じ、探求しに。 ・初詣の三日目は少し人通りが少ないなと思いつつ、いつもよりは多いと思う。 ・大学に行く際に見られる鳥居はここから繋がっているのかと感じた。 ・池には鯉や鳥?がいて餌やりをすることができる。 ・写真は12/7撮影
2024-02-01
49
長福寺
生島足島神社のすぐ隣にあります 平安時代に建てられた、歴史あるお寺です 端には八角のお寺、「信州夢殿」があります 信州夢殿は奈良法隆寺の夢殿の完全二分の一写しです 奈良時代の瓦を使うなど、職人の技が詰まった建築です
2024-01-31
50
生島足島神社
上田てくてくマップに沿って街歩き開始! 上田の象徴的な神社である生島足島神社 池や鳥居がとても綺麗です 鳥居をくぐると、QRコードを読み取って解説を聞くことができます 音声に従いながら見て回るのがおすすめです 背景を知ることでより深く建物を見ることができるはずです
2024-01-31
51
白山比咩神社
白山比咩神社は、天平3年に上田地方において疫病が流行した際、加賀の国(石川)の白山より分産したとされる。弘安元年に現在の位置に再建され、眞田昌幸・信之などの戦国武将からの寄付状など、歴史を物語る資料が多く残されている。幕末から明治初期に信濃の地で活躍した宮大工の彫り物なども多数存在し、先人たちが地域の文化財として脈々と守り受け継がれてきたことが理解できる。 白山比咩神社は毎年初詣に行く神社であり、私の住んでいる地元住民に親しまれている神社である。初詣に行くだけで、石碑などの存在を認識していなかった。歴史についても調べる機会はなかったので、親しみある神社について知ることができ良かった。
2024-01-30
52
松平氏とゆかりのある上田のスポット
上田を治めた松平氏にゆかりのあるスポットを載せたマップを作製した。今まで紹介してきた記事に加え、4つのスポットをマップに加えた。 信濃国分寺の三重塔修復で紹介した松平忠周であるが、彼は正徳2年(1712)5月に山家神社の社殿を、正徳4年(1714)8月には紺屋町八幡神社の社殿も修復している(ただ、どちらの修復も三重塔修復より前の時代になる)。上田に引っ越してきて間もない忠周は、古くから上田住民の心の拠り所となってきた上記の神社仏閣を修復することで、上田領民の信用・信頼を得ようとしたのではないか、と私は考える。加えて、これから先、領内で天災や大きな事件が起こらないように、と土着の神仏に願かけをする気持ちもあったと思う。 山家神社であるが、額縁の『山家神社』という字は、上田最後の藩主で、知
2024-01-30
53
池と動物
生島足島神社には神池があり、そこにはたくさんの鯉がいる。餌も販売しており、あげてみるとたくさん寄ってきた。奥の方へ進んで行くと鳥も発見!子どもでも楽しめるのではないかと感じた。
2024-01-30
54
生島足島神社
生島足島神社には生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られている。建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)が諏訪の地に下降する途すがら、この地にお留まりになり、二柱の大神に奉仕し米粥を煮て献ぜられてたと伝えられ、その故事は今も御籠祭という神事として伝えられている。 この日は七五三の撮影が行われており、以前行った際は結婚の撮影をしていた。行事で地域の人から親しまれる場所なのだと感じた。また、この神社のステッカーを車に貼っている人をよく見かける。これも地域の住民から親しまれている証拠だと思う。
2024-01-30
55
生島足島神社
平安初期にまとめられた「延喜式」に載る古社で、生島大神と足島大神を祭神としている。御神体は「大地」であり、日本列島の真ん中に鎮座する神である。 とても大きな神社だなという印象が強く、普通の神社では、塗装が剥げているなどの建物自体の劣化が感じられることが多くあるが、生島足島神社は、綺麗な状態で保たれていて、歴史の長さを感じさせない建物だった。
2024-01-30
56
安曽神社
鈴子、石神、柳沢の3地区の産土神(うぶすながみ)であり、地域の守り神。社伝によると、崇神天皇の御宇、国家安泰を祈願し、各地に天社国社を建てた時、御震筆阿曾山舎社(がしゃ)阿曾大明神の御勅額が奉納されたという古社。境内入口は東向き。参道脇には「郷社 安曽神社」と刻まれた社号標が建つ。鳥居をくぐり、木々の参道を進むと、立派な隨身門がある。隨身門の中には、左右に隨身像が安置されている。門をくぐると、砂利の境内。境内西奥に、両翼を広げた形の拝殿があり、拝殿の後方、垣の中に流造の本殿がある。 実際に訪れてみて、一歩境内に入ると、風情を感じられるような空間であった。特に印象に残っているのは、随身門である。とても立派な木造建築の門で、左右の随身像は守り神の様な存在感だった。
2024-01-29
57
下之郷
上田市の塩田地区に属する。 産川支流の尾根川が形成する扇状地の扇端部にあたる。生島足島神社横の十字路を中心に形成された塊村で、格子状の道路網を骨格として形成された交通の要地である。 天文22年(1553年)武田信玄が生島足島神社に下した安堵状に「下之郷上下社」とあるもので、上本郷(現・本郷)に相対する地名と考えられている。 駅から徒歩ですぐのところに生島足島神社があるため、観光に訪れる際には別所線がとても便利だと感じた。駅の待合室の外観も神社に似た赤と白が基調となっていて、駅に着いた時点から神社の雰囲気を人々に感じさせるという工夫がなされているのではないかと考えた。
2024-01-29
58
神畑
1921年(大正10年)6月17日に上田温泉電軌により、川西線の駅として開業した。 地名の由来は下之郷生島足島神社近く、同社の神服部が神畑と訛ったものといわれる。 開業時から無人駅である。 民家やアパートなどが立ち並ぶところに位置している。当駅は周辺に住む多くの学生が利用している印象がある。学生たちにとってはとても利便性の高い駅なのではないかと感じた。
2024-01-29
59
別所温泉の街並み
別所温泉は全国でも有名な温泉地です。温泉旅館はもちろん、日帰り温泉施設も充実しています。神社などの歴史的建造物も複数あり、観光スポットとしても人気があります。
2024-01-29
60
生島足島神社
長野大学の近くにある神社で、日本遺産にも指定されています。赤い鳥居が特徴的です。上田市に来たら訪れてほしいスポットの一つです。
2024-01-29
61
塩田平の民話や伝説について まとめ
塩田平の民話は、現場に行って体験しないと気づかないこともあると思った。例えば、前山塩野神社の伝説の拝殿に彫刻された龍が出てくる話は、文だけを見て、龍は一匹だけなのかなと思って読んでしまったのだが、実際に前山塩野神社を見てみると、龍は複数彫られている。(写真参照)そのことから、目玉をくり抜かれた龍はどれだったのか。はたまた複数いたのではないか。と色々考えることができるため、現場に行かないと分からない面白みが塩田平の民話にはあると感じた。したがって、塩田平の民話に興味を持った際には、ぜひ民話の現地に行って体験してみることをおすすめする。また、縁結びの美欄樹の話など、インターネット上で紹介されていない民話が塩田平には存在していたことが分かった。加えて、自分が調べた限りでも、塩田平
2024-01-26
62
前山塩野神社の伝承
この神社は独鈷山の麓にある神社で、独鈷山の山岳信仰から生まれたとされている。境内は木々に囲まれており、外界と隔てられたような神秘的な印象を受けた。 伝承の内容 昔、この神社に彫られている彫刻の竜が、夜に御神木で遊んでいたそうだ。そのうちにその木の枝が折れて枯れそうになってしまい、村人たちは困っていた。そこで、その竜を掘った人に頼んで、目玉を取ってしまった。その後のある夏に大夕立が起き、御神木に雷が落ちて煙が上がり、折れてしまった。村人たちは、竜の目玉を取らなければ、竜が雨を降らせて御神木の火を消してくれたのにと後悔したそうだ。 実際に前山塩野神社に行ってみると、御神木には柵と屋根がついており、この伝承の出来事以降、大切に守られてきたのかなと感じた。竜が雨を降らせてくれる
2024-01-26
63
信濃国分寺三重塔
寺伝では1197年に源頼朝が善光寺参詣の帰途、寺の衰退を憂い、塔の復興を命じたという。建築様式から、室町時代に建立されたものと推定され、「和様」の外観は堂々と落ち着いた雰囲気を呈している。 周りに住宅や道路が多くあったが、生島足島神社と違って信濃国分寺は、お寺に近づくにつれ景観が古風になり、落ち着いたものになっているように感じた。生島足島神社も地域に根差している神社だが、信濃国分寺は上記のような繋がりで町と調和していたように感じた。
2024-01-25
64
眞田神社
東虎口櫓門を抜けると眞田神社がある。案内板によると上田城を築いた真田父子を主神とし、民政に尽くした仙石・松平の歴代藩主を祭神とした神社だという。眞田神社には合格祈願に訪れる学生の姿が見られた。日本一の智将といわれた真田幸村は今でも智恵の神様としてあがめられていることがうかがえた。
2024-01-25
65
安楽寺八角三重塔
安楽寺八角三重塔は、中国から伝わった「禅宗様」で造られた、現存する日本唯一の木造八角三重塔で、長野県の「国宝第一号」である。かつては「四重塔」とされていた。禅宗寺院であるにも関わらず一層内部に大日如来像が安置されている。 周囲を緑に囲まれ、落ち着いた雰囲気を感じさせていた。周りに住宅や道路のある、生島足島神社や信濃国分寺とは違い、周りにそのようなものが比較的少ないため、より落ち着いた雰囲気に感じたのだと思った。
2024-01-25
66
生島足島神社
太古より国土の鎮守と仰がれ、国の中心にある神社。生島大神・足島大神が鎮座されているとされ、神池に囲まれ、台地そのものの土間が御神体となっている。参道は、夏至に東鳥居・東御門から朝日の太陽が昇り、冬至には西鳥居・西御門に夕日の太陽が輝くため、「太陽」と「大地」を結ぶ神社と呼ばれている。 美しい神池に囲まれ、朱色の生える神社だった。長い歴史のある神社だが、それを感じさせないほどきれいであり、長い間丁寧に管理や修繕されてきたことが見受けられた。
2024-01-25
67
別所神社
別所神社は、古くから熊野社といわれていて、社伝によると、紀州の熊野本宮大社からの分祀されたといわれている。明治11年までは熊野社とされていたが、以降は別所神社に改められた。横には神楽殿もあり、別所が一望できる。現在では、神楽殿を利用したヨガなどがある。 建築様式や、建物を飾る彫刻も華やかで、建築物として優れ、当初の形式がよく残され、文化財として保存価値の高いものです。
2024-01-25
68
長福寺
生島足島神社にある長福寺を訪れてみた。長福寺は信州夢殿と呼ばれ、赤と白が基調となる八角の御堂が印象的であった。
2024-01-25
69
生島足島神社 西鳥居
生島足島神社の西鳥居は、前回投稿した泥宮とのつながりがある。昔は、西鳥居と泥宮が直線でつながっていた。また、太陽は東の鳥居~西の鳥居を抜けて一直線に伸びる参道の先へと沈んでいくのは非常に幻想的である。 この鳥居は日没の光が鳥居を抜けて差し込むように計算されている。大地をご神体とする生島足島神社にこの仕掛けが施されていることは、太陽と大地の聖地であることを象徴しているように思わせる。
2024-01-25
70
生島足島神社
生き物に生命力を与える生島大神と満足を与える足島大神の二神が祀られている。摂社には諏訪大神が祀られている古社である。 全体的に朱色で統一されていて、景観が美しかった。鳥居から太陽が出ているところを見てみたかったが、タイミングが分からず難しかった。太陽の上る時間、沈む時間は毎日異なるため、大鳥居、西鳥居にそれぞれ太陽が重なる時間を発信したら、神秘的な瞬間を見ることを目的とした集客ができるのではないかと感じた。また、日本中心の石像があったが、生島足島神社が日本の中心とはあまり聞いたことがないので、発信したいと感じた。
2024-01-25
71
生島足島神社
生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社である。 初めて訪れた際に感じたことは、全体が赤で統一された建築に魅了された。赤くそびえたつ鳥居がとても印象的だった。 創建の年代は明らかではないが、平安時代の天皇からの崇敬が厚く、鎌倉時代の北条国時や戦国時代の真田昌幸からも寄進があり社殿を修築するなど古くから日本の歴史に関わってきた神社である。
2024-01-25
72
上田レイライン 泥宮
泥宮は字のごとく大地をご神体として、生島樽島神社が建設されたときに、遺霊をここに残したという歴史がある。 かつては生島樽島神社の西鳥居とまっすぐな道でつながっていたといい、ご神体と同じくこの二つの神社は、深いつながりがある。実際に見に行き、感じたことは目の前にため池があり、周りが住宅に囲まれており、地域住民に大切 にされながら今日まで保存されてきたんだと感じた。
2024-01-25
73
石久摩神社
石久摩神社は隣の川辺小学校とつながりが深く、北鳥居の下に埋められたタイムカプセルの中に児童作文があります。 また、東鳥居付近にある上田原自治会館では5年に1度「上田原古戦場祭り」が行われます。
2024-01-25
74
神社におけるデジタルアーカイブ
2024-01-24
75
神社のデジタルアーカイブと文化継承
神社には歴史的に価値のある宝物や、昔から伝わってきた神楽などがあります。それらのデジタルアーカイブ化と文化継承について考えます。
2024-01-24
76
生島足島神社
生島足島神社を初めて見に行きました。 赤い鳥居がとても大きく、圧倒されました。 神社の内殿は平成10年9月に「県宝」に指定されたそうです。 信濃屈指の古社は、一度は訪れてみる価値があると思います。
2024-01-23
77
生島足島神社
生島足島神社の鳥居です。 式年祭として、御柱祭が6年に一度、寅年・申年の4月中旬に催行される。この祭は、諏訪神が諏訪に向かう途中で当地に留まった際、生島・足島両神に対して御柱を奉ったのが由来です。 御本殿は神池に囲まれた神島の中にまわりを老樹に囲まれて建っています。御扉の奥には御室と呼ばれる内殿(室町期建立)があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体(御霊代)として祀られています。現在の社殿は昭和15年に国費をもって竣工したものです。内殿は平成10年9月「県宝」に指定されました。 駅から近いため、だれでも訪れやすいと感じました。
2024-01-23
78
だいぶ遅くのお参り
昨日、上田市にある生島樽島神社に行きました。 兄が厄年なので、厄除けのお守りを買いました。
2024-01-22
79
神社
神社 海野町商店街の中に突如現れた神社 冬の受験の時期に見に行ったため、合格祈願がされていました。 商店街の中に神社があることは、他の地域にはない珍しいものだと思います。 そのため、これからも大切に守っていくべきだと感じました。
2024-01-22
80
紺屋町 八幡神社
上田市中央西にある神社。境内には小さな公園もある。 市指定の文化財に指定さている「紺野町八幡社絵馬」が奉納されていた。現在は上田市立博物館に展示されている。 1688(貞享8)年、徳川綱吉が世を収めていたこの時代に当時の上田藩主、仙石政明らによって奉納された大絵馬である。高さは102㎝、幅160cmの大きさを誇り、黒と白の大鷹が描かれている。長谷川派の作者によるもの。 この神社は上田城から見て鬼門の方向にあるため、当時から上田城主に手厚く保護されていたようだ。 近くにはスーパーやホームセンター、喫茶店があるため買い物やお茶ついでにいらしてほしい。
2024-01-20
81
別所 北向観音
北向観音は別所にあり、昔から厄除観音として地域の人からの信仰を集めた神社である。長野市にある善光寺と向かい合うよう北を向いている様子からその名がついたそう。 私はこの神社をとても素敵だと思うのだが、そこから見える景色のほうにより心を奪われてしまった。すこし高い位置にある神社からは上田の町が一望できるのだ。よく見れば上田駅の方までも見渡すことができる。きれいな空気を吸って、きれいな景色を見て、リフレッシュするのに最適な場所だろう。
2024-01-17
82
眞田神社
眞田神社は上田城本丸跡に位置していて、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。なかでも松平家は真田氏、仙石氏のあと、江戸時代の中期から明治時代の廃藩に至るまで、七代で160年以上上田城主であり続けました。そのため、眞田神社は松平(しょうへい)神社と称されていました。 @上田市二の丸1-12
2024-01-15
83
塩野神社
平安期より続く歴史ある神社で、楼閣造りと呼ばれる二階建ての拝殿が、とても非日常感を感じられる歴史的建造物だ。 周辺は深い森に囲まれ、境内へと入ると、一層神秘的な空間が広がっている。
2024-01-11
84
日本遺産 長福寺銅像菩薩立像
日本遺産シリーズの講義で長福寺銅像菩薩立像を訪れた。 ⻑福寺銅造菩薩⽴像は、⻑福寺「信州夢殿」の本尊。 アルカイックスマイルを特徴とする、像⾼36.7cmの⼩ ⾦銅仏で、7世紀後半の⽩鳳時代の作品と考えられる。 もとは上⾼井郡⼩布施町の旧家に伝わるものだっ たが、昭和13年(1938)に⻑福寺に移された。境内には、平和を願うなかよし地蔵や生まれてこれなかった子どもを供養する水子神社などもあった。長福寺はすごく広々としていて、庭園もきれいだった。今の時期は、植物が枯れていたが春になればきれいな姿が見れるのではないかと感じた。実際に菩薩立像を見ることができず残念だった。
2024-01-09
85
日本遺産 生島足島神社
日本遺産シリーズの講義を通して、生島足島神社に訪れた。 生島足島神社本殿は、生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社。生島大神・足島大神の二柱の神は、日本の真ん中に鎮座して、万物を生み育て、国中を満ち足らしめ給う日本国土の守護神として崇められてきました。実際に訪問した時、七五三やお宮参りで来ていたり、妊婦さんもいて、安産祈願や育成発展の祈願に適した神社なのだと感じた。また、全体の真っ赤な見た目が美しく、神秘的だと感じた。
2024-01-09
86
生島足島神社
太古より国土の鎮守と仰がれ、国の真ん中あたりに祀られる大八洲(日本列島)の神、 ”生島大神”と”足島大神”が鎮座している。 歴代の上田城主の北条氏、武田氏、真田氏などからも厚く崇敬されたという。 夏至には東鳥居から朝日が昇り、冬至には西鳥居に夕日が沈む神秘的なスポットでもある。 朱色の立派な建造物(本殿は県宝に指定されている)が印象的だ。 神社とは少し離れた位置にある大鳥居は来訪者の目印となっている。 境内はそこまで広くないので回りやすい。 七五三や神前挙式などに選ばれる神社なので、タイミングが合うとより幸福感を 味わうことのできる場所である。 大地と太陽を結ぶと言われる所以を是非体感しに訪れてみてほしい。
2024-01-02
87
上田城跡
真田昌幸によって築かれた上田城。 この城は真田氏が「関ヶ原の戦い」を含む、二度にわたって、徳川の大軍を追い払った実践経験のある城として有名である。 廃城となったが、現在でも本丸と二の丸には土塁、石垣、堀跡がある。 また、本丸の三基の櫓は昔の姿をとどめており、観覧が可能である(有料)。 堀跡の周りを一周できるように道が整備されており、観光しやすい文化財である。 敷地内や周辺には”真田神社”や”市立博物館”、”児童遊園地”などがあるので 歴史の理解を深めたい方や家族連れなど幅広い方々に楽しんでいただけると考える。 上田市では最も有名な文化財であり、観光スポットであるので まだ訪れたことのない方には是非歴史の一部を体感しに出かけてもらいたい。
2023-12-26
88
上田大神宮
1870(明治3)年、明治天皇は神道を全国に広める旨の詔を発布した。それにより伊勢皇大神宮では、神宮教院を設置し全国を31の教区に分類した。その第十九教区として上田の地に本部を設け、教活動とお神札の頒布の拠点としたのが上田大神宮の起源だ。 1889(明治24)年、現大神宮が完工、伊勢神宮より大宮司を迎え、鎮祭式典を行った。 また、境内には猿田彦神社、上田西宮恵比寿神社、三峰神社が内包されている。 神妙づくりの建築様式を採用しているが、現在は元の大きさから3分の一に縮尺されている。
2023-12-22
89
生島足島神社
駅が近く、駐車場も広いため訪れやすく、地域の方々から愛されている神社であると感じた。実際、平日に訪れたにも関わらず、10人以上に参拝客がいて驚いた。
2023-12-21
90
泥宮大神と上窪池
上田市本郷にある泥宮大神は、非常に珍しい泥を御神体とした神社である。古くから泥、つまり大地は稲などの作物を育ててくれる存在として崇められてていた。日本全国様々なものを御神体とする神社があるが、泥をご神体とした神社は多くはない。 本来は生島足島神社が建立された際に、その時の死者の魂を遺すためとして作られた社である。なお、生島足島神社が創建された年代はわかっていないため、この泥宮大神が建てられた時期も不明ということになる。 もともとは「諏訪大明神」という名で呼ばれていたが、1790(寛政2)年、松平定信が幕府の財政を引き締め立て直しを図った時代に「泥宮」の愛称で親しまれるようになった。 この神社の東側には上窪池という溜池があり、私が訪れた際にはサギのような白くて大きな鳥も見られ
2023-12-21
91
生島足島神社
2023年11月に撮影した生島足島神社の鳥居である。 生島足島神社は御神体が「大地」というとても珍しい神社である。鳥居や境内の建物は赤が印象的であり、美しい景観だった。 生島足島神社では毎年夏に祇園祭が行われているという。今年は直接祇園祭を見ることはできなかったが、来年はぜひ訪れてみたい。
2023-12-21
92
高市神社について
高市神社は、真田昌幸氏が上田城を築いた際に城下の惣町として海野町を造り、商いの守護神として創建されたと伝えられています。高市神社は「運の石」が有名です。運の石を右から左に撫でると悪運を払い、左から右に撫でると開運効果があるそうです。 @上田市中央2丁目9
2023-12-19
93
生島足島神社
生島足島神社は、生島大神と足島大神を祭っている神社である。御神体は「大地」であり、日本の真ん中に位置している神とされている。中世以降は、武田信玄や真田氏など歴代の上田藩主に守られたとされている。
2023-12-19
94
高市神社
海野町商店街を歩いていると、高市神社という小さな神社を発見しました。詳しいことは後日、図書館で調べようと思います。
2023-12-11
95
生島足島神社
平安時代初期にまとめられた延喜式に「生島足島神社二座名神大」と載っている。中世末期以降には「下之郷大名神」などと呼ばれ、武田氏や歴代上田藩主の保護を受けていたという歴史がある。
2023-12-07
96
別所温泉にてフィールドワークを行った感想
日本で最も古い歴史を持つ温泉である別所温泉を訪れ、北向観音堂、安楽寺、別所神社を中心とした神社仏閣について理解を深めた。また、別所温泉の観光地としての魅力や課題を考察し、考えを求めた。別所温泉の良い点として、多くの店で電子マネーが使えること、バリアフリー化が進んでいること、シャトルバスが運行していることなど、観光の大衆化に合わせた仕組みが取り入れられている点だ。また改善が必要だと感じられる点は、道が狭く自動車と接触する恐れがあること、体験型の観光ではない、外国人向けの配慮が不足しているなどの点があげられる。
2023-12-05
97
泥宮
日本遺産に認定されている泥宮は、字の如く「大地(泥)」を御神体としていて、神が下之郷(生島足島神社)に遷座された際に遺霊をここに残したという。「泥宮」という呼称は寛政2年以降とされ、それまでは「諏訪大明神」であった。泥は稲を育てる母として古来神聖なものとされてきた。泥宮はその古代からの祖先の習俗を伝える宮としてきわめて貴重な存在である。 泥宮を訪れて感じたことは、「本当にここが日本遺産なのか」と思うような場所だった。しかし、泥宮の周辺を歩いてみたり、滞在している中で、独特な雰囲気を感じ取ることができた。また、泥宮の鳥居を通して見る景色はきれいだった。泥を祀るというのは、塩田の地域において、昔から泥がどれだけ大切なものだったのかを感じた。
2023-11-30
98
生島足島神社
上田市を代表する生島足島神社を探求することで、歴史について感じ取れると思ったので、生島足島神社について紹介する。 日本遺産に認定されている生島足島神社は、太古より国土の鎮守と仰がれ、国の真ん中あたりにお祀りされる大八洲(日本列島)の神、生島大神・足島大神が鎮座している。寛政11年に生島足島神社と社名を改めており、中世以降には「下之郷大明神」「諏訪法性大明神」などと呼ばれ、武田信玄や真田氏、歴代上田藩主の手厚い加護を受けた。参道は、夏至に朝日の太陽が昇り、冬至には夕日の太陽が輝くという東西に延びる太陽の線上に配置されており、「太陽」と「大地」を結ぶ神社といわれる。 生島足島神社を訪れた時、七五三の人数が多くて、上田市を代表するとともに、昔から市民に愛されている神社であると
2023-11-30
99
上田城の歴史
上田城は1583年、真田昌幸によって築かれた。徳川軍による二度の襲撃を、その半数以下で撃退した実績を持ち、その防御力は伊達ではない。 明治以降は払下げられるも、神社、城址として保存しようとする動きが高まり、現在の公園に至る。
2023-11-30
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生島足島神社 大鳥居 説明
大鳥居の横に建てられている大鳥居の説明
2023-11-30
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