仙台東照宮 ~仙台祭りから仙台・青葉祭りへ~

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中間報告

調べた内容

【仙台東照宮由緒】
東照宮について
・東照宮は、徳川家康公を御祭神としてお祭りしている神社。
・将軍家によって創建された日光や久能山の東照宮を始め、御三家や各藩主によって全国各地に創建された。

仙台東照宮
・正式名称は東照宮ですが、他の東照宮と区別するために仙台東照宮と呼ばれている。
・仙台の東照宮は、1654年(承応3)、仙台藩の初代藩主伊達政宗公の世継ぎである2代藩主伊達忠宗公によって創建されました。

社殿の造営
・造営にあたっては実に5年のときをかけ、全国から良材を集め、選りすぐりの一流の職人を筆頭に総勢83万4835人が従事したと言われています。
・日光東照宮や久能山東照宮が権現造という建築様式を採用しているのに対し、仙台の東照宮は拝殿と本殿を別棟にして、その間に唐門を配置しているという特徴があり、本殿、唐門、楼門(随身門)などが重要文化財に指定されております。


氏子町と御宮町の制定
・氏子町は東照宮のお祭り、東照宮御祭礼の時に神輿を担ぎ、山車を出すことが決められていました。

宮町(御宮町)
・現在、東照宮の正面には南北に2キロほど続く宮町がございます。
・御宮町の町人は、東照宮の境内整備やお供え物の準備などをする代わりに納税の免除など様々な特権を受けました。
・東照宮造営以降200年以上仙台藩の保護のもとにあった東照宮は明治時代になり、一時存続の危機を迎えます。


【東照宮御祭礼】
歴史
・東照宮祭礼は1655年(承応4)に始まった神輿渡御を行うお祭りで、仙台祭とも呼ばれました。
・お祭りの行列は数千人に及び、遠方からも見物が訪れるなど仙台最大のお祭りでした。
・藩政が終わり明治時代に一度途切れましたが、大正時代に再開し、現在では5年に一度行われております。次の神輿渡御は平成30年に斎行されます。
現在
・現在の東照宮祭礼行列は、東照宮を出発して東照宮御旅所であった現東六小学校との間を往復する約3kmの行程で行われます。
・行列には東照宮神輿に加えて子ども神輿、稚児行列等を加え、合わせて東照宮神楽が奉納されます。

大神輿渡御
・東照宮の神輿は江戸時代東北で最大と言われた大きな神輿です。
・随身門前で御神霊を乗せた神輿はゆっくりと石段を降り宮町通りに入ります。
・360年以上前の創建時に江戸から仙台まで担がれ、また以降たくさんの町人、仙台市民に担がれてきた神輿です。
・担ぎ手の交代をしながら御旅所であった東六小学校まで進み、そこで神事が執り行われます。
・担ぎ手は宮町などの東照宮周辺にお住いの方や仙台市民の中から広く募集し、白い装束をつけて担ぎます。

子どもみこし
・東照宮周辺地域や仙台市の小学生が2機の子どもみこしが大神輿と同じ宮町通りを往復いたします。
・子どもみこしは毎年東照宮の境内を渡御しておりますが、5年に1度境内を離れて宮町通りを渡御します。

稚児行列
・お子様の健やかな成長をお祈りする、稚児行列を行なっております。
・大正時代には行われていた記録がございます。

東照宮神楽 ― 仙台市登録文化財
・神輿巡幸の際にしか演奏されない”はねっこ”の紹介など。

仙台東照宮 公式HP
徳川家康の足跡をたどる HP より 
資料はPDF参照


【聞き取り調査】
北六町内会副会長(東照宮役員)
・東照宮のパンフレットに全部書かれている
・社殿には何も残っていない
・全戸に 500文 の田畑が与えられ、年貢や町方諸役が免除 されたほか、東照宮の 「仙台祭り」の 日には絹布着用の特権が与えられていた。
(仙台市青葉区 北六地区 平成風土記 ~北六地域界隈の史跡・施設巡り~ より)

【現地調査】
・写真整理中

【仙台祭りから仙台・青葉まつりに繋がるという主張】
伝承 仙台・青葉まつり
武者行列,山鉾巡行,仙台すずめ踊りなど。伊達政宗の命日にちなみ,5月の第3日曜日とその前日に行われる仙台・青葉まつり。第30回仙台・青葉まつりの様子とこれまでの伝承の経過をまとめた作品である。
・わが回想の青葉まつり
青葉まつりをその始まりから紹介する。また、祭がどのような変遷をたどったかを当時の映像をふんだんに利用しながら人々の風俗や町並みの変化も共に紹介している。
(図書館 | 教材ライブラリー | せんだい教材映像アーカイブ より)

『まとめ』
 江戸の仙台祭りから現代の仙台・青葉まつりへの繋がりがあるという記述があった。多くの仙台・青葉まつりを紹介する記事には仙台祭りが起源だと紹介されている。中断を経て仙台・青葉まつりは復活を成し遂げた祭りであるため、仙台祭りからインスピレーションを受けている可能性は大いにある。しかし私が見つけられた中では、山車が出回るという共通点だけしかない。そのため本当に繋がりがあると言えるのかが疑問である。簡単な変遷としては徳川家康を祀る仙台東照宮主体の仙台祭り、江戸時代が終わり伊達家を祀る青葉祭り、そして、現代になり復活した仙台・青葉まつり。祭りのやり方として、仙台祭りと青葉まつりの共通点があまりないように感じる。まず1つ大きな点として、祀っている人が違うからだ。そのため、この2つで意味合いや目的が大きく異なるだろう。青葉祭りと現代の仙台・青葉まつりには、その点伊達政宗を祀るお祭りであることから、共通点があると感じる。仙台のお祭りの様式を作ったのが、仙台祭りだと言えるような証拠があると、この3者につながりを感じられることが出来るが、今のところ感じられない。町内の方から聞いた話だと、繋がりはあるという主張をしていた。しかし少し無理矢理な感じがでている気がする。実際に復活させたときに、どのような思いが込められていたのか、について知ることが出来ればその真相に近づけるかもしれない。町の人の意見ももう少し集めたい。

『今後の展望』
【資料を収集整理】
東照宮御祭礼の様子。
・大正期以降
宮町と東照宮の関わり
・宮町商工会議所
その他祭りの起源
・春祭り
・秋祭り
・節分
・どんと祭 など
東照宮神楽

【大方ネットなどを使い調べることが出来たので、直接東照宮の宮司さんなどにお話を聞く】
聞くこと:仙台祭りと仙台・青葉まつりの繋がり など



*資料の貼り付けがうまく出来ない。一つ変えると、他のところが連動して、変わってしまう。
*書式の変更が出来ない。

登録日:2022-01-26 投稿者:フウキ
地区コード宮城県
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