戌の満水とは
長野県千曲川流域の歴史的な洪水として、仁和4(888)年の洪水、弘化4(1874)年の善行寺地震の後の洪水がよく知られている。ところが、寛保2(1742)年の洪水「戌の満水」は、全国的にも近世以降最大の水害と呼ばれているのに知らない方が多い。
その理由の一つとして、昭和16(1941)年に連続堤防が完成、大きな水害が激減し流域住民の洪水への恐れ、関心が急激に薄れてきていることが挙げられる。しかし、寛保の洪水が「未曽有の水害」「前代未聞の水害」といった表現のまま、流死者など具体的な被害実態が集計されてこなかったため、訴える力が弱かったこともある。
流死者は2800人前後に達することが明らかになり、長野県内で被害が大きかった「三六災害」の死者は107人、不明が29人である。現在の約3分の1の人口だった江戸時代中期に千曲川流域だけで2800人に達した死者数は、当時の社会に相当な打撃を与えたに違いないと考えられる。
その中で2019(令和元)年10月、台風19号が長野県内の千曲川流域に甚大な被害をもたらした。特に千曲川堤防が決壊したのは1983(昭和58)年以来。広大な田園地帯に濁流が流れ込む様子に加え、新幹線車両の水没や鉄道橋梁の落下といった衝撃的な光景を、テレビやインタネットで幾度も目にすることになりました。
この災害は、忘れかけていた大洪水の恐ろしさを改めて感じさせる機会となり、「戌の満水」にも再び関心が寄せられました。そこで、当時の戌の満水の災害について、詳細にデータなどを当時の文献などから研究していこうと考える。
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投稿者 | さとし |
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