六工社の当時を見つめる

六工社の当時を見つめる六工社の当時を見つめる

 長野県立歴史館の常設展示にて当時の蚕糸業について見て学んできました。※撮影OKと表示がありました。
 和田英が工女たちの指導をしていた六工製糸場は、官営富岡製糸場をモデルとし、一回に50人が作業できることから「フランス式50人繰り」と言われていました。
 当時の様子を描いた絵にも、大人数の工女が並んで作業している様子が描かれていました。
 また、人の小ささから工場は自分の想像しているよりも大きいことが容易に想像できました。それだけでも、この時代の蚕糸業の産業としての重要さや中心になっていたのだろうなと感じることができました。

登録日:2022-10-30 投稿者:しょ
地区コード千曲市
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投稿者しょ
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カテゴリ名2022信州上田学テキスト
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