上田藩主/老中・松平忠固の墓

上田藩主/老中・松平忠固の墓

2018/05/10、願行寺にある松平忠固の墓を訪れました。上田藩主・松平忠固(1812~1859)は2度に渡り、老中をつとめた人物です。老中の職にあった時に、日米和親条約(1854年締結)、日米修好通商条約(1858年締結)を結んだことの功績は極めて大きい。日本が列強と互角に対し、列強並みの好条件で列強と貿易協定を結んだことは、その後の日本の近代化を決定づけたと言ってもいい。貿易を推進し、殖産興業を推進しました。

上田における松平氏に対する関心の低さは、この墓の状況が端的に物語っています。かつての願行寺は上田城と対峙するように大手町~海野町の旧城下町のメインストリートの対極に位置し、海野町の通りはその門前のように位置していました。しかし、その道筋が真っ直ぐに貫通し、願行寺の真ん中は道路によって分断されました。さらには、願行寺の一部が現在は廃線となった丸子線の始発駅・上田東駅となり、歴代上田城主・松平家の墓の真後ろが墓地の境界となっています。上田東駅の跡地は現在はクスリのアオキの店舗&駐車場となっています。そのような無残な有り様が現在の松平家の墓地です。地元の方々でもここに松平家の墓地があることは殆ど知りません。

今こそ歴史を市民の目線で掘り起こし、歴史を物語し直してよいのではないでしょうか。

登録日:2020-07-18 投稿者:ミッチー
地区コード上田地域(上田市)
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